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ミス・インターナショナル・コンテスト(Miss International、THE INTERNATIONAL BEAUTY PAGEANT)とは、国際的なミス・コンテストである。ミス・ワールド、ミス・ユニバース[1]、ミス・アースを加えて世界四大ミスコンテストと呼ぶこともある[2][3]。
ミス・インターナショナル | |
---|---|
受賞対象 | 未婚の女性 |
会場 | TOKYO DOME CITY HALL |
国 | 日本 |
主催 | 一般社団法人国際文化協会 |
初回 | 1960年 |
最新回 | 2024年 |
最新受賞者 | フイン・ティ・タン・トゥイ |
公式サイト | https://www.miss-international.org/ |
テレビ/ラジオ放送 | |
放送局 | BS-TBS(2016) |
設立 | 1960年 |
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種類 | ミス・コンテスト |
本部 | 東京 |
所在地 | |
ウェブサイト |
www |
児島明子が優勝した1959年までアメリカ合衆国のロングビーチで開催されていたミス・ユニバースがマイアミビーチに開催地を移した後、“美を競う”だけでなく、女性による国際社会への貢献を目指そうとする世界のミスたちが集結し、「平和と美の親善大使」として集い、交流を深めることを目的としてロングビーチで開催されることとなった[1][4][5]。その後1966年は財政事情から中止されるなど、ロングビーチで開けなくなったコンテストは1968年から日本で開催されるようになった[6]。ただし、1971年大会はロングビーチで開催され、2004年、2006年、2008年から2011年までは中華人民共和国で開催された。ミス・ユニバースとともに「美のオリンピック」とも言われる。
一般社団法人国際文化協会はミス・インターナショナルの主催者として、ミス・インターナショナル世界大会の開催、ミス・インターナショナル日本代表選出大会の開催を管轄している。
2012年まではミス・ワールド日本代表も管轄していたため、同協会が主催や後援をするイベントにおいては、ミス・インターナショナルや日本代表がミス・ワールドの日本代表と一緒に出席する場合もあった。
世界大会が日本で開催されるようになってから、1984年まではフジテレビ系列で、1985年から2008年[7]まではテレビ東京系列で放送されていた(生放送は例外的であり、多くは録画放送であった)。初期は田宮二郎や高島忠夫、E・H・エリックが司会を務めたが、特に評価が高く長く続いた司会者は岡田眞澄であった。中国の成都市で開催された2009年大会はBS朝日で[8]、2011年大会はBS11で[9]、いずれも翌年の1月に録画放送された。
2014年1月11日には地上波のTBS系列で、藤原紀香のリポートで2013年のミス達の素顔を伝える番組が放送され、翌日にはBS-TBSでも放送された[10]。TBSは2014年の世界大会も地上波で録画放送を行ったが[11]、2015年、2016年はBSのみの放送となった[12]。
満17歳~30歳の、未婚女性(ただし、海外各国での資格年齢が異なっている)
以下の特別賞は日本代表選考会のみ
ここまでは特別賞
※ここからは最終選考後となる。2009年ステージで選考前、2010年には水着審査、ドレス審査以後にも特別賞が発表される。
年 | ミス・インターナショナル | 国 | 会場 |
---|---|---|---|
1960 | Maria Stella Márquez Zawadzky | コロンビア | アメリカ合衆国 - ロングビーチ |
1961 | Stam van Baer | オランダ | |
1962 | Tania Verstak | オーストラリア | |
1963 | Guðrún Bjarnadóttir | アイスランド | |
1964 | Gemma Teresa Guerrero Cruz | フィリピン | |
1965 | イングリート・フィンガー | ドイツ | |
1967 | Mirta Teresita Massa | アルゼンチン | |
1968 | Maria da Gloria Carvalho | ブラジル | 日本・東京都 - 日本武道館 |
1969 | Valerie Susan Holmes | イングランド | |
1970 | オーロラ・ピジュアン | フィリピン | 日本・大阪府 - 大阪万博 |
1971 | Jane Cheryl Hansen | ニュージーランド | アメリカ合衆国 - ロングビーチ |
1972 | Linda Hooks | イングランド | 日本・東京都 - 日本武道館 |
1973 | ツーラ・アネリ・ブジョクリング | フィンランド | 日本・大阪府 - メルパルク大阪 |
1974 | ブルースン・スミス | アメリカ合衆国 | 日本・東京都 - 日本武道館 |
1975 | Ladija Vera Manic | ユーゴスラビア | 日本・沖縄県 - 沖縄海洋博 |
1976 | Sophie Sonia Perin | フランス | 日本・東京都 - 帝国劇場 |
1977 | Pilar Medina Canadell | スペイン | |
1978 | Katherine Patricia Ruth | アメリカ合衆国 | 日本・東京都 - 東京郵便貯金会館 |
1979 | Mimilanie Laurel Marquez | フィリピン | |
1980 | Lorna Marlene Chavez | コスタリカ | |
1981 | Jenny Annette Derck | オーストラリア | 日本・兵庫県 - ポートピア |
1982 | Christie Ellen Claridge | アメリカ合衆国 | 日本・福岡県 - 福岡サンパレス |
1983 | Gidget Sandoval | コスタリカ | 日本・大阪府 - 大阪市フェスティバルホール |
1984 | Ilma Julieta Urrutia Chang | グアテマラ | 日本・神奈川県 - 神奈川県民ホール |
1985 | Alejandrina "Nina" Sicilia Hernandez | ベネズエラ | 日本・茨城県 - エキスポプラザ(つくば科学博会場) |
1986 | ヘレン・フェアブラザー | イングランド | 日本・長崎県 - 長崎オランダ村 |
1987 | Laurie Tamara Simpson | プエルトリコ | 日本・東京都 - 日本青年館 |
1988 | Catherine Alexandra Gude | ノルウェー | 日本・岐阜県 - 中部未来博 |
1989 | Iris Klein | ドイツ | 日本・石川県 - 金沢市観光会館 |
1990 | Silvia de Esteban Niubo | スペイン | 日本・大阪府 - 花博 |
1991 | アグニスカ・コトラスカ | ポーランド | 日本・東京都 - 東京厚生年金会館 |
1992 | カースティン・マリーズ・ダビソン | オーストラリア | 日本・長崎県 - ハウステンボス |
1993 | アグニスカ・パハウコ | ポーランド | 日本・東京都 - 日本青年館 |
1994 | クリスティナ・レッカ | ギリシャ | 日本・三重県 - 三重県営サンアリーナ[注 1] |
1995 | アンネ・レーナ・ハンセン | ノルウェー | 日本・東京都 - 日本青年館 |
1996 | フェルナンダ・アルベス | ポルトガル | 日本・石川県 - 金沢市観光会館 |
1997 | コンスエロ・アドレール | ベネズエラ | 日本・京都府 - 京都会館 |
1998 | リア・ビクトリア・ボレロ | パナマ | 日本・東京都 - 東京厚生年金会館 |
1999 | パウリナ・ガルベス | コロンビア | 日本・東京都 - ゆうぽうと |
2000 | ビビアン・イネス・ウルダネタ・リンコン | ベネズエラ | 日本・東京都 - 東京厚生年金会館 |
2001 | マルゴーサタ・ ロズニエッカ | ポーランド | 日本・東京都 - 中野サンプラザ |
2002 | クリスティナ・サワヤ | レバノン | 日本・東京都 - センチュリーハイアット |
2003 | ゴイセデル・アスーア | ベネズエラ | 日本・東京都 - 都ホテル東京 |
2004 | ヘイミー・パオラ・バルガス | コロンビア | 中国・北京市 - 北京工人体育館 |
2005 | プレシャス・ララ・キガマン | フィリピン | 日本・東京都 - 東京厚生年金会館 |
2006 | ダニエラ・ディ・ジャコモ | ベネズエラ | 中国・北京市 - 北京展覧館 |
2007 | プリシラ・ペラレス | メキシコ | 日本・東京都 - ザ・プリンスパークタワー |
2008 | アレハンドラ・アンドレウ | スペイン | 中国・マカオ - ザ・ベネチアン・マカオ |
2009 | アナガブリエラ・エスピノサ | メキシコ | 中国・四川省 - 成都市・四川国際テニスセンター |
2010 | エリザベス・モスケラ | ベネズエラ | 中国・四川省 - 成都市・四川省体育館 |
2011 | マリア・フェルナンダ・コルネホ | エクアドル | 中国・四川省 - 成都市・四川国際テニスセンター |
2012 | 吉松育美 | 日本 | 日本・沖縄県 - 沖縄県立武道館 |
2013 | ベア・ローズ・サンチャゴ | フィリピン | 日本・東京都 - 品川プリンスホテル |
2014 | バレリー・エルナンデス | プエルトリコ | 日本・東京都 - グランドプリンスホテル新高輪・飛天 |
2015 | エディマー・マーティンズ[13] | ベネズエラ | |
2016 | カイリー・バーゾサ | フィリピン | 日本・東京都 - TOKYO DOME CITY HALL |
2017 | ケビン・リリアナ[14] | インドネシア | |
2018 | マリエム・クラレット・ベラスコ・ガルシア | ベネズエラ | |
2019 | スィリートン・リアラワット | タイ | |
2020・2021年度は新型コロナウィルスのため世界大会中止 | |||
2022 | ジャスミン・セルバーグ | ドイツ | 日本・東京都 - TOKYO DOME CITY HALL |
2023 | アンドレア・ルビオ | ベネズエラ | 日本・東京都 - 国立代々木競技場第二体育館 |
2024 | フイン・ティ・タン・トゥイ | ベトナム | 日本・東京都 - TOKYO DOME CITY HALL |
2024年現在
当初は産業経済新聞社が日本大会を主催し、1962年(昭和37年)まではミス・ユニバース、ミス・ワールドの日本代表と共に選出されていた。 1963年(昭和38年)以後は「世界ビューティ・コングレス[15]」(後に国際文化協会と改称)が主催している。
日本代表の成績は、2002年(平成14年)に3位入賞した漆島華が最高位だったが、2012年吉松育美がグランプリを受賞し、日本勢初のグランプリになった。
2002年度日本代表大会に加えここからは特別賞として2001年度「ミスWEBジェニック」を新設(初代は漆島華)。
2011年度を最後に、ミス・ワールド単体での日本代表決定コンクールは廃止され、2012年度は凖ミス・インターナショナル入賞者を3人に変更したうえで、その中から1人をミス・ワールドの日本代表に選出する方式が採用されたが、2013年度は派遣を廃止された(のちに別法人が日本代表の選出・派遣を行うことになり、日本代表の派遣は結果的に継続されることが決まる。この経緯は当該項目の詳述参照)。
なお、ミス・ワールド日本代表が国際文化協会主催時代には、ミス・インターナショナルの日本代表と同じデザインの襷(サッシュ)が贈呈されていた(主催者変更後はデザインが異なる)。
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