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西日本旅客鉄道の鉄道路線 ウィキペディアから
小野田線(おのだせん)は、山口県宇部市の居能駅から山口県山陽小野田市の小野田駅までと雀田駅から分岐して長門本山駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
小野田線 | |||
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本山支線の長門本山駅(2021年4月) | |||
基本情報 | |||
国 | 日本 | ||
所在地 | 山口県 | ||
種類 | 普通鉄道(在来線・地方交通線) | ||
起点 |
居能駅(本線) 雀田駅(本山支線) | ||
終点 |
小野田駅(本線) 長門本山駅(本山支線) | ||
駅数 | 11駅 | ||
電報略号 | オタセ[1] | ||
開業 | 1915年11月25日 | ||
全通 | 1947年10月1日 | ||
所有者 | 西日本旅客鉄道 | ||
運営者 | 西日本旅客鉄道 | ||
使用車両 | 105系、クモハ123形 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 |
11.6 km(居能-小野田間) 2.3 km(雀田-長門本山間) | ||
軌間 | 1,067 mm(狭軌) | ||
線路数 | 全線単線 | ||
電化方式 | 直流1,500 V 架空電車線方式 | ||
閉塞方式 | 自動閉塞式(特殊) | ||
最高速度 | 85 km/h[2] | ||
|
山陽小野田市の南部を縦貫し、山陽小野田市中心部と山陽本線小野田駅との旅客輸送が中心である。かつては石灰石や石炭輸送で賑わった。
雀田駅 - 長門本山駅間の支線は本山支線もしくは(長門)本山線と呼ばれ、最後の旧形国電運転区間として、2003年(平成15年)3月14日までクモハ42形電車が運転されていた[3](詳細後述)。
全区間を広島支社の山口エリア統括部が管轄している[4]。路線図[5]や駅掲示時刻表のシンボルで使用されているラインカラーは青紫(■)。
2018年度に宇部市とJR西日本が中心となって、宇部線と共に小野田線をバス・ラピッド・トランジット (BRT) に転換する可能性について検討を始めた[6][7]。しかし、宇部市が試算したところ宇部線にBRTを導入した場合の概算整備事業費が約153億円となることが判明した。そのため採算性に厳しく早期の実現は困難であるとしてBRT化は凍結され、JR西日本と沿線自治体(宇部市、山口市、山陽小野田市)の4者勉強会は休止となった[8]。
小野田駅 - 小野田港駅間は小野田軽便鉄道(後に小野田鉄道と改称)により、長門本山駅 - 雀田駅 - 居能駅間は宇部電気鉄道により開業した。宇部電気鉄道は宇部鉄道に合併され、同社の臨港線となった。
小野田鉄道と宇部鉄道は、石炭などの重要物資輸送路線として1943年(昭和18年)に国有化され、旧小野田鉄道線は小野田線に、旧宇部鉄道線の新沖山駅 - 宇部港駅 - 沖ノ山新鉱駅間、雀田駅 - 長門本山駅間は宇部西線となった。
小野田港駅 - 雀田駅間が開業して小野田線と繋がったのは1947年(昭和22年)。この時小野田線は宇部西線に編入され、一時小野田線の名称が消滅したが、翌年宇部西線が小野田線に改称され復活した。また、岩鼻駅 - 居能駅間が1945年(昭和20年)、居能駅 - 宇部駅(現在の宇部新川駅)間が1952年(昭和27年)に開業し、居能駅が宇部線との接続駅となった。
2021年3月13日改正時点の運行形態は次の通り[24]。
居能駅 - 小野田駅間の本線では全列車が宇部線居能駅 - 宇部新川駅間に乗り入れ、途中駅発着の列車はなく、宇部新川駅 - 雀田駅 - 長門本山駅間に運転される本山支線の送り込みを除く全列車が小野田駅 - 宇部新川駅間で9往復運転されている。土休日はこのうち上り2本が宇部線経由で新山口駅まで運転される。2021年3月13日以前は、宇部新川発小野田行の終電が21時台[25]、小野田発宇部新川行の終電が22時台に運行されていたが、改正以後は繰り上げられてそれぞれ19時台、20時台となり、運行本数が1桁台になった。
雀田駅 - 長門本山駅間の本山支線は朝6・7時台に2往復・夕方18時台に1往復の計1日3往復のみの運転で、朝6時台の下り始発が宇部新川発、朝7時台の下り2本目と夕方18時台の上り最終列車が宇部新川行きで運転されている[26]。かつては通学客のため土曜日の日中も1往復運転されていたほか、夜間にも運転されていた[19]が、2002年3月23日のダイヤ改正で2002年度から学校週5日制が実施されることにより日中の運転はなくなり、朝夕も削減されて夜間の運転がなくなった。さらに2012年3月17日のダイヤ改正では夕方16-17時台の2往復が廃止されて1日3往復運転となった[27]。
全列車がワンマン運転を行っている。
下関総合車両所運用検修センターに所属する105系およびクモハ123形電車が宇部線と共通で使用されている。105系で運行される列車は朝の1往復のみである。なおクモハ123形には長らくトイレがなかったが、2015年5月現在ではすべての車両にトイレが設置されている。
国鉄線となった当初は宇部鉄道から承継した電車を使用し、戦後にはほかの買収私鉄から承継した電車も転属して使用された。1950年代後半からこれらの買収国電に代わりクモハ11形・クモハ12形・クハ16形・クモハ40形・クモハ41形・クハ55形・クモハ42形・クモハ51形などの旧形国電が導入された。本線の旧形国電は1981年(昭和56年)に105系に置き換えられ廃車となり、以後105系のみが使用されていたが、1993年(平成5年)からは可部線から転用されたクモハ123形が主として使用されている。本山支線は各駅のホームの長さが1両分しかないため、本線の車両が105系に置き換えられた後も単行運転の可能なクモハ42形3両が長い間専用車として使用されたが、国鉄分割民営化直前に1両が、2000年(平成12年)に1両が廃車となり、最後の1両も2003年(平成15年)3月15日に宇野線から転用したクモハ123形に置き換えられた[3][20]。なお、クモハ42形が検査期間中、またはイベントで他線で運用される場合にはクモハ123形で代走していた。
便宜上、居能側の全列車が直通する宇部線宇部新川駅 - 居能駅間も記載。
( )内は起点からの営業キロ。
廃止区間の駅を除く。
各年度の平均通過人員(人/日)は以下のとおりである。
年度 | 平均通過人員(人/日) | 出典 |
---|---|---|
小野田 - 居能 長門本山 - 雀田 | ||
1987年度(昭和62年度) | 1,478 | [28] |
2013年度(平成25年度) | 431 | |
2014年度(平成26年度) | 409 | [29] |
2015年度(平成27年度) | 440 | [30] |
2016年度(平成28年度) | 470 | [31] |
2017年度(平成29年度) | 460 | [32] |
2018年度(平成30年度) | 457 | [33] |
2019年度(令和元年度) | 444 | [34] |
2020年度(令和 | 2年度)344 | [35] |
2021年度(令和 | 3年度)346 | [36] |
2022年度(令和 | 4年度)371 | [37] |
2023年度(令和 | 5年度)378 | [38] |
各3か年平均の収支(運輸収入、営業費用、営業損益)、営業係数、収支率は以下のとおりである。▲はマイナスを意味する。
2022年4月、JR西日本は「ローカル線に関する課題認識と情報開示について」において、本山支線を含む本路線の全区間が「2019年度の輸送密度が2,000人/日未満の線区」として営業状況を公表した[23]。これによると、2017年度から2019年度までの平均値で営業係数は1071、赤字額は2億円を計上しており、2018年度から2020年度までの平均値ではそれぞれ1126、1.9億円となっている[23]。これに基づき、JR西日本広島支社の蔵原潮支社長は、同年15日の記者会見で「沿線自治体などと利用促進や路線の在り方に関する協議を速やかに進めたい」との考えを示している[41]。
1999年(平成11年)には大分県の二階堂酒造(焼酎メーカー)のテレビCMにクモハ42の走行シーンが登場している[42]。
2004年(平成16年)には、浅野佑悠輝の歌う楽曲『小野田線』が発売された。各駅と沿線風景が歌われている。NHK山口放送局の番組『ゆうゆうワイド』でも放送された。
居能駅 - 小野田駅間は小野田線と宇部線・山陽本線との間に選択乗車の特例(旅客営業規則第157条)があり、一方を経由する乗車券を持っていれば他方の経路でも乗車できる。途中下車の禁止されていない乗車券であれば他方の経路上でも途中下車が可能である。
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