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ロス・プリモス
日本ムード歌謡界を代表するグループ (1961-2010) ウィキペディアから
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ロス・プリモスは、1961年から2010年5月まで活動していた、森聖二がメインボーカルを務める、日本ムード歌謡界を代表するグループである。旧グループ名は黒沢明とロス・プリモス。2010年6月からは、メンバーを替え新ロス・プリモスとして稼働。メンバー2人の脱退(事実上の解雇処分)後は、活動は再開されていない。
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概要
要約
視点
1961年、ラテンコーラスグループ黒沢明とロス・プリモスとして結成。なお、黒沢は、映画監督の黒澤明と同姓(漢字違い)同名であるが別人である。
1965年にメインボーカルに森聖二を新たに迎え“大人にも楽しめて唄える歌”として、1966年4月、クラウンレコードよりA面「涙とともに」(作詞/木村伸・作曲/中川博之)B面『ラブユー東京』(作詞/上原尚・作曲/中川博之)の作品でデビューした。これは、中川博之にとってもデビュー作となり、以来数多くの作品を共にすることになる。この時レコードジャケットは白黒だった。
地道な活動により、1年後に「ラブユー東京」が大ヒット、思いがけない展開に慌ててAB面をひっくり返し、ジャケットがカラーの「ラブユー東京」が登場した。
1968年1月に創刊されたオリコンでは創刊号(1968年1月4日付)から2週連続第1位を獲得した。1968年4月29日発売のオリコンHOT100には、「ラブユー東京」「雨の銀座」「ラブユーいとはん」「たそがれの銀座」の4曲がランクインしている。銀座シリーズ第2弾「たそがれの銀座」は発売と同時にオリコンに登場。この曲で同年NHK紅白歌合戦に出演。その後も、静岡県伊東市の城ヶ崎海岸に歌碑まで建ったという「城ヶ崎ブルース」、銀座シリーズ第3弾「恋の銀座」、当時タイトルが長く話題になった「さようならは五つのひらがな」、タンゴのリズムが軽快な「君からお行きよ」など次々と発表する。
1969年 - 1978年、ビクターレコードに移籍。移籍直後には「ヘッドライト」を発表。CM先行で発表した「せめてお名前を」は、札幌で火がついた。10周年記念曲「別れるのになぜ」と数々の曲を残したが、横浜シリーズ第2弾「夜の横浜泣いてる私」を最後にビクターレコードを離れる。
1979年、クラウンレコードに復帰。横浜シリーズ第3弾「小さなお店をもちました」、横浜シリーズ第4弾「ぬれて横浜」を発表。
1980年、黒沢がコンサート中に倒れ引退。その後グループ名をロス・プリモスに改名。
1981年、15周年記念曲「誘蛾灯」を発表。
1986年、「城ヶ崎ブルース」の続編として『雨の城ヶ崎』を発表。
20周年を迎えた頃には、「ラブユー東京」が「ラブユー貧乏」(フジテレビ「オレたちひょうきん族」)になり、「ハーブ湯東京」(「ライオン」CM)と形を変えて脚光を浴びる。
1989年には、秋元康作品の「泣いたカラス」。1990年には、「雪の長岡恋の町」を発表。
1991年、25周年記念曲「アドレス帳」を発表。
1992年「さよならララバイ」を発表。
1993年、シンガポール公演がきっかけで生まれた「雨の星港(シンガポール)」を発表。
1994年、「あなたのためなのよ」を発表。
1995年、「人妻夜雨」を発表。
1996年、30周年記念曲「いつまでも銀座」を発表。
1997年、久々の平尾昌晃作品の「上海しのび逢い」、「好きですサッポロ」の続編、デュエット曲になった「魅せられてサッポロ〜好きですサッポロパートII〜」を、北島ファミリーの高見のり子と発表。
1998年、「小樽化粧」(瀬川瑛子競作)を発表。
1999年、「北緯四十度四十分」青森百石町町生75周年記念曲。デュエットリメイクされた「さようならは五つのひらがな」「サッポロの星の下で」を、真帆花ゆり(現:伊吹友里)と発表。
2000年、デュエットリメイク「名古屋ブルース」は、真咲よう子と発表している。
2001年、35周年記念曲「灯りの中で」が、作詞/森聖二、補作詞・作曲/上野旬也で誕生し、2003年「北の雪虫」(キム・ヨンジャ競作)のカップリング曲として発表される。
2006年6月、40周年記念曲「フォーエバー東京」を発表。森にとって遺作となる。この際行われた40周年記念リサイタルは、ムード歌謡の発祥の地でもある有楽町よみうりホールで公演され、全35曲中29曲を森が熱唱した。40周年記念曲は、森聖二が初めて自ら頭を下げて、レコーディングが実現した。
2007年1月、森が心筋梗塞で倒れ、緊急入院し約3か月の療養を余儀なくされる。この間、サイドボーカルの上野がピンチヒッターとなってステージの穴を埋める。本人の努力のかいあって4月に現場復帰することが出来る。
2009年4月、黒沢が長い闘病生活の末亡くなる。森は、いつでも黒沢が戻ってこられるようにと、あえてロス・プリモスだけの名前にこだわっていた。その願いは叶うことなく終わってしまった。
2009年10月17日、森が自宅で心筋梗塞の発作で倒れ、慶応病院に緊急搬送された。翌日の10月18日、治療の甲斐なく息を引き取る。享年70。くしくも、翌日から検査入院が予定されていた。
2010年、佐藤がサポートメンバーに退く。
2010年5月13日、森が入手していたスケジュールを、全て上野がこなし旧体制のロス・プリモスとしての千秋楽となる。この日をもって上野が脱退。
2016年4月、NHK Eテレの朝の5分番組「0655」で「さらば、高円寺」「さらば、豊橋」を歌うと0655ファンの間で話題になる。
2019年12月1日、永山こうじ、佐藤幸輝が事実上の解雇(※2019年12月3日所属事務所発表)により脱退。公式ウェブサイトはしばらく工事中だったが、再開後は森名義で永山に対する抗議ともとれる表明をし[1]、活動再開の目途は立っていない。
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かつてのメンバー
要約
視点
- 黒沢明 (くろさわ あきら、1934年5月30日 - 2009年4月9日)
- 初代リーダー、ギター担当。1980年に病気のため活動を休止し、入院中は作詞に専念していた。映画監督の黒澤明とは別人。
- 村上章 (むらかみ あきら、1939年6月14日 - )
- 森聖二(もり しょうじ、1939年7月7日 - 2009年10月18日)
- 大川公生(おおかわ きみお、1938年1月10日 - 2017年4月5日)
- 前川浩二(まえかわ こうじ、1947年2月27日−)
- 初代ドラムス担当。「夜のお伽ばなし」のジャケット写真や「ラブユー東京」のライナーノーツに名前が記載されている。脱退時期など詳細は不明。
- 峰たかし(みね たかし、1953年3月12日(72歳) - )
- 徳永淳(とくなが じゅん、1954年8月4日(70歳) - )
- コーラス・ドラムス担当。長崎県出身。「中井明・高橋勝とコロラティーノ」、「アニメーション」を経て、峰と同じく1977年に加入。バー『ビンボー』を経営している。永山こうじとロス・プリモスに改称後も参加していたが、2010年9月一身上の都合により脱退。
- 上野旬也(うえの しゅんや、1948年12月18日 - )
- 永山こうじ(ながやま こうじ、1954年12月6日 - )
- 二代目メインボーカル担当。鹿児島県出身。1982年にコーラスグループ「アルバトロス」結成。1984年コーラスグループ「ロス・インディオス」に加入。2003年ガウスエンタテインメントよりソロデビュー。2010年6月から2019年12月1日(事実上の解雇処分 ※2019年12月3日所属事務所発表)まで加入。2023年にロス・インディオスに復帰した。
- 佐藤幸輝(さとう ゆきてる、1950年7月24日 - )
- ギター・サックス担当。宮城県出身。1978年に見砂直照と東京キューバン・ボーイズに加入し、1980年にロス・プリモスの正式メンバーとなり、2000年にほかの音楽活動を兼任するためサポートメンバーに退くが、2010年の永山こうじとロス・プリモスと改称後に正式メンバーに復帰。2019年12月1日(事実上の解雇処分 ※2019年12月3日所属事務所発表)脱退。
- 宮澤隆史(みやざわ たかし)
- コーラス・ギター担当。2016年に加入。永山、佐藤とは異なり事務所には残留。
他多数
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ディスコグラフィ
シングル
タイアップ曲
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出演
- 『ミニミニ突撃隊』(1968年、松竹映画)
- 『わが命の唄 艶歌』(1968年、日活映画)
- 『オレたちひょうきん族』(フジテレビ) - 「ラブユー貧乏」のコーナーにゲスト出演。何人トリオ(Mr.オクレ・村上ショージ・前田政二)と共演。
- 特別機動捜査隊 第407話「雨の中の女」(1969年、NET)
- 化粧品「シーボン化粧品」 1967年頃出演。
- 入浴剤「日本のハーブ湯」 1993年頃出演。
NHK紅白歌合戦出場歴
黒沢明とロス・プリモスとして出場
- 注意点
- 出演順は「出演順/出場者数」で表す。
CM
その他
- Eテレ0655&2355「さらば、高円寺」、「さらば、豊橋」、「さらば、宝塚」、「さらば、八戸」、「どうしてそんな名前ですのん?」、「さらば、下呂温泉」、「さらば、アムステルダム」2016年4月 -
特記事項
脚注
関連項目
外部リンク
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