札幌護国神社(さっぽろごこくじんじゃ、旧字体:札幌護國神󠄀社󠄁)は、北海道札幌市中央区にある神社。護国神社の一つである。
1879年(明治12年)に、西南戦争で戦没した屯田兵の霊を祀るために建立され[1]、以後各戦争における戦死者の霊を合祀してきたが、1949年(昭和24年)9月より多賀大社の祭神を勧請し、次いで1971年(昭和46年)9月に山鼻の鎮守であった山鼻神社の祭神を合祀し、現在に至る[1]。
そのため、同社は創建当初からの祭神を祀る本殿と、多賀大社より勧請した神々および旧・山鼻神社の祭神を祀る多賀殿(多賀神社)から構成される。
- 本殿
- 北海道開拓祭神
- 各戦役戦没祭神
- 公共殉職祭神
- 其他特殊祭神
- 多賀殿
境内の一角には、戦没者慰霊碑を中心に数多くの碑が集められた「彰徳苑」がある。
- 屯田兵招魂碑
- 1878年(明治11年)7月、西南戦争で没した屯田兵のために建てられた物で、札幌市内に現存する最古の碑と考えられる。
- 当初は偕楽園にあった。1907年(明治40年)12月、日露戦争における札幌連隊区管内からの戦死者を合祀し、中島遊園地に移転。1933年(昭和8年)、招魂社境内に再移転した。
- 忠魂碑
- 日露戦争の戦死者のために建てられた。題字の揮毫は乃木希典。
- 頌徳碑
- 財団法人帝国在郷軍人会の創立者である松本謄四郎を顕彰した碑。当初は旭ヶ丘にあったが、1960年(昭和35年)3月、当社に移設された。
- 松本を称える正面の碑文は、佐藤昌介の撰による。1967年(昭和42年)、右側面に在郷軍人会の遺族を慰霊する文が刻字された。
- 尼港殉難碑
- 尼港事件の犠牲者のための碑。1928年(昭和3年)10月、旭ヶ丘に建てられたが、1960年(昭和35年)3月5日、当社に移設された。
- ノモンハン英魂之碑
- ノモンハン事件の犠牲者のための碑。1967年(昭和42年)9月16日建立。1987年(昭和62年)にはアフリカ産黒御影石製の由来碑が添えられた。
- アッツ島玉砕 雄魂之碑
- アッツ島の戦いでの犠牲者のための碑。1968年(昭和43年)7月29日建立。幅7メートルの台座の上に、32トンの神居古潭石製の碑が載る。
- メレヨン島戦没者慰霊碑
- ウォレアイ環礁での犠牲者のための碑。1971年(昭和46年)10月建立。黒御影石製で、題字は堂垣内尚弘による。左後方には戦没者の氏名碑が立つ。
- 北千島慰霊碑
- 北千島での犠牲者のための碑。1975年(昭和50年)8月23日建立。日高産碑原石製で、題字は堂垣内尚弘による。
- 北海道全海軍 英魂の碑
- 北海道・千島・樺太にゆかりのあるすべての海軍関係者のための碑。1978年(昭和53年)8月20日建立。重巡洋艦で使われていた錨2基を配する。
- 「北鎮砲兵発祥の地」碑
- 1896年(明治29年)12月に結成された独立野戦砲大隊を記念する碑。1985年(昭和60年)6月23日建立。アフリカ産黒御影石製で、題字は板垣武四による。
- 旭川第七連隊砲兵哨舎
- 「北鎮砲兵発祥の地」碑建立の数年前に自衛隊が運んできたもの。
- 歩兵第26連隊軍旗奉焼の碑
- 歩兵第26連隊の解散に伴い、月寒神社で行われた軍旗奉焼を記念する碑。1986年(昭和61年)9月14日建立。白御影石製で、沿革碑が添えられている。
天皇皇后両陛下御参拝記念碑・さざれ石
寝牛石
植樹碑
彰徳苑 入口
旭川第七連隊砲兵哨舎
北鎮砲兵発祥の地
樺太太平炭鉱病院 殉職看護婦慰霊碑「鎮魂」
歩兵第26連隊軍旗奉焼の碑
松本謄四郎「頌徳碑」・札幌招魂社
尼港殉難碑
アッツ島玉砕 雄魂之碑
ノモンハン英魂之碑
忠魂碑・屯田兵招魂碑
山鼻神社碑
メレヨン島戦没者慰霊碑
北千島慰霊碑
南方地域戦死者慰霊碑
北海道全海軍 英魂の碑
沖縄戦戦没者慰霊碑
神社紹介 – 札幌護国神社公式ホームページ、2012年10月2日閲覧。
- 吉岡道夫「中央区の碑」『札幌の碑』。さっぽろ文庫45