中島公園
札幌市中央区にある公園 ウィキペディアから
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中島公園(なかじまこうえん)は、北海道札幌市中央区にある公園。「日本の都市公園100選」、「日本の歴史公園100選」に選定[3]。
中島公園 Nakajima Park | |
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分類 | 総合公園[1] |
所在地 | |
座標 | 北緯43度02分39秒 東経141度21分18秒 |
面積 | 23.6ヘクタール |
前身 | 中島遊園地 |
設計者 | 長岡安平 |
運営者 | 公園緑化協会・中島公園コンソーシアム(指定管理者) |
設備・遊具 | 児童館、劇場、茶室、日本庭園、池、西洋館、天文台、コンサートホール、広場、文学館、スポーツ施設、テニスコート |
駐車場 | なし |
バリアフリー | ユニバーサルトイレ、スロープ(一部) |
アクセス |
札幌市営地下鉄南北線中島公園駅または幌平橋駅下車 札幌市電中島公園通停留場または行啓通停留場下車 徒歩3分 北海道中央バス(新千歳空港連絡バス)「中島公園」バス停下車 ジェイ・アール北海道バス(琴似営業所)「中島公園駅前」「中島公園入口」「幌平橋駅前」バス停下車 |
告示 | 昭和32年3月23日[1] |
事務所 | 中島公園管理事務所 |
事務所所在地 | 札幌市中央区中島公園1 |
備考 | 広域避難場所[2] |
公式サイト | 中島公園 |
札幌の歓楽街である、すすきのに隣接しているが、水と緑豊かな公園になっている。国指定の重要文化財である豊平館や八窓庵[4][5]、人形劇の専門劇場である札幌市こども人形劇場こぐま座、音楽の専用ホールである札幌コンサートホールKitara、札幌市天文台などがある。また、春には「さっぽろ園芸市」、「北海道神宮例祭」(札幌まつり)では屋台や見世物小屋の会場になるほか、年の瀬には「歳の市」を開催している。入口近くの「菖蒲池」は、春から秋までボートの貸し出しを行っている[6][7]。また、冬には通路が「歩くスキー」(スキーを用いた雪上ウォーキング。クロスカントリースキーと同一視されることが多いが、競技性よりも体力作り・健康維持を重視している点など異なった部分も多い)のコースになり、スキー道具一式を無料で貸し出している[8][9][10]。
中島公園は豊平川の流れによって生まれた地形が由来になっている[11]。開拓使が札幌に本府を設定した頃、豊平川の流路は本流のほかに多くの分流があった[11][12]。これらの分流の内、鴨々川が唯一当時の形を今に残しており、それ以外の川はすべて地上から姿を消している[11][13]。鴨々川と本流に挟まれた地域を字鴨々中島と呼び[13][14][15]、本流と対岸の地域を中島(なかのしま、現在の豊平区中の島)と区別していた[11][16]。開拓使は札幌本府建設のため現在の創成川東地区に工作所を設置し、木材を豊平川の上流から創成川を経由して運び入れていた[11][17]。開発が進むと鴨々中島にあった小さな池を貯木場にする工事を行って池は四角い堀が2つ並んだ形となり、工事を請け負った鈴木元右衛門に因んで「元右衛門堀」(現在の菖蒲池)と呼んだ[11][17]。
開拓次官であった黒田清隆は、鴨々中島を桑園とする考えを持っていたが、部下の調所廣丈や鈴木大亮は、タモ・セン・ヤナギ・ニレなどの樹木が多い風光明媚を生かして、別の利用方法を模索していた[18]。1883年(明治16年)、札幌区は当時山鼻村にあったこの区域を公園予定地にするべく要望書を提出した[11][19]。1886年(明治19年)に「中島遊園地」として札幌区に編入され、地名も中島遊園地になった[11][14][15][20]。札幌区による中島遊園地の設置は、従来の公園としての用途のためだけではなく、施設を設けて集会を催すための用地を確保するという目的もあった[19]。そのため1887年(明治20年)に北海道博物陳列場が設置され、同年北海道物産共進会が開催された[21]。以後も中島遊園地では、数多くの博覧会・物産展・品評会などが開催された[22]。また、中島遊園地設営のため、元右衛門堀の修理も行われた[23]。さらに公衆の遊戯に供する民間事業者に土地を貸付け[21][24]、元右衛門堀の南側には競馬場が設置された[11][21]。1888年(明治21年)に、斉藤久米蔵によって現在の札幌市こども人形劇場こぐま座の裏手に料亭の大中亭を設けられ、元右衛門堀は釣り堀やボートを楽しむことができる場所とした[11][23]。また同年、大中亭によって中島遊園地内で札幌最初の花火の打ち上げが行われた[25]。その後も中島遊園地(公園)内では数多くの花火大会が開催され、豊平川畔と並ぶ札幌の花火のメッカとして親しまれた[26]。1889年(明治22年)には、現在の豊平館や八窓庵から鴨々川の対岸にかけての場所に、開拓使の御用商人であった岡田佐助が札幌区の公有地を借り受けて岡田花園を造成した[11][27]。岡田花園は、中島遊園地内で博覧会・品評会等が催された際には園遊会場として利用され、中島遊園地の奥座敷と呼ばれた[28]。現在、札幌市天文台を設置している岡田山は花園があった時の名残である[11][29]。
当時は豊平川堤防敷地も公園区域であり[30]、行政の代わりに民活事業として整備を進めていったが、1907年(明治40年)造園技師の長岡安平に大通公園・円山公園とともに公園設計を依頼した[11][31]。1910年(明治43年)に公園整備が実施され、中島遊園地から「中島公園」と呼ばれるようになった[11][31]。1918年(大正7年)には中島公園をメイン会場として「開道五十年記念北海道博覧会」が開催された[32]。菖蒲池内には洋食レストラン「ライオン食堂」が作られ[33]、会場に使われた拓殖館・農業本館(北海道博物陳列場の後身)などの建物は博覧会後も各種展示会・展覧会などの会場に利用された[34]。その後も公園整備や公園周辺の開発が進んで公園面積は現在と同程度の規模になる[35]。戦時中は軍が使用して自給菜園となり、戦後は進駐軍の兵舎や引揚者の住宅用地に転用していた[30]。
1949年(昭和24年)に中島球場が完成し[36]、進駐軍から払い下げのかまぼこ型兵舎を利用した日本国内初の公立児童館が開館[37]。1954年(昭和29年)の第9回国民体育大会開催に向けて、北海道立札幌中島スポーツセンター(後の北海道立札幌中島体育センター別館[8]、2000年廃止[38])を建設した[39][40]。中島スポーツセンターでは大相撲札幌場所やプロレス、サーカス、コンサートなどの興行も開催していた[41]。1957年(昭和32年)、都市公園法(1956年(昭和31年)公布)に基づく都市基幹公園(総合公園)となる[42]。札幌市はそれに伴い同年「札幌市都市公園条例」を制定し[43][44]、食堂・売店・料亭などの民営施設を法律や条例上適正なものへと時間をかけて修正していった[44]。1958年(昭和33年)に「北海道大博覧会」が開催され、前年に移築した豊平館も郷土館と美術館として活用した[11]。また、博覧会の一施設として設置された子供の国や天文台などの施設は、博覧会終了後も残された[45][46]。博覧会跡地は百花園として整備した[11][42]。百花園は1995年(平成7年)に閉鎖されるまで、バラなどの花の名所として親しまれた[11][42]。1976年(昭和51年)には公立では日本国内初となる人形劇の専門劇場「こぐま座」がオープン[47]。1980年(昭和55年)の中島球場廃止後は芝生広場を整備した[39]。1983年(昭和58年)には、園内に歩くスキーコースを設置し、コースには夜間照明灯を設けて安全を図り、冬のスポーツ博物館(1980年(昭和55年)開館)内にスキーの無料貸出所・更衣室・休憩室なども作られた[8](冬のスポーツ博物館移転後は中島体育センターに移管[9])。1995年(平成7年)には、札幌市資料館(大通西13丁目)内の施設であった「北海道文学館」が公園内に移転し、北海道立文学館として新たに開館した。1995年(平成7年)から4カ年をかけて中島公園の再整備を行い、藻岩山への景観軸を継承するため芝生広場を広げ、鴨々川の親水性を高めて長岡安平が描いた「池泉回遊式庭園」の魅力向上を図った[39]。1997年(平成9年)には札幌コンサートホールKitaraがオープンし、豊平館や八窓庵とともに札幌市の文化の拠点としての機能を高めた[39]。
公園北側は札幌駅前通や菊水旭山公園通(南9条通)があり、南側は米里行啓通があり幌平橋を渡ると白石中の島通になる。
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