平方(ひらかた)は、埼玉県上尾市の大字。市の統計などでは平方地区で分類されている。郵便番号は362-0059[3]。開発があまり進んでおらず、畑や田んぼが広がり、広大な河川敷もあるなど、農業的土地利用の比重が高い地域である[6]。面積は3.2521 km2で上尾市の町・字では最も広い。
埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市南部の主に大宮台地上に位置する。東側を平方領領家や上野、南側を西貝塚やさいたま市西区宝来、西側を荒川およびその旧流路を挟み川越市東本宿・上老袋・中老袋や比企郡川島町出丸中郷、北側を畔吉や小敷谷と隣接する。南側では川越市古谷上のほか、さいたま市西区宝来や指扇や峰岸や中釘の飛び地とも僅かに隣接する。また、荒川の河川区域内にほぼ全周を川越市に囲まれている飛地(字川岸向の一部)もある[7][8](ほんの一部はさいたま市西区内野本郷や高木の飛地と接する)。ここにはかつて屏風沼(屏風池とも)があった[注釈 1]。大正〜昭和初期に行なわれた荒川の河川改修により、右岸側に飛地化した地区(字西野)があり西野橋で結ばれる。
地区は川越上尾線、およびその旧道の沿線付近や西上尾第二団地の南西部を除き市街化調整区域[9]で、屋敷林や畑地が多くみられる土地である。地区南部の荒川の堤防付近やその堤外地には沖積平野が広がり水田地帯である。堤外地のほぼ全域は荒川近郊緑地保全区域[9]に指定されている。また、地区の北端を長堀(丸山都市下水路[10])、中央を西野排水路、南端を上尾中堀川が流れる。
鉄道駅は周辺になく、路線バスの要衝となっている。
もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡平方領に属する平方村であった[11]。古くは中世末期より見出せる橘里三輪荘(みわのしょう)に属したと云う[12][11]。正保年間(1645年〜1648年)頃までは平方町と称されていた[11]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では704石余(田237石余、畑467石余)[14]、『元禄郷帳』によると712石余、『天保郷帳』によると785石余であった。化政期の戸数は130軒で、村の規模は東西12町余、南北19町余であった[11]。荒川流域の平坦な地が地名の起源である[11]。馬蹄寺には寺領15石が与えられていた。荒川には平方河岸が設けられ舟運で栄えていた。
1875年(明治8年)の農業産物高は武蔵国郡村誌によると米272石、大麦986.7石、小麦208.8石であった[15]。
2017年(平成29年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[56]。
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番地 | 小学校 | 中学校 |
1〜3295番地、3911〜3942番地、3947番地、3949〜3958番地 3959番地2〜3960番地1、3960番地4〜3985番地2 3986番地〜4132番地1、4132番地3〜4132番地999、4144番地1 4145番地〜最後 | 上尾市立平方小学校 | 上尾市立太平中学校 |
3296〜3910番地、3943〜3946番地、3948番地、3959番地1 3960番地2〜3960番地3、3985番地3〜3985番地999 4132番地2、4133〜4143番地、4144番地2〜4144番地999 | 上尾市立平方北小学校 |
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鉄道
地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は下記バス利用で高崎線上尾駅である。駅から遠く徒歩圏ではない。
バス
平方はバス路線の要衝で上尾駅西口のほか、大宮駅西口・指扇駅西大宮駅北口方面や川越駅方面への路線バスが多数運行されている。過去には東松山から西吉見・南吉見・小見野・八ッ保・三保谷・出丸・平方を経由し大宮に至る東武バスの路線が設定されていた時期があった[42]。
- 東武バスウエスト上尾営業所[57]
- 地区内は「平方小学校前」、「桶川新道」、「平方」、「フェニックスゴルフ場」、「平方南」、「上尾橘高校前」、「平方北」、「丸山公園」、「丸山公園入口」、「丸山団地入口」、「小林」、「平方北小学校」、「団地西」バス停留所が設置されている。
- 上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん」[58]
- 地区内は「平方小学校北」、「平方公民館前」、「平方神社前」、「上尾橘高校前」、「平方北」、「丸山公園入口」、「丸山団地」、「小林」、「平方北小学校入口」、「丸山」、「丸山公園南口」、「平方新田集落センター」、「馬蹄寺東」、「下宿公民館西」バス停留所が設置されている。
寺社・史跡
旧平方村で村内にある神社の合祀が1908年(明治41年)5月に行われた[30][60]。合祀先は平方の氷川神社で、1909年(明治42年)9月25日に合祀祭が挙行され[30]、橘神社に改称された[61]。「橘」の社号は平方村が古くから「三輪荘橘の里」と称されていたことに因む。
施設
- 埼玉県立上尾橘高等学校 - 指定緊急避難場所・指定一般避難所(地震のみ)に指定[67]。
- 上尾市立平方小学校 - 1873年(明治6年)1月創立。上尾市内では最も歴史が古い小学校[68]。指定緊急避難場所・指定一般避難所(地震のみ)に指定[67]。
- 上尾市立平方北小学校 - 指定緊急避難場所・指定一般避難所(地震のみ)に指定[67]。
- 上尾市立平方東小学校[69] - 指定緊急避難場所・指定一般避難所(地震のみ)に指定[67]。
- 上尾市立平方幼稚園
- きたはら学園 認定こども園泉の森(旧上尾きたはら幼稚園・すくすく保育園)
- 上尾市役所 平方支所
- 平方公民館
- 下宿公民館
- 上町会館
- 平方新田集落センター
- 平方南集落センター
- 西上尾第二団地(一部)
- 県営上尾丸山団地
- 上尾市図書館平方分館
- 上尾市図書館たちばな分館
- 上尾丸山公園(総合公園) - 指定緊急避難場所(地震・大規模な火事)に指定[67]。
- 平方スポーツ広場(一部)
- 平方野球場[70]
- リバーサイドフェニックスゴルフクラブ - 旧名「川越初雁カントリークラブ」。「あげお花火大会」の開催時は花火の打ち上げ会場となる。
※ 上尾市立太平中学校は小敷谷2-3に立地するが、大字平方など平方地区の指定緊急避難場所のひとつに指定されている[67]。
- 平方のどろいんきょ - 埼玉県指定無形民俗文化財[54]
- あげお花火大会 - 毎年7月下旬か8月上旬の土曜日に開催
- 三ツ又沼ビオトープ - 上尾市平方と川島町・川越市との境に所在するビオトープ[71]。もとは荒川と入間川の合流点であった。
注釈
外部リンク節の『今昔マップ on the web』を参照。
翌年までに廃寺となった正覚寺(天台宗福正寺末、観音堂のみ現存[20])に移転している。 『上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1』 90頁では平方村130番地に所在した馬蹄寺を借受と記されている[24]。 1942年(昭和17年)5月14日の航空写真によると荒川の流路が改修されている事が判かる。 開平橋の取り付け道路の東詰から馬蹄寺前までをショートカットする区間は先行して開通している。外部リンク節の『今昔マップ on the web』を参照。
『新編武蔵風土記稿』では「今市場」と記されている。
『新編武蔵風土記稿』では「石井戸・下」と記されている。
『新編武蔵風土記稿』では「宿北・中」と記されている。
『新編武蔵風土記稿』では「三輪・観音谷・上」と記されている。
他に「三ツ又沼ビオトープ」周辺に認定外道路のA101号がある。
出典
“町丁大字別人口表”. 上尾市 (2017年10月6日). 2017年10月6日閲覧。 “上尾市総合治水計画” (PDF). 上尾市. p. 36 (2019年12月). 2020年5月30日閲覧。 “上尾市立平方小学校の沿革” (PDF). 上尾市立平方小学校(上尾市教育委員会) (2019年7月1日). 2020年5月21日閲覧。 明治時代以降 - 国土交通省 関東地方整備局 荒川上流河川事務所、2020年7月29日閲覧。 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日、486-487頁。
学校紹介 - 埼玉県立上尾橘高等学校. 2019年3月10日閲覧。 『埼玉県公民館連合会創立40周年記念誌「埼玉の公民館」』埼玉県公民館連合会、1989年11月8日、192-195頁。
「県道川越上尾線が一部開通」『広報あげお 1991年4月1日号』第574号、上尾市役所、1991年4月1日、4頁。
“森朴斎碑と墓”. 上尾市教育委員会 (2010年11月24日). 2020年6月13日閲覧。 “正覚寺寺子屋遺跡”. 上尾市教育委員会 (2016年3月9日). 2020年6月13日閲覧。 “平方野球場”. 上尾市教育委員会 (2020年4月1日). 2020年8月15日閲覧。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第四巻 資料編4、近代・現代1』上尾市、1994年3月15日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市、1998年3月31日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第七巻 通史編(下)』上尾市、2001年3月30日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市、1997年3月31日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 「平方村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ152足立郡ノ18、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764000/22。