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兵庫県伊丹市にある清酒メーカー ウィキペディアから
小西酒造株式会社(こにししゅぞう、英: Konishi Brewing Company)は、日本の兵庫県伊丹市に本社を置く清酒メーカーである。商標名。
キャッチフレーズは「山は富士 酒は白雪」。企業スローガンは「誰も歩いていない道を行く」。
1550年創業。清酒「白雪」(「雪」のロゴ文字で「ヨ」の真ん中の横線は、右に突き出ている)の醸造元であり、現在では、清酒の製造のみならず、ビールの醸造、輸入酒の販売もおこなっている。文禄 - 元禄期(1661年 - 1704年)ごろの伊丹は上方酒造業の中心で多くの酒造業者があり、小西酒造もそのころを起源とすると考えられている。酒造メーカーの中では有数の歴史を持つ企業としても知られる。初代は薬屋新右衛門。「新右衛門」の名は現代まで続く名跡となっており、2020年には創業470年の節目を機に、当代の社長が15代小西新右衛門を襲名した[1]。
元禄期には江戸の日本橋 (東京都中央区)に下り問屋を開設し、江戸における下り酒の販路を確立、さらに17世紀後半から18世紀にかけて、伝法・安治川で廻船問屋を始めた。このように、生産から流通・販売まで一手に扱うシステムを同族によって確立していたことが小西酒造の特徴である。また、酒造業だけでなく、惣宿老として伊丹郷町の政治・経済・文化に深く関わった。近代に入ると、鉄道事業や学校の設立、銀行経営のほか、近代産業への投資を行い多角経営を図った[2]。
企業博物館としてブルワリーミュージアムを設けている。また同社の本社が伊丹市にあることから宝塚歌劇団ならびに阪急阪神東宝グループ(旧:阪急グループ)とのつながりが深いことでも知られる。阪急電鉄の駅ベンチには長年、白雪の広告が入っていたことでも知られた。2023年3月現在、阪急系列の能勢電鉄の駅ベンチに白雪の広告が入っている。
昭和時代にプロ野球・阪急ブレーブスが本拠地としていた西宮球場は、地元という事で球場の外野スタンドにスポンサーとして協賛していた。よく昔の名場面のVTRで、1971年(昭和46年)のオールスター戦の江夏豊(阪神)の9連続奪三振のシーンで白雪の看板が映される。
本社はかつて伊丹市中央3-5-8の兵庫県道13号線沿いにあり、長らくランドマークとして機能していたが2013年(平成25年)2月に東有岡2-13の富士山蔵敷地内へ移転している[3]。
なお 小西家に伝わる大量の文書や資料は、酒造業や伊丹の歴史を研究する上で貴重な資料で小西新右衛門氏文書として検討が進められている。
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小西酒造は、いち早くベルギービールを日本に輸入しはじめた企業である。兵庫県伊丹市とベルギー・ハッセルトが姉妹都市になったことを契機に第15代社長の小西新太郎が輸入を開始した[4]。1988年(昭和63年)11月のヒューガルデン・ホワイトを皮切りに様々な醸造所と取引を行う[5]。ベルギーを代表する伝統的醸造所であるカンティヨン醸造所は、ヨーロッパ圏外に輸出する際の最初の取引先として小西酒造を選択している[4]。
代表取締役社長である小西新太郎は、その功績から1999年(平成11年)9月11日に日本人として初めてベルギービールの騎士(La Chevalerie du Fourquet des Brasseurs)に認証された[6]。
2007年(平成19年)の時点では、小西酒造は日本でのベルギービール輸入のシェアのうち約60%占めていた[7]。しかし、2008年(平成20年)9月4日から、その過半数を占めていた主力商品ヒューガルデン・ホワイトをはじめ6銘柄の日本国内での販売権がアサヒビールに移ることになる[7]。そのため、小西酒造はヒューガルデン・ホワイトの代替となる商品の獲得を急務としていた[7]。
2008年(平成20年)8月27日、小西酒造は、デュベル・モルトガット醸造所の新製品「ヴェデット・エクストラ・ホワイト」の日本での販売を発表した[7]。
2018年(平成30年)、ベルギービールの国内での普及や、2017年3月の酒税法改正における日本政府への働きかけ等多大なる貢献が認められ「王冠勲章コマンドール章」をベルギー国王より授与された。
「白雪ビール」というブランドの地ビールを生産している[8]。
1995年(平成7年)6月、本社ビルの横に地ビールレストラン「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」をオープン[8]。建物は、昔、酒蔵として使われていたものを改造している[8]。
平成14酒造年 - 令和5酒造年[9]
国内外で開催されたコンテストでもっとも評価された酒蔵を認定
その年に開催された有力な日本酒コンテストの受賞実績をポイント化して酒蔵ごとに集計し、スコアの上位50位の酒蔵を格付けするものです。
小西家の当主は代々「新右衛門」を襲名。
小西家は武道を尊ぶ家柄であることでも知られている。1786年(天明6年)から伊丹に道場を開き、剣道やなぎなたを稽古していた。小西業茂(11代目小西新右衛門)は明治維新後、道場を一般に公開して「修武館」と名付け、子弟の教育にあたった。
12代小西新右衛門の娘静子とその次女敬子(1948-2002)が2代に渡り会長を務めた全日本なぎなた連盟の本部も長らく小西酒造本社内に置かれていたが、2013年(平成25年)の本社移転に伴い近隣の中央1丁目へ移転している。
硬式野球部は1958年(昭和33年)に軟式から転じ、伊丹市代表として都市対抗野球大会に出場した事もある。1999年(平成11年)限りで休部。
同社出身の谷中真二は、西武がドラフト指名した当日、酒蔵で樽の中に醸造中の酒の様子を確認するために梯子に登っており、同僚が西武の指名を伝える場面がテレビで映された。
小西酒造は1995年まで、兵庫県宝塚市ふじガ丘に野球場「白雪グラウンド」を所有していた。近郊の社会人野球チームが使用していた他、春夏全国高校野球選手権の時期には、甲子園出場を決めた他県の高校野球チームが練習試合などを行っていた。1995年以降、球場跡地は住宅地となっている。
1975年頃まで東京都八王子市の楢原町に当時の酒造メーカーとしては最大規模の約2万5千平米の広大な敷地と倉庫を所有していた。現在では倉庫の跡地は住宅地となっている。
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