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日本国有鉄道の直流近郊形電車 ウィキペディアから
123系電車(123けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)および東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)の3社が導入した直流近郊形電車である。1986年から1988年にかけて投入された。
123系電車 | |
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JR東日本のクモハ123-1 (2008年3月15日) | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 東海旅客鉄道 西日本旅客鉄道 |
種車 | 143系・145系・147系 |
改造所 |
長野工場・広島車両所 吹田工場・浜松工場 |
改造年 | 1986年 - 1988年 |
改造数 | 13両 |
主要諸元 | |
編成 | 両運転台付単行車 |
軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
電気方式 |
直流1,500 V (架空電車線方式) |
最高運転速度 | 100 km/h |
車両定員 | 本文参照 |
自重 | 本文参照 |
全長 | 20,000 mm |
全幅 | 2,870 mm |
車体幅 | 2,800 mm |
全高 |
パンタグラフ折りたたみ:3,980 mm(-1) 4,140 mm(2 - 6) 3,960 mm(40番台・600番台) |
車体高 | 3,654 mm |
床面高さ | 1,225 mm |
車体 | 普通鋼 |
台車 |
軸箱守(ウィングばね)方式コイルばね台車 DT21C(0番台)・DT21(40番台)・DT21B(600番台) |
主電動機 |
直流直巻電動機 MT57A、MT46AまたはB→MT54 |
主電動機出力 | 100 kW または 120kW × 4 |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動方式 |
歯車比 |
17:82 ≒ 4.82(0番台) 15:84 ≒ 5.60(40番台・600番台) |
定格出力 | 400 kWまたは480 kW |
定格速度 |
全界磁:52.5 km/h(0番台) 全界磁:43.6 km/h(40番台・600番台) |
定格引張力 |
全界磁:2,720 kg(0番台) 全界磁:3,280 kg(40番台・600番台) |
制御方式 | 抵抗制御・弱め界磁制御[** 1] |
制御装置 |
電動カム軸式主制御器 CS44形(0番台)・CS54A形(40番台)・CS50形(600番台) |
制動装置 |
発電ブレーキ併用[** 2]電磁直通ブレーキ(0番台はSELD・40番台と600番台はSED) 抑速ブレーキ[** 2]・直通予備ブレーキ・手ブレーキ |
保安装置 | ATS-S(改造時) |
備考 |
出典[1] |
1986年11月1日ダイヤ改正で鉄道手荷物・郵便輸送が廃止されたことに伴い、余剰になった荷物電車などを改造し、利用者の少ない電化ローカル線向けに改造して導入したのが本形式である。いずれも両側に運転台が装備された単行電車を種車としており、国鉄の新性能単行電車では初となる旅客輸送用車両となった。
形式はクモハ123形のみが存在する。国鉄により11両、JR東海により2両の合計13両が改造され、クモニ143形から改造された0番台、クモユニ147形から改造された40番台、クモヤ145形から改造された600番台の区分に大別される[2]。
種車や改造手法の違いから外観や扉位置が異なっている[3]。1から4(長野地区、広島地区投入車)は、改造時に側扉の半自動改造(押しボタン式ではなく、115系などと同じ手動式)が実施された。
旅客車化にあたり、車内はロングシート構成の座席、荷棚、つり手棒とつり革、車内放送装置、室内灯などが新設されている[1]。改造にあたって、郵便荷物車時代のトイレは撤去されている[4]。
長野地区 (1) | 広島地区 (2 - 4) | 大阪地区 (5・6) | 静岡地区 (41 - 45) | 静岡地区 (601・602) | |
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改造所 | 長野工場 | 広島車両所 | 吹田工場 | 浜松工場 | |
改造種車 | クモニ143 | クモユニ147 | クモヤ145-600 | ||
前面構造 | 非貫通[* 1] | 貫通 | 非貫通[* 1] | 貫通 | |
側引戸 | 片開き 1,000 mm×2 (半自動対応) | 両開き 1,300 mm×2 | 片開き 1,000 mm×2 | 片開き 1,100 mm×3 | |
側窓配置 | 種車と同じ 二段窓×11 | 上段内倒し式窓 (カーテンなし) | 201系と同じ 二段ユニット窓×3 | 119系と同じ 二段窓×7 | 二段窓×2または3 |
戸袋窓 | あり | なし | あり | ||
定員 | 116人 (座席54人) | 114人 (座席48人) | 122人 (座席49人) | 116人 (座席54人) | 126人 (座席48人) |
集電装置 形式 |
PS23A×2 | PS16J×1 | PS23A×1 | PS23A×2 | |
電動発電機 定格容量 |
20 kVA[* 2] | 70 kVA (冷房対応) | 5 kVA[* 3] | 70 kVA (冷房化に対応) | |
冷房装置 | なし(扇風機)[* 4] | AU75E形×1基 | AU75G形×1基 | なし(扇風機)[* 5] | |
車両重量 | 43.0 t→45.4 t | 46.6 t | 48.0 t | 41.7→43.4 t | 44.0 t(竣工時) |
改造は車体関係のみで、走行機器は基本的に改造種車のものを流用している[4][1]。
クモハ123-1から6はクモニ143形と同様で、力行28段(直列11段・並列13段・弱め界磁4段)、発電ブレーキ20段構成のCS44形電動カム軸式主制御器を使用し、主電動機の直並列抵抗制御、弱め界磁制御を行う[5]。主電動機は100 kW出力のMT57A形、台車は片押し式踏面ブレーキのDT21C形を使用する[5]。クモハ123-1では115系との併結機能も残されていた[4]。
クモハ123-41から45はクモユニ147形と同様で、力行12段(全界磁8段・弱め界磁4段)、発電ブレーキ13段構成のCS54A形電動カム軸式主制御器を使用し、主電動機の永久直列接続、弱め界磁制御を行う[6]。主電動機は101系の廃車流用品で100 kW出力のMT46A形、台車も101系流用品で両抱き式踏面ブレーキのDT21形を使用する[6]。電動発電機、空気圧縮機も101系の流用品である[6]。119系などとの併結機能も残されていた[7]。
クモハ123-601・602はクモヤ145形600形と同様で、力行9段(抵抗7段・弱め界磁2段)のCS50形電動カム軸式主制御器を使用し、主電動機の永久直列接続、弱め界磁制御を行う[8][9]。主電動機は101系の廃車流用品で100 kW出力のMT46A形またはMT46B形、台車も101系流用品で両抱き式踏面ブレーキのDT21B形を使用する[6][9]。
ブレーキ装置は600番台を除き発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(SELD、40番台のみSED)で、抑速ブレーキに対応している[5][6]。600番台は電磁直通ブレーキ(SED)のみ[8][9]。また直通予備ブレーキ、手ブレーキを装備する[5][6][8]。
パンタグラフは-1、40番台と600番台は狭小トンネルに対応したPS23A形を使用しており、それ以外の2 - 6は一般的なPS16J形を搭載している[1]。PS23A形を搭載したクモハ123-1のパンタグラフ折りたたみ高さは3,980 mm、身延線で運用される40番台と600番台はパンタグラフ取り付け部の屋根を低くして折りたたみ高さを3,960 mmに収めている[6][9][1]。
中央本線の塩嶺トンネル完成に伴い支線化した辰野 - 塩尻間(中央本線辰野支線)の輸送力適正化を目的として、1986年(昭和61年)に国鉄長野工場(現・長野総合車両センター)でクモニ143-1から改造された車両である[10]。松本運転所(現・松本車両センター)に配置され、同年11月のダイヤ改正に合わせて使用開始された。当時長野地区の普通列車に使用していた「エコー電車」に因み、「ミニエコー」と名付けられた[3]。
将来のワンマン運転を考慮し、側面両端部に幅1,000 mmの片開き扉を設けた[4]。側面窓は幅674 mmのユニット窓となっており、一部の窓は種車のものをそのまま流用している[4]。101系廃車発生品の暖房器や115系冷房改造で発生した扇風機が流用された[4]。
ワンマン運転の設備は1990年(平成2年)1月に設置された[11]。改造当初は冷房装置が搭載されていなかったが、1993年(平成5年)7月にAU712形集約分散式冷房装置(24.42 kW ≒21,000 kcal/h、インバータ制御式)×2基が搭載された[12]。冷房電源は屋根上に搭載された補助電源装置(SC24形インバータ〈定格容量28 kVA〉。このインバータは容量可変制御式(VVVF))から給電される[12][13][14]。いずれの改造工事とも長野総合車両所で施工[11]。
改造当初は白地(クリーム10号)に緑帯(緑14号)の塗装であったが[1]、前述した1990年(平成2年)1月のワンマン運転改造に合わせてローズピンクと白色のツートーンカラーに変更されている[15]。
可部線向けとして、国鉄分割民営化直前の1987年にクモニ143-2・3・6から3両が改造された[3]。クモハ123-1や40番台と同様両端2か所に片開き扉を配置しているが、側面窓の形状は上部3分の1が室内側に倒れる大形窓となった[16]ほか、カーテンが省略されている。前面に排障器(スカート)が装着されている。前面は種車のままの非貫通構造であったが、1993年度に貫通扉が設置された[16]。塗装は地色が白3号で、車体下部に青20号の帯が2本入っている[1]。
改造時に第2パンタグラフを撤去し、集中式冷房装置(AU75G形、48.84 kW ≒ 42,000 kcal/h)を取り付け、電源として電動発電機(MG)を70kVAのものに変更している[16]。このMGは485系などの食堂車の廃車発生品を再利用した(クモハ123-5・6も同様)[1]。ジャンパ連結器は105系に合わせたものに交換された。パンタグラフはPS16J、定員114(座席48)名。座席はキハ54形などで採用されたバケットタイプとなっている。
1993年に下関運転所(現・下関総合車両所運用検修センター)に転属。宇部線・小野田線用となった。
1987年に阪和線羽衣支線向けとしてクモニ143-7・8から改造された[3]。定員は122(座席49)名。車体側面2か所に1,300 mm幅の両開き式側引戸を設けたが、種車の荷物用扉の位置を踏襲したため、変則的な位置にあった[17][18]。側窓は201系と類似した上段下降・下段上昇の二段式ユニット窓となっており、改造当初から前面に貫通扉が設置されている[17][18]。改造時に第1パンタグラフを撤去し、集中式冷房装置(AU75E形、48.84 kW ≒ 42,000 kcal/h)を搭載している[1]。
ラッシュ時は103系の制御車クハ103-194を併結した3両編成という特異な運用をするため、ジャンパ連結器は103系に合わせたものに交換され、クハに冷房電源の三相交流を供給するためのジャンパ連結器も設けられた。日中は単行または2両で運行された[17]。1989年にワンマン運転設備を追設している。塗装は阪和線の103系に合わせた青22号だが、運転台部分は黒く塗られていた[17]。
1995年(平成7年)6月にクモハ84形を置き換えるために岡山電車区に転属し、宇野線の茶屋町 - 宇野間で使用された。塗装は地色はそのままだが運転台部分の黒い部分がなくなり、カモメが描かれた。その後、宇野線のワンマン化時に105系と混用されることになり、運賃の車内収受に対応していない本形式は105系用のジャンパ連結器を追設し、福塩線・山陽本線岡山 - 福山間・赤穂線で105系2両と併結の4両編成で使用され、宇野線は105系に置き換えられた。
2002年には宇部線・小野田線用として下関地域鉄道部(現:下関総合車両所運用検修センター)に転属し、2003年にクモハ42形を置き換えた[19]。その際に塗装は2 - 4と同様のものに変更された。2002年度に扉位置を移設する改造を受けたため、外観が大きく変わっている。ただし、車内のつり革の配置は変わっておらず、元々ドアが設置されていたところにあたるつり革はやや高い位置に設置されているので、つり革を見れば移設前のドアの位置がわかる。また運賃の車内収受に対応するため整理券発行機・運賃箱・デジタル式運賃表が取り付けられた。
このグループはドアの半自動機能を持っていなかったが、近年になってドアボタンを設置する改造が行われた。
身延線の富士 - 西富士宮間と鰍沢口 - 甲府間の区間輸送(愛称「富士ポニー」[20])用として、国鉄時代の1987年1月に40番台5両(41 - 45)が投入された[20]。改造種車は飯田線で使用されていた郵便荷物合造車のクモユニ147形である[21][22]。
運転台直後に片開き扉を設けた2扉車で、外観・車内ともクモハ123-1に準じているが、側窓は119系に準じた上段上昇・下段上昇式のユニット窓が7個並び、戸袋窓は廃止した[7][23]。またドア下部の張り出しが前位側(集電装置と逆側)にあった。改造当初はクモハ123-45と珍しい並びの車両番号も存在した[20]。座席は101系の廃車発生品が流用された[23]。
補助電源(電動発電機)は改造時に5 kVAのものが存置されていた[23]。1989年(平成元年)6月から翌1990年(平成2年)11月にかけての冷房化改造時、屋根上にC-AU711D形集約分散式冷房装置(20.93 kW ≒18,000 kcal/h、インバータ制御式)×2基を、さらに冷房電源としてC-SC33形静止形コンバータ(SCV、定格容量24 kW、直流1,500V→直流600Vに変換)を搭載して5040番台(5041 - 5045)に改番した[22][23]。
1989年(平成元年)6月から翌1990年(平成2年)5月にかけてのワンマン化改造に際しては[23]、5045のみ前面に貫通扉が設置されて5145に再改番された[22]。ワンマン化改造では運転室背後に運賃表示器、運賃箱と整理券発行機の設置、ドア横にサボ入れまたは表示器が設置された[22]。いずれの改造工事とも浜松工場で施工[23]
JR東海により、1988年(昭和63年)3月に牽引車のクモヤ145-601・602から改造された[24]。同時期登場の愛知環状鉄道100形に類似した両端部と中央部に1,100 mm幅の片開き扉を設けた3扉構造となっており、種車の前面にあった貫通路は2両連結した時に幌で貫通路が構成できるように改造された[24]。
パンタグラフは冬季の霜取り用としてPS23A形2基が存置された[24][25]。電動発電機(MG)は冷房化を考慮して70 kVAのものがそのまま搭載された[24][25]。空気圧縮機は室内設置のC-2000形から床下設置のC-1000形とした[24]。
改造当初は非冷房であったが、1988年(昭和63年)12月(601)と1989年(平成元年)3月(602)にC-AU711A形集約分散式冷房装置(20.93 kW ≒18,000 kcal/h、インバータ制御式)×2基が搭載された[25]。冷房電源は前述した電動発電機 (MG) からの供給とされたため、改番はされていない[22]。1990年(平成2年)1月・3月にワンマン運転設備が設置された[25]。いずれの改造工事とも浜松工場で施工[25]。
JR東日本には、クモハ123-1の1両が継承された。終日辰野駅 - 塩尻駅間での運用であったが、朝晩には松本車両センターの入出庫を兼ねて辰野駅 - 松本駅間でも1往復運用された。検査時や多客期には長野総合車両センター所属の115系が代走した。
2012年12月15日と16日には、塩尻駅→辰野駅→岡谷駅→みどり湖駅→塩尻駅とその逆回りで運行された臨時列車「ぐるっと善知鳥・塩嶺号」「ぐるっと塩嶺・善知鳥号」に充当され、定期運用では入線しない塩嶺トンネル経由の短絡ルートを走行した。2013年3月9日にも同じ経路で「ありがとう123系 ぐるっと善知鳥号」「ありがとう123系 ぐるっと塩嶺号」として運転された。3月の運行は乗車整理券制で地元の乗客を対象にしての設定となり、JR東日本長野支社などのホームページでは公開されず、長野県塩尻市および辰野町でのみ情報が発信された。
2013年3月16日のダイヤ改正でE127系に置き換えられることになり[26]、最終運行日となった同年3月15日には、最終列車の発車にあわせて小野駅でセレモニーが実施された。また、同日は混雑対応のため車掌が乗務し、通常表示されない塩尻行のサボも掲出された。最後の定期運用となった塩尻発松本行の下り列車では、塩尻駅の電光掲示板で「123ミニエコー・ラストラン」と表示された。同車は松本駅到着後、23時3分に同駅を発車して長野総合車両センターへ回送された。その後、同年4月15日付けで廃車され[27]、JR東日本においては廃形式となった。
JR東海には、40番台の5両が継承された。1988年3月には600番台2両(601・602)が投入されており、身延線用として静岡車両区(旧・静岡運転所)に7両が在籍していた。
当初は白地(クリーム10号)に赤帯(赤2号)と前面に富士山と身延の頭文字「M」を図案化した模様の塗装であった[20][7]が、1991年(平成3年)3月までにJR東海に承継された119系やキハ40系と同じく白地にオレンジと緑の帯の塗装に変更された[23][25]。2001年には40・600番台とも前面に電気連結器が装備され、主電動機はMT46形からMT54形に換装された。
2006年9月に5041、2007年1月に5044・5145が廃車された[28]。同年3月18日のダイヤ改正で313系に置き換えられて全車が運用離脱し、同年5月に601・5043が、6月に602・5042が廃車され、JR東海においては廃形式となった[29]。
JR西日本には、クモハ123-2 - 6の5両が継承された。可部線に投入された2 - 4は、1991年に宇部線・小野田線へ転用された[16]。阪和線羽衣支線の5・6は1995年には宇野線へ転用され、2001年に宇野線から福塩線へ転用されたが、2002年には宇部線・小野田線用として貸し出され、2003年に同線へ転属した[22]。
2013年からキハ120形気動車とほぼ同一構造のトイレが設置され、2014年に全車両の取り付けが完了した。2010年にクモハ123-4を皮切りに濃黄色一色への塗装変更が開始され[30]、以降2015年8月のクモハ123-6を最後に全車の塗装変更が完了した。この際、運賃表が液晶画面に換装されている。
主な運用は小野田線や宇部線(閑散時のみ)での単独運用だが、ラッシュ時は105系に併結されて宇部線の山陽本線直通列車(宇部駅 - 下関駅間)などでも運用されている。
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