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ヘンリー・クレイ・ワーク作詞作曲の歌 ウィキペディアから
「大きな古時計」(おおきなふるどけい、英: Grandfather's Clock)は、アメリカ合衆国のポピュラー・ソング。
本作の門田ゆたか・保富康午・高石ともやによる日本語詞は著作権の保護期間中のため、日本国著作権法第32条および米国著作権法第107条によりフェアユースと認められる形式の引用を除き、ウィキペディアへの掲載は著作権侵害となります。また、演奏などの著作隣接権についても注意ください。 歌詞全文はTemplate:歌ネットやTemplate:Genius songを使用した外部リンクにより合法的な参照が可能です。 なお翻訳前の作詞・作曲については著作権保護期間が終了しました。 |
「大きな古時計 Grandfather's Clock」 | |
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ヘンリー・クレイ・ワークの楽曲 | |
リリース | 1876年 |
規格 | 楽譜 |
ジャンル | ポピュラー・ソング |
作詞者 | ヘンリー・クレイ・ワーク |
作曲者 | ヘンリー・クレイ・ワーク |
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作詞・作曲はヘンリー・クレイ・ワークで、1876年に発表され、当時アメリカで楽譜が100万部以上売れた。
歌の主軸となっている背の高い振り子のついた時計は、英語でGrandfather’s Clock(おじいさんの時計)と呼ばれる。同型の時計は17世紀にオランダで発明されており、イギリスに紹介された当初はLong Case Clock(長い箱の時計)という名称であったが、同曲が流行したことでこのような名称が定着した。[2]
2006年(平成18年)に文化庁と日本PTA全国協議会が「日本の歌百選」に選定[3]。
「おじいさんが生まれた時から90年間[注 2](保富康午による日本語詞では100年間)ずっと時を刻み続けてきた大きなのっぽの古時計が、おじいさんが亡くなった後の今では、もう動かなくなっている」という内容である。
ワークが1874年にイギリスを旅行した際、ダラムにある「ジョージ・ホテル」に泊まった。このホテルの玄関ロビーに動いていない大きな振り子時計が置いてあった。ホテルのスタッフに理由をたずねると、数年前までそのホテルはジェンキンスという兄弟が経営していた。ある日、兄が死亡すると時計が狂い出した。その後弟も世を去るとついに時計は止まってしまった。針がさしていた時刻はちょうど兄が亡くなった時刻と同じであった(このように、たまたま止まった時計の時刻が分針の単位で一致する確率は720分の1である)。その後、修理しても2度と動き出すことはなかったという。[4]
My grandfather's clock was too large for the shelf,
So it stood ninety years on the floor.
It was taller by half than the old man himself,
Though it weighed not a penny weight more.
It was bought on the morn of the day that he was born,
And was always his treasure and pride.
But it stopped short, never to go again
When the old man died.CHORUS:
Ninety years with out slumbering, tick, tock, tick, tock
His life seconds numbering, tick, tock, tick, tock
It stopped short, never to go again
When the old man died.In watching its pendulum swing to and fro
Many hours had he spent while a boy.
And in childhood and manhood the clock seemed to know
And to share both his grief and his joy.
For it struck twenty-four when he entered at the door
With a blooming and beautiful bride.
But it stopped short, never to go again
When the old man died.
CHORUSMy grandfather said that of those he could hire,
Not a servant so faithful he found.
For it wasted no time, and had but one desire,
At the close of each week to be wound.
And it kept in its place, not a frown upon its face
And its hand never hung by its side.
But it stopped short, never to go again
When the old man died.
CHORUSIt rang an alarm in the dead of the night
CHORUS
An alarm that for years had been dumb.
And we knew that his spirit was pluming for flight
That his hour of departure had come.
Still the clock kept the time with a soft and muffled chime
As we silently stood by his side.
But it stopped short, never to go again
When the old man died.
和訳
私のおじいさんの時計は、大きすぎて棚に入らなかった。
だから、90年間床に置かれていた。
その高さはおじいさんの身長の1.5倍あった。
しかし、その重さは1ペンス硬貨1枚分ほども違わなかった。
時計はおじいさんが生まれた日の朝に購入された物で、おじいさんの宝物でありいつも自慢にしていた。
しかし、突然止まってしまい、二度と動くことはなかった。
おじいさんが亡くなったその時に。
90年間休むことなくチクタク、
彼の人生の一秒一秒を刻み続けた。チクタク、チクタクと
しかし、突然止まってしまい、二度と動くことはなかった。
おじいさんが亡くなったその時に。
おじいさんは少年の頃、振り子があっちに、こっちに揺れるのを眺めるのに何時間も費やしていた。
時計は、子供の頃の彼も、大人になってからの彼も知っているようである。
彼と喜びや悲しみも分かち合ったようである。
24時間をずっと刻んでいた、彼が綺麗な花嫁と共にドアから入った時にも。
しかし、突然止まってしまい、二度と動くことはなかった。
おじいさんが亡くなったその時に。
おじいさんはこんなことを言っていた。
今まで雇ってきた使用人の中で、
この時計ほど忠実な人のはいなかったと。
そのために時間を取らせるようなこともなかった。ただ一つ、
週に一回のネジ巻きのために、そばに行く時以外は。
じっと動かず、顔を背ける事もなく、その手を撥ね退けるような事もしなかった。
しかし、突然止まってしまい、二度と動くことはなかった。
おじいさんが亡くなったその時に。
おじいさんが亡くなった夜、鐘が鳴った。
もう何年も鳴っていなかったのに。
私達は気づいていた、今その魂は羽を広げ、飛び立とうしていると。
旅立ちの時は来たのだと。
その時計はまだ柔らかくぐもった音で時を刻み続けていた、
私達はただ黙って彼の傍にいた。
しかし、突然止まってしまい、二度と動くことはなかった。
おじいさんが亡くなったその時に。
戦前の1940年に、吉本興業(東京吉本)所属の子供歌手兼タップダンサー・ミミー宮島による歌唱、門田ゆたか作詞、仁木他喜雄編曲で「お祖父さんの時計」としてリリース。1943年に製造中止となるまでに5173枚のレコードを売り上げた。
このときの歌詞は原詞とは全く異なり、シンデレラをモチーフとしたものだった。「お祖父さんの時計」は2004年にコロムビアミュージックエンタテインメント(現・日本コロムビア)から発売されたオムニバスCD『舶来流行歌 笑・撃篇』をはじめとした複数のCDに収録されている。
みんなのうた 大きな古時計 | |
---|---|
歌手 |
立川清登、長門美保歌劇団児童合唱部(*1、*2) 平井堅(*3) |
作詞者 | 保富康午(訳詞) |
作曲者 | ヘンリー・クレイ・ワーク |
編曲者 |
小林秀雄(*1)(*2) 亀田誠治(*3) |
映像 | アニメーション |
映像制作者 |
谷内六郎(*1) 竹口義之(*2) 塩田雅紀、スリー・ディ(*3) |
初放送月 |
1962年6月 - 7月(*1) 1973年6月 - 7月(*2) 2002年8月 - 9月(*3) |
再放送月 |
1985年10月 - 11月(*2) 2004年4月 - 5月(*2) 2006年10月 - 11月(*3) 2014年8月 - 9月(*3) 2017年4月1日・7日・5月5日(*3)(リクエスト) 2019年4月 - 5月(*2)(お楽しみ枠) 2021年5月(*3) |
1962年にNHKのテレビ番組『みんなのうた』で、保富康午の訳詞によって「大きな古時計」として放送され、日本人の間に急速に浸透した。歌を担当したのは立川清登と長門美保歌劇団児童合唱部。映像は谷内六郎製作のアニメ。放送では1番と2番のラストが削られた。
現在日本でよく知られている歌詞は、この時のものである。後に、NHKのテレビ番組『おかあさんといっしょ』などでも歌われるようになった。
初放送から11年後の1973年には音声はそのままで、竹口義之製作のカラーアニメに映像を変更したリメイク版が放送、NHKの本部が1973年7月に渋谷区神南のNHK放送センターへ移転する前で、1961年4月からの『おお牧場はみどり』以来12年間続いた千代田区内幸町のNHK東京放送会館時代で最後の曲となった。竹口義之作品で渋谷移転後の最初の曲は1974年の『思い出のグリーングラス』。
この保富による訳詞は1966年以後、日本の音楽教科書にもたびたび取り上げられている[1]。
チャカと昆虫採集(1991年発売『うたの引力実験室』に収録)、松崎ナオ(1998年発売『正直な人』収録)、平井堅(2002年発売)などのJ-POP歌手によるカバーが存在する。
1998年頃に渡哲也が知人の経営するカラオケスナックで歌ったときの音源が2019年発売『石原裕次郎・渡哲也 プライベート』に収録された[5]。
保富による日本語詞は、英語原詞に近いものだが、以下の相違点がある。
オリジナル版
「大きな古時計」 | ||||
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平井堅 の シングル | ||||
初出アルバム『LIFE is...』 | ||||
B面 |
Grandfather’s Clock PAUL | |||
リリース | ||||
ジャンル | J-POP | |||
レーベル | デフスターレコーズ | |||
プロデュース | 平井堅 | |||
ゴールドディスク | ||||
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チャート最高順位 | ||||
平井堅 シングル 年表 | ||||
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日本の男性シンガーソングライターの平井堅の通算16枚目のシングル。2002年8月28日に発売[7]。発売元はデフスターレコーズ(ソニー・ミュージックエンタテインメント系列)。
平井が幼少の頃、母親から歌い聴かされていた曲で、コンセプト・ライブ「Ken's Bar」でも歌っていた[8][9]。そんな思い入れのある曲のルーツをたどる番組『平井堅 楽園の彼方に〜アメリカ・大きな古時計を探して〜』(2001年8月放映・NHK)を制作する中でCD化が決定され、同曲が初めて『みんなのうた』で紹介されてから40年を迎える2002年にリリースされることが2001年7月9日に発表された[10]。番組が放送されると直後から問い合わせが殺到したこともあり、2002年8月 - 9月の『みんなのうた』でも放送されることになった[11]。
『みんなのうた』元プロデューサーの川崎龍彦は「番組で放送する楽曲において大きなテーマ、メッセージを扱うことは押しつけがましくなったり、理屈っぽくなってしまうため難しい。しかし本曲はそのハードルを軽々と超えた楽曲である」と語っている。またこの楽曲を「生と死」を見つけた重いテーマの歌と位置付けており、2002年版のアニメーション[注 3]を通して、これは「おじいさんの死」を通じて脈々と引き継がれるいのちを歌い上げる賛歌であると語っている[12]。また音楽プロデューサー吉田敬によると、当初周りのスタッフからは、R&B歌手としてブレイクした平井にR&Bと正反対の曲を歌わせることに猛反対を受けたという[13]。
平井は本作で初のオリコンシングルチャート1位を獲得し、累計出荷枚数85万枚[14](90万枚[15]とも)を記録する大ヒットとなった。同年の『第53回NHK紅白歌合戦』に出場した際には、モデルになったと言われている時計[注 4]のあるアメリカ・マサチューセッツ州グランビーから中継で歌った。また2003年には第75回選抜高等学校野球大会開会式の入場行進曲に選定された。
シングルジャケットには、平井が小学4年生の頃に実家の時計をモデルにして描き、三重県名張市学童展にて金賞を受賞した絵が使用されている[16][17]。アーティスト写真に実家にある実際の古時計が使われた[18]。日本語詞は保富康午による。また平井の楽曲の多くにプロデューサーとして関わっている亀田誠治が本曲で初めて起用されている[19]。オリジナルとの違いは、2番の一部だけサビがなく、3番でサビの最後の部分が2回歌われている。
カップリング曲の「PAUL」は平井のオリジナル曲。かつて飼っていた犬に対する思い出をつづった歌で「大きな古時計」と曲のコンセプトが類似するという理由で収録された[16]。
# | タイトル | 作詞・作曲 | 編曲 | 時間 |
---|---|---|---|---|
1. | 「大きな古時計」 | Henry Clay Work(訳詩: 保富康午) | 亀田誠治 | |
2. | 「Grandfather's clock」(原詞) | Henry Clay Work | 亀田誠治 | |
3. | 「大きな古時計」(less vocal) | Henry Clay Work | 亀田誠治 | |
4. | 「PAUL」 | 平井堅 | 鈴木大 |
映像外部リンク | |
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【ゼロホームCM】「フリーダイヤル」篇 - YouTube | |
おじいさんと同じ/制服向上委員会 - YouTube |
高石ともやとザ・ナターシャー・セブンのアルバム『107 SONG BOOK Vol.11 想いでの赤いヤッケ。』(1979年発売)で、高石ともやの訳詞によって「おじいさんの古時計」としてカバーされた。この訳詞では、おじいさんの年齢は80歳である。
2002年に伊藤秀志が平井堅によるリメイク版に触発され、「大きな古時計」を「zuzuバージョン」として秋田弁でカバーした。2009年に日本テレビの『誰も知らない泣ける歌』で披露した際は、「フランス語に聞こえる」と紹介された。
関西で放送中の「ゼロホーム」のCMでフリーダイヤルを読み上げる際にサビ部分(替え歌)が使用されている。また、ゼロホームのイメージキャラクター「100年住宅戦隊ゼロ7(セブン)」のテーマソングとして替え歌が使用されている。
制服向上委員会が「おじいさんと同じ」として自由民主党の政策を風刺・批判した替え歌を歌った[20]。2013年10月1日発売のアルバム『3あくついほう!』に収録されている[21]。
作者のヘンリー・クレイ・ワークの自伝を描いた。
本曲を題材とした絵本。いずれも保富康午の訳詞を使っている。
本曲誕生の逸話を基にして、2006年にブロードバンドピクチャーズが運営する、NET CINEMA(OTTサービスによる配信企業)によって製作されたドラマ「大きな古時計」から16年を経て、劇場用映画として2022年12月に公開された。本作品は、同出演者(藤村知可)が同役で17年後にも登場して追加撮影が行われた。エンディングテーマを川畑要(CHEMISTRY)等、新たに5曲の劇中歌をレコーディングされ、オリジナル・サウンドトラックCDが、2021年7月7日リリースされている。2021年1月、劇場用映画として公開予定であった[31]が、世界的な新型コロナウイルス感染拡大により、2022年12月16日に延期となった。
ピアノ伴奏つきのチェロソロ曲として、比較的初心者のチェロ奏者用によく演奏される。また4パートほどに分けてチェロアンサンブルとしても演奏される事がある。もちろん編曲の内容によっては相当な難易度となることもあり、プロ奏者がCD収載曲として選択することもある[注 5]。
2003年(平成15年)にNPO「日本童謡の会」が全国約5800人のアンケートに基づき発表した「好きな童謡」ではアメリカの楽曲であることを理由に対象外とされたが、第10位に相当する票を集めた[32]。
JASRACによると、翻訳前の元々の作詞・作曲に関しては著作権は消滅している。但し、「お祖父さんの時計」の訳詞者・門田ゆたか(1975年没)、「大きな古時計」の訳詞者・保富康午(1984年没)、「おじいさんの古時計」の訳詞者・高石ともや(2019年現在存命中)については2018年現在、没後70年経過していないので、これらの訳詞に関する著作権は有効である。
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