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旧ソ連の第2.5世代および第3世代主力戦車 ウィキペディアから
T-72(ロシア語:Т-72テー・セーミヂェシャト・ドヴァー)は、1971年にソビエト連邦で開発された主力戦車である。ロシアでは「ウラル」(Урал)と言う愛称がある。
最新のT-72B3 | |
性能諸元 | |
---|---|
全長 | 9.53 m |
車体長 | 6.86 m |
全幅 | 3.59 m |
全高 |
2.19 m(T-72A) 2.23 m(T-72B及びT-72M1) 2.22 m(T-72B3及びT-72S) |
重量 |
41.5 t(T-72A) 46t(T-72B3) |
懸架方式 | トーションバー方式 |
速度 |
60 km/h(T-72A) 70 km/h(T-72B3)(整地) 45 km/h(不整地) |
行動距離 |
450 km 600 km(外部タンク搭載時) |
主砲 | 125 mm滑腔砲 2A46M |
副武装 |
7.62 mm機関銃PKT(同軸) 12.7 mm重機関銃NSVT(対空) |
装甲 |
|
エンジン |
V-46 4ストロークV型12気筒スーパーチャージド・ディーゼル(T-72A) 780 hp(T-72A) V-92(T-72B3) 1,000hp(T-72B3) |
乗員 | 3名 |
大量生産されたT-55/T-62の後継として1973年より生産が開始された第2世代主力戦車である[注 1]。高性能な精鋭部隊向けのT-80とともにハイ・ローミックスされる形でソ連軍機甲部隊に大量配備された。2022年現在もロシア連邦軍を始めとする旧ソ連構成諸国の軍で多数が配備され、機甲部隊の主力を担っている。ソ連・ロシアの同盟国、友好国に対して積極的に輸出されたほかライセンス生産も行われ、旧東側諸国を中心に中東・中南米・アフリカなど多くの国で現役である。
車高が低く軽量な車体に高火力な125mm滑腔砲を搭載し、車体・砲塔の前面を複合装甲とするなど西側第3世代戦車で主流となる技術をいち早く採用しており、同世代戦車の中では攻撃力・機動力・防御力のバランスに優れているとされる。生産開始以降大規模な改修が繰り返し行われており、2012年よりロシア連邦軍で配備が開始されたT-72B3は第3世代主力戦車に相当する性能をもつとされる。また、第3世代主力戦車T-90は本車をベースとして開発された。旧ソ連構成諸国や旧東側諸国ではそれぞれの生産技術を元に数多くのバリエーションを開発している。
1960年代、ソビエト連邦はT-64を新たな主力戦車として配備を進めていたが、当時の最新技術を詰め込んだ結果、5TDFディーゼルエンジンをはじめ自動装填装置の不具合など多くの問題点が露見、そして、最大の問題は生産コストの高さであり、充分な数を配備することが厳しい状態だった。
こうした中、T-64よりも堅実で安価な戦車の開発が、1967年からT-62の車体をベースとした「オブイェークト172」[注 2]として始まり、「オブイェークト172M」としてプロトタイプが完成した。1971年-1973年にかけ各種試験を経て正式にT-72として採用され、1974年よりチェリャビンスクのキーロフ記念チェリャビンスク工場にて、従来のT-55およびT-62の生産ラインから全面的に切り替えられ、生産が開始された。
T-72は、旧共産主義圏にて、1970年代からソビエト連邦の崩壊の1991年までもっとも多く使われた戦車であり、ソ連国内の主力工場であるウラル車両工場だけでも1990年までに22096両が生産された。ポーランドやチェコスロバキア、インド、ユーゴスラビアでもT-72M等のダウングレード版(いわゆるモンキーモデル)がライセンス生産され、総生産数は各型合わせて30000両を超えるとされる。ポーランドとチェコスロバキアでライセンス生産されたT-72Mは、砲塔前面の装甲が複合装甲から単純な鋳造装甲にダウングレードされるなど性能が意図的に引き下げられていた。 ソビエト連邦でも1990年までに自国製の輸出用モデルが開発され、アラブ諸国を中心に大量輸出した。 しかしエジプト軍に供給された例を見ても、装甲や主砲の威力などがスペックダウンしたモンキーモデルであった[1]。
ワルシャワ条約機構加盟国以外にもフィンランドやイラン・イラク・シリア・リビアなどの親ソ中東諸国にも輸出された。80年代にはイラクに対しチェコやポーランド、ソ連がT-72完成品を輸出した。後には、半完成部品をノックダウン生産でイラクで組み上げて中国製の部品で改造も行い[2]、国産戦車を自称してバビロンの獅子と命名された。またイラン・イラク戦争で使用した直輸入T-72の砲身寿命が短く、ソ連からの交換部品の供給も滞ったことから、イラク国内に砲身工場を作ることになり、これがライセンス生産化の始まりであったという。なお、ユーゴスラビア型のM-84はクウェートに輸出され湾岸戦争で対イラク戦に使用され、後にイラク戦争後の新生イラク軍(イラク治安部隊)にも導入されている。
ソ連においては、1974年に配備が始まった初期型から数多くの改修が実施されている。初期に生産されたモデルはステレオ測遠器を装備していたが、1978年から生産されたT-72Aでレーザー測遠器が装備され、砲塔に複合装甲が採用された。1985年から生産されたT-72Bでは主砲から対戦車ミサイルが発射可能となり、エンジンも840馬力のV-84に換装された。1980年代にはリアクティブ・アーマーが追加された。ソ連崩壊後しばらくはロシアの深刻な財政難から改修が滞っていたが、プーチン政権下での経済回復に伴い2012年より大幅な近代化が図られたT-72B3への改修が進んでいる。
旧ソ連構成諸国や旧東側諸国ではそれぞれの生産技術を元に数多くのバリエーションを開発しており、自国で生産したオリジナルタイプの輸出から既にT-72を購入した国への改修パッケージキットの販売など、その販売形態も広がっている。T-72自体が長期に渡り多くの国々に供給されたこともあり、ソ連から独立した諸国にとっては現在でも魅力的な軍事マーケットとなっている。
主砲は D-81TM 125 mm滑腔砲(GRAUコード:2A46M)で、西側の120mm/L44滑腔砲と比較しても遜色ない威力とされる。
初期型では光学式ステレオ測遠器、T-72A以降の改修型ではレーザー測遠器を備え、測遠器と連動した弾道計算機を搭載する。T-62では照準器内の目盛と目標物の大きさを比較して距離を推定するスタジア・メトリック式を採用しており、1500m以遠の目標に対して命中率が著しく低下する弱点があったが、T-72では正確な測遠器と弾道計算機により遠距離交戦能力が向上している。T-72B3では「ソスナU」射撃管制装置を装備し、砲塔上部の気象マストで計測した環境データを用いた高精度な射撃が可能となっている。
アクティブ・パッシブ兼用の赤外線暗視装置を装備しており、有効視認距離は500m程度と限定的ながら、星明りによる暗視が可能である。暗視装置の性能を補うために主砲脇に円盤型の「ルナ」赤外線投光器を備える。西側では1980年代から配備が本格化した熱線映像装置は、ソ連時代に生産されたT-72には装備されなかったが、T-72B3ではフランス製「CATHERINE」熱線映像カメラが搭載され、「ルナ」は取り外されている。
T-72Bからは9K120「スヴィーリ」ミサイル発射システムを備え、最大射程5,000mの9M119M「インバル」などの対戦車ミサイルを主砲から発射できる。ミサイルはレーザービーム・ライディングにより誘導される。この装置により主砲の最大射程を超える距離でも交戦できるようになった。なおミサイル発射機能を持たないT-72B1も同時に生産されており、全てのT-72が主砲からミサイルを発射できるわけではない。
砲塔直下には回転式自動装填装置[注 3]である6ETs40(ロシア語:6ЭЦ40)を搭載する。本装置は弾頭と半焼尽薬莢(装薬)が分離した砲弾を戦闘室直下の円形ドラムに格納し、それらをホイスト式の自動装填装置が拾い上げて装填する仕組みである。本装置によりT-72の乗員は3名に減少している。重い125mm砲弾を高速で機械装填できることに加え、正面からの砲撃戦で被弾率が低い車体底部に砲弾を集約することで、生存性の向上も期待された。先に同様の自動装填装置が採用されたT-64では、水平に配置した弾頭と立てた姿勢の装薬筒をアームが拾い上げて装填する方式であったが、T-72では、弾頭と装薬筒の両方を底部近くに水平に収納する回転ドラム式となったため、地雷での破壊が多く発生した。これらは西側第3世代戦車であるルクレールや90式戦車が採用している弾頭/薬莢一体型の弾薬を用いる自動装填装置とは根本的に仕組みが異なる。
本車の装甲は度々改修が行われており、多くのバリエーションが存在する。
砲塔部は鋳造製で、最も厚い部分で280 mmであったとされ、先端部で80 mmの装甲が施されていた。初期型では単一の鋳鋼装甲であったが、T-72Aからは砲塔前面部にセラミックが織り込まれ複合装甲になった。これにより砲塔前面部に女性のバストを想像させる「膨らみ」ができたことから、西側ではグラマーな女性歌手にちなんで「ドリー・パートン」のあだ名がつけられた。T-72Bではさらに装甲が強化されて厚みが増したために「スーパー・ドリー・パートン」と呼ばれた。
車体自体の前面部は初期型より複合装甲を採用しており、鋼鉄装甲板にセラミックやガラス繊維などを織り込まれ、その厚さは200 mm程度だが、独特の傾斜デザイン(避弾経始)により、その効果は実質500 - 600 mm厚の圧延装甲板に匹敵する強度を実現した。車体側の装甲の構成も防御力を向上させるために度々改修された。
T-72Bからは成形炸薬弾(HEAT)に対し有効な「コンタークト1」爆発反応装甲が追加装備された。さらにT-72BMとして知られるT-72B 1989年型からはAPFSDSにも有効な「コンタークト5」が装備された。ソ連崩壊後に西側で行われたテストでは、「コンタークト5」は当時米軍が配備していたAPFSDSの弾体を粉砕し、完全に無力化できることが確認された。
一方で輸出型であるT-72Mでは、初期型のT-72と同様、車体部にしか複合装甲を装備していなかったが、、T-72M1からT-72Aと同等の複合装甲を装備した砲塔に変更され、能力向上がなされている。
当初は履帯や車体側面を成形炸薬弾から守るためのサイドスカートが分割式の金属製であったが、破損しやすかったため、後に金網入りのゴム製に変更された。
T-34に搭載されたV-2ディーゼルエンジンを改良した、V型12気筒4ストロークディーゼルエンジンを搭載する。T-64やT-80が野心的な設計のエンジン(T-64は対向ピストンエンジンの5TD、T-80はガスタービンエンジン)を搭載し、高性能の一方で信頼性の低さに悩まされたのに対して、本車のエンジンは凡庸な性能ながら信頼性が高く、本車が各国で配備され続ける理由の一つとなっている。
本車はT-64のエンジン、および足回りの問題が発端で開発が始まった事もあり、エンジンは信頼性が高いものが選択された。T-72が採用するV-46は、第二次世界大戦時のBT-7MやT-34が搭載したV-2を改良して横置き型とし、さらに出力を500馬力から780馬力に引き上げたものである。T-72シリーズは1970年代から長期にわたり運用されているため、T-72Bでは840馬力のV-84、T-72B3では1000馬力のV-92S2、T-72B3Mでは1130馬力のV-92S2Fと車両の改修・発展ごとにエンジンも高出力のものに換装されている。
トランスミッションは遊星歯車機構を用いた7段変速で、油圧補助により軽い力で操作できる。操縦は左右の履帯を2本のレバーで操作する、この世代の戦車としてはオーソドックスな形式である。T-72B4など一部の改修型でオートマチックトランスミッションとハンドル型操縦装置の導入が試みられているが、費用の問題もあって本格的な配備には至っていない。なお、機構を簡略化するために後進速度が最高4.18km/hに制限されている。
また、ソビエト連邦の崩壊以降はロシア以外のT-72保有国でそれぞれ独自の改修を施しているため、エンジンや駆動系についても各国で馬力やシステムが異なる。
ソ連の戦車はヨーロッパ平原での運用を想定して極力低車高に設計されているが、本車の車高は2.19~2.23mしかなく、先代のT-62(車高2.4m)よりもさらに低くなっている。西側のチーフテンより60cm、レオパルト1より40cmほど低い。無砲塔として車高を下げたStrv.103より10cm弱高いだけに過ぎず、74式戦車と同程度である。
また全体的に車体が小さいため、重装甲であるにも関わらず車重も西側諸国の主力戦車と比べて軽量である。初期型で41トン、多数の追加機材を導入し装甲を強化したT-72B3でも46トンしかない。当時のワルシャワ条約機構下ではこの重さを基準に道路や橋を設計したと言われており、自軍の戦車が進行するには有利かつ、他国の戦車の侵攻を阻む地形になっていた。軽量なことから、780馬力にもかかわらず、ドイツのアウトバーンでは調速機を解除することで110km/hの路上最大速度を記録したと言われる。
乗員は、砲塔の主砲右側に車長、左側に砲手、車台中央前方に操縦手の3名が搭乗する。車内は狭いものの乗員毎に個別のスペースがあり、乗降ハッチも一人にひとつ用意されている。
ソ連時代に生産されたT-72の各型には冷房が装備されておらず、各乗員の前に小型扇風機が設置されているのみである。
125 mm滑腔砲や複合装甲を備えたT-72は前述のように攻撃力・防御力・機動力で同時代の他国の主力戦車を上回り、また、それらのバランスも優れていた一方で、以下のカタログデータには現れない弱点があった。
T-72では回転型自動装填装置により弾薬を被弾率が低い車体底部に集約し、生存性の向上を狙った。また、湿式弾薬庫とすることで弾薬への延焼を防ぐ設計となっていた。これは乗員と弾薬をまとめて防御できるため効率的で、車高も抑えられ被弾率が低くなるほか、引火した場合でも乗員が脱出する時間を稼げるという利点があった。これらの防御方式は、ただ砲弾を搭載しているだけの、同世代の西側第2世代戦車と比べると、進歩的な方式であった。
一方、その構造から車体底部の弾薬に誘爆した際には爆風が戦闘室を直撃し、砲塔が真上に吹き飛ぶ「びっくり箱」効果で車体が大破する恐れが指摘されている[3]。実戦では車内にむき出しの予備弾薬を搭載している場合も多く、この場合貫通した砲弾が弾薬庫に直撃しなくとも、防護されていない予備弾薬に引火して車内に甚大な被害をもたらす[3]。しかし、車体弾薬庫は西側戦車でも採用されており、「びっくり箱」に近しい現象がレオパルド2等でも報告されている。
これは、後の西側の第三世代主力戦車の多くが、車高が高くなるという欠点があるものの、比較的被弾率が高い砲塔外側のバスルに弾薬庫を置き、誘爆した場合には隔壁で戦闘室内への爆風の侵入を防ぎ、ブローオフパネルで車外へ爆風を逃がすことで、乗員の生存率向上と車体全体の損害軽減(その分修理が容易になり、稼働率が下がりにくい)を狙っている[注 4]のとは対照的である[3]。
また「被弾率が低い」というのは戦車や対戦車砲などで地上から狙った場合の話であり、砲塔上部の装甲が薄い[注 5]ことも相まって上部から攻撃を受けた場合に脆弱であり、T-72では砲塔下方の車体底面に弾薬庫(と自動装填装置)があることから砲塔上面から貫通した弾丸が弾薬庫に被弾すると誘爆を起こす可能性が高い。この問題は基本的に、T-72のみならず同様の構造となっている第三世代戦車のT-80、T-90や、中国の99式戦車なども同様である。
さらに変速機を簡略化するために後進速度は4.18km/hに制限されており、また超信地旋回ができない構造になっている。このため、隊列の先頭車両が敵軍の攻撃により破壊擱座した場合に後退が遅いため、同一の敵軍から攻撃を受ける可能性が高くなる。また、超信地旋回が不可能で転回の回転半径が大きいため、前車両の走行路から左右にはみ出して攻撃を受けたり、先行車両が踏まなかった地雷の被害を受ける可能性が高くなる。このため、ウクライナ戦役では先頭車両が擱座した場合に後続の車両群が大被害を出す結果となった。その実践経験から、先頭車両が擱座して後続車両群が身動きがとれなくなると、まだ破壊されていない車両からも乗員が脱出逃避する結果となっている。
こと実戦では、湾岸戦争やイラク戦争、チェチェン紛争やグルジア戦争、ウクライナ侵攻において、これに起因する砲塔が吹き飛んだ事による弾薬庫が位置する車体中央下部が著しく損壊したT-72が目撃されている[3]。湾岸戦争やイラク戦争ではアメリカ軍のA-10攻撃機や攻撃ヘリコプターによる航空攻撃の、チェチェン紛争やシリア内戦、ウクライナ侵攻における市街戦では建物上部に陣取った対戦車部隊の格好の標的となった。中でもウクライナ侵攻では、ロシア連邦軍の装甲戦闘車両含め多大な損害を出す中で[3]、特にNATO諸国がウクライナへ供与したFGM-148 ジャベリンやNLAWなどの、平地での戦闘でも容易に砲塔上面からの攻撃が可能なトップアタック (Top attack) 式の対戦車ミサイルにより、T-72に限らずT-80・T-90を含め砲塔が吹き飛ぶなどして撃破される損害を被っている[4][5]。
ソ連の戦車はヨーロッパ平原での運用を想定して砲塔の小型化や低車高化を優先しており、砲の俯仰角が小さくなりがちであった。T-72はそれまでのT-55やT-62から更に砲塔の小型化と長砲身化を進めたため、砲の上下の可動範囲が-6/+13度と狭く、山岳戦、市街戦になったチェチェン紛争ではビルや山の上に構築された陣地や、肉薄する歩兵に対する砲撃ができない状況が散見された。
歩兵への支援任務が圧倒的に多くなる途上国の紛争では、T-72よりも仰角俯角の大きく取れるT-54/55が現場では好まれるという。この欠点もT-72だけでなくT-64やT-80、T-90にも共通したものである。
なお、ロシア軍では上記のチェチェン紛争の戦訓としてT-72その他の戦車を改良するのではなく、BMP-T(戦車支援戦闘車)という新しいコンセプトの車両を開発し、戦車と共同運用する事で解決策とした[注 6]。
砲塔・車台とも小型に設計されているため車内の容積に余裕が少なく、新しい装備や機材を追加導入しづらい構造である。但し、近年では技術の進歩により精密機材の小型化が可能になったため、T-72B3Mなどでは車長用パノラマサイトの装備によるハンターキラー能力の付与が可能となった。
主砲弾のAPFSDSは弾芯が長いほど貫通力の向上に有利であるため、2020年現在西側で配備される砲弾では弾芯が装薬部分に入り込んだ構造になっている。T-72系列の戦車は装薬が別になった分離式砲弾であることと自動装填装置の機械的制約上、弾芯延長の上限が西側の120mm砲と比べ短く、火力において不利な状況にある。この対策としてT-72B3では主砲を自動装填装置が改良された2A46M-5に変更し、より弾芯が長い「Svinets-1/2(Свинец-1/2)」砲弾が使用できるようになった。
T-14 | T-90 | T-80U | T-80 | |
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画像 | ||||
世代 | 第3.5世代 | 第3世代 | ||
全長 | 10.8 m | 9.53 m | 9.55 m | |
全幅 | 3.5 m | 3.78 m | 3.6 m | |
全高 | 3.3 m | 2.23 m | 2.2 m | |
重量 | 55 t | 46.5 t | 46 t | 42.5 t |
主砲 | 2A82-1M 125mm滑腔砲 |
2A46M/2A46M-5 51口径125mm滑腔砲 |
2A46M-1/2A46M-4 51口径125mm滑腔砲 | |
装甲 | 複合+爆発反応+ケージ (外装式モジュール) |
複合+爆発反応 (外装式モジュール) | ||
エンジン | 液冷4ストローク X型12気筒ディーゼル |
液冷4ストローク V型12気筒ディーゼル |
ガスタービン or 液冷2ストローク 対向ピストン6気筒ディーゼル |
ガスタービン |
最大出力 | 1,350 - 2,000 hp | 840 - 1,130 hp | 1,000 - 1,250 hp | 1,000 - 1,250 hp |
最高速度 | 80 – 90 km/h | 65 km/h | 70 km/h | 70 km/h |
懸架方式 | 不明 | トーションバー | ||
乗員数 | 3名 | |||
装填方式 | 自動 |
T-72 | T-64 | T-62 | T-55 | T-54 | |
---|---|---|---|---|---|
画像 | |||||
世代 | 第2.5世代 (B型以降第3世代) |
第2.5世代 | 第2世代 | 第1世代 | |
全長 | 9.53 m | 9.2 m | 9.3 m | 9.2 m | 9 m |
全幅 | 3.59 m | 3.4 m | 3.52 m | 3.27 m | |
全高 | 2.19 m | 2.2 m | 2.4 m | 2.35 m | 2.4 m |
重量 | 41.5 t | 36~42 t | 41.5 t | 36 t | 35.5 t |
主砲 | 2A46M/2A46M-5 51口径125mm滑腔砲 |
2A21 55口径115mm滑腔砲 2A46M 51口径125mm滑腔砲 (A型以降) |
U-5TS(2A20) 55口径115mm滑腔砲 |
D-10T 56口径100mmライフル砲 | |
装甲 | 複合 (B型以降爆発反応装甲追加) |
通常 | |||
エンジン | 液冷4ストローク V型12気筒ディーゼル |
液冷2ストローク 対向ピストン5気筒ディーゼル |
液冷4ストローク V型12気筒ディーゼル | ||
最大出力 | 780 - 1,130 hp/2,000 rpm | 700 hp/2,000 rpm | 580 hp/2,000 rpm | 520 hp/2,000 rpm | |
最高速度 | 60 km/h | 65 km/h | 50 km/h | ||
懸架方式 | トーションバー | ||||
乗員数 | 3名 | 4名 | |||
装填方式 | 自動 | 手動 |
1974年以降ソ連軍に大量配備されたT-72であるが、対NATOを想定していた西部の軍管区やワルシャワ条約機構加盟国駐留ソ連軍に優先的に配備されたため、1979年から始まったアフガニスタン紛争には投入されず、実戦機会はなかった。ソ連時代におけるソ連本国での使用は、わずかに1991年のソ連8月クーデターの際に出動したのみであった。一方で、従来は戦車を含めた各種兵器は主に本国で旧式化した装備を輸出していたが、T-72に関してはモンキーモデルと呼ばれる輸出用モデルが早い段階で生産されたため、ソ連崩壊以前には中東などに輸出された車両を中心に実戦経験を積み重ねていくことになった。
T-72が西側の主力戦車(MBT)と戦火を交えたのは、1980年に勃発したイラン・イラク戦争においてソ連製戦車を中心とするイラク軍のT-72がチーフテンなどを装備するイラン軍と交戦したのが最初である(デズフールの戦い)。当時最新鋭のT-72はAPFSDSを使用し、重装甲を誇るチーフテンを正面から易々と貫徹し多数撃破するなど善戦した。
T-72の戦闘が初めて世界の注目を集めたのは、1982年にイスラエルがレバノンへ侵攻した(イスラエル作戦名「ガリラヤの平和」)際にシリアのT-72がメルカバ Mk.1と交戦した時である。シリア第3機甲師団の装備するT-72は、ベッカー盆地南部で6月10日頃、従来型のAPDS弾を搭載したショット (イスラエル軍仕様センチュリオン)戦車一個大隊を攻撃し、これに損害を与え撤退させた。また、ERA装備型のM60とも交戦し、数両を撃破した[6]。これに対しイスラエル軍のベンガル少将は翌日、第7機甲旅団の新鋭戦車メルカバを派遣。当時のメルカバ Mk.1の主砲は一世代前とされるL7 105 mm戦車砲であったが、イスラエルが独自に開発した完全タングステン合金弾芯のAPFSDSの性能やイスラエル軍とシリア軍の戦車兵の錬度の差があったことなどが原因でT-72はメルカバに遠距離から撃破された。しかし逆に防御力で当時から有名なメルカバの正面装甲を正面から貫徹、撃破した例も多数ある。
ソ連末期には構成共和国内で民族紛争が多発していたが、1991年12月のソ連崩壊以降は独立した各国で戦争状態が本格化し、旧ソ連軍に配備されていたT-72もナゴルノ・カラバフ戦争、チェチェン紛争などに相次いで投入された。チェチェン紛争ではグロズヌイの戦いで激しい市街戦が発生し、チェチェン側の対戦車部隊の攻撃で多数のT-72が撃破されている。
1991年と2003年、二度にわたりT-72は西側の第3世代戦車である、M1エイブラムス、チャレンジャー1・2と激突した。アメリカ軍を中心とした多国籍軍の戦車は、貫通力の高い劣化ウラン弾を採用した強力な砲弾と、同じく劣化ウランを織り込んだ防御力の高い装甲、夜間でも確実に標的を捕らえる事のできる射撃管制装置など最先端の装備で臨み、圧倒的な制空権のもとでエアランド・バトル戦を展開した。それに対しイラク軍は航空優勢を失っており、保有していた5,100両の戦車のうち、T-72の保有数は1,038両程度と全体の約20%程度しかなく、その多くが共和国防衛隊に集中配備されていた[9]。
イラク軍が運用していたT-72M[注 7]/M1はともに複合装甲を装備していたものの、多国籍軍戦車が使用するAPFSDS弾に対しての防御力は期待できるものではなかった。また使用していたAPFSDS弾の侵徹体もタングステン製ではなく、旧式の鋼鉄製のものが使用されたと言われている。
このため、M1エイブラムスの砲塔に直撃弾を与えたにもかかわらず、全くダメージを与える事ができなかったケースがあり、実際にエイブラムスの搭乗員より練度が高い共和国防衛隊のT72の搭乗員が140mの至近距離からエイブラムスの砲塔側面に鉄製のAPFSDS弾を複数回命中させたが装甲表面が凹んだ程度の損害しか与えられずに稜線ごと撃破されていたりとM型の劣化ぶりを象徴するエピソードが多数ある。[注 8]。
イラクが行った改良はレーザー検知器を加えた程度であったため、多国籍軍側戦車との性能差は明らかであり、T-72は殆ど一方的に撃破された。また、上述の生存性の項の通り、T-72は砲塔下部に砲弾を収納する設計になっていたため、貫通した砲弾によりたやすく誘爆を招き、搭乗員全ての命を奪う事となった。車内の誘爆によって砲塔が箱の蓋を開けた様に横倒しや裏返しになったり、上空に吹き飛ぶ様子を見たアメリカ軍兵達はT-72を「ジャック・イン・ザ・ボックス(Jack in the Box:びっくり箱)」と呼んでいた[5]。
湾岸戦争における73イースティングの戦いなど、夜間に最新の電子装備が搭載されたM1A1HAにより一方的に撃破される映像が世界中に流された事もあり、T-72の兵器としての商品価値は一気に下落しイメージの失墜を招き、それに伴う輸出の不振を招いた[10]。T-72の全面改修タイプであるT-90は、この失墜したロシア製兵器のブランドイメージ回復を目的に開発されたと言われ[注 9]、また、輸出に際してもモンキーモデルにせず、本国と同等の仕様にしているとも言われる。
2022年ロシアのウクライナ侵攻に際して、ロシア軍は機甲部隊の主力として多数のT-72を投入した。その中には旧型のT-72AVやT-72Bから、新型のT-72B3や発展型であるT-90まで含まれる。また、T-72B3を含め戦車がウクライナ側に鹵獲または撃破されているが、その被害の多くはウクライナ軍戦車など装甲戦闘車両との戦闘ではなく、FGM-148 ジャベリンなどの歩兵用携帯兵器によるものである事が特徴である[11]。特に主力となっているT-72B3Mに至っては、開戦から3月22日までの間に25%強の損失を出している事が、オランダの「Oryx Blog」で報じられている[12]。
T-72の派生型及び運用国も参照。
上記4作に登場するものも『ランボー3』に登場したものと同じレプリカ車両である。このレプリカ車両はT-72の特徴をよく捉えているが、砲塔が実物に比べて小さく、形状が平たくないことや、履帯の形状、砲塔前面周囲に装着されている発煙弾発射筒の形と位置で見分けることができる。なお、このレプリカ車両は2000年代になっても現存しており、『メギド』や『レッド・ドーン』といった作品に登場している。
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