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日本の漫画家 ウィキペディアから
岡崎 京子(おかざき きょうこ、1963年〈昭和38年〉12月13日 - )は、日本の漫画家。女性。
1980年代から1990年代にかけて、多くの優れた作品を発表、時代を代表する漫画家として知られた[2]。しかし作家活動の頂点にあった1996年(平成8年)に交通事故で重傷を負い、後遺症で作家生命を事実上絶たれた。
休筆後20年以上を経てもなお、過去作品が断続的に復刊され、また映画化されている。
東京都立松原高等学校時代から橘川幸夫編集の投稿雑誌『ポンプ』等にイラストや漫画を頻繁に投稿。妹とともに表紙を飾ったこともある。
他、ミニコミ誌「リサイクル・サークル」内にイラストを提供。モチーフの多くはNew Age Steppersなどニューウェイブバンドであった。この頃、音楽家集団京浜兄弟社の加藤賢崇、常盤響、岸野雄一らと交流。跡見学園女子大学短期大学部在学中、友人の同人誌への投稿作品が、メジャーミニコミ誌『東京おとなクラブ』に転載されたものが、雑誌 『漫画ブリッコ』編集者・大塚英志に評価され、 1983年(昭和58年)、『漫画ブリッコ』(白夜書房)6月号にてデビュー[3][4]。
1980年代から1990年代にかけて、サブカル誌、漫画誌、ファッション誌などに作品が掲載され、また新しいタイプの女性漫画家として内田春菊、桜沢エリカ、原律子らとともに、一般誌にも紹介される。岡崎の作品では、映画、小説、音楽、現代思想書などからの引用が多用され[5]、また同時に岡崎の漫画表現を考察する本や雑誌も多く出版されている[2]。岡崎の作品 『ヘルタースケルター』は2003年(平成15年)度文化庁メディア芸術祭・マンガ部門優秀賞、2004年(平成16年)第8回手塚治虫文化賞・マンガ大賞を受賞[6]。
岡崎のアシスタントを務めていたことがあるのは安野モヨコ、よしもとよしとも、マユタン[注 1]、千里唱子、坂本大三郎[3]らの漫画家。また後のアートライター工藤キキもアシスタントだったことがある[3]。
結婚後の1996年(平成8年)5月19日18時半頃、自宅付近にて夫と共に散歩中、飲酒運転の大型四輪駆動車にひき逃げされ[7]、自力で呼吸できないほどの重傷を負ったうえ、意識障害が続き創作休止と長期療養を余儀なくされる[8]。
岡崎の家族の了解をとって角川書店が1998年(平成10年)に『UNTITLED』を刊行。題名は編集部と家族が話し合い決定している[7]。
以前からファンであり親交がある小沢健二のコンサートに事故の14年後(2010年(平成22年)5月)に車椅子に乗り訪れる[9]。
『ヘルタースケルター』の映画化に際して事故後初の岡崎本人の発言が2012年1月に発表される[10]。
初の大規模個展「戦場のガールズ・ライフ」が2015年に東京・世田谷文学館で開かれ[11]、その後、兵庫と福岡へも巡回した[12][13]。
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