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イギリスの小説家 (1879-1970) ウィキペディアから
エドワード・モーガン・フォースター(Edward Morgan Forster OM CH, 1879年1月1日 - 1970年6月7日)は、イギリスの小説家。主な作品に『ハワーズ・エンド』、『インドへの道』、短編 "The Road From Colonus" などがある。
異なる価値観をもつ者同士が接触することで引き起こされる出来事について描いた作品が多い。
ロンドンで建築家の子として生まれたフォースターは、本当はヘンリーと名付けられるはずだったのが、手違いでエドワードという名を与えられた。ケント州のトンブリッジ校で学び、その後ケンブリッジ大学キングス・カレッジの学生だった1901年、かれはケンブリッジ使徒会(Cambridge Apostles)の名で知られる団体(公式名称はケンブリッジ懇親会)に参加するようになった。そのメンバーの多くは、続いてブルームズベリー・グループ(Bloomsbury Group)として知られることになる文学者団体の構成員となった。フォースターもまた、ジーグフリード・サスーン(Siegfried Sassoon)、J・R・アッカーリー(J. R. Ackerley)、フォレスト・レイド(Forrest Reid)と共にブルームズベリー・グループに参加した。
大学卒業後、フォースターは古典文学者のG・L・ディキンソンと共に多くの外国を旅した。最初はイタリアやギリシアを訪れ、その時の体験をもとに『天使も踏むを恐れるところ』や『眺めのいい部屋』が執筆された。1914年頃からはエジプト、ドイツ、インドを旅した。1916年-1917年の冬に中東へ旅行したとき、かれはオスマン帝国(現イスラエル領内)のラムレー(Ramleh)で路面電車の車掌をつとめる17歳の若者モハメド・エル=アドル(Mohammed el-Adl)と出会う。フォースターは恋に落ち、その存在は、かれの文筆活動の重要な着想の一つとなった。モハメドは1922年、アレキサンドリアで結核のため亡くなる。その死の後、フォースターは青春の記憶を生かし続けようという思いに駆り立てられ、その気持ちを表すことを、1冊の本ほどの長さの手紙というかたちで試みた。この手紙はケンブリッジ大学キングス・カレッジに保管されている。その出だしは、次のような引用から始まる。
そして、このようにしてかれらの愛情を復活させることは不可能であるという自認で終わるのである。
フォースターは晩年、文壇の最長老として多大な賛辞を浴び、1969年にはメリット勲章を授与。1970年にコヴェントリーで死去した。91歳没。
フォースターの作品の中心には世俗的なヒューマニストとしての視点があり、かれの作品はしばしば、フォースターの有名な題辞である「社会の壁を越えて」、お互いに理解し合おうとする人物たちが特徴となっている。フォースターのヒューマニストとしての視点は、かれのノンフィクションエッセイである What I Believe で明示されている。
フォースターの最も有名な2つの作品、『インドへの道』と『ハワーズ・エンド』は、階級の違いによる相容れなさについて試した作品といえる。また、一部からは文学的比重が少ないと見なされている『眺めのいい部屋』も、かれの作品の中で最も広く読まれ受け入れられている作品であり、初版から1世紀近く経ってもなお知名度が高いという点で注目に値する作品である。生前に刊行されなかった『モーリス』は、同性愛の関係の一部としての階級差からの和解について考えられた作品である。
性別もまたフォースターの重要なテーマであり、かれの作品は異性愛から同性愛への進化と性格づけられるとして論議を呼んでいる。『モーリス』の序文には、フォースター自身が同性愛を抱いてもがき苦しんでいる様子が示されており、また同性愛をテーマとしたいくつかの短編においても類似した内容が見受けられるのである。
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