東山動植物園
愛知県名古屋市千種区の市立動植物園 ウィキペディアから
愛知県名古屋市千種区の市立動植物園 ウィキペディアから
東山動植物園(ひがしやまどうしょくぶつえん)は、愛知県名古屋市千種区東山元町の東山公園内にある市営動植物園。1937年(昭和12年)に開園した。
2017年(平成29年)の年間入場者数は、日本国内で上野動物園に次ぐ約240万人となっている[2]。2005年(平成17年)から2009年(平成21年)までの5年間は、北海道の旭山動物園に次ぐ3位だった。2017年(平成29年)現在、飼育種類数は日本一[3]。2010年より「東山動植物園再生プラン」により、民間企業を含めた非常に大規模なリニューアルを行っている。
59ヘクタールもの広大な園内には、動物園(本園・北園)、植物園、東山スカイタワー、さらに遊園地が併設されている。名物は数百種類もの世界中のメダカ類を体系的に展示している「世界のメダカ館」である。また、屋外飼育で活発に走り回るシンリンオオカミの姿が見られたり、カンガルーを至近距離で見られる「カンガルー広場」、ライオンをガラス越しに見られる「ワ〜オチューブ」が設置されるなど、動物本来の生態を見せる展示が進められている。また、ほかの施設では隠蔽されがちな動物の(飼育下での)精神的ストレス(を解消させるということ)についても来園者に対してきちんと説明が行われている。また、かつては国内では1頭のみというドールシープや、国内では3園でしか飼育されていない希少なペルシャヒョウの飼育も行っていた。
園内を走るモノレールとして5両編成の「スカイビュートレイン」がある。2009年(平成21年)5月4日にコアラ舎の前に車輪の部品が落下する事故が発生したことを受けて運休していた[4]が、2010年(平成22年)3月18日より運行再開した。なお、スカイビュートレインが開通する以前には、動物園と植物園との間におとぎ列車や本格的な懸垂式モノレール(東山公園モノレール)が走っていた。このうち後者はサフェージュ式モノレールの実用試験として当園に導入されたものだった。2016年(平成28年)3月には、「スロープシューター」の追突事故と「観覧車」の扉の閉鎖確認を怠ったことにより、遊園地の営業を全面中止し、全遊具の安全確認と再発防止策の検討を行った。なお、2016年(平成28年)10月には、「スロープシューター」と「観覧車」の運行が再開された。
1968年(昭和43年)以降は、動物園と植物園の入場券が共通となっている。
1890年(明治23年)に、動物商の今泉七五郎により公開された「浪越教育動物園」を起源としている。市立動物園としては今泉から譲渡された動物を元として、鶴舞公園において1918年(大正7年)に「名古屋市立鶴舞公園付属動物園」として開園したものが始まりである。手狭になったため、当時新設された東山公園へと1937年(昭和12年)1月に移転し東山動物園に改名。開園当初は「東洋一の動物園」とも呼ばれていた。
第二次大戦前には、ゾウ・キリン・ライオン・トラなど700種1,200点という動物数を誇る大動物園となる。戦中、上野動物園や天王寺動物園と同様、空襲によって暴れだしたら問題だということで多くの動物が殺されたり(戦時猛獣処分)、餌不足により餓死するなどし、終戦まで生き延びたのは5種26点(ゾウ2頭、チンパンジー1頭、カンムリヅル2羽、カモ20羽、白鳥1羽)だけであった。しかし北王英一園長や千種警察署長の大野佐長などの努力があり、日本国内では唯一ここの2頭のゾウだけが終戦時まで生き延びたため[注 1]、戦後になるとゾウを見ようと全国から小中学生団体が詰めかけた(象列車の項目も参照)[5]。
戦後には動物の数も回復。昭和20年代後半から昭和40年代前半まではゾウやゴリラによる動物ショウなどが人気を博したが、世相の変化もあって、単なるレクリエーションではない、教育・研究・繁殖などにも重きを置いた動物園へと徐々に転換した。
1984年(昭和59年)には、日本で初めてコアラが来日し、コアラ舎には連日の行列ができた[注 2]。また、外国の動物園とも姉妹動物園になる。
2015年(平成27年)、ニシローランドゴリラ「シャバーニ」が「イケメンゴリラ」として話題になった。
動物園の開園に先立ち、1937年(昭和12年)3月3日に開園した[注 3]。
植物園内の大温室の前館は開園当時のもので、現存する温室では日本最古である。当時は「東洋一の水晶宮」と呼ばれた。2006年(平成18年)12月には重要文化財となる。また、前館内には開園当時に植えられたヤシなど十数種が現存している。温室前室は2014年(平成26年)から2020年(令和2年)9月まで改修工事が行われ、その後、植物を戻しイタリア風洋風庭園と合わせて2021年(令和3年)4月23日より一般公開されている。
植物園全体は自然林を活かす形で整備されており、未舗装路も含めて縦横に散策路が走る。奥池のほとりには1956年(昭和31年)に白川郷から合掌造りが移築され内部が公開されているほか、日本庭園の傍には1971年(昭和46年)に見つかった東山古窯跡群の窖窯跡が残る。
1996年(平成8年)には「東山植物園の野鳥」が日本の音風景100選に選ばれた。
また、植物園ではあるが、子供たちが動物と直に触れ合える「小鳥とリスの森」や「こども動物園」が一角に置かれており、人気遊具としてローラー式すべり台「樹快ダー」(全長約200メートル、高低差約28メートル)も設置されている。
アジアゾウ、コツメカワウソ、インドサイ、マレーバク、アクシスジカ、スマトラトラ、コサンケイ、レッサーパンダなど。
名古屋市は、松原武久市長時代に「東山動植物園再生プラン」を策定した。
のちに市長となった河村たかし市長はこのプランの撤回を表明した[13]がプランは継続されており、東山動物園の公式ホームページで事業の進捗状況が報告されている。
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