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校則(こうそく)とは、学校の教育目的実現の過程において、児童生徒が遵守すべき学習上・生活上の規律として定められたルール[1]。
校則について定める法令の規定は特にないが、判例によって、学校が教育目的を達成するために必要かつ合理的範囲内に制定ができ、児童生徒の行動などへ一定の制限を課す校則制定権限は、学校運営の責任者である校長にあると判断された。更に判例によると、社会通念上合理的な範囲であれば校長が包括的な権能を持ち、校則内容に幅広い裁量が認められる[1]。
一方で、生徒側にも校則を守るべき法的根拠は無く、校則を違反する裁量が認められている。なお、学校が生徒に校則を守るよう強要する行為、校則を守らない生徒に対して不利益を与える行為については、違法となる場合がある[2]。
(校則問題#歴史も参照のこと)
文部省と都道府県教委は、1960年代末~1970年の学園紛争を契機として「教育の正常化」を旗印に大学・高校を管理主義的に再編成することに傾注した。とくに新設の高校において厳しい管理体制をしいた。やがて高校からでは遅いと、命令一下による集団行動の徹底に重きを置く「管理教育」は中学にまで波及した[3]。
1970年代のツッパリブームと1980年代のヤンキーブームが起きた[4]。1970年代後半には全国的に校内暴力が問題化し、頭髪や服装に関して細かな校則が設けられるようになった[5]。1980年代には、中学校で校内暴力が多発した。生徒指導を拡充する目的で、在学生の日常生活、本来なら家庭のしつけの範囲に関する内容も校則に追記された[4]。
1988年3月、清水市立第二中学校(現・静岡市立清水第二中学校)は、校則に合わない髪型をした男女4名の生徒の写真を卒業アルバムから外し、花壇の花の写真に差し替えた[6][7]。「卒業アルバム事件」は新聞各紙で報じられ、同年3月31日には参議院法務委員会で質疑が行われるに至った[6]。
これをきっかけとして文部省は方針を180度転換。同年4月25日、文部省初等中等教育局長は都道府県教育委員会中等教育担当課長会議において、校則の見直しを教育委員会に対し指示した。校則を最小限のルールにとどめること、児童生徒の自主性尊重などが促された[8][9][10][3]。
1990年には、遅刻しないように飛び込んできた被害者に気付かずに、そのまま門扉を押して閉めたことで神戸市の女子高生が頭を挟まれ死亡した。教師は事態に気付ず、女子生徒の後から駆け込もうとしていた男子生徒一名は挟まれた女子生徒のために門扉前方を押し開いた行為を校内に入ろうとしていると勘違いしていた。(神戸高塚高校校門圧死事件)。この一件で文部科学省は遅刻に対して、校則の規定にはない、校庭2周走など罰を課していたことを問題視した。文部科学省は学校に対し、社会の実態に合わせた校則の見直しを行うよう指示した。このことを受け、各地で校則見直し・違反時の罰の緩和が行われた[11]。
2018年3月29日には参議院文教科学委員会で、林芳正文部科学大臣が厳しい校則について、「児童生徒の特性や発達の段階を十分に考慮することなく厳しい指導を行うということは児童生徒の自尊感情の低下等を招いて、児童生徒を精神的に追い詰めるということになる」と答弁してた[12]。
大阪府による大阪府立学校の校則改訂実施率は2018年4月16日時点で改定を行なったが33.0%、改定を行わなかったが51.3%であった。
2022年5~6月時点での北海道の道立高校での校則改訂実施率は見直しを行なったが78%、点検を行なったが見直しを行わなかったが22%であった。
2022年には、全国の校則をインターネットで公開する取り組みが始まっている。この取り組みは全国の中学・高校生らで作られたグループが、情報公開請求で集めた都道府県立高校の校則を掲載している。掲載されている学校数は、東日本を中心に1302校、全国の公立校の3分の2にのぼる。また、校則を生徒自身が妥当であるかを考えるイベントなど開かれている。
昭和50年代に生徒会役員として校則改定を目指したが、動議に賛同が集まらなかった男性が福島民報による2024年の取材に対して、当時の校則について「今にして思えば校則の順守を通じて、社会に出た際のルールや法律を守る大切さと、違反した場合には罰則もあり得るという厳しさを学ぶ機会となったと思う」と振り返っている[13]。
判例としては校則について定めた法令は無いが、「学校が教育目的を達成するために必要かつ合理的範囲内において」定めることが出来るかとの判断が下された[1]。
登校時は制服のみと校則で規定されていたケースがある。このケースでは猛暑を受けて「学校指定の運動着の半袖半ズボンで登校可」と変更された[13]。文京区立中学校では全10校中6校で制服が指定され、制服の下に着用する下着の色を白色またはペールオレンジに規定している[21]。
学校側が決める規則ではなく、先輩-後輩の関係など学生間においての慣習的規則による「裏校則」と呼ばれるものが存在することがある。いわゆる「アンリトゥン・ルール」。服装などを理由にいじめ等に発展するケースがある[22]。
校則問題となっているブラック校則とは、理不尽であったり、守る理由がわからない不合理な校則を指す。頭髪や下着などを一律に制限、規定する「行き過ぎた校則」は見直しの動きが進んでいる[13]。(管理教育#管理教育的とされることのあるものも参照)。
西ドイツの校則については、『Die Bildung in der Bundesrepublik Deutschland ドイツの教育』(天野正治・結城忠・別府昭郎編著、東信堂、1998年7月初版発行)の「第Ⅱ部 学校教育の組織・内容・方法」の「第6章 初等教育と子どもの学校生活」の「3 子どもの学校生活」(結城忠執筆)では、ヘッセン州の総合制学校(Gesamtschule)にスポットを充てて次のように紹介している。
④校則・髪型・服装
ドイツの学校にも校則はある。けれども、わが国の校則とは大きく異なり、それは、学校(生活)における最小限の約束事といった程度のものである。だから、たとえば、始業・終業時間、休憩時間、校庭におけるルールについて規定されているにすぎない。児童・生徒の法的地位や権限領域に触れる事柄は、教育における法治主義の原則により、校則では規定できない建前になっている。
髪型や服装に関するコントロールは、原則として、いっさい存在しない。髪型や服装はほんらい各人の個人的自由・嗜好に属する事柄であり、したがって、これについては、第一次的には生徒自身と親に権利と責任があり、学校運営や授業への支障があるなど特定のケースを除いて、学校は原則としてこれに介入できない、という考え方が法制上定着している。
ニュージーランドでは、カトリック系中高一貫校セントジョンズ・カレッジが校則で髪の長さは「後ろは襟につかない、前は目に掛からない」としており、一人の在学生が散髪を拒んだため停学処分を受けたことから訴訟となり、2014年6月27日に裁判所は重い懲戒処分は真に重大な問題に対して適用されるべきであるとして少年が長髪にしておくことを認める判断を下した[23]。
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