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栁澤 寿男(やなぎさわ としお、1971年8月23日 - )は、日本の音楽家・指揮者。
コソボ紛争後、国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)下でコソボフィルハーモニー交響楽団[1][2] の首席指揮者に就任。また、バルカン半島(特に旧ユーゴスラヴィア)の民族共栄を願ってバルカン室内管弦楽団を設立し、旧ユーゴスラヴィアを中心に活動を続ける。
長野県下諏訪町出身(出生地は同県塩尻市)。長野県諏訪清陵高等学校卒業。国立音楽大学器楽科トロンボーン専攻卒業。1996年2月26日、ウィーン旅行中にウィーンフィルハーモニー管弦楽団でR.シュトラウス「アルプス交響曲」を指揮する小澤征爾氏に強く感動し指揮者を志す。佐渡裕、大野和士に弟子入りし研鑽を積む。
1999年に渡仏。パリ・エコール・ノルマル音楽院オーケストラ指揮科に学ぶ。2000年東京国際音楽コンクール指揮部門で第2位を受賞。2001年3月に大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮してデビュー。2003年にはスイス・ヴェルビエ音楽祭指揮マスタークラス・オーディションに合格し、ジェームズ・レヴァイン、クルト・マズアに師事。
デビュー以降、札幌交響楽団、仙台フィルハーモニー管弦楽団、群馬交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、東京都交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、新星日本交響楽団、オーケストラ・アンサンブル金沢、名古屋フィルハーモニー交響楽団、京都市交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー交響楽団、日本センチュリー交響楽団、大阪交響楽団、兵庫県芸術文化センター管弦楽団、九州交響楽団、などに客演を果たしている。2020年4月、京都フィルハーモニー室内合奏団ミュージックパートナーに就任。
2004年、マケドニア旧ユーゴスラヴィア国立歌劇場で客演指揮した歌劇「トスカ」の成功をきっかけに、2005年-2007年、同歌劇場の首席指揮者に就任。2007年には、99年のNATO(北大西洋条約機構)軍の空爆以降、国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)下にあったコソボフィルハーモニー交響楽団[1][2] に客演。ローマ条約50周年記念コンサートでベートーヴェン交響曲第7番を指揮し、そのまま同交響楽団常任指揮者に就任した(2009年、首席指揮者に昇任)。
紛争後混乱期の日本人指揮者の客演はTBSテレビ「筑紫哲也NEWS23」で採り上げられ、以降多くの日本のメディアが活動を伝えるようになる。
2007年、バルカン半島(特に旧ユーゴスラヴィア)の民族共栄を願ってバルカン室内管弦楽団を設立し音楽監督を務めている。
停電や断水の続くコソボで、ろうそくの明かりを頼りに楽譜を読むなど生活は不自由なもので、2011年11月には現地で盲腸にかかり、医師から12時間以内に手術が必要であると告げられるが、医療水準の低さ、充分でない医療器材、古い薬品類への不安から、瀕死の状態で自力でドイツのデュッセルドルフに移動し25時間も過ぎて手術を受け九死に一生を得たと自身の著書の中で語っている。
コソボと対立関係にあったセルビアのオーケストラへは日本人指揮者といえども指揮台に立つことは難しいとされていたが、2012年、在セルビア・モンテネグロ日本国特命全権大使の大きなサポートによりセルビア国立放送交響楽団への客演が実現。またベオグラード国立歌劇場での歌劇「ラ・ボエーム」への客演も果たしている。同年、ベオグラード・シンフォニエッタ名誉首席指揮者に就任。また2013年には、セルビア南部のニーシュ交響楽団首席客演指揮者に就任(2013-2016年)し、コソボフィルハーモニー交響楽団、バルカン室内管弦楽団と兼任している。
2019年9月13日、来日中のコソボのサチ大統領との会見のなかで、天皇が栁澤寿男のコソボでの活動に言及。11月、同大統領より、芸術・文化の分野において、長年に渡りコソボフィルハーモニーをリードし、コソボのクラシック音楽界をサポートしたこと、同楽団への日本政府文化無償援助(楽器)実現への尽力、バルカン室内管弦楽団を通したコラボレーション・地域和平への手助けを理由として「大統領勲章(文化功労賞)」を叙勲される。
そのほかサラエボフィルハーモニー交響楽団、アルバニア国立放送交響楽団、プラハ交響楽団、フラデツ・クラロヴェ交響楽団、西ボヘミア交響楽団、イスタンブール国立歌劇場、サンクトペテルブルク交響楽団などに客演し、旧ユーゴスラヴィアを拠点に活動している。
2015年より、東日本大震災復興支援のひとつとして音楽監督坂本龍一氏による東北ユースオーケストラの指揮者を務めている。また同年より、日本の音楽シーンをリードするポップミュージシャンとフルオーケストラによる融合プロジェクト、ビルボードクラシックスPREMIUM SYMPHONIC CONCERTの指揮者を務め、玉置浩二 、八神純子、石井竜也、渡辺美里、May.J、杏里、平原綾香、中島美嘉、小柳ゆき、藤井フミヤ、タケカワユキヒデ、佐藤竹善、尾崎裕哉、石崎ひゅーい、NOKKO、大黒摩季、工藤静香等と共演。
2020年12月31日放送「第71回NHK紅白歌合戦」において、玉置浩二作曲「田園」のオーケストラ指揮を担当。
2021年現在、バルカン室内管弦楽団音楽監督、コソボフィルハーモニー交響楽団首席指揮者、ベオグラード・シンフォニエッタ名誉首席指揮者、東北ユースオーケストラ指揮者、京都フィルハーモニー室内合奏団ミュージックパートナー。
旧ユーゴスラヴィア崩壊後、紛争によりばらばらになった各民族間の交流の架け橋として、また、バルカン半島(特に旧ユーゴスラヴィア)の民族共栄を願って2007年、コソボ北部のミトロヴィッツァにバルカン室内管弦楽団を設立。同年、ニューズウィーク日本版「世界が尊敬する日本人100」に選出。実際は2006年にマケドニアにて設立されたが参加者が思うように集まらず、マケドニア人のみの編成でスコピエ夏音楽祭に参加している。しかしバルカン室内管弦楽団の名前は音楽祭主催者によってインターナショナル・オーケストラと変えられてプログラムに記載されている。
2009年5月、ミトロヴィッツァにて、セルビア人、アルバニア人、マケドニア人を楽団員にコンサートを開催。UNDPのコソボにおける開発計画を中心に行われたコンサートは、セキュリティー維持のため数日前までコンサート告知ができなかったり、プログラムへ記載するいくつかの言語に優劣がつかないよう配慮したり、リハーサルおよびコンサートに警察の警備が必要であったりと開催自体が困難を極めたが、UNDPのミトロヴィツァを対象とした特定地域対象プログラム[3]、UNKT(国連コソボチーム)[4]、KFOR(国際安全保障部隊)、コソボ警察などの協力を得て、約20年ぶりとなる民族間交流のハーモニーを実現した。このコンサートの様子はBSジャパン(テレビ東京系)「戦場に音楽の架け橋を〜指揮者柳澤寿男コソボの挑戦」(第6回日本放送文化大賞グランプリ受賞)で放送され、日本国内でも話題となった。このことは日本の高等学校検定教科書「世界史A」(実教出版)に小コラムとしてとりあげられた。
2010年9月には、ニューヨークでの国連総会に付随するイベント「バルカン・リーダーズ・サミット」に招かれ、バルカン各国の大統領、首相を前に演奏を披露した。
2011年11月、アルバニア共和国ティラナにて、UNDP(国連開発計画)アルバニアとともに教育を受けないロマ民族とのコンサートを開催。楽譜を読めないロマ民族とのコンサートは、アドリブで演奏するロマ民族にバルカン室内管弦楽団がほぼ即興で伴奏をつけながら演奏するというものだった。ロマ以外の社会と接点が少ないロマが音楽を介して外の社会との新しい交流を生み、また演奏前には「夢はありません」と語っていたロマの奏者がコンサート後には「できることならもっと音楽を学び、バルカン室内管弦楽団で一緒に演奏することが夢になった」とコメントするコンサートとなった。
2009年、2012年には来日コンサートを果たし、2009年には女優の星野知子が、2012年には俳優の辰巳琢郎が司会を務めている。
柳澤寿男とバルカン室内管弦楽団は、第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件から100年のイベントとして、2014年にサラエボでの開催を目指した「世界平和コンサートへの道」プロジェクトを立ち上げた。
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