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本町 (板橋区)

東京都板橋区の町名 ウィキペディアから

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本町(ほんちょう)は、東京都板橋区町名[5]。丁目の設定がない単独町名である。全域で住居表示が実施されている。江戸時代ここに板橋宿上宿かみしゅくがあり、参勤交代で数十の藩がここを通りあるいは宿泊するなど、重要な宿場であった。

概要 本町, 国 ...
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地理

板橋区の南東部に位置する。南端で石神井川に接する。北で清水町、東で稲荷台、南で石神井川を隔てて仲宿、西で大和町と隣接する。町域の北部を東京都道318号環状七号線(環七通り)が東西に通じており、大和町陸橋が設置されている。また、町域の西辺を国道17号(中山道)および高架の首都高速5号池袋線が南北に通じており、それと並行して町域の中央を旧中山道が貫いている。

当町の北西の角には板橋本町駅がある。

歴史

要約
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『木曾街道 板橋之驛』天保6-8年(1835-1837年)、渓斎英泉筆。

江戸時代江戸日本橋から中山道筋を進むと最初の宿場が板橋宿で、板橋宿は細かく言うと3つに分かれ南から平尾宿ひらおしゅく仲宿なかしゅく上宿かみしゅくで、一番北側(京方面)の上宿が現在の本町の位置にあった。京都側から見ると、旧中山道板橋宿の入口にあり、上宿の入口に大木戸も置かれていたとされ、そこで朱引きがされており、ここから江戸の内になるという場所であった。脇本陣も置かれた。地名としては武蔵国豊島郡下板橋宿および前野村であった。

1932年、東京府東京市板橋区の一部となった。

沿革

1872年(明治5年)の宿駅制度廃止までは板橋郷および板橋宿参照。

史跡、神社 等

  • 大木戸跡 :現在の板橋区本町27。
  • 板橋宿上宿の碑[12][13]
  • 縁切榎 :現在の板橋区本町18-9。板橋宿#縁切榎参照。
  • 白玉稲荷大明神 : 本町23-23
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世帯数と人口

2025年(令和7年)3月1日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

さらに見る 年, 人口 ...

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

さらに見る 年, 世帯数 ...

学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2021年8月時点)[20]

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[21]

  • 事業所数 : 191事業所
  • 従業員数 : 2,300人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

さらに見る 年, 事業者数 ...

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

さらに見る 年, 従業員数 ...
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交通

鉄道

バス

  • 国際興業バス関東バス(共同運行)
    • 大和町(環七通り):赤31 赤羽駅東口行き・高円寺駅北口行き
      • 停留所は大和町陸橋の東側、側道との合流地点に設けられている。
  • 都営バス
    • 大和町(環七通り):王78 王子駅行き・高円寺陸橋経由 新宿駅西口行き
      • 停留所は赤31系統と同じ場所に設けられている。新宿駅方面から当停留所終着便もあり、中山道西側(富士見町寄り)に降車専用停留所がある。
  • 国際興業バス
    • 大和町(中山道):赤51 西が丘経由赤羽駅西口行き・サンシャインシティ経由池袋駅東口行き、赤57 トンネル経由赤羽駅西口行き・日大病院行き、池20 池袋駅西口行き・高島平操車場行き、池21 池袋駅西口行き・舟渡町経由高島平駅行き
    • 大和町(環七通り):王54 上板橋駅行き・王子駅行き
    • 上宿(旧称・板橋本町):赤51 西が丘経由赤羽駅西口行き・サンシャインシティ経由池袋駅東口行き、赤57 トンネル経由赤羽駅西口行き・日大病院行き、池20 池袋駅西口行き・高島平操車場行き、池21 池袋駅西口行き・舟渡町経由高島平駅行き

道路

橋梁

  • 板橋
  • 番場橋
    • いずれも石神井川に架かる。番場は下板橋宿にあった字名。
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施設

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2004年から2021年まで旧板橋第三小学校校舎にあった、いたばしボローニャこども絵本館(2013年撮影)

その他

日本郵便

関連項目

脚注

外部リンク

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