島根県立三刀屋高等学校(しまねけんりつみとやこうとうがっこう, Shimane Prefectural Mitoya High School)は、島根県雲南市に所在する公立の高等学校。略称「三高」(さんこう)。
概要 島根県立三刀屋高等学校, 過去の名称 ...
閉じる
- 歴史
- 1924年(大正3年)に開校した「島根県立三刀屋中学校」(旧制中学校)を前身とする。2014年(平成26年)に創立90周年を迎える。
- 設置課程・学科
- 全日制課程 総合学科
- 校訓
- 「誠実・剛健 礼儀・規律 勤労・勉励」
- 校章
- 3本のペン先を組み合わせたものを背景にして、中央に「高」の文字(旧字体)を置いている。
- 校歌
- 作詞は土岐善磨、作曲は石井歓による。歌詞は2番まであり、両番に校名の略称である「三高」が登場する。
- 分校
- 掛合分校
- 同窓会
- 「雲南会」と称している。
- 旧制中学校時代
- 1923年(大正12年)12月29日 - 「島根県立三刀屋中学校」(修業年限5年)の設立が認可される。定員を250名とする。
- 1924年(大正13年)4月17日 - 開校。第1回入学式を挙行。入学者数は55名。初代校長に山田善次が就任。
- 1925年(大正14年)4月16日 - 校舎が完成し、開校式を挙行。
- 1926年(大正15年)3月10日 - 定員を500名に増員。
- 1928年(昭和3年)9月19日 - 校歌を制定。
- 1929年(昭和4年)3月11日 - 第1回卒業式を挙行。同時に同窓会が発足。
- 1930年(昭和5年)
- 1931年(昭和6年)6月25日 - 校旗を制定。
- 1935年(昭和10年)4月28日 - 奉安殿が完成。
- 1938年(昭和13年)11月 - 相撲場が完成。
- 1939年(昭和14年)
- 5月22日 - 弓道場が完成。
- 7月 - 夏休みが廃止され、実践鍛錬と団体訓練が実施される。
- 1940年(昭和15年)7月17日 - 第6代校長・菊地益寿が河北省において殉職。同年7月20日に校葬を執行。
- 1941年(昭和16年)
- 4月1日 - 定員を再び500名に増員。
- 9月18日 - 学校報国隊を結成。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年に短縮される。
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)
- 3月 - 決戦教育措置要綱[2]が閣議決定され、同年4月から翌年3月末まで授業が停止されることとなる。修業年限短縮の前倒しにより、4・5年合同の卒業式を挙行。
- 4月1日 - 授業を停止(期間は1年間)。
- 5月22日 - 戦時教育令が公布され、授業を無期限で停止することが法制化される。
- 8月15日 - 終戦。
- 9月 - 授業を再開。
- 1946年(昭和21年)
- 4月1日 - 修業年限が5年に戻る(4年で卒業することもできた)。
- 11月3日 - 新憲法が公布される。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
- 旧制中学校の募集を停止(1年生不在)。
- 新制中学校を併設し(名称:島根県立三刀屋中学校併設中学校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず(1年生不在)、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校に在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
- 新制高等学校
- 1948年(昭和23年)
- 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
- 旧制中学校が廃止され、新制高等学校「島根県立三刀屋高等学校」(男子校)が発足。普通課程(普通科)を設置。修業年限を3年とし、定員を450名とする。
- 旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立三刀屋高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 4月15日 - 頓原[3]分校(農業科・家庭科)を設置。定員を200名とする。
- 1949年(昭和24年)
- 3月5日 - 新制高校としての第1回卒業式を挙行。
- 3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。
- 4月1日 - 高校三原則に基づく島根県内公立高等学校の再編により、男女共学制を実施。
- 4月10日 - 定時制課程 普通科を設置し、その定員を200名とする。
- 1950年(昭和25年)6月3日 - PTAが発足。
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)
- 4月1日
- 全日制課程に家庭科を新設し、その定員を150名とする。(全日制普通科300名、定時制普通科160名)
- 掛合分校を開設し、定時制農業家庭科を設置。定員を200名とする。
- 1954年(昭和29年)8月4日 - 図書館を増築。
- 1956年(昭和31年)
- 4月1日 - 定時制課程の募集を停止。全日制普通科の定員を450名とする。
- 4月9日 - 教育目標を決定。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 新校旗を制定。
- 1959年(昭和34年)
- 3月31日 - 定時制課程を廃止。
- 10月2日 - 創立35周年を記念し、新校歌を制定。
- 1960年(昭和35年)2月1日 - 寄宿舎を移転。
- 1963年(昭和38年)
- 4月1日
- 全日制家庭科の募集を停止。
- 頓原分校を島根県立飯南高等学校へ移管・統合。
- 掛合分校に全日制普通科を設置。農業家庭科の募集を停止。
- 1964年(昭和39年)
- 1971年(昭和46年)11月6日 - 校舎の改築が完成。
- 1972年(昭和47年)5月15日 - 柔剣道場が完成。
- 1973年(昭和48年)8月1日 - 体力づくりコーナーが完成。
- 1974年(昭和49年)9月15日 - 創立50周年を記念し、国旗・校旗掲揚塔が完成。
- 1975年(昭和50年)9月1日 - 食堂を開設。図書室に冷暖房機が設置される。
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)
- 1984年(昭和59年)9月15日 - 創立60周年を記念し、記念館を増改修し「蒼雲館」と命名。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 運動場を整備。
- 1989年(平成元年)3月10日 - 地学教室をCAI教室に改造。
- 1992年(平成4年)10月31日 - 校舎等リフレッシュ事業を完了。
- 1995年(平成7年)3月31日 - 多目的教室棟を増築。
- 1996年(平成8年)8月20日 - 管理棟前の駐車場を整備。
- 1997年(平成9年)3月25日 - 寄宿舎のリフレッシュ工事を完了。
- 1998年(平成10年)4月1日 - 元・三刀屋内水面分場を三刀屋町立野球場と交換し、野球場を第2グランドとする。
- 2001年(平成13年)
- 1月24日 - グラウンドにナイター設備を設置。
- 3月30日 - 管理棟・和敬寮が地震災害から復旧。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)2月4日 - 総合学科棟を整備。
- 2006年(平成18年)
- 3月30日 - 普通教室(15教室)に冷房設備を設置。
- 3月31日 - 普通科を廃止。
- 2007年(平成19年)8月 - 全国高総文祭しまね’07 日本音楽部門の会場となる。
クラブ活動では、男・女ソフトボール部が盛んでインターハイへの出場も多い。野球部は1978年夏(第60回)に甲子園へ出場経験がある。また、演劇部は全国大会など上位大会の常連校となっている。
- 運動部
- 文化部
本来は1943年(昭和18年)に入学した生徒が4年を修了し卒業する1947年(昭和22年)3月に施行する予定であった。
国民学校初等科を除く学校の昭和20年度1年間の授業停止が決定された。