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福岡県久留米市にある神社 ウィキペディアから
水天宮(すいてんぐう)は、福岡県久留米市にある神社。全国にある水天宮の総本宮[1]。旧社格は県社。神社本庁の別表神社。
寛文10年(1670年)に久留米藩が寺社の由緒を調査した際に提出された書上によれば、尼御前社と呼ばれていた時代の祭神は尼御前大明神・左荒五郎大明神・右安坊大明神の三神であったという。尼御前大明神は千年川(筑後川)の水神、荒五郎はその荒御魂となる牛馬守護の水神[2]、安坊とは和御魂となる安徳天皇を指す。また、河伯水神の信仰もあったことから、旧来の水天宮は筑後川水系の水神を祀る民間信仰の社であったと考えられる[3]。
社伝によれば、寿永4年(1185年)、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まる[2]。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里々に請われて加持祈祷を行ったことから、当初は尼御前大明神、尼御前神社、尼御前宮などと呼ばれた。そのころ、中納言平知盛の次男平知時の子右忠が肥後国から千代を訪れ、その後嗣とした。これが現在まで続く社家・真木家の祖先である。幕末の志士である真木保臣(真木和泉守)は第22代宮司であり、境内社・真木神社に祀られている。
慶長年間に久留米市新町に遷り、慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって現在地に社殿が整えられ遷座したのが現在総本宮である久留米水天宮である[2]。その後も歴代藩主により崇敬されたが、特に第9代藩主頼徳は、文政元年(1818年)に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、その後明治5年に現在の東京水天宮にご遷座された[2]。明治元年(1868年)には元神明宮に分霊され相殿に祀られる。
水天宮の例大祭は5月5日であり、縁日は毎月5日である。これについて当社では例大祭が5月5日であることから毎月の5日が縁日となったとしているが、東京水天宮では逆に毎月の5日が縁日であることから例大祭が5月5日となったとしている。
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