塩竈市
宮城県の市 ウィキペディアから
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塩竈市(しおがまし)は、宮城県のほぼ中央に位置する市である。
「しおがま」という地名は「塩竈」「塩釜」「鹽竈」「鹽釜」と様々に表記されてきた[1]。市は1941年の市制施行より表記を「塩竈」に統一しているが、「竈」に代えて「釜」を用いた「塩釜」の使用も認められている[1][2]。市が作成する公文書では「塩竈」の表記が専ら用いられ、市民が「塩釜」と表記した場合などは「塩竈」と解釈したうえで受理している[1]。組織や団体の名称にも「塩竈」と「塩釜」の表記が混在しており、市はどの表記を用いるかを各団体に一任している[2]。市内の施設では塩釜駅や塩釜郵便局、宮城県塩釜高等学校などに「塩釜」の表記が見られ[2][3]、県や国の機関もほとんどが「塩釜」の表記を使用している[1]。
ただ、「塩」と「鹽」は新字体と旧字体の関係であるため字義が同じである一方、「釜」はナベカマの「かま」を意味し、「竈」は釜を乗せる「かまど」を意味するため、この両者は字義が異なる[3][4]。市名が鹽竈神社の社号に由来することから、市は「竈」を使い、「鹽」を常用漢字の字体に置き換えた「塩竈」を市名の表記に採用した[4]。画数が多く複雑な「竈」の字は、市の公式サイトでも筆順つきで紹介されている[1][3]。
宮城県のほぼ中央、仙台市と松島の中間に位置し、仙塩地区の仙台市を除く2市3町の中心都市として、仙塩地区連絡協議会の本部が置かれている。
松島湾と松島丘陵に囲まれており、塩釜湾(千賀ノ浦)には島が多く、松島湾とほぼ一体化している。 塩釜湾の中に宮城県の4大漁港の一つ, 塩釜港(仙台塩釜港)があり、海上保安庁の東北地方の海を管轄する第二管区保安本部が置かれている。平地のほとんどは埋立地である。市街地は、埋立地が6割、丘陵地が4割という比率である[5]。
塩釜(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 14.4 (57.9) |
21.0 (69.8) |
21.3 (70.3) |
30.0 (86) |
30.9 (87.6) |
34.9 (94.8) |
35.5 (95.9) |
35.8 (96.4) |
35.7 (96.3) |
28.5 (83.3) |
23.5 (74.3) |
20.7 (69.3) |
35.8 (96.4) |
平均最高気温 °C (°F) | 4.4 (39.9) |
5.2 (41.4) |
8.9 (48) |
14.5 (58.1) |
19.3 (66.7) |
22.3 (72.1) |
25.7 (78.3) |
27.4 (81.3) |
24.1 (75.4) |
18.8 (65.8) |
13.0 (55.4) |
7.1 (44.8) |
15.9 (60.6) |
日平均気温 °C (°F) | 0.9 (33.6) |
1.3 (34.3) |
4.4 (39.9) |
9.6 (49.3) |
14.6 (58.3) |
18.3 (64.9) |
22.0 (71.6) |
23.5 (74.3) |
20.3 (68.5) |
14.8 (58.6) |
8.8 (47.8) |
3.4 (38.1) |
11.8 (53.2) |
平均最低気温 °C (°F) | −2.1 (28.2) |
−2.0 (28.4) |
0.5 (32.9) |
5.4 (41.7) |
10.8 (51.4) |
15.2 (59.4) |
19.3 (66.7) |
20.7 (69.3) |
17.2 (63) |
11.2 (52.2) |
5.0 (41) |
0.2 (32.4) |
8.4 (47.1) |
最低気温記録 °C (°F) | −9.6 (14.7) |
−9.5 (14.9) |
−6.2 (20.8) |
−2.8 (27) |
0.5 (32.9) |
7.9 (46.2) |
11.1 (52) |
12.9 (55.2) |
6.9 (44.4) |
2.2 (36) |
−3.1 (26.4) |
−7.8 (18) |
−9.6 (14.7) |
降水量 mm (inch) | 38.3 (1.508) |
31.8 (1.252) |
71.2 (2.803) |
87.9 (3.461) |
101.8 (4.008) |
130.0 (5.118) |
170.2 (6.701) |
130.5 (5.138) |
172.1 (6.776) |
140.2 (5.52) |
60.3 (2.374) |
40.6 (1.598) |
1,175 (46.26) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 6.0 | 5.8 | 7.5 | 8.4 | 9.4 | 11.0 | 13.8 | 11.1 | 11.2 | 8.5 | 6.5 | 6.5 | 105.9 |
平均月間日照時間 | 153.5 | 161.1 | 182.4 | 193.1 | 190.1 | 145.3 | 134.9 | 149.8 | 135.0 | 144.8 | 143.3 | 133.2 | 1,871.3 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[6] |
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、4.08パーセント減の54,187人であり、増減率は県下35市町村中17位。40行政区域中22位。世帯数は21,658世帯(2005年2月28日)。
塩竈市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 塩竈市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 塩竈市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
塩竈市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
陸奥国の国府(およびのちの鎮守府 (古代))が現在の宮城県仙台市太白区の郡山城(郡山遺跡)から多賀城市に遷った頃、陸奥国府の国府の港である国府津(こうづ)が塩竃市に造られた。これは現在の塩釜市香津地区にあたると言われる。現在の香津地区は塩釜港より内陸にあるが、古代には入り江が二つ、深く入り込み、南側の入り江に国府津があった。北側の入り江の北側に、海に面して鹽竈神社(しおがまじんじゃ)があった。港町と鹽竈神社は海を隔てて少々距離があったことになる。
奈良時代に陸奥国の国府(および鎮守府)が仙台市の郡山城(郡山遺跡)から鎮守府を兼ねる多賀城に遷ると、現在の多賀城市の砂押川沿いの八幡地区が東北地方最大の街に発展した。町の名は神社からとられて塩竈となった。また、現在の宮城県七ヶ浜町も、国府兼鎮守府、多賀城へ海の幸を届ける供給拠点として重要な存在であった。この奈良時代には中央で万葉集に代表される和歌が盛んにつくられ、塩釜市の千賀ノ浦や野田の玉川などは歌枕の地として都の貴族たちの憧れの地となった。
平安時代には、源氏物語の主人公,光源氏のモデルとなった嵯峨天皇の王子、源融(左大臣、初代嵯峨源氏)が京都の自宅、六条河原院に陸奥国の国府兼鎮守府、多賀城に隣接する塩釜の風景(千賀ノ浦)を模した庭園を造ったことで有名である。塩釜の風景を模すための塩は、難波の海(大阪湾)の北(現在の尼崎市)の塩を運んだと伝えられる。
塩竃は中世以降も多賀城の国府の港として鹽竈神社と港湾を中心に栄えが、鎌倉時代には現在の仙台市の七北田川と奥大道(現在の利府街道付近)が交差する交通の要衝,仙台市岩切地区が東北地方最大の商業地帯となった。
戦国時代(室町時代後期)には塩竈は留守氏の勢力圏にあり、留守氏が鹽竈神社の神人組織を自らの家臣団にした。伊達氏から留守氏へ養子に入った留守政景の代になって、留守氏は実質的に伊達氏の領国の中に取り込まれた。天正18年(1590年)に伊達政宗が豊臣秀吉に服属したとき、留守氏も政宗を通じて間接的に服したはずだったが、秀吉は政景を自分に帰参しない独立大名とみなして取り潰した。政宗が政景に磐井郡黄海に2万石を割いて家臣にしたとき、留守氏の家臣はこれに従って移り住んだ。
慶長5年(1600年)12月24日(1601年1月28日)に政宗が仙台城の築城を開始して、後まで続く仙台藩領の形が定まった。これ以降1871年の廃藩置県まで、現在の塩竈市域を含む宮城郡は仙台藩の一部となった。
江戸時代、歴代の仙台藩主は鹽竈神社を厚く保護した。そのため、鹽竈神社は大いに栄えた。 また、塩竈は仙台市の外港として発展した。しかし、塩竈から仙台まで舟入堀と舟曳堀が引かれて物資が塩釜を素通りするようになると、衰微しかけた。鹽竈神社を尊崇した伊達綱村は事態を憂えて、1685年に塩竈から課役を免除し、米以外の産物に塩竈への着岸を義務付けた。これによって町は活気を取り戻した。
明治時代のはじめに塩竈は人口約3500人を数えた。1887年(明治20年)に、今の東北本線の前身にあたる日本鉄道は、埠頭と直結する塩竈駅(現在の塩釜駅とは別)まで線路を敷いた。このことで、宮城県、あるいは東北地方における陸海の物流の結節点となり、流通業が大きく発展した。そして、のちにカメイややまやなどの宮城県を代表する企業が生まれた。1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴い宮城郡塩竈町が発足した。
1910年(明治43年)に塩釜港は第二種港湾に指定され、港湾設備の整備が進んでいった。それまで気仙沼や宮古、釜石といった三陸沿岸諸都市との間に就航していた定期船に加えて、1928年(昭和3年)には函館や釧路といった北海道航路の定期船も就航した[7]。
1938年(昭和13年)9月1日、多賀城村と七ヶ浜村の一部を編入した。太平洋戦争開戦直前の1941年(昭和16年)11月23日に市制施行し、塩竈は日本国内で187番目、宮城県内で3番目の市となった。市では記念事業として東京日日新聞(現在の毎日新聞東京本社)仙台支局と合同で市章と『塩竈市民歌』の歌詞を募集しており[8]、市章は戦中の1942年(昭和17年)4月1日に制定された[9]。
終戦後の 1947年(昭和22年)8月6日、昭和天皇の戦後巡幸。漁市場などに行幸があった[10]。1948年(昭和23年)海上保安庁の発足と共に、塩釜港に面して第二管区海上保安本部が設置された。商業港だった塩釜港は工業港と漁港の機能もあわせて整備されていくことになる[7]。
1949年(昭和24年)12月1日に多賀城村牛生地区を、1950年(昭和25年)4月1日に浦戸村を編入した。1960年(昭和35年)チリ地震で生じた津波は約1日かけて日本に到達し三陸沿岸を中心に被害をもたらした。塩竈では波で持ち上げられた船が街中に打ち上げられるなどした。
1962年(昭和37年)に制定された新産業都市建設促進法に基いて、1964年(昭和39年)3月3日に本市を含む仙台湾地区が新産業都市に指定された。すると、同法23条に基いて塩竈市や仙台市を含む8市町村で「仙塩合併」議論がなされたが、不調に終わった。
1996年(平成8年)1月24日に宮城郡利府町と境界を変更した。
2011年(平成23年)3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、これに伴う津波で沿岸部が浸水した。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 菊地雄治 | 1889年(明治22年)4月22日 | 1890年(明治23年)2月28日 | |
2 | 水間豊稲 | 1901年(明治34年)10月22日 | 1911年(明治44年)5月13日 | |
3 | 根本四郎平 | 1911年(明治44年)6月29日 | 1918年(大正7年)2月12日 | |
4 | 菊池忠吉 | 1918年(大正7年)3月27日 | 1922年(大正11年)10月8日 | |
5 | 佐藤静治 | 1923年(大正12年)7月21日 | 1925年(大正14年)6月16日 | |
6 | 今村治三郎 | 1925年(大正14年)11月21日 | 1936年(昭和11年)2月7日 | |
7 | 佐浦重治郎 | 1936年(昭和11年)8月1日 | 1940年(昭和15年)7月31日 | |
8 | 今村治三郎 | 1940年(昭和15年)8月1日 | 1941年(昭和16年)1月16日 | 再任 |
9 | 東海林祐五郎 | 1941年(昭和16年)5月20日 | 1941年(昭和16年)11月22日 |
2014年11月、塩竈市役所が複数の生活保護受給者に対し子どもの養育先を指示したり、家庭環境を無視した指示をするなど不適切な対応を行ったことに対して宮城県より改善指導が為された[11]。
塩竈市は全国門前町サミットに参加している。全国門前町サミットは全国の神社仏閣を中心に発展してきた門前町・鳥居前町を有する自治体、観光協会、商業関係者などが集まり地域活性、街作り推進のため開催する会議である。
水産業が盛んで、生マグロの水揚げ、蒲鉾など魚肉練り製品の生産は日本一である。また、1平方キロメートルあたりの寿司屋店舗数、人口あたりの寿司屋店舗数も日本一多い[12]。
経済状況は厳しく、市のアーケード街ではシャッターを閉めて閉鎖した店舗が目立つ(シャッター商店街)。
観光による経済発展の為に設けられた旅客船ターミナル「マリンゲート塩釜」も、テナントが次々と撤退し赤字経営が続いている。狭い可住地に密集して人が住んでいるため、ロードサイド店出店に適した土地がない。そのため、減反政策で土地に余裕があった利府町や多賀城市にロードサイド店が多く進出するようになり、仙塩地区の商業の中心としての地位が奪われ、塩竈市中心部のみならず郊外部の商業も低迷している。 一方、2007年(平成19年)には本塩釜駅周辺の環境が一斉に整備され、同年5月、旧国鉄貨物ヤード跡地に「マックスバリュ」を核としたイオンタウン塩釜ショッピングセンターがオープンした(同年2月に閉店したジャスコ塩釜店の事実上の後継店。)。また、食品スーパーのヤマザワが2010年(平成22年)4月3日に中の島地区に出店している。
塩竈市で利用されている市内局番は次のとおり。
中心となる駅:塩釜駅
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