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架空の怪盗 ウィキペディアから
怪人二十面相(かいじんにじゅうめんそう)は、江戸川乱歩の創作した架空の大怪盗。同じく江戸川乱歩の作品の数々に登場する名探偵明智小五郎や、彼の助手・小林少年と彼率いる少年探偵団がライバルとなっている。日本人で、本名は遠藤平吉(えんどう へいきち)。
黒マントにタキシード、黒いアイマスク[注 1] が二十面相の有名なイメージだが、これは「少年倶楽部」の挿し絵に描かれた姿であり、映画やドラマではたびたび採用されるが、乱歩の原作中に登場したことは一度もない。
1936年(昭和11年)に『怪人二十面相』で初登場し、乱歩作品では1962年(昭和37年)まで、おもに少年少女向け探偵小説『少年探偵シリーズ』に登場した。『妖怪博士』後の戦争(第二次世界大戦)中は息を潜めていたが、日本敗戦後の『青銅の魔人』にて復活。以降は逮捕・脱獄・偽装死を繰り返しながらも明智や小林率いる少年探偵団と対決し、『透明怪人』での逮捕後は、『怪人四十面相(かいじんしじゅうめんそう)』とも名乗る様になっている。
年齢は三十歳前後。変装の天才であり、声色も自由に変えることが出来る。「どんなに明るい場所で、どんなに近寄ってながめても、少しも変装とはわからない、まるで違った人に見え、老人にも若者にも、富豪にも乞食にも、学者にも無頼漢にも、いや、女にさえも、まったくその人になりきってしまうことが出来る」、「賊自身でも、本当の顔を忘れてしまっているのかもしれない」という大怪盗であり、「まほうつかいのようなふしぎなどろぼう」である。「二十面相」という名前であるが実際には二十以上の顔を持っており[注 2]、この点から倍の数となる「四十面相」の名を名乗った事もある。しかし、乱歩は「四十面相に名前を変えたのは失敗だっ」たらしい。「一つのみょうなくせ」があり、「なにかこれという貴重な品物をねらいますと、かならず前もって、いつ何日(いつか)にはそれを頂戴に参上するという、予告状を送る」。
かつては名の知れたサーカス団で曲芸師をしていた経験から、基礎的な身体能力は非常に高く、また手品の様なトリックや仕掛けを考案する狡猾な頭脳の持ち主でもあり、二十面相の犯罪に道化師の扮装やサーカス、曲芸技がしばしば使われているのはこの為である。手錠抜けの名人でもあり、手錠をかけただけではすぐに手の自由を取り戻すことが出来る。『おれは二十面相だ!!』で二十面相は「俺は柔道五段の腕前だ」と自慢しているが、『怪人と少年探偵』ではなぜか「柔道三段」に腕前が下がっている。またフェンシングの名手でもある。趣味嗜好においてはウィスキー、煙草等を嗜むが、過去の挫折を理由に自身を偉大な存在であると示したい自己顕示欲の反映からか、アジト内では金モールの入った将軍の様な軍服を好んで着ている。
初登場作品『怪人二十面相』の冒頭で、「人を傷つけたり殺したりする、残酷な振舞は、一度もしたことがありません。血が嫌いなのです」と説明されており、劇中で二十面相自ら「僕は人殺しなんかしませんよ」と公言している。『少年探偵団』のラストでは、自分もろともアジトを爆破し、明智らを巻き添えに爆殺すると脅したが、実際に爆発が起きたのは明智らが避難した後だった。『怪奇四十面相』では火事場に孤立した小林少年を「小林をたすけなければ・・・」との言葉を吐いて、我が身の危険も省みず救出に飛び込む場面もあり、「血がきらい」という「紳士盗賊」らしさを見せている。この為か、ピストルや短刀は殆ど使用しない。
一方、『怪人二十面相』の冒頭の解説で「併し、いくら血が嫌いだからと言って、悪いことをする奴のことですから、自分の身が危ないとなれば、それを逃れるためには、何をするかわかったものではありません」と述べられ、「東京中の人たちはただこの一事を恐れ、二十面相の噂ばかりしている」というのが物語の出だしだった。実際に目当ての宝や金を手に入れる為ならば、殺人こそ犯さなくても、対象の宝の所有者や富豪の身内を誘拐してそれを人質にする形で身代金や宝を要求するといった卑劣な行いを平然としており、進退窮まって自爆で脅すパターンは他にも見られ、追い詰められたりすると盗賊らしく荒っぽい振る舞いに出る事がある。また、小林少年を始めとする少年探偵団の団員達に対しても、奇術や機械仕掛け、怪物の着ぐるみ等を用いて怖がらせたる事はよくあり、特に青銅の魔人や魔法博士、カブトムシ大王、妖人ゴングといった「怪人二十面相」とは異なる別人を名乗って犯罪を行う際は、やはり誘拐して人質にとったり、奴隷の様に扱って虐待紛いな行いをする事も厭わず、特に妖人ゴングを名乗った際は、小林少年をブイの中に閉じ込めて殺害しかけた事もある。他にも、『青銅の魔人』では、自らの目的の為に戦争で消息不明になった手塚氏に成り済まして手塚家に居座り、行方不明のままであった事に心を痛めていた妻や子供の昌一、雪子を騙すという卑劣な手段に及んでおり、物理的な暴力は好まないが、人の心を傷つける行いに関しては躊躇を見せない様子も見せる。『怪奇四十面相』ではいつもは玩具の拳銃で脅すところ、実銃を取り出して引き金を引いた(事前に明智が弾を抜いていたため不発)という場面があり、あるエピソードで明智を幽閉した際にも、直接殺すのが嫌いなだけで「君(明智)が脱出できずにこのまま死んで行くのは私の知った事ではないからね。」と嘯いて去っており、この時には明智からも二十面相を「凶賊」とも呼んでいる。
将軍の様な軍服をプライベートでは好んで着ていながら反戦主義者ぶる事があり、『宇宙怪人』では居並ぶ警察や明智ら大向こうを前に「戦争を起こして沢山の人を殺した悪い奴らがつかまらず、自分だけがつかまる」事に対して憤慨し、散々世間を騒がせた己の悪業を棚に上げて「戦争という大犯罪」を批判している。その一方で、「(星の世界から)攻められる前に、こちらから攻めたらどうだ」と、むしろ好戦的な熱弁を揮ってもいる。『透明怪人』や『電人M』でも反戦めいた発言をしている。
毎回、複数名義で入手した洋館などにからくり仕掛けを施してアジトに構え悪事を働いているのだが、毎回明智にしてやられる形で終わり、各ストーリーの最後で捕まって次のストーリーが始まるまでにはいつの間にか脱獄している事や死を偽装して逃走する展開が多い。
『怪人二十面相』が書かれた当時の少年誌には、少年探偵ものが数多く連載されていた。しかしこれらの作品では、探偵役を主人公の少年自らが担って、推理という難解な作業を行なっていた為、内容がそらぞらしく迫力にかけるものが大半であった。
雑誌『少年倶楽部』の編集者たちは、主人公の少年が探偵をするのではなく、主人公以外の大人が探偵役を担う事でより面白い小説が作れるのではないかと思い立った。そこで、編集者たちは誰がその探偵役を引き受けるべきかを議論したところ、「誰もの口から、明智小五郎の名が出て、異議なくそれにきまった」。
そこで『少年倶楽部』の編集者であった須藤憲三が、1935年(昭和10年)夏ごろ東京會舘で開かれた野間清治社長を囲む作家たちの親睦会で、乱歩に少年ものの連載の話をもちかけた。この時乱歩は「いかにも思いがけないことを聞いたふう」であったが、「なにがしかの興味が動いた様子」であったという。
当時の少年探偵ものは非現実に徹しきれないため盛り上がりに欠けるのだと考えた乱歩は、「思い切った非現実」的なものを書く事にした。そこで乱歩は「少年ルパンものを狙って」、敵役としてアルセーヌ・ルパンばりの大怪盗を登場させる事にした。
こうして1936年(昭和11年)1月から12月にかけて『少年倶楽部』誌に『怪人二十面相』が連載される事となった。従来なかった趣向の物語は大いに受け、子供からの手紙が乱歩のもとに驚くほど来たという。一年の連載が終わると講談社から単行本となり、これも多いに売れた。当時は『少年倶楽部』が発行部数では独り天下で、乱歩は『少年倶楽部』以外に書く気はなかったという。
明治末期から大正期に、三津木春影がフリーマンやコナン・ドイルの短編を翻案した『呉田博士シリーズ』という少年冒険探偵小説を連載して人気があった。乱歩が大学初年級時代に連載中の三津木が急逝し、その続編を雑誌が公募したことがあり、乱歩は下書きまで書いていたが、締め切りに間に合わずお蔵入りしたという。乱歩は「いずれにしても、そういうことがあったとすれば、私には少年ものの下地がなかったわけでもないのである」と述べている。
乱歩によると西洋の少年探偵小説は日本のもののようなどぎついものではなく、もっとおっとりしている。これは初めから本にするために書き下ろした長編であるためで、「日本のように毎月毎月読者をハラハラドキドキさせなければ受けない連載ものとは違う」のだといい、これを「日本は印税では引き合わないので、まず雑誌に連載するのが常道になっているという違いからくるのだ」と説明している。乱歩は「二十面相シリーズ」について「筋はルパンの焼き直しみたいなもので、大人ものを描くよりこのほうがよっぽど楽であった」と述懐している。
戦争が激しくなると、日本の文壇は軍部によって探偵小説執筆が禁止された。二十面相シリーズも中断してしまい、日本敗戦によってようやく再開が叶った。松村喜雄によると乱歩は日本敗戦の際、「探偵小説を禁止した日本軍が敗れ、陣中でミステリーを読んでいた米軍が勝った」と興奮して語ったという。戦後、シリーズが復活した『青銅の魔人』では、乱歩は大張り切りでこれに取り組み、当時生きるのにやっとという時代だけに、発売されるや子供だけでなく大人も文字通りこれをむさぼり読んだという。
戦後の光文社での連載では、「乱歩先生は暗い蔵の中で髑髏に乗せた蝋燭一本の明りをもとにお話を書いている」などと、乱歩自身が二十面相のように紹介されていた。実際はこれは作り話である。『二十面相』の連載による収入は、乱歩に経済的なゆとりを与え、金に執着しなかった乱歩の経済的危機や、戦後、報酬を度外視した探偵小説隆盛のための活動を支えた。またこのシリーズによって奇術的なトリック小説の面白さを知った少年少女のファンたちは、やがて推理小説の読者に育っていき、読者層を拡大すると同時に論理的思考の習慣を子供たちに植えつけたのである[2]。
「二十面相」という名前は、トマス・ハンシューの『四十面相のクリーク』をまねたものである。当初乱歩は怪盗ルパンのように「怪盗二十面相」という名前にするつもりであったのだが、当時の少年雑誌倫理規定により「盗」という字を使うのはよくないとされ、「怪人」と改めた。作中では名前の由来は変装の名人であり、「その賊は二十の全く違った顔を持っている」からだと説明されている。
後に怪人二十面相は『怪奇四十面相』で、世間で自分が「二十面相」と呼ばれる事に不満を表し、「私の顔はたった二十ではなく、少なくともその倍の四十は違った顔をもっている」として四十面相(しじゅうめんそう)と変名しているが、これは明らかに『四十面相のクリーク』の影響である。ただ、四十面相という名前があまり世間に浸透しなかったためか、明智にも「二十面相」と呼ばれるようになり、『塔上の奇術師』(代作では『ふしぎな人』)を最後に四十面相という表記がなくなり、二十面相に戻る。
シリーズ作品中、怪人二十面相の過去が書かれたものに『サーカスの怪人』がある。これによると二十面相の本名は「遠藤平吉」であり、元々は『グランド・サーカス団』というサーカス団の曲芸師であった。笠原太郎という曲芸師と二代目団長の座を争ったが争いに敗れ、『サーカスの怪人』時から15年前に、サーカス団を飛び出している。ただサーカスの怪人事件が連載時の1957年とすると、二十面相は戦前から活動しているのでつじつまがあわなくなる。
遠藤平吉がこの後どのような経緯で怪人二十面相になったのかについては触れられていない。しかし、小説『怪人二十面相』の冒頭では、彼はすでに「二人以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつをするように怪人『二十面相』のうわさを」し、「毎日毎日新聞記事をにぎわして」いる大怪盗になっていた。
『サーカスの怪人』時から3年前に警察に捕まった際に、笠原に自分が犯人であると証言されたことから、笠原の事を逆恨みするようになり、約1年もの年月をかけて準備し、『サーカスの怪人』で「グランド・サーカス事件」を引き起こすのである。
二十面相は「宝石だとか、美術品だとか、美しくてめずらしくて、非常に高価な品物を盗むばかりで、現金にはあまり興味を持たない」。現金は必要経費を稼ぎ出すため、部下ともども「くらしをたてるため」に盗むだけであり、二十面相曰く、本来の目的は「世界の美術品をあつめること」、その手段は「買いいれるのではなく、ぬすみとる」ことであり、「二十面相大美術館をつくるのが、おれの一生の目的だ」という(『電人M』)。
シリーズ中何回か、この美術館を完成しているが、いつも明智や少年探偵団によって暴かれ、収蔵品を奪い返されてしまう。このため、何度も自身のアジトを突き止め通報している少年探偵団の小林少年と、チンピラ別動隊のポケット小僧に深い恨みを持っている。本人は『おれは二十面相だ!!』で、「美術品を集めることは、けっしてあきらめない。明智先生と根くらべだ」と嘯いている。
三作目の『妖怪博士』以後、「自分を何度も辱めた明智小五郎への復讐」が犯罪動機の一つとなり、世間と少年探偵団を驚かす事を主目的とした愉快犯的な行動が多くなっていく。戦後作品では劇場型犯罪がエスカレートし、変装も青銅の魔人を皮切りに、夜光人間、宇宙怪人、電人M、鉄人Qなど手の込んだ奇妙な人外の物が多くなった。
シリーズ中、物語の最後で二十面相は21回捕まり(『宇宙怪人』を含む)、19回脱獄している。『怪奇四十面相』では獄中にいる二十面相が脱獄する場面が描かれた。
その他の作品では、「生死不明」が『少年探偵団』、『青銅の魔人』、『宇宙怪人』、『鉄塔の怪人』(ポプラ社版『鉄塔王国の恐怖』)の4回。『宇宙怪人』のラストでは下項のように二十面相は「生死不明」として描かれているが、のちの『奇面城の恐怖』で、明智はこの際に「二十面相を逮捕した」と述べている。
『怪人二十面相』では、二十面相の偽者が捕まっており、替え玉を使っての脱獄は何度か見られた。また、「少年探偵シリーズ」では、怪人二十面相の「死」が何度か描かれている。しかしもちろん二十面相は本当に死んだわけではなく、死んだように見せかけてどこかに逃げたのである。『虎の牙』で明智は二十面相を「二度も三度も死んだ男だ。死んだと見せかけて、生きていた男だ」、「不死身の男だ」と評している。
二十面相は毎回大勢の手下を引き連れて、大がかりな劇場型犯罪を行う。怪力の大男や小人島と呼ばれる一寸法師など、さまざまな部下がいる。いずれも「二十面相大美術館」構想に賛同した者たちであり、中には二十面相の替え玉もいて、逮捕の危険も顧みず主人になりかわって犯罪現場に赴く者もいる。二十面相はアジトで、一週間に一度、この部下たちと会議を開く。
これらの生粋の部下以外に、臨時雇いのコックや無頼漢がいる。主人が二十面相と知らずに金で雇われた手下たちもいて、これらの手下は、主人の正体が悪名高い二十面相と知るや、震えあがって即座に警察に投降していた。大枚の現金による買収は二十面相の常套手段である。
また、『魔法人形』など多数の作品で少年や少女、児童を手下にしており、これら未成年者を犯罪に加担させている。『魔法博士』や『超人ニコラ』など、偽少年探偵団員を仕立てたこともあった。
洋館アジトの警護に四角ばった形や、一見人間風の等身大のロボットを使うことがある。これは手下が化けている以外に、作品によっては本物のロボットとみられるものも登場していた。トラなどの猛獣を飼い慣らし、しばしば悪事に利用している。
また部下や手下ではないが、『宇宙怪人』では、全世界規模で提案賛同者たちから協力を得ている。正体不明の美女がアジトに潜んでいることもあり、『黄金豹』には「ネコ夫人」という女性の仲間が登場している。『青銅の魔人』では、最後の逃走を図る前に小林少年に「おれにだって、なごりをおしんでくれる人もあるからね」と嘯いている。
他多数。美術品は二十面相本人だけでなく、部下たちによっても集められる。『おれは二十面相だ!!』での二十面相のセリフによると、明智探偵に奪還されても、集めた美術品はいつも半年もすればまた元のように集まってくるらしい。
怪人二十面相は『少年探偵団』、『サーカスの怪人』など、代作も合わせ合計で29の作品に登場した。『大金塊』で登場しなかったのは、時局柄怪盗の出てくる話を避けたためと言われている[3]。 短編「天空の魔人」(『少年クラブ増刊』昭和31年1月15日)に特定の相手は出てこない。「探偵少年」(『読売新聞』昭和30年1月~12月、ポプラ社版では「黄金の虎」)、「まほうやしき」、「赤いカブトムシ」では、二十面相に代わって「魔法博士」が少年探偵団と対峙する。この魔法博士は明智の知人で、「雲井良太というお金持ちの変わりもの」であると「黄金の虎」で説明がある。ただし、怪人二十面相も作中で「魔法博士」の別名を用いることがある。
怪人二十面相の登場する「少年探偵シリーズ」は、戦前は昭和11年から『少年倶楽部』、戦後は昭和24年から、主に光文社の『少年』などで連載された。連載後、戦前は講談社が叢書化した。連載時の挿絵は戦後は石原豪人らが担当している。「少年探偵シリーズ」を初めて全集化したのは光文社であり、昭和26年から昭和35年まで、10年間にわたり刊行され、人気を博した。この光文社の全集シリーズのカバー絵はすべて松野一夫が担当。昭和26年全集刊行当時の光文社の巻末広告は次のようなものだった。
光文社は昭和36年に新装配本として、新たに最終作『超人ニコラ』までを含む全26巻の予定で『少年探偵団全集』の刊行を始めたが、定価(120円)を従来の倍(300円)にしたため売れ行きが伸びず、わずか5巻発行したところで中止となってしまった。せっかくの新装全集化が頓挫し、横溝正史は「晩年の乱歩は淋しかったろう」と同情している。この新規全集配本は、乱歩最晩年の昭和39年以降、ポプラ社によって引き継がれた。
乱歩はこのシリーズについて、次のように解説している[4]。
『少年倶楽部』の対象年齢は、小学上級生から中学初年級だった。
戦後の掲載誌『少年』や『少年クラブ』の対象年齢は小学低学年に下がっており、内容もこれに合わせて小学生向けとなっている。
昭和33年ごろから乱歩は身辺整理を始め、外出も減り、口述筆記が多くなる。昭和38年にはパーキンソン病が悪化、筆を執れなくなる。このため、『少年』に1962年(昭和37年)1月から12月にかけて連載された『超人ニコラ』(ポプラ社版『黄金の怪獣』)が二十面相最後の作品となった。
前述のように、二十面相は、死んだように見せかける事で何度も逃亡をしている。しかし『鉄塔の怪人』(ポプラ社版『鉄塔王国の恐怖』)では、二十面相は明智や警官隊の前で、「数十メートルある」という鉄塔の天辺から身を投げており、これで助かることは非常に困難である。何よりも、海のように生死不明のまま流れ去るような状況でないため、死体が見つかるか、見つからない場合は即ち何らかの奇跡的手段で命永らえて逃亡したとしか考えられず、そのどちらかしかあり得ない。
本文描写としては、二十面相が「矢のようにおちていきました」として「これが怪人二十面相の、あわれなさいごだったのです」と結ばれているだけで、実際に二十面相が地上に激突したり死亡したというような描写はない。また、原作者江戸川乱歩はこの点について、以後の作品でとくに何の説明も残していない。
この描写の説明として、後年推理作家綾辻行人は、「『鉄塔の怪人』で二十面相は死んでしまい、その後の物語に出てくる二十面相は別の人物による2代目なのではないか」と考えた。『生誕百年・探偵小説の大御所 江戸川乱歩99の謎』(二見書房刊)は、これに対して「『鉄塔の怪人』で死んだ二十面相は替え玉だ」という説をとっている。
また『妖人ゴング』(=ポプラ社版魔人ゴング)で二十面相の化けた「ゴング」は野蛮人として描かれており、小林少年を死ぬかも知れない状況に陥れた。これは殺人が嫌いなはずの二十面相像とはそぐわないため、光文社版の注釈などでは『妖人ゴング』の二十面相は普段の二十面相とは別人ではないかと指摘している。ただ、野蛮人である「ゴング」の正体を暴かれた後の態度や言動は、いつもの二十面相のものだった。『魔法人形』では赤堀老人(と小林少年)を屋敷ごと焼き殺そうとしている[注 6]。
綾辻の説以降、二十面相が複数人いるのではないかという説が幾つか生まれた。最も有名なのは北村想による説である。北村は戦前の作と戦後の作の矛盾撞着に目をつけた。戦前・戦後に書かれた物語は、それぞれ舞台が明らかに戦前・戦後のものであるにもかかわらず、登場人物は誰一人として年を取っていない。また登場当初には盗品美術館を作る事が一番の目的だったが、戦後の作品では、奇怪なぬいぐるみを着ては世間と少年探偵団を驚かす愉快犯的行動が多くなる。これらの矛盾を解消する説として、北村は戦前の二十面相と戦後の二十面相は別人ではないかと考えた。また明智小五郎も戦前と戦後では別人で、戦争後に小林少年が2代目明智小五郎を襲名し、浮浪者の少年を2代目小林少年として選んだのだと考えた。
「黄金髑髏の会」による『ぼくらにとっての「少年探偵団」』では、綾辻の説と北村の説に加え、『サーカスの怪人』と『魔法人形』の間でさらにもう一度二十面相の正体が入れ替わったと考え、全部で4人の二十面相を想定している。ポプラ社版の「少年探偵シリーズ」『大暗室』では、二十面相が残虐非道な殺人者として描かれているが、これは子供向けに氷川瓏[注 5] が代作し、犯人を二十面相に変更した事によるもので、乱歩の原典とはまったくの別物である。
これら登場人物の「別人入れ替わり説」の論拠に対して、乱歩本人の本文説明としては、戦後再開第一作である『青銅の魔人』で、はっきりと文中で戦前3作品の二十面相や明智、小林と戦後の彼らが同一人物であることが、文や本人らの会話で明言されている。二十面相の行動についても、戦前最後の登場作である『妖怪博士』で、すでにぬいぐるみを被って化け物に扮し、「小林と少年探偵団に復讐する」ことを宣言していて、戦後急に目的がぶれたわけではない。またそもそも戦後再開されたシリーズ全般でも、二十面相や明智、小林は相変わらず年を取っていない。
二十面相は書籍以外のメディアでは、まずラジオドラマに登場した。単発ものに続き、連続もののラジオドラマは、大阪の朝日放送が最初に制作放映した。乱歩自身は「脚色はこの朝日放送のが一番良かったと思う」と述懐している[4]。
ラジオドラマに続いて、二十面相の登場する乱歩作品は、昭和29年から松竹映画によって相次いで映画化された。昭和30年代に入ると、東映が「少年探偵団」をシリーズ化、その敵役として二十面相が登場。日本の怪盗キャラクターの代名詞になっていった。当時の映画は一週間興行で、週替わりで順次連続上映された。
映画に続き、テレビに先んじて、子供向けに翻案された漫画、絵物語も少年誌で開始された。このジャンルでの作品は、21世紀の現在でも随時、登場している。
日本のテレビ放送の黎明期から、「二十面相」は子供向け冒険ドラマの格好の題材として登場し、お茶の間でも身近な存在となった。昭和30年代作品は、乱歩によると光文社叢書全巻と、ポプラ社の大人向け長編作品を児童向けに書き直したもの10余編を採り入れたもの。
その高い知名度から、「二十面相」は乱歩の手を離れ、現在に至るまでさまざまなメディアの作品に登場、あるいは新たなキャラクターに翻案されている。
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