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『赤毛のアン』(あかげのアン)は長編小説。カナダの作家L・M・モンゴメリが原題「Anne of Green Gables」を1908年に発表。児童向けに書かれた作品ではないが、ここ数十年は児童文学に分類されている。 グリーンゲイブルズ (Green Gables) はアンが住むカスバート家の屋号。「緑の切妻屋根」[4]という意味である。
Anne of Green Gables 初版本の表紙 | |
著者 | ルーシー・モード・モンゴメリ |
---|---|
絵 | M. A. and W. A. J. Claus |
国 | カナダで執筆され、舞台とした。アメリカ合衆国で出版[1][2]。 |
言語 | |
シリーズ | アン・ブックス |
ジャンル | 小説 |
出版日 | 1908年6月 (L.C. Page & Co.)[3] |
次作 | アンの青春 |
文章 | 赤毛のアン - Wikisource |
モンゴメリは新聞記事で読んだ、「男の子と間違えて女の子を引き取った夫婦の話」に着想を得て、この作品を書いた。彼女はプリンス・エドワード島の田舎で育った自身の少女時代も作品に投影した。孤児院暮らしだったアン・シャーリーが、11歳でアヴォンリーのカスバート家に引き取られてからクィーン学院を卒業するまでの少女時代5年間を描いた『赤毛のアン』は人気作となり、モンゴメリーはアンを主人公とする続編や周辺人物にまつわる作品を多数著している。モンゴメリーはイヴリン・ネスビットの写真を雑誌から切り取り、書き物机の上に貼り、主人公アン・シャーリーのモデルにした。また、モンゴメリー自身、早くに両親と離れて祖父母に育てられたため、アン同様、孤独で理解されない子供として育った経験を持つ[6]。
第1作『赤毛のアン』ほか、シリーズ全作には、ウィリアム・シェイクスピアやイギリス、アメリカの詩、『聖書』の句が多数引用されている。『赤毛のアン』を読んだマーク・トウェインはモンゴメリに、1908年10月3日付けで「the dearest and most moving and most delightful child since the immortal Alice」(直訳すると「かの不滅のアリス以来最も可愛らしく、最も感動的で最もゆかいな子」)と絶賛の手紙を送った。これはその後のアンの宣伝コピーとして使われることになった。
なお、『赤毛のアン』は最初にモンゴメリーが複数の出版社に原稿を持ち込んだときは、すべての出版社で出版を断られたので、自宅の屋根裏部屋に“お蔵入り”していた時期が数年ある。年月を経て、モンゴメリーが本作を読み返し、面白いのでやはり出版すべきであると思い直し、出版社に再度交渉すると、今度はトントン拍子に進展したという。
プリンス・エドワード島の村・アボンリー。独身のマリラとその兄マシューは、孤児院から男の子を養子に迎えることに決める。だが約束の日、駅に降りたのは、アン・シャーリーという11歳の赤毛の女の子だった。マリラはアンを送り返そうとするが、明るくおしゃべりなアンに心を動かされ彼女を引き取る。
アンは、同い年のダイアナと親友になり、地元の学校に編入。そこでギルバートに髪の色をからかわれ、石板を彼の頭に打ちおろすという騒動をおこす。アンは学校をやめ、留守番をしている間にダイアナをお茶会に招待するが、ラズベリー水[注釈 1]と間違えてスグリ酒[注釈 2]を飲ませてしまう。ダイアナの母親は激怒してアンと娘を絶交させる。失意のアンは登校を再開し、勉強にうちこむ。冬のある夜、アンの家にダイアナが飛び込んでくる。両親の留守にダイアナの妹が熱を出したと聞いたアンは、ダイアナの家で一晩中看病する。ダイアナの母親はアンに謝罪。アンはダイアナとの交遊を許される。想像力豊かなアンはその後もなにかと騒動をおこすが、周囲からは慕われ、頑固なマリラも心を許すようになる。
アンはギルバートたちとクイーン学院に進学し教員資格取得を目指す。アンは成績トップで奨学金を獲得。クイーン学院卒業後はレッドモンド大学に進学を決める。そんなとき、マシューが銀行倒産の新聞記事を見て、ショックで倒れて急死。目が悪くなったマリラはグリーンゲイブルズの家を売りに出し、知り合いの家に身を寄せることを考える。アンは大学進学を取りやめ、隣町のカーモディの教員になることを決意。アボンリーの教員に決まっていたギルバートは学校理事会にかけあい、アンにアボンリーの仕事を譲る。アンはようやくギルバートと和解し、グリーンゲイブルズで満ち足りた夜を迎える。
邦題の『赤毛のアン』は、村岡花子が初邦訳を手掛けた時に付けられたものである。村岡は教文館の同僚、カナダ人宣教師ミス・ショーが戦局から1939年にカナダに帰る際に原書を渡された(ショーは出版の翌年に亡くなり、再会することはなかった)。当初、村岡は『窓辺に倚る少女』という題を考えていた[8]が、刊行する三笠書房の編集者・小池喜孝が『赤毛のアン』という題を提案し[9]、当時の社長の竹内道之助が村岡にこれを伝えた。
村岡はこれを一旦断るが、これを聞いた村岡の娘のみどり(当時20歳)が『赤毛のアン』という題に賛同し、これを強く推した。このため村岡は、娘のみどりのような若い読者の感覚に任せることにし、『赤毛のアン』という邦題を決定した[10]。しかし、こうして刊行された『赤毛のアン』の表紙に描かれていたのは、どう見ても金髪の少女[11]であった[12]。
なお、イタリア語訳の題名も「赤毛のアン」を意味する Anna dai capelli rossi となっているが、これは、翻訳書の刊行よりも先に、日本のアニメ作品が、この題名でイタリアで放送されたことが影響していると考えられている[要出典][13][出典無効]。
各タイトルは村岡花子訳に準拠する(『アンの想い出の日々』のみ、その孫である村岡美枝訳に準拠する[注釈 5]。)。一般に、『赤毛のアン』から『アンの想い出の日々』までのアンを主人公とするか準主人公とする9冊の本を、アン・ブックスと呼ぶ。これに対し、追加の2冊は短編集で、アヴォンリーの村を舞台とし「アンの物語」と同じ背景設定であるが、大部分の作品はアンとは直接に関係していない。総じて題名が示す通り「アンの周囲の人々の物語」である。 なお、4冊目「アンの幸福」の原題は、イギリス版はAnne of Windy Willows、アメリカ版はAnne of Windy Poplarsとそれぞれ異なり、内容も多少異なる。
書名 | 原題 | 出版年 | アンの年齢 | 物語の年代 |
---|---|---|---|---|
赤毛のアン | Anne of Green Gables | 1908 | 11 - 16 | 1877-1882 |
アンの青春 | Anne of Avonlea | 1909 | 16 - 18 | 1882-1884 |
アンの愛情 | Anne of the Island | 1915 | 18 - 22 | 1884-1888 |
アンの幸福 | Anne of Windy Willows | 1936 | 22 - 25 | (1888-1891) |
アンの夢の家 | Anne's House of Dreams | 1917 | 25 - 27 | 1891-1893 |
炉辺荘のアン | Anne of Ingleside | 1939 | 33 - 39 | 1899-1905 |
虹の谷のアン | Rainbow Valley | 1919 | 40 - 41 | 1906-1907 |
アンの娘リラ | Rilla of Ingleside | 1921 | 48 - 53 | 1914-1919 |
アンの想い出の日々 | The Blythes Are Quoted | 2009 | 40 - 75 | 1906-1941 |
以下はアンとの関連が薄い短編集 | ||||
アンの友達 | Chronicles of Avonlea | 1912 | ― | ― |
アンをめぐる人々 | Further Chronicles of Avonlea | 1920 | ― | ― |
上記の2作品は、いずれも原題はAnne of Green Gables。『紅雀』は日本では1935年に公開され、当時、日本では原作が未だ刊行されていないためこのタイトルとなった(『天涯の孤児』も同様)。
1964年に、カナダで、ノーマン・キャンベル(Norman Campbell)等によって制作、初演。1969年にイギリス、1970年に日本、1971年にアメリカ合衆国で、それぞれ上演された。代表的なミュージカルナンバーは、アイスクリーム。日本では劇団四季が断続的に上演、他にもエステー主催で毎年8月に完全無料招待制で上演、アン役はこれまでに山川恵里佳、華原朋美、島谷ひとみ、神田沙也加、高橋愛、上白石萌音、上白石萌歌[24]、美山加恋[25]、田中れいな[26]が務めていたが現在休止中。また、「国連クラシックライブ協会」が主催の「生命のコンサート音楽劇」としても上演されている。近頃では、海外公演も行なわれている。なおミュージカルでない純粋舞台劇としては日本では唯一劇団エンゼルのみが上演可能(上演権許諾済)で、ここが主催する舞台『赤毛のアン-みどりやねの朝-』では嘗てアニメでアンを演じた山田栄子がマリラを演じている。
2001年に、『赤毛のアン』の原題である「Anne of Green Gables」の商標登録を認められたサリヴァン・エンターティメント・インターナショナル・インコーポレーテッド(カナダ:sullivan entertainment international inc)に対し、同カナダのプリンスエドワードアイランド州が、一部商品についての登録無効の審判を2004年に特許庁に請求し、翌年無効審決を得た。これに対し、上記サリヴァン(カナダ)はこの無効審決の取消しを求める裁判を起した。
日本の知的財産高等裁判所は「審決は、原告(サリヴァン(カナダ))が、本件原作者の遺産相続人,被告,後記アン・オブ・グリーン・ゲーブルス・ライセンシング・オーソリティ・インク(以下「AGGLA」という。)らの承諾を得ることなく本件商標登録を行ったことは、これらの者との信義誠実の原則に反し、穏当を欠くものであり、かつ本件商標を我が国の商標として登録することは、被告を含むカナダ国政府との間の国際信義に反するものであると判断し、本件商標登録は、商標法4条1項7号に違反し、無効であるとした」とし、これを退けた[30][31][32]。
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