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原動機の形式のひとつ ウィキペディアから
ロータリーエンジン(英語: rotary engine)は、一般的なレシプロエンジンの様な往復動機構による容積変化ではなく、回転動機構による容積変化を利用して、熱エネルギーを回転動力に変換して出力する原動機である。
ドイツの技術者フェリクス・ヴァンケルの発明による、三角形の回転子(ローター)を用いるオットーサイクルエンジンが実用化されている。ヴァンケル型ロータリーエンジンとレシプロエンジンとでは構造は大きく異なるが、熱機関としては同等に機能する。本項ではこのヴァンケルエンジン(Wankel engine)について述べる。
ロータリーエンジンの研究は原理的には古くから行われてきたが、その中で唯一実用化された所謂ヴァンケルエンジンは、1957年に西ドイツ(当時)のNSU社とWankel社が共同研究により開発に成功した[1]。
レシプロエンジンとは基本的に大きく異なる構造を持っており、エンジン本体にピストンのような往復運動部はなく、回転運動するローター[注釈 1]により回転動力を得ている。またロータリーエンジンの吸気および排気のポートは、ハウジングの内側面に設けられた孔がローター自体により開閉されるため、一般的な4ストロークレシプロエンジンのような、往復動する吸排気バルブやこれを開閉するカムシャフトなどの動弁系は必要ない。
4ストロークレシプロエンジンと同様にオットーサイクルやディーゼルサイクルでの熱力学的動作が可能だが、実用化されたのはオットーサイクルのガソリン燃料火花点火機関であり、ガソリンに代えて水素燃料を使える物も試作されている。なお、ガスタービンエンジンも本項のロータリーエンジンと同様に回転運動により出力を得ているが、これは速度型の内燃機関であり、容積型内燃機関であるロータリーエンジンとは別に分類される[1]。
ロータリーエンジンとして上記の「ヴァンケルエンジン」のみを指す場合も多く、また「回転ピストン型エンジン」、時には「ピストンレスエンジン」と呼ばれることもある。自動車用としては、日本ではヴァンケルエンジンを指して「ロータリーエンジン」(「RE」と略記される)と呼ぶことが一般的であるが、日本以外では「Rotary engine」とも、あるいはより限定的に「Wankel engine」とも呼ばれる。航空機用として「ロータリーエンジン」と呼ぶときは、星型エンジン本体(シリンダー側)がプロペラとともに回転し、クランクシャフトは固定されている構造の回転式レシプロエンジンを意味する場合と、本項のヴァンケルエンジンを意味する場合とがある。
ロータリーエンジンの出力軸回転数とは、ローターではなくエキセントリックシャフト[注釈 2]の回転数であり、これが4ストロークレシプロエンジンのクランクシャフト回転数に相当する。ロータリーエンジンは、1ローターあたりエンジン回転1回転に1回単室容積分の空気を吸入するため、1気筒あたりエンジン2回転に1回単気筒容積分の空気を吸入する4ストロークレシプロエンジンの2倍の吸気回数を持つ(詳しくは下記「動作」を参照)。すなわち、ロータリーエンジンの実質吸気量は「単室容積xローター数x2」となる。このため、内燃機関工学分野においては2ストロークレシプロエンジン同様に、当初から現在まで一貫して換算係数2が用いられている。
日本の自動車税課税時の排気量区分では、「単室容積×ローター数×係数1.5」として換算される[2][注釈 3]。これはロータリーエンジンの出力が「単室容積xローター数x1.5」程度の換算吸気量のレシプロエンジンと同等だったためである。
モータースポーツ分野においては、ロータリーエンジンデビュー期には工学的にロータリーエンジンの排気量に係数「2」を掛け、その値をレシプロエンジンの排気量区分に当てはめていた。しかし、レシプロエンジンの約2倍の空気(と燃料)を吸入しながら出力は1.5倍程度しか得られないため「燃料消費率が3割悪い」という性質を持ち、特にモータースポーツにおいては出力差だけでなく燃料タンク容量や燃料消費に伴う車重変化まで考慮するとレシプロエンジンとの平等な排気量換算は極めて困難である。そのため競技の種類(例えばスプリントレースか耐久レースか、など)によって異なる換算係数[注釈 4]が用いられたり、またF1などのようにロータリーエンジンの使用を認めない競技もある。
ロータリーエンジン本体の構成部品の概略を下記に示す[3]。燃料供給系・吸排気系・潤滑系・冷却系・電気系などは、一部構造は異なりながらもレシプロエンジンと同様に別途設けられるが、上述のとおりローター自体が弁機能を呈するので動弁系は不要である。なお相当部品名は、レシプロエンジンに対するものである。
エキセントリックシャフトの偏心部がローターの穴に通されていて、エキセントリックシャフトの回転によりその軸心のまわりをローターが公転するが、この両者間では自由に回転できるようになっている。ローターが自転1回転の間に3回公転、すなわちエキセントリックシャフトが3回転するように、サイドハウジングのステーショナリーギヤとローターのインターナルギヤとのかみ合いによって制御されている。なお、エキセントリックシャフトの偏心量やローターの中心からアペックスまでの距離は、上記の動作時にローターの各頂点がローターハウジングのトロコイド面をなぞるように設定されている。
ローターとローターハウジングの間の作動室容積は、ローターの1回の自転の間に拡大と縮小を2回ずつ生じるが、この間に4ストロークエンジンがクランクシャフト2回転で行うのと同様の工程(オットーサイクル)を1サイクル実行する。このサイクルがローターの3辺の上で位相をずらしてそれぞれ進行しているので、ローターの自転1回、すなわち公転3回の間に3回の燃焼・膨張行程がある。ローターの自転運動ではなく公転運動がエキセントリックシャフトを回転させて出力となる。
4ストロークレシプロエンジンと比較すると[4]、
ハウジングに設けられる吸排気ポートは、その位置・形状により以下のように分類される。
4ストロークレシプロエンジンとの比較で、以下のような長所・短所がある。
特に上記長所のうちの「低振動、低騒音」は、往復運動を回転運動に変換するのではなく、もともとが回転運動である本エンジンの構造に由来するものであり、当初は性能でもレシプロエンジンを大きく引き離して未来のエンジンともてはやされ、世界中の自動車メーカーが開発を行う大きな理由となった。
自動車用としてはNSUヴァンケルタイプが唯一実用化されている。その後、NSUに続いて東洋工業(現・マツダ)が量産化した。ほかにもシトロエンなどが生産モデルに搭載しているが、1970年代以降も自動車用として量産を続けたのは、資本主義圏内ではマツダのみである。
20社を超える自動車メーカーがNSUから基本特許を導入して開発を進めたが、実用化に向けた開発はマツダが先行して周辺特許を固めたため、1974年の時点で既にマツダの周辺特許を避けては通れない状況になっていたという[5]。
以下、マツダを除いたロータリーエンジンの概況について記述する(マツダに関する詳細は後述)。
NOx排出量が少ないという時代の要求に合致していたため、1971年にNSU社と技術導入契約を結び開発を始めた[6]。試作機は595 cc × 2ローターで出力120 PS/6000 rpmであり、酸化触媒を用いることで昭和53年排出ガス規制に適合した[6]。2層吸気方式での希薄燃焼(リーンバーン)により熱効率の改善を試みたが、燃費はレシプロエンジンに及ばず、社内基準を満たさなかったために開発は中止された[6]。
1972年の東京モーターショーに、ロータリーエンジンを搭載したサニーを参考出品し、2代目(S10型)シルビアはロータリーエンジンを搭載することを前提に市販間近といわれていた[7]。しかし、1973年に起きた第一次オイルショックに見舞われたことを契機に、省エネルギー志向に切り替わった社会情勢においては燃費の良くないロータリーエンジンは相応しくないとの理由から、既存のレシプロエンジンに変更され、市販には至らなかった[7]。
1960年代からロータリーエンジンの研究を開始し、ミッドシップに4ローターロータリーエンジンを搭載したコンセプトカー「C111」を1970年のジュネーブ・モーターショーで発表したが、耐久性の面で問題が生じ、市販されることはなかった。
ロータリーエンジンの元祖NSUを吸収合併したアウディは、2010年のジュネーブ・モーターショーにおいてコンセプトカー「アウディ・A1 e-tron」を発表した[8]。これは、ロータリーエンジンを発電機専用に使用したシリーズ・ハイブリッド(レンジエクステンダー付きEV)である。
低圧高圧二段構成のロータリーディーゼルエンジン「R6」を試作している。
1970年代に独自のロータリーエンジン開発計画が存在し、1973年にミッドシップに2ローター/4ローターを搭載したコルベットを発表したが、第一次オイルショック直後だったため、市販されることはなかった。また、GMからロータリーエンジンの供給を受け、同社初のFFとなる予定であったシボレー・ベガの発表を計画していたが、最終的には既存のレシプロエンジンを使ったFRレイアウトへの変更を余儀なくされた。
農業用トラクターなどで知られる同社は、米軍部のマルチフューエルエンジン化構想に応えたロータリーエンジンを完成させ、海兵隊車両に採用された。
国営時代からソビエト連邦の崩壊後の2000年頃まで、幅広い車種でロータリーエンジン搭載車を量産していた。ソ連は国策の一環として、国営のVAZに命じてロータリーエンジンの製作を行わせていた。ソ連の一般市民には、現在の基準から見れば比較的低性能なレシプロエンジンの車両しか販売されていなかったため、安価に高出力を出せるロータリーエンジンはKGBをはじめとした官公庁向けの車両や、高級官僚や軍人向けに販売される高性能車両にはうってつけであった。ソ連圏のロータリーエンジン開発は、資本主義圏のメーカーとは一切の提携の締結なしに行われ、リバースエンジニアリング元はNSU系の1ローター654ccのエンジンといわれている。コピー元はあるものの、技術やノウハウの提供を正規に得ていないという点では、独立に完成させた物といえる。そのバリエーションは東洋工業に劣らないもので、市販車には1ローターから3ローターまでが存在し、試作エンジンには4ローターも存在した。市販車では合計8車種に搭載され、エンジンの種類は試作も含めると20種類に達するという。最高出力も燃料供給装置の幾多の改良を経て、航空機向けに開発された2ローターの最終型VAZ-416は180馬力から206馬力、3ローターの最終型VAZ-426は270馬力、試作4ローターのVAZ-526は400馬力に達していたという。1974年から製造が開始され、ソ連が崩壊しロシア連邦となった後も2002年頃までロータリーエンジン車の販売が続けられたものとされているが、その総生産台数やエンジン設計の全容などの情報は、現存するメーカー自体も積極的に公表したがらない事情もあり、冷戦終結後の現在でも西側諸国にはあまり伝わっていない。ただし、ロシアのエンスージアストの間ではチューニングカーのベース車両としてある程度の知名度はあるようで、NAチューンやターボチャージャー取り付けなどの改造が施されたVAZ製ロータリー車の走行映像が、YouTubeなどに数多く投稿されている[9]。
小型軽量ながら高出力という利点を活かし航空機用のエンジンとして採用された例がある。また軽量でオクタン価の低い燃料でも稼動するため補助動力装置に採用例がある。
大手グライダー製造メーカーであるドイツのアレキサンダー・シュライハー社は、自力で離陸できる動力格納式のモーターグライダーである、オープンクラスアレキサンダー・シュライハー ASH 25、18mクラスアレキサンダー・シュライハー ASH 26や、2004年に初飛行したベストセラー練習機アレキサンダー・シュライハー ASK 21を基にしたASK21 Mi に、従来の空冷2ストロークエンジンではなくシングルローターのヴァンケルロータリーエンジンを搭載している。これは、もともとノートンのオートバイ用であったものを、ダイヤモンド・エアクラフト・インダストリーズグループのダイアモンドエンジン社が改良、発展させたものである。
ヘリコプター用としては、シトロエン RE-2やYoungcopter NEOに採用された。
Moller社ではポール・モラーがFreedom Motorsのロータリーエンジンを使用したスカイカーとしてMoller M400やMoller M200Gを制作している。
シコルスキーでは、無人実験機・サイファーの動力にヴァンケルロータリーエンジンを用いている。
ホームビルト機では、マツダ車から取り出したロータリーエンジンを搭載できるように設計された機体もある。
IHIエアロスペースは、排気量600ccのツインロータリーエンジンと電気モーターを組み合わせたハイブリッド推進のマルチコプター型ドローンの試作機を2022年に公開している[20]。
模型飛行機用として超小型のロータリーエンジンが市販されている。小川精機は工程容積4.97 ccの49-PIをかつて製造販売していた。実用回転数は2,500 - 18,000 rpmで、出力は1.1馬力/17,000 rpmである。初期はサイドポート吸気であったが、49-PI Type IIではペリフェラルポート吸気に変更されている。現在でも入手可能なものは日東工作所製で、行程容積11.97 ccのNR-12HとNR-12Pである。
分散型の熱電供給システムであるコジェネレーションシステムの動力源として、コンパクトで低騒音、低振動という特徴からロータリーエンジンが注目されている。
2002年に広島ガス、2003年に中国電力がマツダの自動車用ロータリーエンジンを組み込んだシステムを試作、LPガスを燃料として実証試験を行っている。
広島市南区の広島県太田川流域下水道東部浄化センターでは、バクテリアの力で下水汚泥を分解して量を減らす工程で生じるメタンガスを燃料とし、自動車用ロータリーエンジンを組み込んだ発電装置9台を4億7400万円で設置し、2012年3月23日から稼働させている。これは呉市に製造拠点を置く製鋼・産業機械メーカーの寿工業(東京)やマツダなどが共同開発したもので、排熱も浄化槽の加温に使用されている。
元マツダの技術者である室木巧は、層状給気燃焼方式を採用したロータリーエンジン(DISC-RE)でコージェネレーションシステムの研究をしているが、自著で自動車に使うには研究が足りないと記している。
カリフォルニア大学バークレー校のMEMSのロータリーエンジン研究室はローター径1 mm以下、容積0.1 cc未満のヴァンケルロータリー型発電機を開発している。ローターに組み込まれた磁石で発電するが、現在は外部からの圧縮空気で動いている段階。目標は100 mWを供給する内燃機関の開発という。
1959年(昭和34年)、西ドイツ(当時)のNSU(後にアウディへ吸収合併)が、フェリクス・ヴァンケルとともにロータリーエンジンを試験開発したと発表した。日本では1965年(昭和40年)の乗用車輸入自由化に向け、通商産業省(現・経済産業省)主導による自動車業界再編が噂されており、後発メーカーである東洋工業(現・マツダ)はその波に飲み込まれる形で吸収合併の危機が迫っていた。「技術は永遠に革新である」をモットーとする当時の松田恒次社長は事態の打開を目指し、1960年(昭和35年)にNSUと技術提携の仮調印を行った。契約に際してNSUから提示された条件は以下のようなものであった。
以上のようにあまりにも一方的な内容であった。また、NSUから送られてきた試作エンジンは、数々の問題が残されていた。アイドリング時の激しい振動(電気あんま)、エンジンオイルの過大な消費、それによるおびただしい白煙(カチカチ山)、さらにチャターマークの発生(ローターハウジング内壁に波状磨耗が起こる致命的なトラブル)によって40時間程でエンジンが停止。ロータリーエンジンは試験開発には成功したものの、とても実用化できるレベルのものではなかった。
こうして東洋工業は、次世代エンジンと目されたロータリーエンジンの開発・実用化という社運を賭けた挑戦を行うこととなった。山本健一[注釈 5]を筆頭とするロータリーエンジン研究部(平均年齢25歳。のちにロータリー四十七士と称される)がその任にあたった。
しかし、日本の自動車業界内ではロータリーエンジンに対する様々な批判・悪評が飛び交い、それは東洋工業社内にも広がった。戦前から日本の内燃機関技術の権威であった富塚清は、1960年代初頭からヴァンケル式ロータリーエンジンの開発に極めて否定的な見解を示し、一般向け自動車雑誌「モーターファン」誌、専門家向けの「日本機械学会誌」双方でロータリー否定論を展開した。この時代、日本の大学研究者や企業のエンジン技術者には東京帝国大学等で富塚に師事した弟子も多かったため、富塚の見解に同調して、ロータリーエンジンを実現性に乏しい技術とする論調が業界に高まった。山本も後年、富塚の実名を挙げて「富塚の弟子らに集団批判の席に招かれた(単なる吊るし上げに陥ると見た山本は断っている)」「批判により部下たちが自信を失いがちになり、モチベーションを維持することに苦心した」と回想している。富塚はその後、マツダのロータリーエンジン車が市販されるようになった晩年の著作に至るまで、ロータリーエンジンに否定的な見解を一貫して続けた。
開発は困難を極めたが、それでも途方もない時間、労力、資金、そして情熱を費やして続行された。大きな問題は3つあった。
1963年(昭和38年)には第10回全日本自動車ショウ(翌年の第11回から東京モーターショーに改称)に400 cc×1ローター・400 cc×2ローターの試作エンジンを展示。翌1964年(昭和39年)にはスポーツカー「コスモスポーツ」のプロトタイプを展示した。この時、松田が自らコスモスポーツを運転して広島から会場に到着し、帰路には各販売会社、メインバンクの住友銀行、当時の池田勇人首相などを訪問したというエピソードも残っている。1965年(昭和40年)、1966年(昭和41年)と続けて展示され、その間、試作車による10万 kmに及ぶ連続耐久テストを含む、総距離300万 kmにも達する走行テストが行われた。テストは各地のディーラーに委託されたコスモスポーツ60台により、1年の期間を費やして実施された。そして1967年(昭和42年)5月30日、コスモスポーツは満を持してついに発売となった。1961年(昭和36年)1月のロータリーエンジン試作1号機から、6年の歳月が流れていた。
1985年までに、ロータリーエンジンの研究に携わっていた各メーカーが開発した特許件数は以下の通りである。
しかし、このエンジンの開発期における最大の問題点であり、かつ解決されたかに思われた部分が、後に短所として再び浮き彫りになる。
1973年(昭和48年)の排出ガス規制導入当初は、窒素酸化物(NOx)を減らすための効果的な手段が見つかっていなかったが、マツダはREの低いNOx濃度を濃い空燃比(燃調)でさらに低減させ、それに伴う不完全燃焼により増加する排気ガス中の炭化水素(HC)および一酸化炭素(CO)をサーマルリアクターにて再燃焼させて浄化しており、濃い燃調により実燃費がさらに悪化するという事態に陥っていた。のちにNOx、HC、COを同時に低減可能な三元触媒が開発・実用化され、サーマルリアクターを触媒に置き換えることで燃調を薄くできたため、燃費を向上させた。
オイルショックによる原油価格高騰の影響で、NSUと提携した各社はロータリーエンジンの将来性を見限って開発から撤退し、本家たるNSUもロータリーエンジン車生産を中止した。そのような中でマツダは唯一市場に踏み止まったが、採用車種は年を追うごとに減少し、ユーノスコスモが生産を終了した1996年以降は、RX-7が唯一の生産車種となった。
2003年にRX-7の後継として発売されたRX-8のロータリーエンジンでは、排気ポートをペリフェラルポートからサイドポートに変更して、従来からの燃費悪化要因のひとつであった吸排気のオーバーラップをなくして燃費向上を図っている。一方で排気ポートの変更により、サイドシールの磨耗やススの付着といった新たな問題も生じた。
2012年6月のRX-8の生産終了をもって[34]、ロータリーエンジンを搭載した市販車はマツダのラインナップから消滅したが、同時にレンジエクステンダーシステム(電気自動車の発電用)や水素ロータリーエンジンとして活用することが発表された[35][36][37][34]。2013年12月には、デミオEVにロータリーエンジンによるレンジエクステンダーシステムを搭載した試作車を報道陣に公開している[38]。
2023年には、MX-30に発電用のロータリーエンジンを搭載したプラグインハイブリッドモデル「MX-30 Rotary-EV」が発表され、同年9月14日に日本国内での予約受付を開始した。ロータリーエンジンを搭載したマツダの市販車は、RX-8の生産終了以来11年ぶりの復活となる[39]。
マツダはコスモスポーツの発売以来、「1970年代、車の主流はロータリーエンジンへ」「車の主流をかえるロータリーのマツダ」というキャッチコピーとともに各車種への展開を図った。13A、16X、8C以外は完全な新開発ではなく、既存の生産設備を使うため10Aをベースにローターやハウジングの厚みを増して排気量を上げたものである。そのためローターの厚さ以外の基本寸法は変えられていない。
1991年のHR-X以来、マツダでは水素を燃料としたロータリーエンジンを開発している[40]。2004年10月にはRX-8をベースにした車両が[41]、2008年にはプレマシー[42]をベースにした車両がナンバーを取得している。
水素燃料は再生可能エネルギーの一種であり、また燃料電池用の燃料としてのインフラ整備が課題に挙がっている。その水素燃料を容易に転用できる内燃機関のひとつとして、ロータリーエンジンは有望である。これはレシプロエンジンとの比較で、吸気室と燃焼室が分離している上に高温となる排気バルブもないため、過早着火[43]やバックファイアーと言った異常着火が発生しないこと、また大径となる水素インジェクターを、燃焼にさらされずにすむ吸気室上部の広大な場所に設置できること、という構造上の利点があり、さらには水素の燃焼速度は速いため、縦長で扁平な燃焼室形状というロータリーエンジンの欠点が問題になりにくいという相性の良さもあるためである[44][注釈 6]。現時点では高純度の水素を必要とする燃料電池車などと比べても、はるかに現実的な解法である。また燃焼時のすすが少ないためLPGやCNGなどのガス燃料であれば、水素以外でもロータリーエンジンの方がレシプロエンジンよりも有利であるとされる(このうちLPGについては前述のコジェネレーションシステムの実証実験もなされている)。
ただし、LPGやCNGはともかく水素においてはインフラの整備があまりにも局所的であり全国展開の目途が立たないこと、水素の場合において、水素吸蔵合金を使用すれば車が重くなり、高圧水素タンクを使用すれば衝突時に爆発の危険があること、そのどちらにおいても航続距離が短距離に留まることなど、ロータリーエンジンに限らず、水素を自動車用エネルギー源として使用する上で解決すべき課題はまだ多い。
ドイツはロータリー発祥の地ではあるが、市販に漕ぎ着けた車種は極僅かである。
ロータリーエンジンは構成部品が圧倒的に少なく、特に組み付けと調整に多くの時間を要する動弁系を持たないことや、ジャーナルとキャップ間などのオイルクリアランスの管理箇所が少ないことで、オーバーホールの時間を大幅に短縮でき、レースユースには非常に適している。ローコストで高性能が得られることから、多くのプライベーターの支持を受け、1970年代以降の日本のモータースポーツ界を支えた。
コスモスポーツでのマラソン・デ・ラ・ルート84時間参戦に始まるロータリーエンジンのモータースポーツ活動は、その後日本国内でも1971年のサバンナによる日産・スカイラインGT-Rの連勝記録ストップとその後の同車との一騎討ち的な闘い、富士グランチャンピオンレースでのマツダRE搭載車の活躍などがあった。世界三大レースの一つであるル・マン24時間レースにも参戦し続け、1991年には787Bが日本車初の総合優勝を果たすなど、日本国内外において幅広く活躍した。
その後、1992年にマツダはレース活動自体から撤退。マツダスピードはロータリーエンジンでの耐久レースを続けていたが、1999年に解散し、ワークスレベルでの支援は望めない状況になってしまった。そのような中でもRE雨宮は、自然吸気仕様の20B型エンジンを搭載したFD型RX-7でSUPER GTに参戦し、プライベーターながらGT300クラスのタイトルを獲得した。
北米では古くから現地のマツダ法人によるモータースポーツ活動が行われ、2000年代末までIMSAの市販車・GTクラスで勝利を重ね続けていた。また同じく北米でマツダが関わっていたミドルフォーミュラのフォーミュラ・マツダとプロ・マツダ チャンピオンシップでロータリーエンジンが使用されていた。
ロータリーエンジンは採用チームの少ない割に性能均衡が難しいことから搭載自体を禁止するカテゴリも多く、規則の自由度が高いことで知られる世界耐久選手権(WEC)でも認可されていなかった。そのため、2010年代以降のトップカテゴリでロータリーエンジンが禁じられていないものは、世界ラリークロス選手権のツーリングカークラスやWRC3のような、アマチュア志向の市販車クラスのみとなっていた。
しかし、2020 - 2021シーズンにLMP1に代わって導入されたWECのハイパーカー規定から、ロータリーエンジン搭載車両が参戦可能となった。マツダが787Bでル・マンを制した1991年以来初のことであり、マツダも参戦への関心を示していることが報じられた[47]。
その簡単な構造により、十分な知識、部品およびツールさえあれば、個人でのエンジンの分解・組み立てさえも可能である。また、2ローター以上のロータリーエンジンは、左右と中央のハウジングに挟まれたローターが直列に配置された構造を採るため、レシプロエンジンのクランクシャフトに相当するエキセントリックシャフトの新造さえできれば、個人でも市販エンジンの部品を組み合わせて1ローターや4ローター以上のエンジンを製作する事も可能である。1ローターは日本のRE雨宮がマツダ・シャンテの改造用に製作したものが著名であり、海外では2013年現在、自動車向けではニュージーランドのエンジンビルダーが試作した6ローター[48]が発表されている。
外部からの動力で働くヴァンケルロータリー構造の空気圧縮機である。レシプロ式に比べ低振動・低騒音で高効率である一方、潤滑油が圧縮空気に混合し易い。
ヴァンケルロータリー構造を内燃機関用スーパーチャージャーに応用したもの。実験は行われたが、十分な過給効果を得るためには、ロータリーエンジンの2倍ほどの大きさのハウジングが必要となるため、実用化はされていない。
奇抜なものとしてシートベルトプリテンショナーがある[49]。メルセデスベンツでいくつかの車種に使用されている[50]。これらの自動車では衝撃を感知すると電気的に小型のガス発生器に点火されて作動して減圧されたガスが小型のヴァンケルロータリーモーターに供給されてシートベルトを巻き上げる[51]。
ランキンサイクルによって作動する外燃・外熱ヴァンケルロータリーエンジン。各種プラントの排熱を、機械エネルギーとして、また、発電機との組み合わせで電力として回収するために用いられる。
沸点の低いアンモニアやエタノールを作動流体とすることで、従来利用されることのなかった(捨てられていた)、温度域が40℃ - 150℃程度の排熱からでも動力を取り出せる[52]。
1967年英国センチュリー21プロダクション製作のSF特撮人形劇「キャプテン・スカーレット」に登場する追跡戦闘車(S.P.V. Spectrum Pursuit Vehicle)は、前後に8ローターのロータリー・エンジンを搭載という設定になっている。
ロータリーエンジン搭載車はレシプロエンジンと異なり自動車税の算出方法が、ローターの総排気量×1.5という特殊なものになる。そのため13Bであれば1ローターあたり650cc×2=1300×1.5=で1950cc、つまり2000cc以下の税区分ということになる。
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