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日本で開催されるフォーミュラ1レース ウィキペディアから
日本グランプリ(にっぽんグランプリ または にほんグランプリ、英語: Japanese Grand Prix)は、日本で開催される自動車レースの名称である。国内自動車レース界における最高位のレース(グランプリ)とされる。
鈴鹿サーキット | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 53 |
コース長 | 5.807 km (3.608 mi) |
レース長 | 307.471 km (191.054 mi) |
開催回数 | 49 |
初回 | 1963年 |
最多勝利 (ドライバー) | ミハエル・シューマッハ (6) |
最多勝利 (コンストラクター) | マクラーレン (9) |
最新開催(2024年): | |
ポールポジション |
マックス・フェルスタッペン レッドブル-ホンダ・RBPT 1:28.197 |
決勝順位 |
1. マックス・フェルスタッペン レッドブル-ホンダ・RBPT 1:30:58.421 2. セルジオ・ペレス レッドブル-ホンダ・RBPT +12.535s 3. カルロス・サインツ フェラーリ +20.866s |
ファステストラップ |
マックス・フェルスタッペン レッドブル-ホンダ・RBPT 1:33.706 |
1963年〜1969年(1970年は中止)
1962年に鈴鹿サーキットが完成し、1963年5月に「第1回日本グランプリ自動車レース大会」が開催された。このレースは日本における本格的な自動車レースの始まりとされる。第2回までは市販車を改造したツーリングカーやグランドツーリングカーを中心に、排気量ごとにクラス分けして行われた。1966年の第3回大会より富士スピードウェイに舞台を移し、スポーツカーさらには二座席レーシングカーのレースとなり、「TNT(トヨタ、日産、タキ・レーシング)」のビッグマシン対決などの話題で盛り上がった。
1970年には日産が「排ガス対策の開発に集中したい」との理由から日本グランプリの参戦取り止めを発表。トヨタもそれに追随したため、日本自動車連盟(JAF)はこの年の日本グランプリ開催を断念。大排気量レーシングカーによる日本グランプリは終焉を迎える。
1971年〜1976年(1974年を除く)
1971年から日本グランプリはフォーミュラカーレースとして再スタート。1973年からは全日本F2000選手権シリーズの1戦として開催された。1974年はオイルショックの影響で中止になったが、1976年まで同形式で開催された。
1977年〜2019年、2022年~
1976年には日本で初めてF1シリーズ戦が富士スピードウェイで開催されたが、F1日程決定時に既に全日本F2000選手権最終戦『日本グランプリ』が組み込まれていたため、F1日本グランプリではなく「F1世界選手権イン・ジャパン」と命名された。1977年は晴れて『F1日本グランプリ』として開催されたが、レース中に観客死亡事故が発生。この影響などにより、翌年からF1選手権日本ラウンドの開催は中断し、「日本グランプリ」を冠したレースは10年間行われなかった。
1987年からは鈴鹿サーキットで「フジテレビジョン 日本グランプリ」と題して再び開催されるようになった。日程的にシリーズ終盤の10月下旬に開催[注 1]されていたため、チャンピオン争いが佳境にあることが多かったことでドラマチックなレースが展開されることが多かった。ハッピーマンデー制度が導入された2000年以降は10月上旬のスポーツの日(旧:体育の日)を含む三連休中にレースが行われることが多かったが[注 2]、台風の影響を受ける年が度々あったことや、フライアウェイ戦の日程効率化を図る目的から、2024年以降は春の開催に変更される[1]。
1987年から鈴鹿サーキットで開催されてきたF1日本GPだったが、コースの安全性や施設の老朽化が問題となり、2005年に大幅なコース及び施設改修を行い近代的なサーキットに生まれ変わった富士スピードウェイが招致に名乗りを上げたこともあって、2007年からは30年ぶりに富士スピードウェイで開催されることとなった。
その後、鈴鹿サーキット側が2008年以降の鈴鹿での開催再開を熱望しFOMと交渉を続けていたが、2007年9月8日にFOM・鈴鹿サーキット・富士スピードウェイの三者が、2007・2008年は富士、2009年は鈴鹿で開催することを発表した。
2010年以降については、富士と鈴鹿で隔年開催の予定であった。これは、FIA(国際自動車連盟)が、ドイツやイタリアでのGPと同様にF1の開催を完全に1カ国1開催の原則を通し、新規開催国でのGPを増加させたい意向であることも背景にあると思われている。この状況下、2009年7月7日、富士が2010年の開催中止を発表した。それにより2010年の日本グランプリの開催については不透明な状況になったが、2009年8月23日、モビリティランド(鈴鹿サーキットの運営会社)が「2010年のF1日本GPを鈴鹿で開催する契約をFOM(フォーミュラ・ワン・アドミニストレーション)と締結した」旨を発表した。これにより2010年と2011年のF1日本GPは鈴鹿で開催されることが正式に決定した。
2007年3月にFOAのバーニー・エクレストン会長が「早ければ2008年からの日本グランプリは夜間開催にしたい」という意向を示した。これは、FOAとしては時差の関係で日本を含め、アジア・オーストラリアでの開催では、ヨーロッパでの放送が早朝帯となり低視聴率となることから、これを解消する為に、今後夜間開催を推進していく考えであるというものである。しかし、実施にあたっては、夜間照明設備の整備を行う必要や、安全面での問題が出てくるため、夜間開催実現にはまだ紆余曲折があるものと見られる。
2011年3月に鈴鹿との開催契約は2018年まで継続されたが[2]、2017年にエクレストンからリバティメディアへF1の運営権が代わったことや後述する観客動員の減少傾向もあり、2019年以降の開催が危ぶまれたこともあった[3]が、2018年8月31日に、2021年までの開催継続が決定したと発表された[4]。なお、2018年のみ本田技研工業がタイトルスポンサーとなったため、正式名称が変更された[5]。2020年は新型コロナウイルスの影響で中止の決断をした[6]。2021年も同様、中止の決断をした[7]。なお、同年4月に鈴鹿との開催契約が2024年まで延長され[8]、2024年2月にはさらに5年の延長契約が結ばれ、少なくとも2029年までは鈴鹿での開催が決定している[9]。
これとは別に大阪観光局による大阪でのF1開催計画が浮上しているが、開催地は大阪府内全域で検討中とされているだけで具体的には決まっておらず、財源の確保やインフラの整備も必須である。大阪観光局は鈴鹿との2レース開催を希望しているが[10]、鈴鹿と大阪の距離が130kmしか離れていないことや、他の国でも開催を希望している都市もあり、この計画が公表された直後に前述した鈴鹿との長期契約が結ばれたため、大阪での開催の実現性は低いとみられる[9]。
★マークはドライバーズ・チャンピオン決定レース
ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
クリーム地は全日本F2000選手権の一戦として開催された年(ラウンドの数字は同選手権のもの)。
回 | 年度 | 決勝日 | カテゴリー | ラウンド | サーキット | ドライバー | 優勝車 | 結果 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1963 | 5月 4日 | 5月 3日国際スポーツカー | 非選手権 | 鈴鹿 | ピーター・ウォー | ロータス・23-フォード[20] | 詳細 | [21][22] |
2 | 1964 | 5月 3日 | 5月 2日フォーミュラカー (JAFトロフィー) | 非選手権 | 鈴鹿 | マイケル・ナイト | ブラバム・BT6-フォード[23] | 詳細 | [24] |
1965 | 開催されず | ||||||||
3 | 1966 | 5月 3日 | スポーツカー | 非選手権 | 富士 | 砂子義一 | プリンス・R380 | 詳細 | [25] |
4 | 1967 | 5月 3日 | スポーツカー | 非選手権 | 富士 | 生沢徹 | ポルシェ・カレラ6 | 詳細 | [26] |
1968 | 5月 3日 | スポーツカー | 非選手権 | 富士 | 北野元 | 日産・R381-シボレー[27] | 詳細 | [28] | |
1969 | 10月10日 | スポーツカー | 非選手権 | 富士 | 黒澤元治 砂子義一 | 日産・R382 | 詳細 | [29] | |
1970 | 中止 | ||||||||
1971 | 5月 3日 | フォーミュラカー | 非選手権 | 富士 | 永松邦臣 | 三菱・コルトF2000[30] | 詳細 | [31] | |
1972 | 5月 3日 | フォーミュラカー | 非選手権 | 富士 | ジョン・サーティース | サーティース・TS10-フォード[32] | 詳細 | [33] | |
1973 | 5月 3日 | 全日本F2000選手権 | 1 | 富士 | 黒澤元治 | マーチ・722-BMW | 詳細 | [34] | |
1974 | オイルショックの影響により中止 | ||||||||
1975 | 5月 4日 | 全日本F2000選手権 | 1 | 富士 | 長谷見昌弘 | マーチ・742-BMW (スリーボンドマーチ) | 詳細 | [35] | |
1976 | 11月 | 7日全日本F2000選手権 | 5 | 鈴鹿 | ジャック・ラフィット | シェブロン・B35-BMW[36] | 詳細 | [37] |
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | コンストラクター | 結果 | |
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1976 | 10月24日 | 16 | 富士 | マリオ・アンドレッティ | ロータス-フォード | 詳細 | |
1977 | 10月23日 | 17 | 富士 | ジェームス・ハント | マクラーレン-フォード | 詳細 | |
1978 - 1986 |
開催されず | ||||||
1987 | 11月 | 1日15 | 鈴鹿 | ゲルハルト・ベルガー | フェラーリ | 詳細 | |
1988 | 10月30日 | 15 | 鈴鹿 | アイルトン・セナ | マクラーレン-ホンダ | 詳細 | |
1989 | 10月22日 | 15 | 鈴鹿 | アレッサンドロ・ナニーニ | ベネトン-フォード | 詳細 | |
1990 | 10月21日 | 15 | 鈴鹿 | ネルソン・ピケ | ベネトン-フォード | 詳細 | |
1991 | 10月20日 | 15 | 鈴鹿 | ゲルハルト・ベルガー | マクラーレン-ホンダ | 詳細 | |
1992 | 10月25日 | 15 | 鈴鹿 | リカルド・パトレーゼ | ウィリアムズ-ルノー | 詳細 | |
1993 | 10月24日 | 15 | 鈴鹿 | アイルトン・セナ | マクラーレン-フォード | 詳細 | |
1994 | 11月 | 6日15 | 鈴鹿 | デイモン・ヒル | ウィリアムズ-ルノー | 詳細 | |
1995 | 10月29日 | 16 | 鈴鹿 | ミハエル・シューマッハ | ベネトン-ルノー | 詳細 | |
1996 | 10月13日 | 16 | 鈴鹿 | デイモン・ヒル | ウィリアムズ-ルノー | 詳細 | |
1997 | 10月12日 | 16 | 鈴鹿 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 | |
1998 | 11月 | 1日16 | 鈴鹿 | ミカ・ハッキネン | マクラーレン-メルセデス | 詳細 | |
1999 | 10月31日 | 16 | 鈴鹿 | ミカ・ハッキネン | マクラーレン-メルセデス | 詳細 | |
2000 | 10月 | 8日16 | 鈴鹿 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 | |
2001 | 10月14日 | 17 | 鈴鹿 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 | |
2002 | 10月13日 | 17 | 鈴鹿 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 | |
2003 | 10月12日 | 16 | 鈴鹿 | ルーベンス・バリチェロ | フェラーリ | 詳細 | |
2004 | 10月10日 | 17 | 鈴鹿 | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 | |
2005 | 10月 | 9日18 | 鈴鹿 | キミ・ライコネン | マクラーレン-メルセデス | 詳細 | |
2006 | 10月 | 8日17 | 鈴鹿 | フェルナンド・アロンソ | ルノー | 詳細 | |
2007 | 9月30日 | 15 | 富士 | ルイス・ハミルトン | マクラーレン-メルセデス | 詳細 | |
2008 | 10月12日 | 16 | 富士 | フェルナルド・アロンソ | ルノー | 詳細 | |
2009 | 10月 | 4日15 | 鈴鹿 | セバスチャン・ベッテル | レッドブル-ルノー | 詳細 | |
2010 | 10月10日 | 16 | 鈴鹿 | セバスチャン・ベッテル | レッドブル-ルノー | 詳細 | |
2011 | 10月 | 9日15 | 鈴鹿 | ジェンソン・バトン | マクラーレン-メルセデス | 詳細 | |
2012 | 10月 | 7日15 | 鈴鹿 | セバスチャン・ベッテル | レッドブル-ルノー | 詳細 | |
2013 | 10月13日 | 15 | 鈴鹿 | セバスチャン・ベッテル | レッドブル-ルノー | 詳細 | |
2014 | 10月 | 5日15 | 鈴鹿 | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 | |
2015 | 9月27日 | 14 | 鈴鹿 | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 | |
2016 | 10月 | 9日17 | 鈴鹿 | ニコ・ロズベルグ | メルセデス | 詳細 | |
2017 | 10月 | 8日16 | 鈴鹿 | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 | |
2018 | 10月 | 7日17 | 鈴鹿 | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 | |
2019 | 10月13日 | 17 | 鈴鹿 | バルテリ・ボッタス | メルセデス | 詳細 | |
2020 | 新型コロナウイルスの感染拡大の影響により中止[6][7] | ||||||
2021 | |||||||
2022 | 10月 | 9日18 | 鈴鹿 | マックス・フェルスタッペン | レッドブル-RBPT | 詳細 | |
2023 | 9月24日 | 17 | 鈴鹿 | マックス・フェルスタッペン | レッドブル-ホンダ・RBPT | 詳細 | |
2024 | 4月 7日 | 4 | 鈴鹿 | マックス・フェルスタッペン | レッドブル-ホンダ・RBPT | 詳細 |
(2勝以上)
回数 | ドライバー | 優勝年 |
---|---|---|
6 | ミハエル・シューマッハ | 1995, 1997, 2000, 2001, 2002, 2004 |
5 | ルイス・ハミルトン | 2007, 2014, 2015, 2017, 2018 |
4 | セバスチャン・ベッテル | 2009, 2010, 2012, 2013 |
3 | マックス・フェルスタッペン | 2022, 2023, 2024 |
2 | 砂子義一 | 1966, 1969 |
黒澤元治 | 1969, 1973 | |
ゲルハルト・ベルガー | 1987, 1991 | |
アイルトン・セナ | 1988, 1993 | |
デイモン・ヒル | 1994, 1996 | |
ミカ・ハッキネン | 1998, 1999 | |
フェルナンド・アロンソ | 2006, 2008 |
(2勝以上)
回数 | コンストラクター | 優勝年 |
---|---|---|
9 | マクラーレン | 1977, 1988, 1991, 1993, 1998, 1999, 2005, 2007, 2011 |
7 | フェラーリ | 1987, 1997, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004 |
レッドブル | 2009, 2010, 2012, 2013, 2022, 2023, 2024 | |
6 | メルセデス | 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019 |
3 | [注 3] ベネトン | 1989, 1990, 1995 |
ウィリアムズ | 1992, 1994, 1996 | |
2 | ロータス | 1963, 1976 |
ポルシェ | 1964, 1967 | |
日産 | 1968, 1969 | |
マーチ | 1973, 1975 | |
ルノー | 2006, 2008 |
(2勝以上)
回数 | メーカー | 優勝年 |
---|---|---|
11 | メルセデス * | 1998, 1999, 2005, 2007, 2011, 2014, 2015, 2016, 2017, 2018, 2019 |
10 | ルノー | 1992, 1994, 1995, 1996, 2006, 2008, 2009, 2010, 2012, 2013 |
8 | フォード ** | 1963, 1964, 1972, 19761, 1977, 1989, 1990, 1993 |
7 | フェラーリ | 1987, 1997, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004 |
3 | BMW | 1973, 1975, 19761 |
2 | ホンダ *** | 1988, 1991 |
ホンダ・RBPT *** | 2023, 2024 |
1980年代末から1990年代前半にかけてのF1ブーム期に、日本GPの観戦券はプラチナチケット化した。レースウィーク中の観客動員数は、1987年の24万7000人から1993年には35万人を突破し、最初のピークを迎える。1994年のアイルトン・セナの事故死後はF1ブームも一段落するが、その後も観客動員は31万〜32万人台で安定推移し、2006年に歴代最多の36万1000人(決勝日だけで16万1000人)を記録。この年で引退するシューマッハと2連覇を目指すアロンソのチャンピオン争いの結末や、ハンガリーグランプリで優勝を果たした第3期ホンダ、そしてこの年から「純日本チーム」としてF1に殴り込み、地元に凱旋したスーパーアグリなど、様々な要因が重なり合ったものと考えられる。
しかし、富士開催の2007年から2008年にかけて一気に15万人以上が減少。鈴鹿に戻ってからも20万人を割り込み、日本人ドライバーの不在、ホンダ第4期活動の低迷、国内無料テレビ中継終了などの要因もあり、2017年には過去最低の13万7000人(同6万8000人)まで落ち込んだ。2018年は前年を上回る16万5000人(同8万1000人)を記録し、減少傾向に歯止めがかかり[38]、2019年は令和元年東日本台風(台風19号)の影響で土曜の開催を見合わせたため過去最低の12万2000人に減少したが[39]、この年レッドブル・ホンダが2勝し、山本尚貴がフリー走行1回目に出走したこともあり、金曜、日曜ともに観客数は増加している[40]。2020年と2021年は新型コロナウイルスの感染拡大により中止となったが、3年ぶりの開催となった2022年は16年ぶりに前売りチケットが完売[41]。3日間とも動員数を伸ばし、10年ぶりに20万人の大台に達した[42]。コロナ対策が緩和された2023年はさらに動員数を伸ばし、決勝日は11年ぶりに10万人を突破した[43]。初めての春開催となった2024年も観客動員数を伸ばし、3日間で22万9000人が来場した[44]。
年 | サーキット | 観客動員数[45][39] | 備考 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
木曜日 | 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 | 合計(前年比) | |||
1987 | 鈴鹿 | 25,000 | 36,000 | 74,000 | 112,000 | 247,000 | 初開催に付き木曜特別走行を実施 |
1988 | 鈴鹿 | 37,000 | 75,000 | 121,000 | 233,000 (-14,000) | ||
1989 | 鈴鹿 | 51,000 | 100,000 | 132,000 | 283,000 (+50,000) | ||
1990 | 鈴鹿 | 60,000 | 115,000 | 141,000 | 316,000 (+33,000) | ||
1991 | 鈴鹿 | 69,000 | 120,000 | 148,000 | 337,000 (+21,000) | ||
1992 | 鈴鹿 | 56,000 | 126,000 | 150,000 | 332,000 (-5,000) | ||
1993 | 鈴鹿 | 67,000 | 132,000 | 151,000 | 350,000 (+18,000) | ||
1994 | 鈴鹿 | 67,000 | 135,000 | 155,000 | 357,000 (+7,000) | ||
1995 | 鈴鹿 | 60,000 | 125,000 | 145,000 | 330,000 (-27,000) | ||
1996 | 鈴鹿 | 54,000 | 110,000 | 139,000 | 303,000 (-27,000) | ||
1997 | 鈴鹿 | 65,000 | 112,000 | 140,000 | 317,000 (+14,000) | ||
1998 | 鈴鹿 | 50,000 | 120,000 | 148,000 | 318,000 (+1,000) | ||
1999 | 鈴鹿 | 52,000 | 120,000 | 146,000 | 318,000 (0) | ||
2000 | 鈴鹿 | 52,000 | 115,000 | 151,000 | 318,000 (0) | ||
2001 | 鈴鹿 | 50,000 | 110,000 | 150,000 | 310,000 (-8,000) | ||
2002 | 鈴鹿 | 53,000 | 118,000 | 155,000 | 326,000 (+16,000) | ||
2003 | 鈴鹿 | 54,000 | 120,000 | 155,000 | 329,000 (+3,000) | ||
2004 | 鈴鹿 | 54,000 | 0 | 156,000 | 210,000 (-119,000) | 台風接近のため土曜日程中止 | |
2005 | 鈴鹿 | 54,000 | 110,000 | 156,000 | 320,000 (+110,000) | ||
2006 | 鈴鹿 | 57,000 | 143,000 | 161,000 | 361,000 (+41,000) | ||
2007 | 富士 | 52,000 | 90,000 | 140,000 | 282,000 (-79,000) | ||
2008 | 富士 | 37,000 | 71,000 | 100,000 | 208,000 (-74,000) | ||
2009 | 鈴鹿 | 31,000 | 78,000 | 101,000 | 210,000 (+2,000) | ||
2010 | 鈴鹿 | 33,000 | 61,000 | 96,000 | 190,000 (-2,000) | ||
2011 | 鈴鹿 | 35,000 | 62,000 | 102,000 | 199,000 (+9,000) | ||
2012 | 鈴鹿 | 41,000 | 64,000 | 103,000 | 208,000 (+9,000) | ||
2013 | 鈴鹿 | 33,000 | 52,000 | 86,000 | 171,000 (-37,000) | ||
2014 | 鈴鹿 | 30,000 | 48,000 | 72,000 | 150,000 (-21,000) | ||
2015 | 鈴鹿 | 30,000 | 54,000 | 81,000 | 165,000 (+15,000) | ||
2016 | 鈴鹿 | 27,000 | 46,000 | 72,000 | 145,000 (-20,000) | ||
2017 | 鈴鹿 | 26,000 | 43,000 | 68,000 | 137,000 (-8,000) | ||
2018 | 鈴鹿 | 31,000 | 53,000 | 81,000 | 165,000 (+28,000) | ||
2019 | 鈴鹿 | 33,000 | 0 | 89,000 | 122,000 (-43,000) | 台風接近のため土曜日程中止 | |
2020 | 新型コロナウイルスの感染拡大の影響により中止 | ||||||
2021 | |||||||
2022 | 鈴鹿 | 38,000 | 68,000 | 94,000 | 200,000 (+78,000) | ||
2023 | 鈴鹿 | 42,000 | 79,000 | 101,000 | 222,000 (+22,000) | ||
2024 | 鈴鹿 | 50,000 | 77,000 | 102,000 | 229,000 (+7,000) |
マウスポインタを棒グラフの各要素に合わせると、各年の数値がポップアップする。
鈴鹿初開催の1987年からフジテレビジョンが冠スポンサーを務めていたが、金融危機の煽りを受け2009年を最後に降板した。1つのグランプリにおける連続契約年数23年はF1史上最長である。
その後しばらく不在だったが、2016年はエミレーツ航空、2018年・2022年は本田技研工業、2023年はレノボ、2024年はMSCクルーズがそれぞれ冠スポンサーを務めている。
2020年はピレリ、2021年は本田技研工業がそれぞれ冠スポンサーを務める予定だったが中止となった。
このフジテレビで放送される日本グランプリをPRする“グリッドガール”が存在していた。毎年オーディションで選出され、その中からグランプリと準グランプリを選出しプロモーション活動を行っていたが、2008年と2009年はその位置付けが行われなかった。
なお、開催当日は下記のメンバーに加え、さらに十数名のグリッドガールがレースに参加していた。
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