Loading AI tools
日本の女性漫画家 ウィキペディアから
ねこぢる(本名:橋口 千代美:旧姓は中山、1967年1月19日 - 1998年5月10日)は、日本の女性漫画家。夫は同じく漫画家の山野一。
1990年『月刊漫画ガロ』誌6月号掲載の『ねこぢるうどん』でデビュー。当初のペンネームは「ねこぢるし」で後に「ねこぢる」と改名。可愛さと残酷さが同居する、ポップでシュールな作風が人気を博す。しかし1998年5月10日、東京都町田市の自宅にて縊死(自殺)により死去した。31歳没。
ねこぢるは貧困や差別、電波、畸形、障害者などを題材にした反社会的な作風を得意とする鬼畜系漫画家の山野の妻であった女性のペンネームであり、ねこぢると山野の二人から成る漫画制作ユニットの共有筆名でもあった。
それまで、エキセントリックな短編集『夢の島で逢いましょう』『貧困魔境伝ヒヤパカ』『混沌大陸パンゲア』や長編怪作『四丁目の夕日』『どぶさらい劇場』の作者としてカルト的な人気を得ていた特殊漫画家の山野はある日、妻の描いた落書きに「尋常ではない何か」を感じとり、その落書きをもとに妻と『ねこぢるうどん』という短編を共同制作する。この漫画を山野が青林堂の『ガロ』に持ち込んだことでねこぢるは世に出ることになった。
ねこぢるの活動期間は1990年から1998年までのわずか8年間であったが、その特異な作風は「ガロ系」の枠を大きく飛び越えて当時のアイドルからバックパッカーまで幅広い支持を集めた。没後もテレビアニメやOVAなどのメディアミックスが行われており、現在に至るまでファンを増やし続けている。
ねこぢる名義の発表作品はすべて山野とねこぢるの共作であるが、作品ごとの役割分担ははっきりしていない。
埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町(生後すぐに当町は市制施行し[注釈 1]、鳩ヶ谷市を経て現:川口市)出身。不動産業を営む裕福な家庭に生まれ、鳩ヶ谷市の東鳩ヶ谷団地の近所で育つ[1]。最初に覚えた言葉は「ばか」で誰に対しても「ばか」と言っていたという[2]。
学歴は不詳だが吉永嘉明の証言によれば地元の美容専門学校に通っており、学生時代は佐藤薫(1980年代の伝説的なニュー・ウェイヴバンド「EP-4」「TACO」で活躍していたミュージシャン)の追っかけをしていたという[3]。
また当時購読していた青林堂発行の漫画雑誌『ガロ』を通して根本敬、丸尾末広、花輪和一、諸星大二郎などの作家に傾倒[2][4]。特に山野一の作品集『夢の島で逢いましょう』(青林堂)に感銘を受ける。
ねこぢるは知人の知人を通して山野と接触し[2]、押しかけ女房のような形で18歳の時に山野と結婚する[3]。結婚後は山野のセミアシスタントとしてベタ塗りなどの単純作業を手伝うが、漫画家になるつもりは全くなかったという[5]。
ある日、ねこぢるが暇を持てあまして画用紙に「奇妙なタコのようなネコの絵」を描いて遊んでいたところ、彼女の絵を見た山野が「言語化不可能なある種の違和感かもしれないけど、大人に解釈されたものではない生々しい幼児性というか、かわいさと気持ち悪さと残虐性が入り交じった奇妙な魅力」[6]を感じ、その絵をモチーフにした原作を山野が作り、ねこぢるが絵を描いて一本の漫画を創作する。なお、夫妻とも漫画家としての訓練は一切受けておらず、絵に関しては完全に独学であるという[6]。
この原稿を山野が青林堂に持ち込んだところ[4]、ガロ編集部の高市真紀(山田花子の実妹、のちに担当編集者)や白取千夏雄(のちに『ガロ』副編集長)から好評を得て『月刊漫画ガロ』1990年6月号より『ねこぢるうどん』の連載を開始する[4][7]。この連作の元にもなったデビュー作は、子猫がうどん屋で去勢されて死ぬというだけの内容である。
このデビュー作から夫の山野は「作・山野一 画・ねこぢるし」[注釈 2]の共同名義でクレジットされるようになり、唯一無二の「共同創作者」としての役割を務めることになった。二人には「極めて微妙」な役割分担があり、ねこぢるの発想やメモをもとに山野がストーリーをネームにして書き起こし「読める漫画」にまで再構成する役割などを担った(山野はこの作業を「通訳」と述べている)。これらの連作は、ねこぢる自身の夢の中の体験を基にした支離滅裂で不条理な展開やドラッグ中毒のようにサイケデリックな描写が特徴的である。
1992年には『ガロ』6月号で特集が組まれ、知久寿焼、岡崎京子、根本敬、逆柱いみり、スージー甘金、松尾スズキ、土橋とし子、井坂洋子、内田春菊、黒川創らが批評文を寄稿した。
1995年2月~3月、インドのバラナシを山野一と放浪し、場末のレストランにあったテレビで地下鉄サリン事件を知る。このインド体験は『ぢるぢる旅行記 インド編』として漫画化されており、自殺する直前の1998年2月にぶんか社から単行本が出版されている[注釈 3]。なお、夫の山野は事件が発覚する数年前にカルト新興宗教団体の栄枯盛衰を描いた『どぶさらい劇場』という鬼畜漫画を連載していたほか、夫妻ともにヒンドゥー教に対する造詣が深く、シヴァを信奉するオウム真理教が起こした一連の事件は夫妻に強烈な印象を残すことになった。
1990年代後半になると、当時流行していた悪趣味ブームの流れで「ねこぢるブーム」が起こる。以後、『ガロ』『ヤングサンデー』『コミックビンゴ!』『ビッグコミックスピリッツ』『ヤングアニマル』『テレビブロス』『SPA!』『危ない1号』『小説すばる』まで漫画雑誌の枠を超えて数多くの媒体で多岐に渡り作品を発表、東京電力の宣伝キャラクターまで仕事の幅は非常に幅広かった[注釈 4]。またポップな絵柄とシュールな作風のギャップからねこぢるの作品は『ガロ』以外の一般読者にも注目されるようになり、若年層や女子中高生の支持も集めたとされている。
山野とねこぢるは仕事ならなんでも引き受ける方針だったため[8]、ブームによって増えた仕事の依頼を断ることができず、作品の量産と表現の自主規制を二人は強いられた。ねこぢるは次第に精神が不安定になり、自殺未遂を繰り返すなど奇行が目立つようになる[9]。何度も「死は別に怖くない」と周囲に述べ[10]、編集者にも「死のうと思ったことありますか?」と尋ねたこともあったという[11]。
1998年4月、原稿依頼をした女性編集者に電話で2時間にわたり「自分はもう好きなものしか描きたくない。お金になるとかじゃなく描きたいものだけを描いていきたい」[12]「仕事依頼が殺到して自分の方向性や資質と違うことばかりやらされていて本当につらい。いきなり仕事量が増えて体力が消耗しきっているので、もうこれ以上何も考えられないし、何もできない」[13]と現状の不満を打ち明ける。翌5月5日には白泉社の担当編集者に「漫画を描くのは疲れた。もう漫画家をやめて旦那と一緒に発展途上国に行って暮らしたい」と電話口で漏らしていた[11]。
1998年5月10日午後3時18分、町田市の自宅マンションのトイレにてドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態になっているのを夫の山野によって発見された[14]。31歳没。遺体は発見が遅れて死後硬直が始まっていたという[9]。
その後も山野は「ねこぢるy」のペンネームで、ねこぢるワールドを引き継いで創作を続けている。ねこぢるの死後制作されたOVA『ねこぢる草』は、『ねこぢるうどん』の各編のシチュエーションをモチーフにした幻想的な作品に仕上がっている。
ねこぢる自身は素顔や詳細なプロフィールをほとんど公表しておらず、『ガロ』1992年6月号の特集に掲載されたねこぢるの写真のみが一般に素顔を見せた唯一の例である[注釈 5]。
ねこぢるの夫の山野はねこぢるの人物像について、「身長153センチ、体重37キロ、童顔…。18の時出会ってからずっと、彼女はその姿もメンタリティーも、ほとんど変わることはありませんでした。それは彼女を知る人が共通して持っていた感想で、私もそれが不思議であると同時に、不安でもあったのですが…」「生前彼女は、かなりエキセントリックな個性の持ち主でした。気が強い半面極めてナイーブで、私の他にはごく限られた“波長”の合う友人にしか心を開くことはありませんでした。“波長”の合わない人と会うことは、彼女にとって苦痛で、それが極端な場合には精神的にも肉体的にも、かなりダメージを受けていたようです。彼女程でないにしろ、私にも同じような傾向があり、二人ともノーマルな社会人としては全く不適格でした」と寄稿した追悼文の中で述べている[15]。
ねこぢると交友のあった『危ない1号』編集者の吉永嘉明によると、ねこぢるは基本的に殆どの人間や対象にまるで関心がなく、それらに対する口癖も「つまんない」「嫌い」「相性が悪い」「興味がない」「関心がない」「波長が合わない」など嘘がつけない体質だけに極めてストレートなものだったという[16]。“特殊漫画家”の根本敬もねこぢるの性格について、「他人の正体や物の本質をパッと見抜けてしまう人。またそれを素直に口にしてしまう正直者」と評している[17]。
一方で、興味のある対象には非常に積極的であり、とくに“波長”の合う人物には熱狂的な好意を抱いた。また好意を抱いた人物には「追っかけ」とも言える行動に出ることもあり、夫・山野一と結婚した経緯も、ねこぢるが山野の住むアパートにまで押し掛けて、そのまま上がり込んでしまったからだという[3]。吉永いわく山野はねこぢるの「お母さん」のような存在でもあり[18]、ねこぢるの自殺についても「あそこまで生きたのも山野さんがいたからだとも思う」と語っている[19]。
山野とねこぢるの関係性について1998年当時『ガロ』の編集長を務めていた長戸雅之も「仲が良く、波長が合っている二人」「お互いに心を許せるパートナーと思いました」と語っており、雨の日に喫茶店で待ち合わせした時も、夫妻は相合い傘をしてやってきて、帰りも一つの傘で一緒に帰って行ったと回想している[20]。
吉永の証言によれば、ねこぢるはうつ病で精神科に通院しており、出会った頃には既に自閉的な性格が完全に確立していたという[10]。吉永はねこぢるの自閉について、「精神的に孤立して自分の内面にこもる傾向が育まれたのかもしれない」と推察している[10]。
また『月刊漫画ガロ』の担当編集者であった青林堂(現 :青林工藝舎)の高市真紀の証言でも、ねこぢるは殆ど外出せず、喫茶店も嫌いでお世辞や社交辞令にも敏感に反応してしまい、世間との付き合いは苦手だったという[21]。その一方で高市の姉で漫画家の山田花子が1992年に投身自殺した時には、高市が山田の後追いをするのでないかと心配して「何でも相談するんだよ」と親身に話を聞いてくれたと述べている[20][21]。なお、「心を見抜かれそう」と緊張していた高市に対して「大丈夫、緊張しないで」と声をかける一面もあったという[21]。
ねこぢるには食欲が存在しなかったようで、ねこぢるについて吉永が「最期のほうは生きる欲望も薄れていった」とも述べている[22]。また肉や魚に関しても「血の味がするから」と全く食べず[11]、友人の巽早紀(元ペヨトル工房編集者。吉永嘉明の妻。2003年に縊死)が勧めたアボカドも一口食べて勢いよく吐き出したという[22]。
これに関して生前、ねこぢるは「トンカツって豚の死体だよね」という感想を夫の山野に述べており[11]、漫画の中でも豚は下等生物として罵られ殺され食べられる家畜程度の存在にしか描かれていない[23]。
ねこぢるの死後、『COMIC GON!』(大洋図書/ミリオン出版)3号で「蘇るねこぢるワールド」という特集が組まれ、ねこぢるに接触した17人の編集者のインタビューが掲載された[1]。この中で『テレビブロス』編集者の小田倉智も、ねこぢるが自殺する直前に過労で入院していたことを明かしている[1]。
ねこぢるについて担当編集者らは、「原稿の締め切りをキッチリと守る人だった。月に数十本の原稿を抱えながら、締め切りを守るのは至難の業、それをやり遂げたねこぢるはムチャクチャ責任感のある人」「自分の漫画を読んでいる有名人をそれとなくチェックして帯の推薦文の人選を考えたり、10代の子が自分の本をおこづかいで買えるように、価格を下げるように交渉したり、単行本を作る過程でいろいろ知恵を絞っていた」と証言している[1]。この特集を企画した編集者はこれらの証言を踏まえて「『自分の人気は一時的なもので、すぐ売れなくなる』と、自分の人気に甘んじない冷静さがあったので、彼女は来る仕事を拒まず、なおさら人気漫画家となったのでは」と推察していた[1]。
ねこぢるは、売れっ子になる前から3日間起き続け、その後丸1日寝るという体内時計(サーカディアン・リズム)に逆らった不規則な生活を送っていた[3]。その様子は自殺の二日前に描いた遺稿『ガラス窓』でも見ることが出来る[24]。
山野一(ねこぢるy)による『おばけアパート前編』(アトリエサード)以外の単行本は現在すべて絶版である(ただし没後20年目の2018年10月に全作品を収録した『ねこぢる大全』上下巻が電子書籍の形でKindle・iBooks・Koboにて復刊された)。また一部の作品は海外で翻訳出版されている。
ねこぢるの漫画は、テレビ朝日系の深夜番組『爆笑問題のボスキャラ王』の1コーナーとして1998年に短編アニメ化されのちに『ねこぢる劇場』というタイトルのビデオとDVDが発売された。
2001年にはOVA『ねこぢる草』(監督・佐藤竜雄)が製作されている。これは『ねこぢる劇場』の続編ではなく全く無関係の作品である。脚本・絵コンテ・演出・作画監督の4役に湯浅政明を迎え、ねこぢる本来の画風を生かしつつ、湯浅独自の世界観を融合させた幻想的な映像になっている。同年の文化庁メディア芸術祭アニメーション部門では優秀賞を受賞した[35]。また『ねこぢる草』のタイトルでサウンドトラックも発売されている。
夫妻と面識があった評論家の黒川創が『ガロ』に寄稿したコラムの中で「山野一は、ねこぢるのストーリー作り補助、ペン入れ下働き、スクリーントーン貼り付け係、および渉外担当のような受け持ちをしてきたらしい。つまり、『ねこぢる』というのは個人名というより一種の屋号で、その『ねこぢる』の成分には10%か20%“山野一”が配合されているのだと考えられなくもない。私が彼女のことを“ねこぢる”と呼ぶたび、自分の頭のうしろのほうでは(……ただし、20%の山野一成分抜きの)と、落ち着きのないささやきが聞こえる。ちょっとイライラする。いったい、彼女は誰なのだろう」と述べており、二人の「極めて微妙」な関係性に困惑していたという[36]。また“特殊漫画家”の根本敬も「ただの共作者とか夫婦とか友人とかとは違う、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ以上の何か深いものを感じていた」と語っている[4]。
山野によると、ねこぢるの最初の漫画は、ねこぢるがチラシの裏や画用紙などに描いていた「奇妙なタコのようなネコの絵」をモチーフとして、ねこぢるの夢のメモをもとに山野がストーリーを書くことから始まった[5]。そのため初期のねこぢる作品である『ねこぢるうどん』では山野が原作者としてクレジットされている。二人には「極めて微妙」な役割分担があり、外部の人間をアシスタントとして入れることが出来なかったため、山野がねこぢるの「唯一の共同創作者」であった[5]。
山野の作品中にも、ねこぢる作品から着想された物が多数登場する。1990年代前半の山野作品である『カリ・ユガ』や『どぶさらい劇場』にも、ねこぢる作品のキャラクターである「にゃーこ」や「にゃっ太」の絵が描かれている箇所が存在する。二人の作品に共通して現れる物の例として、「はぐれ豚」または「一匹豚」と書かれた看板が飾られている装飾付きの大型トラックなどがある[37]。
ねこぢるのルポルタージュ漫画作品『ぢるぢる旅行記』(ぶんか社/青林堂)では、ねこぢると「旦那」の二人によるインドやネパールでの旅が描かれている。また、ねこぢるが自身の私生活を題材とした作品『ぢるぢる日記』にも「鬼畜系マンガ家」である「旦那」が登場している[38]。
なお、山野の作品にもねこぢるが部分的に関与しており、山野が1980年代後半に『漫画スカット』(みのり書房、掲載年月日不明)に発表した短編『荒野のハリガネ虫』では冒頭のクレジットに「CHARACTER DESINE C.NAKAYAMA」というねこぢるの本名の記載がある[注釈 7]。また『ガロ』1987年9月号掲載の短編『在日特殊小児伝きよしちゃん』には、ねこぢるの本名と同じ「チヨミ」という少女が登場しており、1990年に山野が『月刊HEN』というエロ本に発表した短編『さるのあな』でも「チヨミ」に似た少女が登場している。いずれの作品も子供的狂気と障害児虐待をメイン・テーマにしており、ねこぢる作品に近接した世界観となっている。
ねこぢるの死後、山野は雑誌に寄稿した「追悼文」の中で、1998年5月以前の自身の活動について「私も以前は、だいぶ問題のある漫画を描いていたものですが、“酔った者勝ち”と申しましょうか…。上には上がいるもので、ここ数年はほとんどねこぢるのアシストに専念しておりました」と打ち明けている[5]。また彼女の創作的な感性と可能性について「ねこぢるは右脳型というか、完全に感性がまさった人で、もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう」と評価している[5]。
その後、山野はねこぢるの様式で描いた漫画作品を「ねこぢるy」の名義で受け継ぎ、ねこぢるの創作様式を踏襲する一方で、コンピュータによる作画を全般的に採り入れた[注釈 8]。
ねこぢるは生前より自殺未遂経験があり、自殺の数年前に書かれた遺書が存在する[注釈 9][4][9]。その遺書には「生きていたことさえも忘れてほしい」[4]「お墓はいらない」[9]「死んだ動機については一切話さないこと」[9]と記されていたが、遺族の意向で墓が建てられている。ただし墓石には名前が書かれておらず、ブラフマン(至高の存在、宇宙の根本原理)を意味する梵字がひとつ彫ってあるのみである[9][39]。
夫の山野は自殺の真相について「故人の遺志により、その動機、いきさつについては一切お伝えすることができません。一部マスコミで“某ミュージシャンの後追い”との憶測報道がなされましたが、そのような事実はありません。ねこぢるはテクノやゴア・トランスに傾倒しており、お通夜に流した音は、彼女が“天才”と敬愛して止まなかったAphex Twin(Richard D.James)の『SELECTED AMBIENT WORKS VOLUME II』で、本人の強い希望により、柩に納められたのは、彼女が持っていたAphex TwinのすべてのCDとビデオでした」とコメントしている[40]。この某ミュージシャンとは、この数日前に他界したX JAPANのギタリストhideである。この事に関して山野は「(hideの曲に関して)彼女は多分一秒も聞いたことはない」と述べている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.