高松琴平電気鉄道
香川県に3つの路線を持つ鉄道会社 ウィキペディアから
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高松琴平電気鉄道株式会社(たかまつことひらでんきてつどう)は、香川県に3つの路線を持つ鉄道会社である。通称はことでん。本社は香川県高松市栗林町二丁目19番20号。グループキャッチフレーズは「うみ・まち・さと - 心でむすぶ」。また、2011年4月から1年間は、ことでん開業100周年記念キャッチフレーズ「ひ や く ?」が併せて使用されていた。マスコットキャラクターはことちゃん。
種類 | 株式会社 |
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略称 |
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本社所在地 |
日本 〒760-0073 香川県高松市栗林町二丁目19番20号 北緯34度19分46.73秒 東経134度3分2.63秒 |
設立 | 1943年(昭和18年)11月1日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 1470001002410 |
事業内容 | 旅客鉄道事業 |
代表者 | 代表取締役社長 植田俊也 |
資本金 |
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売上高 |
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営業利益 |
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経常利益 |
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純利益 |
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総資産 |
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決算期 | 3月31日 |
主要株主 | |
主要子会社 | |
関係する人物 | 大西潤甫(元社長、創業家) |
外部リンク | https://www.kotoden.co.jp/ |
香川県で、高松築港駅から琴電琴平駅までの琴平線、瓦町駅から長尾駅までの長尾線、瓦町駅から琴電志度駅までの志度線の3路線を営業している。
太平洋戦争中の1943年11月1日、陸上交通事業調整法に基づいて高松市周辺の鉄道事業者が合併して誕生した。直後に、同じく高松市周辺のバス事業者を吸収している。
空襲による市内線の焼失、その代替として高松築港までの路線延長を行うなどの結果、1950年代前半に現在の鉄道路線網ができあがった。以降、琴電グループの中心として、鉄道事業・バス事業などを行ない、1970年代には流通事業、ホテル業に進出した。バス事業は1986年に子会社の高松バス(現在のことでんバス)に譲渡している。
転機となるのは、鉄道3線の拠点である瓦町駅の近代化計画である。1970年代に構想が持ちあがったもので、駅ビルを建設し百貨店を開くというものである。しかし、諸般の事情により計画の具体化は1980年代後半となり、着工は1994年、竣工は1997年となった。そしてそごうグループと提携して「コトデンそごう」を設立・開店した。しかし、バブル経済期の甘い見通しのもとに立てられた収支計画、ならびに2000年のそごうグループ破綻の余波を受け、2001年(平成13年)1月22日にコトデンそごうは民事再生法の適用を申請し閉店する[3][注釈 1]。その同社への債務保証が原因で高松琴平電鉄は経営難に陥り[4]、2001年12月に子会社のコトデンバス(現在のことでんバス)とともに民事再生法適用を高松地裁に申請した[5]。結果、琴平電鉄時代からの経営者である大西一族は退陣、代わりに香川日産グループや地元の大手食品メーカー「加ト吉」(現・テーブルマーク)などの支援を受け、経営再建することになった。この再生計画は2006年3月に終了した。
かつては琴電(ことでん)・TKR、後に片仮名書きのコトデンの愛称で親しまれていたが、民事再生法適用申請後、イメージを一新するためにことでんと平仮名書きに改めた(ただし、駅名には漢字の「琴電」が引き続き使われる)。車両の車籍銘板の表記は「高松琴平電鉄」となっている。この表記は直営時代のバスでも用いられていた。
また、2005年2月2日には非接触式ICカードシステムIruCa(イルカ)をことでんバスとともに導入した[6](四国の鉄道・バスでは初)。
民事再生法適用前のサービスはことでんバスとともに良くはなく、バス運転手や車掌、駅員の乗客に対する横柄な態度も問題視されていた。そのため民事再生法適用時も「身から出た錆」「鉄道は要るが琴電は要らない」など住民は琴電擁護や支援に消極的だった(後述するマスコットキャラクター「ことちゃん」がイルカになった理由は、この時に「琴電は要るか[4][56]、要らないか」と話し合ったことに由来する)。香川日産出身の真鍋社長就任後はサービス改善を最重要事項とし、以下のような取り組みを行なった。その結果、住民からの信頼も少しずつながら取り戻しつつある。
2006年に民事再生法に基く再生計画が終了し、経営再建を果たした後も、以下のような施策が行われている。
琴平線のうち高松築港駅 - 瓦町駅間(高松市内三駅)は「築港線」とも呼ばれる。ラインカラーは琴平線がイエロー、長尾線がグリーン、志度線がローズピンク。
全線とも軌間は1435mm(標準軌)で、四国で唯一現存する採用例である[注釈 6]。動力に電気(直流1500V)を使用し、列車集中制御装置 (CTC) を導入している。路線はすべて讃岐平野に存在し、一切トンネルが存在しない[注釈 7]。
途中下車の制度があり、指定された駅については、その駅までと同額の乗車券でなければ途中下車が可能である。指定駅には無人駅も含まれるが、この場合は下車時に列車の乗務員に申告する。ただし、IruCa利用の場合は非適用となる。
現有3線は元々それぞれが別々の会社・規格によって建設され、その名残で軌道として建設された長尾線と志度線は鉄道として建設された琴平線に比べて駅の平均的な設置間隔が短く、特に志度線に至っては琴平線の2倍の密度で駅が設置されている(琴平線の平均駅間距離1.65kmに対し長尾線の平均駅間距離は0.97km、志度線の平均駅間距離は0.83km)。
琴平線高松築港駅 - 一宮駅間は日中15分間隔、その先琴電琴平間は日中30分間隔、長尾線・志度線は日中24分間隔の中頻度運転を行っている。長尾線の列車も乗り入れる琴平線高松築港駅 - 瓦町駅間は日中毎時6 - 7本、朝ラッシュ時には最大1時間あたり13本の列車が運行されている。
琴電の所有する各路線は架線電圧や車両のサイズなど、直通可能な路線や使用可能な車両の組み合わせが独特の変遷を遂げてきた。それらの主な変遷を時系列で記せば、概ね以下の通りである。
前身各社の廃止路線も含む。
2020年10月現在、営業用旅客車80両(琴平線20編成40両、長尾線10編成20両、志度線20両)、動態保存車2両、業務用車両2両の計84両を保有する。これは鉄道線に限ると地方都市の民営鉄道としては最も多いが、軌道線(路面電車)車両を含むと広島電鉄、伊予鉄道などがこれを上回る。
琴電を構成した各社は車両を自社発注していたが、琴電成立後は一部を除き他社からの譲渡車両が投入されている[注釈 8]。出自も日本国有鉄道(国鉄)、東武鉄道、京浜急行電鉄(京急)、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)、名古屋鉄道、名古屋市営地下鉄、近畿日本鉄道(近鉄)、阪神電気鉄道、山陽電気鉄道、山形交通、東濃鉄道、三岐鉄道、玉野市営電気鉄道と多彩をきわめ[注釈 9]、形式も細分されていたことから、鉄道ファンの間では広島電鉄ともども「動く電車の博物館」と呼ばれていた。
これは戦後復興期以降、1970年代中盤まで、一貫して輸送力の増強を行う必要があり、いわば「質より量」が求められていたためである[注釈 10]。それでも琴平線では、暫時車両の代替と、ある程度の車種統一が行われ、1970年代 - 1980年代前半は元名古屋鉄道および阪神電気鉄道、三岐鉄道の車両が投入された。1985年以降は元京浜急行電鉄および京王帝都電鉄の車両が投入され、2005年に冷房化100%を達成した。
一方、長尾線・志度線は路線規格の問題で、18m級以上の琴平線レベルの車両の入線が不可能だった。このため、大手私鉄から小型車両が淘汰された1980年頃を境に代替が止まった。ゆえに、平成時代になっても戦前 - 昭和20年代に製造された車両で運行されていた。1998年以降には名古屋市営地下鉄の車両を京王重機整備経由で導入し、車両の近代化・冷房化と車種統一を急速に進めたものの、旧型車すべてを置き換えるほどの車両の確保はできなかった。
そのため、2000年代中盤の民事再生法適用下での経営方針策定で、長尾線に関しては琴平線レベルに路線改良を行い、中型車の導入を行なうことになった。2006年に改良工事が竣工し、同年から翌年にかけて2両編成5本の中型車を投入して旧型車を淘汰した。また、冷房付き小型車にも余剰が発生したが、これらは志度線に転用され、同線の旧型車を淘汰した。これにより営業用旅客車両の冷房化率100%を2007年7月に達成した。また、非冷房車である旧型車のうち5両をイベント等のための動態保存車とした。
また、同じ頃に合理化案として列車のワンマン運転化を検討していたが、採算性が疑問視されたことから、駅の無人化と引き換えに廃案となった。その後、2022年4月16日から志度線において平日朝ラッシュ時1往復を除く全列車でワンマン運転を行っている。
2020年には、自社保有車両のうち、京浜急行電鉄からの譲渡車の比率が50%を超える状況となった[78]。
2023年7月の移動等円滑化取組計画書によると、バリアフリー化を推進するため、2024年度より車両の設計を始め、2025年度より車両の更新を行う計画がある[79]。
合併の際に長尾線車両を20 - 30番台に改番したほかは、もとの事業者での車両番号をそのまま使用した。これが元で、長尾線・志度線車両が00 - 99、琴平線車両が100以降という法則ができあがった(40番台と400番台は忌み数として欠番になっている)。ただし、琴平線と長尾線・志度線の間を転属した車両についてはこの限りではない。
琴平線では琴平電鉄時代の方式を踏襲し、形式より車両番号が1桁小さく、かつ2桁目が進む独特の車両番号体系が用いられた(例えば1000形の車両番号は100・110・120…となる)。1960年ごろを境に新規導入の車両形式は車両番号と同じ3桁となったが、2桁目が進む方式は相変わらずだった。一方、10000形1001-1002以降の固定編成で入線した車両及び18m級以上の車両は、1000番台の車両番号が振られている。こちらは1桁目が増えていく通常の方式である。形式も10000と12000を除いて、車両番号と同じ4桁である。
長尾線・志度線は10番単位で形式を振り、その中で1桁目が続番となる。しかし、使える車両番号が00 - 39、50 - 99に限られる(40 - 49はやはり忌み数として欠番になっていた)ため、ある形式の消滅後にすぐに2代目、3代目として同一形式・車両番号が振られる事態が多発した。結局、600形の入線時にこの法則は撤廃されている。
形式番号の小さい順に列記する。2020年10月現在。
2両編成20編成40両
2両編成10編成20両
2両編成8編成16両、その他4両、計20両
最終配置線区別、琴電及び前身事業者での入線順に列記する。
廃車後はほとんどの車両が解体処分されていたが、2000年代に入り、他者の手で静態保存された事例がある。公共施設に保存された例は公式サイトでも挙げられている。また、レトロ電車として動態保存していた20形23号・5000形500号・1000形120号・3000形300号を2021年5月までに廃車する計画があり、引き取り手の募集が行われた[82]。同年10月までに23号・500号は保存先が決定したが[83]、120号・300号は同年11月のさよならイベント後も当面仏生山工場で作業用車両として使われる[84]。
車両検修施設として以下の工場を有する。
2007年に就任した高松市の大西秀人市長は、市内中心部の活性化策としてLRTの導入を積極的に推進する立場を表明した。これに関連して、2005年以来凍結状態になっていた高松築港駅・栗林公園駅および花園駅間の連続立体交差化事業(JR高松駅隣接地への乗り入れが予定されていた)の打開策として、琴平線をLRT化することで工費の削減を図ってJRとの接続改善を実現するというプランも一時示され、2008年1月に開催された県による連続立体交差化の検討委員会でLRT化に関する議論がなされた。琴電側は輸送力の違いを理由に「今の路線での導入は非現実的」という意見を述べた[86]。県の検討委員会は2009年5月の最終答申ではLRT化を案からはずした。2010年3月31日をもって連続立体交差事業は中止された[87]。
その後、高松市は「高松市総合都市交通戦略検討協議会」を発足させ、LRT導入に関する検討を行っている。2009年3月の会合では、複線路盤を持つ琴平線の高松築港駅・仏生山駅間(当時複線で運行されているのは栗林公園駅以北)にLRTを走らせる案も委員から示された。これに対しても琴電側は「現在のダイヤでも需要に合っている。経済合理性の面から、LRTが持続可能な構想なのか疑問がある」という意見を示している[88]。投資面からは既存の路線バス(ことでんバスの親会社でもある)などを活用するほうが合理的であるとしていた。協議会は2009年12月の会合で、琴平線の仏生山駅以北でのLRT運行につき4つの構想案を示した。その内容は、
である。これについて、琴電側はピーク時の輸送能力などへの懸念から、3・4の案には反対している[89]。
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