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日本の女優 (1964-) ウィキペディアから
山口 智子(やまぐち ともこ、1964年〈昭和39年〉10月20日[1] - )は、日本の女優。栃木県栃木市出身。研音所属。夫は俳優の唐沢寿明。身長170cm[1]。
やまぐち ともこ 山口 智子 | |||||||||||
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生年月日 | 1964年10月20日(60歳) | ||||||||||
出生地 | 日本 栃木県栃木市[1] | ||||||||||
身長 | 170 cm | ||||||||||
血液型 | A型 | ||||||||||
職業 | 女優・ナビゲーター | ||||||||||
ジャンル | テレビドラマ・映画 | ||||||||||
活動期間 | 1986年 - | ||||||||||
配偶者 | 唐沢寿明(1995年 - ) | ||||||||||
事務所 | 研音 | ||||||||||
公式サイト | 山口智子オフィシャルサイト | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『純ちゃんの応援歌』 『もう誰も愛さない』 『ダブル・キッチン』[1] 『スウィート・ホーム』 『王様のレストラン』 『29歳のクリスマス』[1] 『ロングバケーション』[1] 『なつぞら』 『監察医 朝顔』シリーズ 映画 『七人のおたく cult seven』 『居酒屋ゆうれい』 『undo』 『大失恋。』 『ビリケン』 『スワロウテイル』 アニメ映画 『Coo 遠い海から来たクー』 『崖の上のポニョ』 | |||||||||||
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栃木市立栃木西中学校、栃木県立栃木女子高等学校を経て、青山学院女子短期大学家政学科卒業[1]。短大在学中に声をかけられ、女性ファッション雑誌・ViViのモデルとして活動を開始する[2][3][4]。1986年、東レキャンペーンガールでデビュー[1]。
23歳となり、NHK連続テレビ小説のヒロインオーディションに合格し、1988年度後期放送の『純ちゃんの応援歌』のヒロイン・小野純子役で女優デビュー。この作品の義弟役・唐沢寿明とは、この共演がきっかけで後に結婚する[3]。
1990年には、(シリーズモノは別として)火曜サスペンス劇場枠の2時間ドラマに異例とも言える3作品に主演した。ほどなくして連続ドラマでは、日本テレビやTBS、フジテレビなど数々のトレンディードラマのヒロイン級の役柄を担当し、一躍スターダムにのし上がる[1]。これら1990年代の山口の全盛期の出演ドラマは、同世代の女性達から支持を集め、いずれも高視聴率が取れたため「連ドラクイーン」や「高視聴率の女王」とも呼ばれた。
1995年に唐沢寿明と結婚してからは女優業を徐々に縮小し、CMを中心に仕事をシフトしている。1996年の『ロングバケーション』(以下、『ロンバケ』)の出演を境に女優業から一旦遠ざかり、当面の間は主婦業に注力した[4]。ただし「1年の半分ぐらいは、目標にしていた旅行に費やした」と後年に明かしている[5]。
2008年から2010年3月まで中目黒の川沿いに燕子花(かきつばた)という西洋/東洋の伝統工芸雑貨のセレクトショップをオーナー経営していた。2010年には世界中を旅して出会った多様な民族音楽と文化を収録する映像シリーズ『LISTEN.』[6]のプロデュースを開始し、自身のライフワークとしている[2][7]。
2012年の『ゴーイング マイ ホーム』で『ロンバケ』以来16年ぶりに連続ドラマに出演[8][9]、2015年には『ロンバケ』以来19年ぶりの連続ドラマのラブストーリーとなる『心がポキッとね』に出演[10]。また、2018年の『BG〜身辺警護人〜』では、木村拓哉と『ロンバケ』以来22年ぶりとなる再共演を果たし、話題を呼んだ[11]。
2018年現在は単発的にTV出演などのタレント活動もしている。
2019年には同年度前期放送のNHK連続テレビ小説『なつぞら』で『純ちゃんの応援歌』以来31年ぶりに朝ドラに出演[12]。また、7月期放送の『監察医 朝顔』で『ロングバケーション』以来23年ぶりにフジテレビ月9ドラマへ出演した[13]。
生まれた頃は両親と妹と祖母と暮らしていたが、小学3年生の時に親が離婚したことで母と妹は他所へ転居した[14]。以降、祖母が女将をする老舗旅館で、父と祖母との生活が始まった。ちなみに山口によると、父はフラフラと自由に生きるタイプで気ままな性格だったため、商売向きではなかったとのこと[14]。
幼少期より「将来は家業の旅館を継いで女将に」と言われ続け[2]、小学生の頃から週末に宴会の配膳を手伝い始めた[14]。当時は稼業を継ぐことが宿命と思っていたが、色々と我慢することも多かった[注 1]。このため中学生頃から、「家族の期待に応えたい」一方で「本当にそれが自分の望む道なのか」と葛藤を抱えて育つ[2]。
子供の頃はテレビっ子だった[14]。特に紀行番組『兼高かおる世界の旅』(TBS系)の大ファンで、当時から海外に憧れて「いつか自分も世界へ行きたい」と思っていた[14]。小学生の頃は、当時人気だった歌手の山本リンダに憧れていた[14]。
高校進学後自分の将来を考えた所、現場での修業を重視し大学受験は不要と考える親に対し、推薦入学での進学という方法を見出した[2]。「2年たったら帰ってくるから」と親を説得して東京の短期大学に進学[2]。以後、代官山にあった短大の女子学生寮での生活しながら[注 2]、家業の旅館を継ぐ以外の可能性を模索した[2]。
後日スカウトされてモデルの仕事を始めると、家族には「モデルは社会勉強のため、一時的にやるだけだから」と誤魔化した[14]。しかし短大卒業後も東京でモデルの仕事を続け、1987年からスタートしたアサヒビールのキャンペーンガールにも就任(当時はボックスコーポレーションに所属)。同時期にコマーシャル・モデルの仕事もしており、東急イングループのパンフレット(総合案内、結婚式用)のモデルも務めた。
その後所属事務所に届いた、NHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』のヒロインオーディションの案内をたまたま目にする[2]。ダメ元で応募した所、芝居未経験ながら見事ヒロインに選ばれ[14]、「このチャンスを生かして自分の道を切り開こう」と全力で撮影に臨んだ[3]。同作の放送を見た祖母から次第に演技の道を認められたことで、以降女優を続けることを許された[3]。
1988年の『純ちゃんの応援歌』での共演で知り合った唐沢寿明と、1992年2月に発生した宅配便を装った男性の自宅への侵入事件をきっかけに交際が発覚した。その後1995年12月に結婚したが「気持ちさえあれば」と、新婚旅行も結婚式も指輪交換も行わなかった[15]。特殊な家庭環境で育ったことから血縁を信用しておらず、「『親』というものになりたくない」と「子供のいる人生じゃない人生」を選択し、子供はもうけていない[16]。
結婚後も女優業を続けていたが、目標を持たぬまま芸能界の仕事に取り組むうちに30歳を迎えたため、自分が何に関心があるのかを見つめ直した。これにより「自分が納得することをしてみたい」との思いから一時主婦業に専念することとなった[4]。これに伴い、昔からの夢である「海外を旅してもっと世界を知りたい」という思いが湧き起こったことが、その後「LISTEN.」の活動を始めるきっかけとなった[14]。
結婚して間もない頃は、唐沢と行動が正反対なことが多く[注 3]、ついムッとしてしまうことが結構あった[14]。しかしその後歳を重ねたことで、徐々に夫との行動の違いを楽しめるようになったという[注 4]。唐沢について「彼は性格上、普段から口調は素っ気ないけど、唐沢さんには本当に感謝しています。私のような“野生動物”をいい塩梅で放し飼い[注 5]にしてくれている。広い大地のような人です」と語っている[14]。
実家は栃木市倭町内にかつて存在した創業120年の老舗旅館の「ホテル鯉保(こいやす)」で、業績不振と実父の死去に伴う後継者難により2005年8月31日で廃業[17][18][注 6]。一人娘で家業を継ぎ女将となることが定められていたが[4]、旅館を一人で切り盛りする祖母の苦労を目にして家業のために自身を犠牲にする祖母の生き方に疑問を抱き、家や宿命に縛られることなく後悔しない人生を自身で選びたいと実家を離れた[19]。
フラメンコに20代から10年間にわたって本格的に取り組み、15年のブランクを経て、本場のスペイン・アンダルシアの旅先で目にした日常生活の中で何気なく踊られる踊り手の人生が投影されたフラメンコに触発されて、2017年より再び練習を再開した[7][20]。元ダンサー役を演じるNHK連続テレビ小説『なつぞら』では、劇中でフラメンコのエッセンスを生かしたダンスを披露した[21][22]。
俳人・松尾芭蕉を経済的にも支援した門弟・杉山杉風の子孫にあたる。
中学校時代には生徒会会長を務めた。
学生時代に陸上部に所属し、中距離走の800mを担当していた[23]。陸上部に入ったきっかけは、「顔面で風を受けるのが気持ちいいから」[注 7]。
短大時代は広告研究会に所属した。また、当時からモデル業を始めたが、本人は「卒業後は、結局故郷に帰って見合い結婚して女将を継ぐのかも」とも思っていたため、この頃に見合い写真を撮っている[14]。
以前から朝ドラの大ファンだった祖母は、『純ちゃんの応援歌』の撮影期間のある日撮影現場を見学し、笑福亭鶴瓶たち出演者と一緒に写真を撮った[3]。後日大きく引き伸ばしたこの写真を実家の旅館に貼ったところ、集客に一役買ったという[3]。
「人としてどう存在するべきか」ということを人生のテーマにしている[注 8]。
舞台経験があるかは不明だが、本人は「舞台は向いていない」としており苦手である[注 9]。
先述の通り子供の頃から海外に憧れていたため、「LISTEN.」などの活動で色々な国に行けるようになったことについて、「世界を巡れるなんて夢のよう。とても嬉しい。ただ、家を空けることが多いため、唐沢さんからは内心呆れられているかも(笑)」と語っている[14]。
※主演は太字。
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