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日本の俳優 (1939-) ウィキペディアから
若林 豪(わかばやし ごう、1939年(昭和14年)9月5日[2] - )は、日本の俳優。身長177cm。血液型はA型。長崎県長崎市茂木町出身[2]。海星高等学校、専修大学経済学部中退[3]。
専修大学中退後の1965年、劇団新国劇に入団[2]。その後フリーになり、若林プロモーションから2006年11月に東宝芸能へ移籍した。のち、2015年ごろから、エ・ネストに所属。
島田正吾の直弟子としてデビュー[2][5]。芸名は、新国劇に入るより前に仲間内で演じていた三島由紀夫の『近代能楽集』から「源氏葵若林光(げんじのあおいのわかばやしひかる)」というくだりを気に入って「若林」を是非にと決め、豪の名前は新国劇に入った後、「若く猛々しい」というイメージから劇作家の榎本滋民に名付けられた[6]。
1968年、TBSの時代劇『顎十郎捕物帳』の主役に抜擢され、テレビ俳優として活動する[2]。1971年、映画『暁の挑戦』で映画デビューを果たし[7]、『人間標的』では初主演を務めた。
1977年、『Gメン』シリーズにレギュラーとして出演開始[2]、以降5年間出演した。
1976年の映画『忍術 猿飛佐助』で真田幸村を演じ、NHKの大河ドラマでも、1983年の『徳川家康』、1987年の『独眼竜政宗』でそれぞれ真田幸村を演じた。
1989年より山村美紗が「この役は絶対若林に」との願いで[10]、山村原作のサスペンスドラマシリーズ『赤い霊柩車』で狩矢警部を局をまたいで演じて、当たり役となると、2023年3月19日に放送されたファイナルまで出演した。
1990年代にはテレビショッピング番組に司会者として出演していた。
2006年4月、舞台『同期の桜-君にめぐり逢いたい-』 で主演を務めた。2008年3月5日、慢性硬膜下血腫のため名古屋市中区の病院にて手術を受ける[12][13]。このため同市で出演中の舞台からは降板することとなった。術後の経過は良好で、仕事に復帰した。
2009年にはNHK大河ドラマ・『天地人』に島左近役で出演した。
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