拓殖大学第一高等学校
東京都武蔵村山市にある高等学校 ウィキペディアから
拓殖大学第一高等学校(たくしょくだいがくだいいちこうとうがっこう)は、東京都武蔵村山市大南四丁目にある私立高等学校。設置者は学校法人拓殖大学。通称は「拓一」・「拓大一高」[1]・「TK1」。
拓殖大学第一高等学校 | |
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過去の名称 |
紅陵高等学校 紅陵大学正明中・高等学校 拓殖大学正明中・高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人拓殖大学 |
設立年月日 | 1948年 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D113322300010 |
高校コード | 13723F |
所在地 | 〒208-0013 |
東京都武蔵村山市大南四丁目64番地5 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
教育方針
- 教育方針-心身共に健全で、よく勉強し、素直で思いやりある青年を育成する。
- 2コース制-難関国公立大学や最難関私立大学を目指す「特進コース」と難関私立大学を目指す「進学コース」がある。「進学コース」は2年次から進路希望に応じた6クラス編成となる。また、成績などに応じてコース間での移動も可能。
- 修学旅行-母体である拓殖大学の建学の理念は「積極進取の気概とあらゆる民族から敬慕されるに値する教養と品格を具えた有為の人材の育成」である。その理念に沿って、拓大一高では、修学旅行を台湾で実施している。
進路状況
- 2022年3月実績。拓殖大学3.5%、拓殖大学以外の4年制大学81.7%、短大その他3.2%、未定11.6%。国公立大学26名、早慶上智理科大45名、GMARCH221名であった。2022年3月実績の詳細は以下の通りである。[1]
主な合格者数(2022年3月)
【国公立】大学
【私立】大学
他[1]
拓殖大学への内部推薦による学部進学状況
2020年3月
商学部(8) 政経学部(10) 外国語学部(2) 国際学部(1) 工学部(2)
計23人[1]>
指定校一覧(2019年度)
※次年度以降変更の可能性あり[1]
学校生活
- 校則-生徒の頭髪については髪染め、ピアスだけでなく、パーマやツーブロックも禁止されている。男子生徒のツーブロックが禁止されている一方で、髪が眉毛や耳にかかることについても禁止されている。女子生徒についても、メイクが禁止されている。また、2022年4月現在でも毎月頭髪検査が行われている。頭髪検査では、頭髪だけでなく、爪の長さや靴下なども検査される。また、頭髪検査で不適切と判断された場合、髪型や爪を整えてから後日再び検査を受ける必要がある。再検査でも不適切と判断された場合、停学処分となることがある。
- 制服-生徒の学校での服装は高校指定の制服である。学校の方針により、着崩しなどは禁止されている。
学校行事
校歌
校歌は拓殖大学と共通に定めている。
沿革
- 1948年 - 学制改革により旧制の拓殖大学予科を改編。新制高等学校として紅陵高等学校を東京都小平市(西武新宿線花小金井駅前)に開校。
- 1950年 - 正明中学校・高等学校(平沼騏一郎が設立)を吸収合併。紅陵大学正明中学校・高等学校に改称。
- 1952年 - 拓殖大学正明中学校・高等学校に改称。中学校の生徒募集停止。
- 1960年 - 拓殖大学第一中学校・高等学校と改称(中学校は休校扱い)。
- 1979年 - 中学校を正式に廃止。
- 1982年 - 海外語学研修(カナダ)開始。
- 1987年 - 普通科理外コース設置。
- 1988年 - 中国へ修学旅行開始。
- 1998年 - 創立50周年記念式典挙行。
- 2001年 - 海外語学研修(ニュージーランド)開始。
- 2002年 - 文部科学省「豊かな体験活動」推進事業指定校に選出される。
- 2004年 - 武蔵村山市の新校舎に移転(元プリンスホテル硬式野球部練習グラウンドだった)。普通科に特進コース設置(理外コース募集停止)。
- 2005年 - オーストラリア修学旅行開始。
- 2008年 - 創立60周年記念式典挙行。
- 2016年 - ターム留学(オーストラリア)開始。
- 2022年 - 普通コースを進学コースに名称変更。
部活動
スキー部・硬式野球部・サッカー部・柔道部・剣道部・陸上部・男・女バレー部、男・女バスケ部、卓球部、体操部、相撲部、剣道部、バドミントン部、チアダンス部、男・女ソフトテニス部等[1]数多くの部活動が関東・全国レベルの実力をもっている。
過去に設置していた学科
理療科
1949年〜1957年まで、鍼灸について教える理療科を設置していた。その起源は1940年に拓殖大学が開いた漢方医学特別講座であり、戦争激化で中断した講座が、附属の高等学校で復活した形となった。盲学校でなく普通の高等学校でこのような学科がおかれていたのは非常に珍しいことであったが、現在は独立し、東洋鍼灸専門学校として存続している。
著名な関係者
出身
拓殖大学予科の出身者は拓殖大学の人物一覧を参照。
教員
交通
- 西武拝島線・多摩都市モノレール線玉川上水駅より徒歩3分[1]
周辺
脚注
関連項目
外部リンク
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