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ウィキペディアから
アメリカ横断ウルトラクイズのクイズ形式(アメリカおうだんウルトラクイズのクイズけいしき)では、日本テレビ系列で放送されたクイズ番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』で行われたクイズの形式について解説する。
テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。 |
本番組に応募し参加ハガキを受け取った挑戦者はまず、参加ハガキとパスポートを持参して第一次予選に参加する。
会場は、第11回まで後楽園球場、第12回以降は東京ドーム。「予選」とは名付けながらも、前年度優勝者の優勝旗返還、「敗者の味方」登場やイベント的な敗者復活戦など、セレモニー的な要素も含まれる一大イベントとなっていた。
第一次予選に限り、挑戦者の子供(その多くは未就学児)と同伴することが認められているため、子連れで参加する挑戦者も相当数にのぼった。ただし18歳未満には応募資格がないことから、子供などの無資格者は挑戦者と予選で一緒に参加しても正式な出場者数にはカウントされない[注 1]。
通過人数は第1回は80名、第15回は130名、それ以外の大会では100名+敗者復活者数名(年によって人数は異なる)であった。予選通過は非常に狭き門であり、そのし烈さは夏の甲子園以上とも例えられる。第一次予選は一番多い時で1つの枠を200名以上(倍率は200倍以上)で争い、後述の第二次予選や第三次予選も合わせると最大倍率は400倍に達していた。
第一次予選は、○×の二択式クイズ。勝ち抜け決定となるまで正解し続けなければならず、1問不正解で即失格(ただし、勝ち抜け決定者が出た問題に関しては例外で、この場合は不正解者から残りの勝者を決定する)。勝ち抜け決定者が基本の規定数(第1回は80人、第15回は130人、それ以外は100人)に達したところで終了。ただし、第14回のみ100名が一気に決定した。
第1回では一塁側内野席で行われ[注 2]、座席に座ったまま「○」か「×」のパネルを掲げる方式であったが、第2回以降では球場の広大な敷地が有効に活用され、挑戦者自身が球場内に設けられた「○」と「×」のゾーンに移動することによって解答する方式が採用された。挑戦者の人数に合わせて以下の形態が用いられた。
第2回では4.のみが使用されたが、その後の大会では参加人数の増加に従って1.・2.・3.の方法がとられるようになった。また以下の回では上記以外の特殊なルールも用いられた。
また回を重ねるにつれ、挑戦者が増加すると、「走りクイズ」や「お別れクイズ」のシンキングタイム・タイムアップ時に別のゾーンへ移動してしまうという不正が行われない様、タイムアップ時にはスタッフによって仕切り的なロープを張られる様になった。
正解発表は、第1回から"今世紀最後"までほぼ一貫して、場内の大型ビジョン(1980年(昭和55年)の第4回までは電球式の電光掲示板)を用いて行われたが、例外として第4回の第1問、第5回の第2問はくす玉の中から正解が出現する方式だった。
第5回からは、"今世紀最後"を除き、球場の入口で第1問が発表されるようになった。これにより、第1問不正解者は人工芝を踏むことを許されなくなった。第1問は、決勝地・ニューヨークの自由の女神に関する問題であることが恒例であった(第15回は第2問、第3問も)が、例外として第1回では上野動物園のパンダの夫婦の名前、第3回では水戸黄門関連、決勝地がパリだった第9回はエッフェル塔の問題が出題された[注 6]。
問題発表は、球場入口に設けられたステージに立った出題者の福留功男(第16回のみ福澤朗)が「第1問はこれです。さあ来い!!」とコールすると、福留/福澤の背後にあるボードがスライドし、注意事項と第1問の問題文が現れるという形式であった。ただし第13回では、当日の読売新聞朝刊の広告欄に第1問が掲載され、一刻も早く問題を知りたい挑戦者が大挙して読売新聞販売店やキヨスクなどに押し寄せ、購入する(奪い合う)様子が放映された。また第14回では、福留が第1問を出題する場面が、朝の関東ローカルのテレビ番組で生中継で放送され、その番組を視聴した48歳から50歳までの人は、応募していなくても(パスポートは必要)特別に飛び入り参加が認められた。
出題から球場に入る(解答する)までは一定時間の猶予が与えられ(制限時間は1時間)、その時間を利用して家族・知人などに電話をかけて正解を調べることができた[注 7]。レギュラー放送当時はまだスマートフォンもまだ開発されておらず、また個人向けの携帯電話が普及していなかったため[注 8]、公衆電話に長蛇の列ができ、後ろの列から催促がある中、必死に答えを聞き出す場面もあった。第8回では、自由の女神と上野公園の西郷隆盛像が向いている方向が分かれば答えが導き出せる問題が出題されたため、1時間の制限時間を有効に利用して、実際にタクシーや鉄道で上野公園まで行って西郷の銅像の向きを確認する挑戦者もいた。
第1問出題後は、球場入口付近で徳光和夫/渡辺正行や日本テレビアナウンサーなどによる正解予想が行われ、挑戦者の注目を集めた。この予想は過去の出題パターンなどから予想することが多かったが、あくまでも演出なので、信じるか信じないかは自己責任であった。
結果発表の前には、前大会のクイズ王がオープンカーなどで入場して出題者の福留功男/福澤朗の下に現れ、ステージに昇って優勝旗返還を行った[注 12]。第6回から第13回までは前回のクイズ王と共に、その回に参加した過去のクイズ王も登場し、第14回-第16回では前回のクイズ王のみがグラウンドに登場した[注 13]。大会によっては以下に挙げるようなイベントや演出も行われ、これらのイベントやインタビューの後、クイズ王たちは出題者席から1名ずつ○か×に走った。クイズ王は優勝旗返還のセレモニーまでは来賓扱いだが、1問目の○×選択時から一挑戦者扱いに変わった(ただし、着席するのは最前列)。なお、"今世紀最後"ではセレモニー自体が実施されなかったことから、貴賓席も用意されなかった。
正解発表直前には福留/福澤が改めて第1問の問題を読み直し、三塁側席・一塁側席の人数を発表し、それぞれに正解の自信があるかどうかを大声で問い掛けることで挑戦者たちの気合いを確かめた後、三塁側席・一塁側席からそれぞれ「○コール」「×コール」が起こり始めるとともに、いよいよ福留/福澤の合図によって球場内の大型スクリーンビジョンに○か×かという正解が表示される。これが挑戦者の明暗を分ける瞬間であった。
正解の発表とともに、正解側の席は喜びの歓声や万歳三唱やガッツポーズ、勝者同士での大騒ぎなど、勝者は狂喜乱舞の状態となり、逆に不正解側の席は敗れた挑戦者からのどよめきと溜め息とともに、その瞬間から金網に「敗者席」(第5回から第7回は白地に黒文字、第8回以降は黄地に黒文字)の垂れ幕が下がると同時に静まり返り、肩を落としたり苦笑いしたり、ポーズで誤魔化したり、また溜め息や号泣など、敗者は悔しさを見せるという悲喜こもごもの状態となってしまうのが定番となっていた。
第8回以降では、クイズ終了後に敗者全員を対象とした敗者復活戦が行われ、若干名が復活者として第二次予選への出場権を獲得した。敗者復活戦の前には、「敗者の味方」徳光/渡辺が、大勢の敗者を味方に付けて福留に敗者復活戦を要求するという演出があった。第9回・第11回・第13回では、ここでの復活者のうち1名が本選中盤のチェックポイントまで進出している。
第15・16回では敗者復活戦は実施されなかった。第12回の敗者復活戦では復活の条件(東京ドームの当時の愛称「BIG EGG」にちなみ名前が「大木玉子」という人)に該当する挑戦者がおらず、放送上および単行本収録分では敗者復活戦がないことになった。放送ではその部分が編集され、敗者の味方渡辺が福留に言いくるめられて寝返ったところで終了となっている。単行本においては「いつまでも、あると思うな。敗者復活!!」との文章で締め括られている。
第一次予選から十数日後、第一次予選を通過した挑戦者は、東京の日本テレビに集合。番組が用意したバスで成田空港敷地内にあるホテルの成田エアポートレストハウスに向かい1泊し、翌朝にホテルのホールにて第二次予選を行った。前日に出発するのは、早朝の収録に確実に挑戦者を出演させるためである。
ただし第1回は成田空港が未開業であり、羽田空港付近の羽田東急ホテル(現存せず)が会場となり、第二次予選当日の朝に直接集合させていた。当日は早朝だったにもかかわらず、第一次予選通過者80名のうち78名(残り2名は事実上の辞退)が集合した。"今世紀最後"ではホテル日航ウインズ成田(現・東横イン成田空港)が会場となった。
第二次(第9・11回のみ第三次)予選では、第10回と"今世紀最後"(それぞれ後述)を除き、ジャンケンで海外進出者が決められた。クイズ番組でありながらクイズとは全く無関係な方式で予選を行うユーモアさが特徴であった[注 28]。
各挑戦者が1対1でジャンケンを行い、先に3回(第1回では4回)勝った方が勝ち抜け、もう一方は敗者復活戦に回る(回によっては失格)。対戦相手の選出方法は大会毎に異なり、挑戦者番号1番対2番、3番対4番など連番同士や、1番対100番、2番対99番などで戦った。
進行役の福留/福澤は、落ち込む挑戦者や勢いに乗った挑戦者に対して気合の入った言葉を掛け、シンプルかつ地味なゲームであるジャンケンの勝敗にドラマ性を演出する努力を重ねた。また、挑戦者の中には、事前に念入りに研究をしてからジャンケンに臨む者や、マニュアルを持参する者、ポケットコンピュータや小型の玩具によって次に何を出すかを決定するなど、工夫を凝らしてジャンケンに参加する者もいた。
第一次予選で敗者復活者が1名の場合、挑戦者数が101名と奇数になるため、次のような方法が取られた。なお第11回でもジャンケン参加者が103名となったが、どのような方法がとられたかは番組内で明らかにされていない。
次の回では、ジャンケンに特別ルールが設けられた。
第10回と"今世紀最後"では、ジャンケン以外の方法で第二次予選が行われた。また、第11回ではジャンケン予選の前に別の予選が行われた。
第二次(第三次)予選が始まる前、「敗者の味方」徳光/渡辺が「ジャンケン撤廃・全員通過」を求めて福留/福澤に詰め寄るが、腕ズモウとなった第10回以外はことごとく福留に一蹴される、もしくは了承したと見せかけて無理難題を吹っ掛け、結局ジャンケンに持って行くという演出があった。第11回では福留が腕ズモウ、徳光がジャンケン復活という逆転現象が起き、日高の裏切りによってこの回はジャンケンとなった。
徳光/渡辺は毎回敗者にインタビューを行い、第一次予選同様に敗者からのピコポンハンマーを受け止めた。第1回ではヘルメットの装着のみであったが、万全を期するため、第2回からアメリカンフットボール選手のプロテクター並みの完全防御態勢で敗者の“恨み”を受け止めていた。また、第3回では徳光の等身大人形も置き、どちらかを叩くのは敗者の自由であったが、人形を叩くのは少なかった。
敗者は予選終了後、徳光/渡辺とともに、空港の送迎デッキから勝者の乗る飛行機に向かって「お前たちは非国民だ」「日本に帰って来るな」「悪徳勝者マンだ」などのシュプレヒコールを浴びせた。徳光時代は大韓航空機撃墜事件やホテルニュージャパン火災など、その年の出来事にひっかけたフレーズが言われるなどの演出が施されていた。
ただし第1・2回では送迎デッキでのお見送りはなく、第1回では敗者はバスに乗せられて浜松町へと行ったが、その内の数名は日光へ旅行に出かけた(この事はスタジオパートで知らされる)。また、第2回では敗者におにぎりとたくあんがそれぞれ2個の弁当が配られ、バスで成田旅行へ出かけた(なおこの敗者たちは全員スタジオに観客として招かれた)。
福澤就任直後の第15回では、この回の第1問を以て勇退した福留が当時メインキャスターを務めていた『ズームイン!!朝!』の放送開始時刻である7:00直前、一旦予選を中断、皆の「留さ〜ん、チェ〜ック!!」の掛け声と共に、ホテル内のテレビに映された『ズームイン』に出演中の福留の様子を拝見した。
第4回以降では、敗者復活戦が行われなかった第15回を除き、予選終了後に徳光/渡辺による敗者復活戦が行われた。第11回以降では、ここで敗者復活した挑戦者は「敗者復活者」(第11回のうち「名古屋縦断ミニトラクイズ」での敗者復活者のみ「名古屋の敗者復活者」[注 30])と書かれたたすきをクイズ中に着用した。ここで復活した挑戦者で上位進出したものも多く、第9回の優勝者金子、第11回の優勝者稲川、第16回の準優勝者大西は、敗者復活者の一人だった。一方、過去の大会の上位進出者で、その後出場した大会では敗者復活戦に挑んだものも多かったが、その中で敗者復活を果たしたのは第8回の道蔦岳史(第5回でメンフィスまで進出)と第12回の準決勝進出者の一人(第8回でインディアナポリスまで進出)とごくわずかだった。
国内予選を勝ち抜いた挑戦者はグァムまたはサイパン行きの航空機に搭乗。その航空機内が第1CP(第10回については後述)となり、機内ペーパークイズ(筆記試験)が行われた。
チェックポイント名称は「東京→グァム」(第1回・第4回・第7回-第9回)、「サイパンへ」(第2回)、「東京→サイパン」(第3回・第5回・第6回)、「成田→グァム」(第10回以降)。ここでは第10回を除き成績上位の30-45名が合格し、残りの成績下位の挑戦者は失格となり、同じ航空機に戻されて日本に送還された(スタジオパートでは「同じ飛行機で日本に強制送還」と表現していた)。
航空機は、第1回はパンアメリカン航空、第2回-第10回と"今世紀最後"ではコンチネンタル・ミクロネシア航空[注 36]、第11回-第16回は『木曜スペシャル』のスポンサーでもある全日空機。
問題は"今世紀最後"(後述)を除きすべて三択問題。「1」「2」「3」の枠の一つを蛍光色のマーカーで塗って解答する。問題数は第1回が800問、第2回は500問、第3回以降は400問。1問あたり4.8-6.0秒のペースで答えなければならず、まさに時間との戦いであった。
放送では触れられていないが、実際には前半と後半に分けて行われた(例:400問の場合は200問ずつ)[1]。これは挑戦者たちが後半に挑戦している間、スタッフが前半の採点を行うためである。
このペーパークイズは挑戦者の実力を測る試金石であり、歴代クイズ王は概ね好成績をおさめている[注 37]。また、各挑戦者の得意分野・苦手分野などをチェックする目的も含まれていた。
機内食はペーパークイズ終了後に出された[注 38]。先にペーパークイズを行うのは食事による影響を防ぐためといわれていた。それ故、余りにもハードな状況(乗り物酔いなど)に体調を悪くし敗者となる挑戦者が毎年必ず出ていた。そのため、途中から挑戦者の笑いを取る問題を混ぜることで、答えやすくしていた[2][注 39]。
福留/福澤は挑戦者の解答中に、視聴者向けに低い声で代表的な問題文と選択肢を数問紹介した(答えは字幕)。また、番組初期の頃、制限時間が迫ると福留が「とにかくマークしろ」と挑戦者に声をかけた。これは無解答による点数のばらつきを防ぐためであった。
合否の発表は、第1回では客室乗務員により行われたが、第2回以降では着陸後、タラップの最下段に設けられた「ブーブーゲート」[注 40] と呼ばれる装置によって行われた。挑戦者が1人ずつゲート下のマットを踏み、何も鳴らなかった者は合格、ブザーが鳴った者は失格となる[注 41]。挑戦者にとっては緊張の一瞬で、恐怖のあまり手すりにすがりつき福留に介添えされてステップを踏んだ者、ワイドショーのリポーターのようにハンドマイクをもってリポートするかのごとくタラップを降りていく者、自己採点の結果失格確実を悟りタラップを降りる前から帰国を宣言した者などがいた。ブザー操作はスタッフが行っており、第12回までは高音のブザー[注 42]、第13回以降は早押しクイズの不正解時と同じブザー音が使用された。
最高得点者はこの時点で司会者の口から発表された。第13回以降("今世紀最後!"は除く)は、合格者の中の最下位(ワースト1位)も発表されるようになり、ワースト1-3位の挑戦者は以降のクイズで「ワースト○位」と書かれたハチマキを装着した[注 43]。
失格となった挑戦者は、そのまま機内へ戻り帰国することとなる。社会人、学生、無職など様々であり、中には学校勤務の女性教師(第13回 出場)も失格になったこともある。2人以上の挑戦者のケースでは、夫婦、親子や兄弟姉妹でどちらかが失格になって離れ離れ[注 44] になったこともあり、特に第4回では母親が失格したのに対し娘は合格、そして娘は決勝地のニューヨークまで勝ち進んで準優勝になったということがあった。
過去にグァムを通過した挑戦者などの場合、機内に戻る前に福留がインタビューしたり、ゲストとしてグァムの神父がが失格者を慰めるため登場することもあった(第8回)。
なお、回によっては合格者の中のワースト挑戦者は敗者復活者などとの入れ替えクイズに臨むこともあった。
もし、合格者の最低得点者が2名以上同点で並び、その結果通過定員をオーバーしてしまう場合、同点決勝が行われた。
決着が着いてバンザイが終わった後は、第10回を含めて、敗者を乗せた飛行機が日本へ向かうという所で終わるが、第3回では帰国した敗者が夜、成田空港へ着くと、そこには敗者の成績表が掲げられており[注 45]、更に先述の徳光人形とハンマーがおかれているという「その後」が放送された。
次に挙げる各回では、ペーパークイズに特別なルールが採用されたり、ペーパークイズの前後に別のクイズが行われたりした。
第2CP(第10回では第3CP)は、グァムまたはサイパンとなっており、次のクイズが行われた。通過人数は20-30人。
番組の看板クイズの一つ。回によっては、「突撃○×ドロンコクイズ」と表記された。また、第4回は「グアム○×どろんこクイズ」というタイトルだった。後述の第14回は「台風直撃!! 緊急事態○×クイズ」という表記だった。
巨大なボードにそれぞれ「○」と「×」が描かれた2枚の大きな破壊可能のプレートが設置され、その向こうに泥のプールが掘られている。プレートは第8回まで、左側が×、右側が○だったが、第9回以降は逆に、左側が○、右側が×になった。クイズは挑戦者1名に対して1問、○×クイズ形式で出題され、挑戦者は正解と思う方のプレートに向かって飛び込む。第12回までは、クイズ会場の脇に吊された問題封筒の中から挑戦者が1つ選ぶ方式がとられていた。解答時間は問題を聞いてからプレートに飛び込むまで10秒。正解の場合は泥プール上に敷かれたマットの上に着地し勝ち抜けとなるが、不正解の場合は泥プールの中に突っ込んで全身泥まみれとなり失格。誤答すること自体がそのまま罰ゲームになるクイズ形式であった。泥の中には染料が混ざっているため、一度泥の中に入ると、泥の色が衣服から取れることはまずなかった。しかも泥が体の中まで浸透するため、帰国後になっても体から泥が出てくるほどであった。マットには移動要員としてスタッフ6名が角と真ん中の部分についており、クイズ中は持ち場でしゃがんで待機していた。まれに挑戦者に直撃されたり衝撃で跳ね飛ばされて[注 49] 泥プールに転落するスタッフもいた。
第4回で初登場。最初に挑戦して泥の犠牲となったのは第2回優勝者であった北川宣浩だった[注 50]。翌第5回でもサイパンでの敗者復活戦として実施されたが、挑戦者と手本で飛び込んだスタッフの計2名が負傷し、第6回では行われなかった。初期の泥プールはただ砂浜に穴を掘り、泥をためただけの簡素なものでマットも巨大なウレタンマットではなく、スタッフがブルーシートを張り、受け止めるような形であり見た目にも危険であった。第7回で泥プール拡大、ウレタンマットの使用、泥プールのまわりをラバーで加工するといった対策を行い再登場。その後は恒例化し、第15回までグァムでのクイズとして毎回登場した。挑戦者が泥に飛び込むシーンは番組OPや参加者募集CMにも多用された。
このクイズは1問につき解答者が1名であり、解答時間も短いため、第一次予選では出題されないような、第三者から見れば絶対に正解が解る問題も出題されたが、冷静さを欠いて誤答する挑戦者は多数存在した[注 51]。その馬鹿馬鹿しさから、誤答した挑戦者に福留が「そんなわけねぇだろ!」などと叫ぶシーン、呆れて「よっこらしょ」などと言うシーン[注 52] が頻繁に映し出されていた。
大半の挑戦者は○×ボードに頭から飛び込んでいたが、頭から飛び込むことが義務付けられていたわけではなく、足から飛び込み下半身だけ泥にまみれた挑戦者や、第7回ではドロップキックでボードを破壊し通過した挑戦者[注 53] などがいた。泥に飛び込んだ時の事故を未然に防ぐため、挑戦者のネームプレートは普段使用するプラスティック製ではなく紙製のものが使用され、また眼鏡やコンタクトレンズは出題前に事前に外すよう求められた(眼鏡は福留と福澤が直接挑戦者から預かることが多かった)。帽子については特に外すようには求められなかった。
第14回では、クイズ当日に台風が直撃し、強風や大雨で通常のどろんこクイズを行うことが困難な状態となった。機材へのダメージを防ぐため収録時間を短縮することとなり、急遽挑戦者1名ずつ実質○×札上げクイズ(○×のボードを掲げて答える形式)に切り替えられた。正解は福留が口頭で発表。なお、クイズの会場は当初の予定通り、どろんこクイズのセットが設けられた海岸。挑戦者やスタッフは全員雨でずぶ濡れになったが、中には正解・不正解にかかわらず、壊滅状態の泥プールに自ら飛び込む挑戦者もいた。このときは正解のマットは存在せず、正解であろうと泥に飛び込むこととなっていた。
泥プールの犠牲者第一号になるのは、大半が男性参加者である。第13回では、機内通過者ワースト1-3位の挑戦者から「ワースト○位」と書かれたハチマキを装着したまま開始された。1位と2位の男性参加者は正解して勝ち抜けになったが、「ワースト3位」と書かれたハチマキを装着した女性参加者は、不正解となり泥プールの中に突っ込んで全身泥まみれとなっただけでなく、大会初の泥プールの女性犠牲者第一号になったこともある。
このどろんこクイズが誕生したのは、現・テレビマンユニオン取締役副会長の白井博によると、子供と一緒に散歩に行った雨上がりの公園で、濡れた砂場を見て思いついたのがきっかけだったという。泥は水分が多いと体に付きにくいので映像的には面白くないとし、水といい具合に馴染んで体に付きやすくなるように、練って作って3日間ほど寝かせた泥を使ったと話している[4]。
なお、この形式のクイズは第3回のサイパンで登場させるつもりで「海岸に立てられたプレートに飛び込み、正解ならゴムボートの上、不正解ならそのまま海に落下」というものを想定し、現地でロケハンを行ったが、結局ふさわしい場所が見つからなかったためにこの時は断念したという経緯がある[5]。
正解者が規定の通過数に足りない場合は残りの枠を巡る敗者復活戦が行われた。ここでの敗者復活者は決勝戦や準決勝まで勝ち残る挑戦者も多かった。
正解者が定員よりも多く出た場合は勝ち抜け決定戦を行った。決定戦は○×札上げクイズなどを行ったが、放映されたことはない。第13回の「逆ドロンコクイズ」でもそれだけでは復活者が決まらず、札上げクイズで決着を付けたが、その部分は放映されていない。
主にハワイといった暖かな島での海辺や大陸上陸直後の海岸によるチェックポイント(第3・第4チェックポイント)にて行われたクイズについて解説する。
各挑戦者が1対1で行った早押しクイズ。敗者はその場で何らかのペナルティを受けるのが通例となっていた。全挑戦者の半数が敗者となるが、敗者復活戦が行われたのは第9回と第14回のみである。
このクイズの変形として、『ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦』で行われた「石の上にも三人クイズ」がある(3名ずつの対戦で、1名しか勝ち残れない)。
挑戦者全体を4-7名ずつのチームに分け、チーム対抗で行われたクイズ。いずれも体力を必要とするクイズであった。第9回から登場。
まず、チーム対抗で競技を行い、勝ったチームに対して解答権が与えられる。問題は、第12回と"今世紀最後"では競技の前に出題され、それ以外の回では競技後、勝ったチームに対して出題された。1つの問題に複数、最低でもチームの人数以上の正解があり、チームの各メンバーが1つずつ答える。全員が正解すればチーム全員が勝ち抜け、1名でも不正解の場合競技のやり直し。最後まで残った1チームが失格となるが、多くの場合は敗者復活戦が行われた。
放映では編集されていたが実際の収録は時間がかかっていた。参加者同士は本来ライバル関係であるが、このクイズはチーム戦ということで、励ましあいの一致団結の姿が見られた。逆にチームのうちの1名が簡単な問題で間違えると一時的な仲間割れもあった。勝ち抜けたチームは心から嬉しそうに抱き合ったり万歳をするなど、喜びを体一杯で表現した。また、残りチーム数が少なくなるにつれ、メンバーの疲労困憊が目に見えて判るようになり、ロケにも関わらずやらせなしの人間性そのままの映像を映し出していた。
第14回では、上記とはルールの異なる団体戦が行われた。
熟睡中や観光中など、挑戦者が油断しているさなかで突然行われるクイズ。第5回で初登場し、第13回以降は毎回実施されている。挑戦者の人数が多い序盤のチェックポイントで実施されることが多かったが、第15回では残り5人の状況で実施され、まさに奇襲であった。「ウルトラクイズって信じてはいけない番組だったんですね」(第8回と第15回)という挑戦者のコメントも生まれた。第11回ではペーパークイズ勝ち抜け下位3名のみ参加(「第1チェックポイント」節を参照)。
クイズ形式は○×クイズまたは早押しクイズ。
「奇襲クイズ」と銘打って行われたのは以上であるが、グァム・サイパン以降のチェックポイントでは、直前までクイズをいつ行うか挑戦者に対しては知らされないことが多かった。そのため、広義の意味においては大半のクイズが「奇襲」とも言えた。
早押しクイズは、本選に入ってから最も多く使われたクイズ形式である。実力差が出やすいので、ある程度人数が絞られてから行われることが多かった。本番組の早押しクイズでは、早押しハット(ウルトラハット)という帽子状の機材が使用された。
本戦で登場したクイズ形式の多くは、早押しクイズを基本にバリエーションを持たせていた。負けた時点でペナルティがある形式(1対1対決早押しクイズ)、早押しボタンの代わりに声で早押し判定をする形式(大声クイズ)、勝ち抜けに通常の早押しクイズ以外の要素が入っている形式(双子神経衰弱クイズ、ギャンブルクイズなど)、早押しボタンを押すまでに何らかの運動が必要な形式(体力クイズ)などがある。
問題の読み上げ途中であっても、最も早くボタンを押した者が解答権を得る。問題読み上げが終わったあと5秒以内に誰も解答しない場合[注 62]、その問題は無効となる(キャンセル[注 63])。また、ボタンを押してから5秒以内に答えられなかった場合はお手つきとなる。基本的に、正解すればポイントが1点増え、規定ポイントに達すれば勝ち抜け。規定の人数が勝ち抜けた時点で終了し、最後に残った挑戦者が失格となる(この点は早押しに限らず、多くのクイズに共通する)。
お手つき・不正解の場合は、次のようなペナルティが与えられた。ペナルティのルールはチェックポイントによって異なっていた。
早押しクイズで出題された問題のうち、最初の何問かは開催地にちなんだ「ご当地問題」が出題され、旅行ガイドブックやパンフレットなどに目を通しておけば解答できる問題もあった。福留も著書などで、挑戦者は当然ご当地問題の勉強をしておくべきであると繰り返していた。ご当地問題以外にもクイズ形式にちなんだ問題なども多く出題された[注 64]
決勝戦は、"今世紀最後"を除いて、毎回単純な10ポイント先取の早押しクイズである(決勝戦を参照)。正統派早押しクイズと呼ばれることもある。決勝以外でオーソドックスな早押しクイズは少なく、全くない回もあった。ただし番組初期においては、ルール説明に時間を費やす余裕はないということで、敢えて単純な早押しクイズが多く行われた。
決勝以外で、オーソドックスな早押しクイズが行われたチェックポイントは次のとおり。
不正解・キャンセル時に「マイナスポイント」「1回休み」以外の特殊なペナルティがあったもので、他の節で解説しているクイズのいずれにも当てはまらないものを以下に挙げる。ペナルティ中も、クイズ会場では問題が出題され続ける。また、第4回までは全員が答えられなかった場合は全員がペナルティを受けた。
最初にボタンを押した人が不正解をした場合、別の挑戦者1名に新たに解答権が与えられる形式。第7回から登場。通例、出題者が「ダブルチャンス」と声をかけて2回目の早押しを促す。この形式は『高校生クイズ』でも、「このクイズにはダブルチャンスがある」という、ルール上の一般名詞として使われるようになる。
第10回までは早押し1位までしか判定していなかったため、最初の不正解時に早押し機を一旦リセットしなければならなかったが、第12回・第14回では早押し2位までを判定。1位はハットの「?」マークにて、2位は早押しテーブル上の「?」マーク(第12回)やパトライト(第14回)にて解答権者を表示していた。第1、第2解答者共に不正解だった場合は両者ペナルティとなる。
クイズ形式によっては特殊ペナルティとの併用もあった。
早押しクイズのバリエーションの一つ。挑戦者が多く残っている時点で行われた形式。第5回で初登場。
複数の挑戦者に対し、解答席は3つまたは5つのみで、事前のクイズや抽選などで最初に解答席に座る挑戦者を決定、残った挑戦者は解答席の後ろに並ぶ。解答席に座った挑戦者にのみ早押し問題が出され、解答席の挑戦者が勝ち抜けるか、お手つき・不正解・キャンセルで交代となり、その解答席の列に並んだ先頭の挑戦者が解答席に座り、お手つき・不正解をした解答者(回によってはこれに加えて勝ち抜けた挑戦者以外の前列の挑戦者)は列の最後尾に戻される。
挑戦者たちが走りながら早押しクイズを行う方式。第8回から登場。第8回では「ジョギング早押しクイズ」という名称で、第9回より「マラソンクイズ」という名称になった。体力を必要とされるクイズの代表格で、女性が苦戦することが多かった。
早押しボタンは走行している自動車(第14回では幌馬車)の後方に付いている。早押しハットは固定されており、ボタンは第7回にメインで使われた手のひら全体で叩くスタイルの大型のボタンが使われた。第8回の初登場時はボタンに手を添えて走れたが、第9回以降はボタンから手を離して走らなければならなくなった。
出題時間を限定して行われた早押しクイズ。「タイムショッククイズ」とも称された。レギュラー大会での初登場は第11回だが、タイムレース自体が初めて行われたのは『ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦』においてである。
限られた時間内の早押しクイズでどれだけポイントを獲得できるかを競い、クイズ終了時点で最も獲得ポイントの少ない挑戦者が失格となった。そのため福留は第11回のカンクンで出題前に「勝ち抜けポイントは、実は決まっていません」と挑戦者に説明している。
現地人(ゲスト)の協力によって行われたクイズ。早押しクイズに正解後、トランプの神経衰弱の要領で、双子・親子など共通するテーマの人物を揃える。会場には専用のボード型のセットが設けられ、その裏側でゲストが待機していることが多かった。
招かれたゲストの中から、双子または三つ子を当てるクイズ。第6回から第10回まで毎回行われた。
早押しクイズに1問正解すると神経衰弱の挑戦権が得られ、ボードに設置されたパネルの番号のうち2つ(三つ子の場合は3つ)を選択する。番号を指定するとパネルが裏返り、カーテンが開いて対応するゲストが登場。双子または三つ子が揃えば勝ち抜けとなる。揃えられなければ早押しクイズに戻る。
アメリカ人の子供の描いた絵から、母親が誰なのかを推測するクイズ。子供はボードの裏側で、母親はボードの前で待機している。
通常の早押しクイズで規定ポイントに達した挑戦者は母親当てクイズの挑戦権を得る。番号を1つ指定すると、対応する子供が1人現れ、その子供が描いた母親の似顔絵をヒントに、母親が誰かを番号を指定して当てる。母親当てに正解すれば勝ち抜け、母親当てで誤答するとポイントが0に戻り、早押しクイズに戻る。子供の描いた稚拙な絵から母親を選ぶのは難しいケースもあったが、出題者がさりげなく似顔絵で重視すべきポイントなどのヒントを出すケースもあり、あらゆる情報を総合して解答することが求められた。逆に非常に特徴を捉えた絵を描く子供もおり、最初の子供の指名も重要なポイントであった。
複数ある答えをすべて言わないとポイントが加算されない早押しクイズ。不正解は1回休み。
一つの問題に2つまたは3つの答えがある。
福留と小倉淳の2名でそれぞれ異なる問題文が同時に読み上げられる早押しクイズ。1ポイントで勝ち抜けだが、2つの問題に両方とも正解しないと勝ち抜けとはならない。第12回第12CP・フェゴ島の敗者復活戦、第13回第6CP・ブルーマウンテンの前半戦「ステレオ 二重音声クイズ」、第14回第12CP・レイクミシガンの敗者決定戦の合計3回が行われた。 出題パターンは3つに分けられる。
特に2.は機知に富んだ出題と言えたが、問題文は始めから全く異なる文章を読まれるために難度が高かった。逆に1.は比較的答えやすく、フェゴ島で敗者となった挑戦者もこのパターンを半分正解している。
第13回ブルーマウンテンの二重音声クイズは、番組の中で唯一のステレオ放送となった(出題時に左スピーカーからは福留、右スピーカーからは小倉の声が聞こえてくる)。
解答権を得るために、何らかのアクションを行わなければならないタイプの早押しクイズ。さまざまなバリエーションがあったが、多くは体力を必要とするものだった。そのためクイズによっては、男女の体力差が考慮される場合もあった。自分がわからない問題が出題された場合や体力を温存したい場合は回答に参加せずスタート地点で待機していてもよい。
早押しに正解しても、運が良くなければ勝ち抜けることのできないクイズ。
いくつかの選択肢の中から一つを選び、その選択肢に書かれた数値がポイントに加算される方式。合計ポイントが一定値に達したら勝ち抜け。アメリカに関する知識や、人間観察力を要求された。
解答権利を剥奪する、ポイントを奪う、解答権を押し付けて自分がポイントを獲得するなど、他の挑戦者に対して「妨害」する要素を含んだ早押しクイズ。各挑戦者が各々の実力・弱点を知るようになってくる終盤に行われることが多く、駆け引きが重要なポイントとなった。
なお準決勝でもこの手のクイズが行われることが多かったが、準決勝で行われたクイズについては「準決勝」節を参照。
他のいずれのタイプにも分類されないルールを持っていた早押しクイズ。
早押しとは違い、あらかじめ解答順を決め、その順番どおりに解答していく方式。
解答できるのは1名につき1回だけが基本だが、時間内なら何回でも解答できる回もあった。不正解の場合は次の順番の挑戦者に解答権が移る。また、解答権が1巡しても正解が出なかった場合、次の問題に移るパターンと、正解が出るまで何巡も繰り返すパターンがあり、後者の場合は途中でヒントが与えられた。番組内では編集のため解答が早めに出ていたが、出場者のウェブサイトによれば実際のところ解答権は数巡したのちに正解が出た場合も珍しくなかったという。後述のインスピレーションクイズと連動させる場合もあった。
解答席の並びは、他の多数のクイズでは挑戦者番号順であるが、このリレークイズでは抽選やミニクイズなどで順番が決められ、カメラから向かって最も左側の挑戦者から順番に解答する。
現地の人物や土地に関する問題が出題されるクイズ。初期ではアメリカ本土最初のチェックポイントでよく実施された。単なる知識だけでは対応できず、連想力・勘・ひらめき・運などの要素を大いに必要とする形式であった。そのため、ペーパークイズの上位者が苦戦することが多かった。
どの回も規定数(1-5問)正解したところで勝ち抜け。複数人が同時に規定正解数に達し、勝ち抜け予定者数を上回った場合は同点決勝を行った。
クイズは次のいずれかの方式で行われた。
現地の人物(または動物)をゲストとして招待し、そのゲストに関する問題が出題された。「私はある特技をもっています」「私は○○の世界一です」など。
現地の人々に対して三択または○×のアンケートを行い、挑戦者はどの解答が最も多くなるかを予想し、予想が的中すれば1ポイント獲得。
現地に因んだクイズが出題された。
現地のゲストに日本の伝統的な物を見せ「これは何の用途に使う道具か」などと問い、挑戦者はそれに対するゲストの答えから類推し、ゲストに見せたものが何かをフリップに書いて当てる。文化の違いを逆手にとり、挑戦者の思考力の柔軟性を試すものであった。
砂漠や平原、飛行場などの広大な場所で行われた看板クイズのひとつ。ヘリコプターや飛行機、熱気球、インディアンの騎馬隊、降下するスカイダイバーなどからクイズの問題が入った100通から200通ほどの封筒がばら撒かれる。挑戦者はスタート地点から走り、封筒1通を拾って出題者の元に戻り、そこで出題者が開封して出題された問題に解答する。大抵一問一答問題。砂漠や平原、草原の丘といった広大な大自然を利用してクイズを行う、本番組ならではのスケールの大きな形式であった。第3回から第16回まで毎回開催されたが、同一CPで数年後に再びバラマキクイズが行われる[注 83] こともあり、残り4名で行われた第7回オルバニー以外は前半から中盤のCPで行われた。
封筒の中には、毎回一定の割合で、問題の代わりに「ハズレ」と書かれた紙の入った封筒が存在した。これを拾った場合、強制的に不正解扱いとなり、再び封筒を取りに行かなくてはならない。また、たとえハズレでなかった場合でも、自分が正解できない問題に当たった場合は再び走る羽目となる。番組の謳い文句である「知力」「体力」「時の運」の要素全てが試されるクイズであった。問題も通常の早押しクイズでは見られない2択問題、なぞなぞやとんちの問題、細かい計算や小学生クラスの計算問題、冷静に考えればすぐに答えがわかる簡単な問題、ややこしく長い文面の問題といったものが含まれていて、走り回った疲れと焦りから簡単な問題を落とすこともしばしば見受けられた。なお、不正解やハズレでのペナルティはなし。
ハズレが出たとき、挑戦者が悔しさから何かしらの大きなリアクションを取る場合も多い[注 84]。また、福留はしばしば「これを何と読む!?」という決まり文句を発しながらハズレ券を挑戦者に示していた。この際に第3回と第5回では、ハズレ券は挑戦者のみに見せて放送ではテロップで「ハズレ!」と表示していたが、第4回では白地に赤い文字で「ハズレ」と書かれた紙を、第6回以降は赤地に「ハズレ」の白抜き文字の紙を挑戦者とカメラに見せていた。ただし、ハズレを引いた挑戦者の表情を映すときなどは「ハズレ」のテロップを表示していた。
ハズレを何回も続けて引いた挑戦者が、それにめげずに最後まで諦めずにがんばる姿勢がよく映し出されていた。また、最後の勝ち抜けについては走り続けて満身創痍の挑戦者同士の鬼気迫る闘いが毎回のように繰り広げられた。大会によっては気温40度を超える環境でクイズが行われた。運と体力の要素が強いためか従来のクイズでは下位で通過する挑戦者がトップ通過したり、または強豪・実力枠が下位で通過することも多かった。
他のクイズ形式と同様に規定ポイント(2ポイントが多い)に達した時点で勝ち抜けというルールが多かったが、このバラマキクイズでは正解して1ポイントを獲得するごとにメダルが首に掛けられ、誰が何ポイントを取得したかが明確になるよう工夫されていた。
また、上記とは少々やり方が異なるバラマキクイズも行われた。
一問一答クイズであるが、早押しボタンを押す代わりに、マイクに向かって大きな声で叫び、一番早く一定音量に達した挑戦者が解答権を獲得できる方式。第8回から第16回まで毎回実施された[注 86]。
第10回以外では毎回、旅行の途上で名付けられたニックネームや挑戦者の職業・趣味・事情などにちなんだフレーズが福留/福澤より与えられ、挑戦者はそのフレーズを叫んで解答した。座らずに立って行われることが多かった。単純に大声の瞬発力の速さを競うだけでなく、福留/福澤の絶妙な合いの手もあった。
決勝進出者を決めるためのクイズ。通例、参加人数は4名で、そのうちの2名が決勝に進出する。第1回・第3回・第7回では3名、第6回・第9回では5名が参加。第10回は北米ルート・南米ルートそれぞれ3人参加で決勝進出は各1名のみ。
準決勝は、アメリカ独立戦争や南北戦争など、アメリカ合衆国の歴史に関連の深い場所で行われることが多く、放送ではクイズの前に当地の歴史に関連する映像や、現地俳優陣による戦争等の再現が放映された。加えて第11回では放送直前に、挑戦者たちが日本に電話しているところが放送された。また、準決勝としての緊張と格式を保つために、出題者の福留/福澤が各挑戦者に対して「ライバルは誰か」と質問することも多かった。
各回、次のクイズ形式で行われた。第1回前半・第2回・第9回を除き早押しクイズである。
第4回で行われた「通過クイズ」を発展させ、第5回から導入されたクイズである(第7回・第8回・第10回はクイズタイトルが「通せんぼクイズ」ではなく「通過クイズ」と銘打たれた)。 第5回では、第4回の「通過クイズ」に変更を加え、3ポイント獲得後の通過席(お立ち台)にも早押しボタンとウルトラハットが設置された。他の挑戦者(以降、「阻止側」と呼ぶ)と共に通過クイズを早押しクイズで行い、ここで正解すれば決勝に進出できるが、他の阻止側は通過席の挑戦者の決勝進出を阻止する、すなわち「通せんぼ」を仕掛ける形となった。以後、準決勝ではこのクイズ形式が定番となる。
通過問題は封筒に入っており、通過席に行く時にはその封筒を自分で選んで出題者の出題席に持っていく。その封筒は第10回までは通過席近くの場所に10通ほど付けられていたが、第12回からは第16回までは現地エキストラ(北軍兵士と南軍兵士、アメリカ兵士とイギリス兵士など)2人のどちらかから選ぶ方式に変更、そして"今世紀最後"では「ミス・ニューヨーク」と呼ばれる女性が持つ問題を選ぶ方式になった。
通過クイズのルールは次の通り。
通せんぼクイズが初めて導入された第5回では、いきなり激戦が繰り広げられた。まず優勝した真木法男が通過席に立つが、2ポイントを取っていた準優勝の杉山眞に阻止された。代わって通過席に立った杉山が一発で抜けた後、2人目が勝ち抜けるまで残りの3名の挑戦者間で通過失敗が繰り返された。真木はさらに2回阻止され(準決勝敗者の2名もそれぞれ2回ずつ通過失敗している。なお、双方とも2回目の通過席を自らの不正解で失敗した)、4回目の通過クイズ(結果的に全員から1回ずつ阻止された)で勝ち抜けた。前期ウルトラクイズでは最大の名勝負と呼ばれていた。
第13回では、第5回以上の阻止ならびに通過失敗が繰り返される激戦が展開された。開始時に用意していた約140問あった問題が底を尽き、日本から新しい問題を送ってもらうのと、その場で急遽問題を作成するために1時間ほど休憩が入り、「もしあと50問ほどやって決まらなかったら4名とも決勝進出」だったというが[14]、2015年にファミリー劇場で再放送された13回大会放送後の「今だから話せるウルトラクイズ丸秘証言集 PARTⅡ」では、出演者であった優勝者の長戸が、この事について聞き手の小倉淳に質問した際、小倉は「(4人決勝進出は)無い」と言い切っている。この激戦を伝えるために最終第5週が当初予定の90分から急遽120分放映に切り替えられたほどである(延長された30分がそのまま準決勝の放送の尺として使われた)。長戸は8回目、準優勝者の永田は3回目の通過クイズで決勝進出を決めた(2人とも自身の不正解1回を含む。いずれも途中休憩後に決勝進出を決めた)。準決勝終了後福留は、「13年の歴史の中で最も素晴らしい闘いだった」と最大限の賞賛の言葉を贈った。
第14回ではこの回の準優勝者だった高松康典が放送上クイズ開始からわずか6問目でクリアという最速記録を達成した(4-6問目を高松が連続正解)。
"今世紀最後"ニューヨークでの準決勝では、ニューヨーク入りする前に挑戦者全員にアイマスクを付けさせ、そのままの状態でクイズを行った。目隠しされているので通過席はなく、通過クイズ挑戦時はその場に立って解答、そして通過問題は通常は福留の近くにある、問題を入れた封筒の中から自分で選ぶのだが、この時はその場で問題封筒の色「赤」か「青」かを指定する。勝ち抜けた者のみがアイマスクを外し、ニューヨークの景色を見ることを許された。一方、敗者はアイマスクを付けたまま空港へ戻り、離陸後、ニューヨークの景色が完全に見えなくなってからようやくアイマスクを外すことができた。つまり、ニューヨークまで来ながら景色も見ることができずに帰国しなければならないこと自体が罰ゲームとなった。
クイズ終了時、通過席に立てずに敗退した挑戦者もかなりいた。
決勝戦では、最後に残った2名の挑戦者の中から、優勝者(クイズ王)を決定する(ただし第11回は準決勝「ニュージャージー封鎖クイズ」の結果、3名で行われた)。決勝地は第9回と"今世紀最後"を除いて、番組内で「クイズの都」と呼ばれたニューヨークであった(詳細は以下)。
第1回から第6回までは決勝もチェックポイントの1つという扱いだったようで、「決勝ポイント」とテロップ表示されていた。第7回では後述の電話シーンから始まったので「決戦前夜」、第8回では「決戦」、第9回・第10回は「決勝」、第11回以降は「決勝戦」、"今世紀最後"では「決勝地」と紹介された。また、第11回から第16回では決勝進出者の氏名も同時に表示された。
第1回と第7回の決勝戦前夜には、決勝進出者が日本に電話をしているシーンが映し出された[注 99]。第13回から第16回までは、決勝戦放映前に「今年も多くの敗者が去っていった」という、敗者を振り返るコーナーが放送された[注 100]。東京ドームから準決勝までで敗れ去った挑戦者たちの悔しい表情や涙を流す場面などが次々と映し出された。
決勝進出者は、ヘリコプター[注 101] で決勝地の都市上空を飛行し、その後クイズ会場に入場する。この際、福留/福澤は別機に乗り、決勝地のレポート・決勝地に至るその回の回顧・決勝進出者の紹介を行った。第14回ではセスナ機が使用され、"今世紀最後"では決勝進出者自身が水上バイクを操縦して登場した。決勝進出者は、乗物1機につきそれぞれ1名ずつが乗るのが慣例であったが、第9回のみ2名一緒に1機のヘリコプターに乗っていた。第10回では互いに誰が決勝に進出してきたのか知らないまま、先に都市の北方角より飛行してきた北米ルート代表者のヘリコプターと、少し後から逆方角より飛行してきた南米ルート代表者のヘリコプターの2機がエンパイア・ステート・ビルの上空近辺で会場に合流するという演出がなされた。第11回は準決勝と同日の決勝戦ということで、決勝進出者紹介の際にアッパー湾で罰ゲーム中(帰国中)の準決勝敗者が映された。
決勝進出者はスーツ姿(女性挑戦者はフォーマルなドレス姿)で決勝戦に臨むことが多かったが、これは制作サイドで強制されていた訳ではなかった。本番組では第一次予選を突破した挑戦者達にスーツ・ドレスを持参するように通達していたが、これは決勝戦の為ではなく、ツアー道中で高級レストランや公的な場所などスーツやドレスを着用しないと入れない場所の所謂「ドレスコード」に対応するためであった。実際にスーツではなく和服姿(第12回・第16回)や成田予選で着用したパジャマ(第13回)、仕事で着ている作業服(第14回)で決勝戦に臨んだ挑戦者もいた。"今世紀最後"ではクイズ形式がどろんこクイズのため、挑戦者は2人ともTシャツなどのラフな服装だった。
なお、毎回ニューヨークでの決勝戦の前日には、5番街にある日本食レストラン「サッポロ・レストラン」にて決勝進出者・スタッフ全員で夕食会を行うのが恒例であった。
決勝戦は、"今世紀最後"をのぞく全大会で、オーソドックスな早押しクイズが行われた。不正解はマイナス1ポイント。先に10ポイント獲得した挑戦者が優勝となる。基本的に椅子に座ってのクイズだが、第7回では椅子がなく丈が高いテーブルで早押しクイズが行われた。また、第4回ではマイクの部分に菊の花と帯が飾られていた。
決勝戦の収録は第11回までは午後の日中、第12回-第16回では日没から夜にかけて行われた。クイズ開始直前には、出題者が決勝進出者に「優勝するのは誰か」と問いかけ、気合の度合いを確かめることも多かった。決勝戦の結果は(各大会の解説も参照)一方的になるか、僅差になるかのどちらかというケースが多かった。
一方の挑戦者が10ポイントに到達して優勝が決定すると、優勝者は地元学生バンドのファンファーレや福留/福澤による大いなる祝福を受けるとともに、福留と相撲を取ったり(第2回)、得意の落語を披露したり(第3回)、ボーイフレンドの名前を叫んだり(第4回)、妻の名前を摩天楼に向かって叫んだり(第6回)、噴水に飛び込んだり(第9回)、桟橋から海に飛び込んだり(第11回)など、優勝者は思い思いの形で喜びを表現した。
"今世紀最後"の決勝戦は、従来の早押しクイズではなく「突撃○×どろんこ決勝」が行われた。両挑戦者が交互に、赤か青かどちらかの封筒から問題を選び、サッカーのPK形式で○×どろんこクイズに解答。5問終了したところで正解数の多い方が優勝となった。仮に同点だった場合は6問目以降サドンデスとなる予定であったが、先攻の5問目が終了した時点で決着が付いた。なお、このどろんこクイズでは、ウレタンマットで囲った中に泥プールを作り、より安全性を高めていた。
クイズ終了後、表彰式が行われた。優勝者には優勝旗と花束が贈呈され、そして特大グラスに注がれたシャンパンを飲み干す権利が与えられた(福澤はシャンペンファイヤーと言った)。飲み干せない場合は残りを頭からかぶることもあったが番組後期のプリンセス号が決勝戦会場となってからは頭からシャンパンをかぶる行為は行われなくなった。優勝者が下戸や体調不良だった場合も想定してシャンパンの代わりにノンアルコールの代用品も用意されていたが(実際、第13回では優勝者の長戸がA型肝炎の病み上がりだったため、ノンアルコール品が使用された[注 102])、特に番組内でそれに関する言及はされなかった。なお、第1回と第2回では、ニューヨーク市内のホールで表彰式と祝賀パーティーが行われた。それ以外の回でも終了後に打ち上げとしてパーティーが催された。
第2回では、優勝賞品が「家族とともにニューヨークの豪華ホテルに宿泊」であったため、決勝戦開催時に両決勝進出者の家族が成田エアポートレストハウスで待機し、徳光とともに決勝戦の模様を中継で聞いていた。勝負が決着した後、優勝した北川の家族はニューヨークへと旅立ち、敗れた間下の家族は帰宅した。
決勝戦の敗者はクイズ終了後、番組オンエア上では福留や福澤から労いの言葉をかけられることもなく、他のチェックポイントではあるコメントを求められることもなく(後述の例外はある)、大会最後の敗者としての表情を映し出されていた。例外として、第1回では準優勝者の藤原滋子が優勝パーティーでウエイトレスの格好をして登場したり、第3回では準優勝者の田上滋が優勝した宗田に一言だけだが祝福の言葉をかけたり、第4回では準優勝者の松澤典子が寂しく会場を去る姿がオンエアされたり、第7回と"今世紀最後"では通常は放送されない準優勝者のコメントが放映されたり、第16回では優勝した田中が涙ぐんでいるところに準優勝者の大西がハンカチを貸す場面などが放映された。
決勝戦の翌日または翌々日、準優勝者は帰国し、クイズ王はリポーターとともに賞品地へ向かい、そこで優勝賞品を受け取った。ただし第6回では賞品である「世界一周」旅行へと表彰式終了から全く間を置かずに即出発、第9回では賞品受け取りの前にいったん日本に帰国した[6]。"今世紀最後"では生放送のため決勝地においてその場で受け取り、準優勝者である清水もその場で優勝賞品受け取りを眺めていた。
本番組では時々おまけ的な要素として、勝敗に無関係な場面でのクイズも行われた。一部は罰ゲームを兼ねて行われたものもある。
設問自体が間違っているいわゆる「嘘問」は、一問で運命が決まる本番組では特に出題しないように気が配られ、同じ問題が3度にわたり入念に点検された。この作業はあとどり(裏取り)と呼ばれる。問題制作を担当したトマホークの萩原津年武社長は、その結果設問には「一度も誤りがなかった」と自慢している[15]。
しかし、実際には稀にだが、嘘問が出されたことがある。
上記の問題についてはそのまま放映されたが、嘘問が判明した場合、大抵は番組ではカットされるか、アフレコで問題文を入れ替えて放映していたという。また、解答の判定はウルトラクイズ審査委員会がその場で行い、その場で設問の誤りがわからなければ、後で誤りがわかっても訂正は受け付けないようにしていたという[17]。
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