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ガセネタは園田佐登志主宰の明治大学現代の音楽ゼミナールに出入りしていた山崎春美(Vo/後にタコ)、浜野純(g/後に不失者)、大里俊晴(b/後にタコ他)の3人によって1977年9月に結成された。ドラムスには村田龍美、高野勉、乾純(後にザ・スターリン)、佐藤隆史(吉祥寺マイナー店主/ピナコテカレコード主宰)らが入れ替わるように加わっている。自称「最後のハードロックバンド」「非治産階級のバンド」。音楽評論家の間章は晩年「このバンドの為なら何でもする」と語った[1]。
同メンバー(山崎+浜野+大里+他)による別名義バンドとしては「ガセネタの荒野」「かつお」「て」「こたつで吠えろ」「しゃけ」「テテ」「世界の果てにつれてって」「アナルキス」「がせねた」などがある。「雨上がりのバラード」「父ちゃんのポーが聞こえる」「宇宙人の春」「社会復帰」以上たった4曲のレパートリーで、大学構内や学園祭、吉祥寺マイナーなどのライブハウスでゲリラ的に活動を行った。1979年3月30日解散[2]。
活動当時は音源を一切リリースせず、解散から13年後の1992年に大里俊晴が発表したガセネタの伝記的小説『ガセネタの荒野』に対抗して山崎春美が1stアルバム『SOONER OR LATER』(遅かれ早かれ)をPSFレコードから1993年にリリース、これがガセネタの初音源となる[3]。
2015年には大里俊晴の7回忌にあわせて36年ぶりに再結成されるが、新録アルバム発売直前の2018年10月23日に山崎春美がTwitterを通じてメンバーや関係者に相談せず、ガセネタを独断で解散したと発表した[4]。
ガセネタの練習ってすごいきびしくてね。やっぱ、許してくれないの。果てるまでやらなきゃ、許してくれない。気を抜くとねぇ、みんなに罵倒される。うまいかどうかじゃなくてもう、全力疾走で、できなくなるまでやれ!って感じで。
必ず血だらけになってたよ。浜野も手が血だらけになるし、大里も椎間板ヘルニアになっちゃったし、俺もヘトヘトになって手からやっぱ血出すまでやるって感じ。そこまでやらないと、許してくれない。山崎とか、その辺ヘラヘラしてるけど、浜野はきびしかったな。それはそれはストイックでしたよ。
ガセネタの持ち曲は「雨上がりのバラード」「父ちゃんのポーが聞こえる」「宇宙人の春」「社会復帰」のたった4曲しかなかった。山崎春美はこれについて「ガセネタは明らかに音楽をやっているのではなく、バンドだったので、曲を作るというのは、お体裁だけのことだった」と述べている[22]。
これで全部だ。4曲ある。4曲もあった、というべきだろう。僕らは大概のものを憎んでいたが、繰り返しというものを特に憎んでいた。同じ事を二度やることは、耐えがたいことだった。だから、僕らは、曲の持つ、反復=再現可能性という属性に、いつも絶望し、苛立っていた。だが、と僕は思う、4曲もあったレパートリーは、その総てが、口実として書かれていたのではなかったか? 口実? そう、エンディングの為の口実として。僕らの演奏にはエンディングしかなかった。エンディング。奇妙な言葉だ。じっと頭の中で反芻していると、それは名詞ではなく進行形に思えてくる。終わり続けること。だが、終わり続けるとはどういうことなのだ? 終わりが続いていくとは? 僕らの演奏は、いつも終わり続けていた。曲が始まったとたんに終わりに雪崩込んでいった。殆ど数分に過ぎない曲の部分をやり過ごすと、ドラムとベースは次第に加速して行き、それからカオスに突入した。浜野は、浜野のギターは、既に一歩先に、いや予め、常に既に、カオスに入り込んでいる。いつもの同じカオス。エンディング。終わること。終わり続けること。そして、僕らは、エンディングに突入してから、終わることが出来なかった。エンディングとは、終わりであり、始まりであり、中間であり、また終わりでもあった。僕は、もう終わりだ、いま終わりだ、と思いながら演奏した。だが、終わることが出来なかった。終わりはやってこなかった。どうやって終わるのだろう。どうやったら終わることが出来るのだろう。僕は、いつもそう思いながら演奏した。エンディング。僕らは、いつまでも終わり続けていた。 — 大里俊晴『ガセネタの荒野』月曜社、2011年、158-159頁
3番目のトラックは、ヴォーカル抜きのライヴ演奏となっております。このカセットには、余りに激しい演奏でベース弦が切れてしまい演奏が止まってしまったライヴも含まれていたと思います。「演奏できない、弦が無いもん」という、大里さんの声が入っていた様な、そんな記憶があります[30]。
そして、最後に言わせて欲しい。最終的には、この文章が僕によって書かれなければならない必然性すらなかっただろう。僕はそう思う。僕は、いわばローファイのテープレコーダーのようなものだった。誰かが、また別のテープレコーダーを用意してくれてもよかったのだ。今回はそれがたまたま僕だっただけだ。だから、ここに読まれる文字群は、僕という不忠実な記録再生装置を通じて語られた複数の誰かの言葉だ、と言っても差しつかえない。けれど、その複数の誰かを、「時代」などという茫漠とした概念にまで還元してしまうことにだけは、僕は断固として抵抗するだろう。だって、あの時、少なくとも僕らは、徹底的に反時代的でありたいと願っていたのだったから。 — あとがきより
時期 | Vocal | Bass | Guitar | Drums | バンド名 | 備考 | |
1期 | 1977.晩夏 | 山崎春美 | 大里俊晴 | 浜野純 | 1977年夏、明治大学の現代音楽ゼミナールにてバンド結成 | ||
2期 | 1978.01- | 村田龍美 | ガセネタの荒野、かつお、て、こたつで吠えろなど | この時期のライブは主に明治大学で行われた | |||
3期 | 1978.08- | 高野勉 | ガセネタ | ||||
4期 | 1978.09 | 佐藤隆史 | ガセネタの荒野 | ||||
5期 | 1978.09.24 | 乾純 | ガセネタ | 乾純は一回のステージで脱退、後任は佐藤隆史 | |||
6期 | 1978.10- 1979.03.30 |
佐藤隆史 | この時期のライブは主に吉祥寺マイナーで行われた 1979年3月末日、初代ガセネタ解散、同年タコ結成 | ||||
7期 | 1985.01.20 | 山崎春美 町田町蔵 |
大里俊晴 南條麻人 |
成田宗弘 | 氏家悠路 | タコ | タコ+ハイライズがガセネタの楽曲を演奏 |
8期 | 2015.11.17 | 山崎春美 | 松村正人 | 成田宗弘 | 乾純 | ガセネタ | 新宿LOFTにて再結成、36年ぶりに活動を再開 元ガセネタ、ザ・スターリンの乾純が再加入 |
9期 | 2017.03- | 田畑満 | 元ボアダムスの田畑満が加入 | ||||
10期 | 2018.04- 2018.10.23 |
亀川千代 | 田畑満 | 元ゆらゆら帝国の亀川千代をメンバーに迎え再スタート | |||
11期 | 2018.11.17- | 山崎以外全員脱退となる |
時期 | Vocal | Bass | Piano | Drums | 備考 | |
12期 | 2019.04.03- | 山崎春美 | 不破大輔 | 原田依幸 | 石塚俊明 | 東京・渋谷の「LOFT HEAVEN」で復活ライブ。セットリストは「父ちゃんのポーが聞こえる」のみ |
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