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マツダ・12A型エンジンは、マツダ株式会社が開発・製造していた直列2ローターのガソリンエンジンである。
1970年にマツダ・カペラ(初代RX-2)のロータリーモデルの専用エンジンとして、当時の主力の10Aのローターハウジング幅を10 mm拡大し総排気量が1,146 ccの水冷2ローターエンジン。
「12A」という名称は、総排気量の1,146 ccから「12」と、1番目に開発された事から「A」を合わせ取った言葉である。
ロータリーエンジン(以下REと略する)の排気量は、最大燃焼室容積にローターの数をかけた数字で表すが、通常のレシプロエンジンとは動作原理が異なるので、レシプロエンジンと排気量を合わせる場合には「換算」という作業が必要となる。
日本の自動車税法は排気量によって税金が定められている。REの場合、税法上の排気量換算係数を「1.5」に定めるが、税法上の小型車の排気量の上限は、2,000 ccであった。前型の10A(491 cc x 2)が換算排気量で1,473 ccとなり、大衆車としての位置付けになった。当時5ナンバー車両において、排気量で1,500 cc以上2,000 cc未満が自動車税法で小型車という位置付けになっていた。
カペラは、小型車としてトヨタのコロナや日産のブルーバードと同様の車格(排気量1,800 cc程度)を持つことが販売施策上必要であった。このため、10Aをベースに工作機械の共用化を図り経費削減可能な1,800 ccクラスのに相応しい排気量を持つREとして、10Aのローターハウジング幅を60 mmから10 mm拡大することによって排気量増大を行ったエンジンである。
市販車としての発展経緯を記す。
主な改善・改良内容としては、「排気ガス規制対応前」「排気ガス規制対応と燃費改善」「過給による出力増強」の3ステージに分けられる。
1970年から1973年までの期間。この間でもアメリカ向けの車両及び一部の日本向け車両に排気ガス対策システムのサーマルリアクターによるREAPSを採用しているが、本項目では、非REAPS搭載のエンジンに関して記す。
1970年から1973年。12Aの基本モデル。点火進角を変更することによって出力向上を図ったモデルが存在する。(120ps/125ps/130ps)。
1973年から1981年までの期間。この間は、エンジン型式としてサブタイプの呼称もない。
主として、排気ガス規制対応のシステムによって内容が異なる。
1970年から1972年。アメリカのカリフォルニア州では、光化学スモッグ対策のため他州よりも厳しい排気ガス規制を行っていた。REは、NOxの排出は少ないが炭化水素(HC)の排出が多いので、HC対策をとらないとアメリカのカリフォルニア州での販売ができなかった。
REのHC対策として、排気管内に二次エアを供給し、HCを強制的に再燃焼させるためのサーマルリアクター技術を用いる浄化システムを採用した。サーマルリアクターでの酸化を促進させるために空燃比をリッチ側(13:1)にセットしているので燃費が悪かった。
エンジンには補機として、二次エア供給用のエアポンプ・二次空気制御用のコントローラーが付加されている。キャブレターがセミオートチョークに変更になっている。出力は、120 psが115 ps、130 psが125 psへとそれぞれ5 ps低下している。
1972年から1974年。REAPS1を改良して、アメリカのマスキー法や日本の50年規制対策車として市販された最初の量産車。 REAPS1の構造をベースに、減速時のエンジンの不整燃焼により発生するアフターバーンを防止するために、コースティングリッチャを設け、燃料の供給状況を改善した。また 燃焼温度がREAPS1より上がるので、排気菅全体をプロテクターで覆うようにした。
1973年から1974年。サーマルリアクターの形状を反転型に変更して、サーマルリアクターの反応性を改善。
13Bに採用した技術を取り入れた。
1974年から1975年。エンジンのガスシール性の改善/サーマルリアクターの反応性の改善/2次エア制御の改善の3項目によりREAPS3より約20%の燃費改善を実施
1975年から1978年。エンジン本体で一時側吸気ポート形状の変更/サーマルリアクターの反応性改善のため熱交換器による二次エアの加熱等の改善により気化器のセッティングをリーン側へ移行させることでREAPS3より約40%の燃費改善を実施
1979年から1981年。三元触媒を排気ガス対策に採用。
REは、レシプロより未燃HCの排出が多いのでそのまま触媒で反応させると触媒が高温になり、触媒の熱劣化等の技術的問題があった。そのため 触媒に入る前のHCの排出量を、エンジン本体の改良と触媒流入前の前処理により削減させる必要がある。
エンジン本体の改良としては、「ガスシール性の改善」「点火エネルギーの向上」「減速時の失火の防止」でエンジンから発生する未燃HCを削減する。
1981年から1985年。1ローターあたり2個のインテークポートにシリンダー状の回転するバルブを有する補助ポートが追加される。この補助ポートのバルブは、エンジン負荷によって開度が調整される (6-PI)。
結果として、1ロータあたりの吸気ポート数が従来の2個から3個になり、低回転域ではプライマリポートのみ/中回転域ではプライマリポート+セカンダリポート/高回転域ではプライマリー+セカンダリー+補助ポートが動作することになる。
この結果、プライマリーポートのオープンタイミングを遅らせることが可能となり、排気ポートとのオーバーラップ削減し充填効率を高めることが可能になった。またプライマリーポートの面積を小さくして、混合気の微粒化を改善することで、燃費と低速トルクの改善を行っている。
1982年から1990年まで。REとしては、初めてEGIを採用
1982年から1983年。上記の12A-6PIをベースに反動型のシングルターボを採用。 当時ターボは省燃費デバイスであるという名目で認可されていたため、ノンターボの過去モデルより省燃費でないと認可が下りない時代であった。そのため、高出力のみならず省燃費のための技術内容を織り込む必要があった。
1983年から1990年。上記の12A-T(反動型)をベースに衝動型のシングルターボを採用。
レース用の12Aは、主として1970年代の日本国内の特殊ツーリングカー(TS)や富士グランチャンピオンレース(富士GC)の2座席スポーツカー用エンジン、1980年代になってからIMSAのGTU用エンジンとして開発が進められた。
1970年のJAF-GPで、10AのREを搭載したファミリアは、スカイラインGT-R相手に大接戦を演じた。その結果として、REに対するツーリングカー規定がより厳しくなった。
具体的には、量産車からのポート形式の変更が禁止となり、ペリフェラルポートが使用禁止となった。
この内容を受けて、マツダは、ペリフェラルポートで300PSを目標に進めていた開発計画の大幅な変更が必要となった。
レース用エンジンとして重要なことは、より大量の混合気を燃焼室に入れ込むことである。そのためには、吸気ポートの面積の拡大が必須となる。
マツダは、1971年のシーズンまでは、ブリッジポートの12AでTSレースに参加していたが、出力的に低く、スカイラインGT-Rに対してリードを取ることができなかった。
1972年5月の日本GPにマツダは、セミインナーコンビネーションポートを搭載した12AをサバンナRX-3に搭載してスカイラインGT-Rに勝利する。ただし、このセミインナーコンビネーションポートの使用に関しては、スカイラインGT-Rサイドからツーリングカーのエンジン規定違反というクレームが出るが却下された。
1973年のシーズンにTS規定が「50台のホモロゲーションを取得すればエンジンヘッドや吸気ポート形式の変更が自由にできる」という内容に改定になった。マツダは、スポーツキットという形で、ペリフェラルポートの12Aの供給を行うようになった。
なお、マツダとしてのワークス活動は、1973年末の石油ショックを受けて停止する。以降のTSに関しては、マツダはスポーツキットの市場提供を行い、レース活動は、スポーツキットのメンテを行うディーラーに設置されたマツダスポーツコーナーが行うようになった。
富士GCのメインである2座席スポーツカーレースは、1973年からエンジン規定が排気量2,000ccに変更になった。ただし、REに関しては、レシプロ換算で2,500ccまでのエンジンでの参戦が認められた。(国際自動車連盟でのREの換算係数は、2.0)この条件下では、12A(573ccX2)での参戦が可能であった。
一方マツダは、12Aのスポーツキットでペリフェラルポートの市場供給を1973年から開始した。この流れを受けて、一部のプライベーターは、12Aを富士GCの2座席スポーツカーレースへの使用を行う。マツダの契約レーサーもプライベートチームから、富士GCに参戦することになった。しかしながら、排気量2,000cc規定では、BMWのM12/6の出力が275PS/9,000rpmで圧倒的に強く主流を占めていた。 一方12Aは、元来TS規定のスポーツキットであるので、ウエットサンプの状態で250PS/9,500rpmの出力にとどまり,戦闘力が低くユーザ数も伸び悩み、好成績を収めることができなかった。マツダは、富士GCの打開策として13Bの使用を訴え、それが認められて以後13Bでの開発に全力を傾注していく。
1979年、アメリカの販社からの要請でマツダは、デイトナ24時間レースに12A搭載のRX-7でIMSAのGT-Uクラスで初参戦して、クラス優勝と2位総合5,6位という好成績を上げた。GT-Uは、排気量2,500 cc未満の市販車を対象としてクラスである。
マツダのアメリカ販社は、このデイトナ24時間の好成績により、販社でIMSAのGT-Uへ継続して参戦することを決定した。販社は、アメリカでもスポーツキットをの販売を行う。その結果 多数のプライベーターがRX-7でのIMSA GT-Uクラスへの参戦を行うと同時に、スポーツキットをベースにチューニングアップを行うようになった。
マツダは、当時レーシング13Bの開発に集中していたが、12Aにフィードバック可能な内容は、積極的に反映していた。(ドライサンプ、機械式燃料噴射等) その結果、12A自体の開発は、アメリカ販社と契約のあるチューナーが担うことになった。マツダはIMSA史上初の5年連続マニュファクチャラーズチャンピオン通算67勝をあげ単一車種最多記録を塗り替えた。
呼称 | 排ガス規制前 | REAPS5 | 希薄燃焼 | 6PI | 12A-T | スポーツキット | スポーツキット | スポーツキット |
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用途 | 市販車 | 市販車 | 市販車 | 市販車 | 市販車 | レース用 | レース用 | レース用 |
年度 | 1972年 | 1975年 | 1979年 | 1981年 | 1983年 | 1971年 | 1972年 | 1973年 |
過給方式 | 無 | 無 | 無 | 無 | ターボ 衝動型 | 無 | 無 | 無 |
吸気方法 | 4バレルキャブ | 4バレルキャブ | 4バレルキャブ | 4バレルキャブ | EGI | ウエーバーキャブ | ウエーバーキャブ | ウエーバーキャブ |
吸気ポート形式 | サイド | サイド | サイド | サイド | サイド | サイド ブリッジ | サイド セミインナーコンビネーション | ペリ |
吸気ポート総数 | 4 | 4 | 6 | 6 | 4 | 4 | 4 | 2 |
排気ポート方式 | ペリ | ペリ | ペリ | ペリ | ペリ | ペリ | ペリ | ペリ |
排気ポート総数 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 |
アペックスシール | 6mm幅一体式カーボン | 3mm幅サイドカット2分割鋳鉄 | 3mm幅サイドカット2分割鋳鉄 | 3mm幅トップカット2分割鋳鉄 | 3mm幅トップカット2分割鋳鉄 | 6mm幅一体式カーボン | 6mm幅一体式カーボン | 6mm幅一体式カーボン |
圧縮比 | 9.4 | 9.4 | 9.4 | 9.4 | 8.5 | 9.4 | 9.4 | 9.4 |
最高出力(PS/rpm) | 130/7,000 | 125/6,500 | 130/7,000 | 130/6,500 | 165/6,500 | 233/8,500 | 240/9,000 | 250/9,500 |
最大トルク(kgf·m/rpm) | 16.3/4,000 | 16.5/4,000 | 16.5/4,000 | 16.5/4,000 | 23.0/4,000 | ー | ー | ー |
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