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日本のタレント、乃木坂46の元メンバー ウィキペディアから
永島 聖羅(ながしま せいら、1994年〈平成6年〉5月19日 - )は、日本のタレント、女優であり、女性アイドルグループ・乃木坂46の元メンバーである[1]。愛知県碧南市出身[3]。ホリプロ所属[4]。へきなん広報大使[5]。愛称は、せいらりん[6]。
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1994年(平成6年)5月19日、愛知県碧南市で生まれる[1]。祖父は元碧南市長の永島卓[5]。中学生時代はテニス部に所属しながら[6]、応援団長を務め[7]、高校生時代はサッカー部のマネージャーを務めながら[6]、女優を目指し、様々なオーディションを受験したが、最終審査まで辿り着けても合格できずにいた[8]。愛知県立碧南高等学校2年生の時[9][10]、友人から乃木坂46の1期生オーディションを受験するよう勧められ[11]、女優へのステップとして[8]、受けて損はないと応募した[2]。
2011年(平成23年)8月21日、乃木坂46の1期生オーディションに合格、オーディションでは川嶋あいの「My Love」を歌った[10]。合格後、上京することが条件だったため[12]、愛知県から上京した[13]。同年11月13日、乃木坂46公式ブログを開始した[14]。
2012年(平成24年)2月22日、乃木坂46の1stシングル「ぐるぐるカーテン」のカップリング曲「左胸の勇気」「失いたくないから」「乃木坂の詩」でCDデビューした[15]。
2013年(平成25年)3月13日、乃木坂46の5thシングル「君の名は希望」で初の選抜メンバーに選ばれた[16]。3月18日、高等学校を卒業した[17]。乃木坂46の活動に専念するため、大学進学はしなかった[17]。
2014年(平成26年)4月、ラジオ番組『沈黙の金曜日』(エフエム富士)のアシスタントMCとしてレギュラー出演を開始した[8]。ちょうどトークの仕事を頑張りたいと思っていた時に依頼された[18]。乃木坂46メンバーで斉藤優里に続く2人目のラジオ番組レギュラー出演者となった[19]。同年4月15日、『極東ロックンロール・ハイスクール 第弍章』の第4回公演『乃木坂46 vs 氣志團 〜学生服反逆同盟〜』で中元日芽香(Vo)、能條愛未(Vo)、川村真洋(G)、深川麻衣(G)、中田花奈(B)、永島聖羅(Key)、齋藤飛鳥(Dr)と乃木團を結成した[20]。同年9月17日、『AKB48第5回じゃんけん大会』で斉藤優里、川後陽菜、中田花奈と小嶋陽菜の応援団こじ坂46として登場した[21]。
2015年(平成27年)1月10日、乃木神社で成人式を迎えた[22]。同年2月4日、ラジオ番組『乃木坂46 永島聖羅のデリシャス・ミュージック』(エフエム愛知)のメインパーソナリティーとしてレギュラー出演を開始した[3]。2月22日、乃木坂46の3周年記念ライブ『乃木坂46 3rd YEAR BIRTHDAY LIVE』の直前で入院し、体調が回復して退院するもライブへの出演は一部のみとなった[23]。同年9月30日、乃木坂46メンバーでは初めて、出身地自治体の制作によるドラマ仕立てのPR動画『龍が護る街』に主演し公開となった[24][25]。同年12月17日、『乃木坂46 アンダーライブ at 日本武道館』で乃木坂46を卒業することを発表した[13]。卒業は昨年20歳を迎えた時から考え始め[26]、その後、『乃木坂46 3rd YEAR BIRTHDAY LIVE』の本番直前まで体調不調で入院したが、前日のリハーサルにも参加できず客席で観覧中に、自分がいなくてもライブが成り立っていることに気づき、10代の頃から始めた乃木坂46・永島聖羅としての役割はここで終わったと感じた[26]。また、ちょうど一つの区切りとして成人式を迎え[26]、後輩の頼もしい成長が気持ちを後押ししたこともあり[11]、6月頃[26]、誰にも相談せず[27]、卒業する意向を伝えた[26]。
2016年(平成28年)3月20日、『乃木坂46アンダーライブ全国ツアー2016〜永島聖羅卒業コンサート〜』で乃木坂46を卒業した[28]。しかしながら、それ以前に撮影された番組として、3月29日に放映された『らりん・マギー・内山くんが行く 5thリニア・鉄道館 ユル〜い遠足』(メ〜テレ)に出演、これが乃木坂46メンバーとして最後のテレビ出演となった[29]。
2016年7月まで
2016年7月以降
2017年(平成29年)
2018年(平成30年)
2019年(平成31年 / 令和元年)
2020年(令和2年)
愛称は、せいらりん[注 2]、らりん[66]、ナガ[27]、永さん[注 3]。トレードマークは笑顔[8]、笑顔で声が大きく、汗をよくかく[7]。3人兄妹で兄が2人いる[68]。
将来の夢は女優、マルチタレント[2]。10年後も芸能活動を続けていきたいと考えている(2013年時点)[69]。目標とする人物は上戸彩[2]、その他、乃木坂46加入当初は高橋みなみ[70]、前田敦子[71]を目標・憧れの対象として挙げていた。また、SKE48で好きなメンバーは、交換留学生として乃木坂46を兼任し、永島と同じ愛知県出身の松井玲奈を挙げている[72][73]。
所属事務所ホリプロの先輩にあたるイジリー岡田、さまぁ〜ず、東貴博のほか、マギー審司、アルコ&ピースと共演する機会が多く可愛がられている[要出典]。
苦手なものは蛇[74]。
乃木坂46在籍中には特技としてパントマイム、背中や腰に物を載せられること[2]、ピアノ[注 4]、テニス[78]などを挙げていたが、卒業後のプロフィールとしては公表されていない。
保有資格は語彙・読解力検定3級[79]、普通自動車免許[80]、国交省・管理団体ドローンネット「UAS Level 2」[76]。
乃木坂46在籍中のキャッチフレーズは「いつもあなたの心にお届け物! 笑顔と元気のせいらりん」[注 5]。
乃木坂46の乃木團のキーボード[81]、モンハン選抜[注 6]。
乃木團では、楽譜が読めてピアノの経験もあることからキーボード奏者に任命された[83][84]。乃木坂46では盛立て役で[16]、リーダーではなかったがリーダーシップを発揮していた[85]。提案が受理されるか却下されるかを問わず、とにかくよいものを作るためには意見交換が必要だと考えており[7]、乃木坂46の『アンダーライブ セカンド・シーズン』ではライブ映像を観て修正すべき点をメンバーに伝え[7]、ダンスについて川村真洋に助言を求めるなど[86]、アンダーの中心的存在だった[87]。
白石麻衣とは、番組企画の体力測定時に仲良くなり、白石麻衣が永島聖羅を「いもたん」と呼び、永島聖羅が白石麻衣を「お姉たま」と呼ぶことから、いもたまコンビを結成している[88]。
乃木坂46で好きな曲は「君の名は希望」、「あの日 僕は咄嗟に嘘をついた」、「初恋の人を今でも」、「やさしさとは」、「遠回りの愛情」、「自由の彼方」[89]。
乃木坂46
こじ坂46
乃木坂46
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