山陽小野田市
山口県の市 ウィキペディアから
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山陽小野田市(さんようおのだし)は、山口県の南西部にある市。宇部都市圏に属するとともに福岡県北九州市との関係も深く、関門都市圏の一部でもある。
市名は合併前の旧市町名を並べたもので、2020年現在、全てが漢字による5文字の市名は日本で唯一である[注釈 1]。
山口県の南西部にあり、南北に長く瀬戸内海側に開けた扇状の形となっている。中央部には北から厚狭川が、東部には北東から有帆川がそれぞれ南流して瀬戸内海(周防灘)に注いでいる。市役所は、有帆川の河口部西岸にある。
古くから山陽道及び山陰と山陽を結ぶ交通の要衝として栄えてきた[1]。市域を東西に貫通する形で山陽自動車道、国道2号、国道190号が通り、国道2号に国道190号が西部で合流している。
比較的温暖で瀬戸内海式気候に属しているが、本州の西端に近く日本海からもさほど離れていないこともあって、冬季は曇り・雨の日が多く日本海性気候のようでもあり、二面性を持っている。
1940年、小野田町と高千帆町の合併により発足。高千帆町には5大字が存在したため、それを継承し、大字未設置だった小野田町は全町をもって大字小野田となり、6大字となった。その後、宇部市東須恵の一部を1943年と1989年の2度にわたって編入しており、前者は丸河内、後者は東須恵となっている。また、第二次世界大戦後には埋立地に新たに西沖が発足したため、小野田市には最も多い時期で9大字が存在した。ただし、東須恵は山陽小野田市合併後に廃止されたため、現在は8大字が残る。
その後、1986年より近年までの間に住居表示が実施されている。大字ごとに列挙する。なお、発足年については判明しているもののみ記載する。
旧自治体名は表記せず、大字のみを継承している。山陽町は1956年に厚狭町と埴生町が合併して発足した町であり、合併時から1961年までは大字の前に「厚狭」「埴生」を冠していた。(例:旧厚狭町厚狭→山陽町厚狭厚狭)
なお、山陽小野田市として合併後に厚狭駅周辺の一部地域で住居表示が実施された。
山陽小野田市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 山陽小野田市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 山陽小野田市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
山陽小野田市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
警察の管轄は2009年(平成21年)4月1日より全域が山陽小野田警察署になっている。宇部市に跨がる山陽小野田市立山口東京理科大学の敷地も同警察署の管轄範囲に含まれる。
特産品として「寝太郎かぼちゃ」がある[4]。名称の由来については「三年寝太郎#厚狭の寝太郎」参照。
明治維新後、セメントを中心とした化学工業や製油を中心とした工業都市として発展した。隣接する宇部市と共に、瀬戸内工業地域の一角を担っている。
昔から工業と密接な関係があったことから、市内には現在も「セメント町」(旧・小野田セメントに由来)、「硫酸町[5]」(明治時代から硫酸を製造していた日産化学工業小野田工場に由来)の町名が残り、また小字として「火薬町」(火薬メーカーから発展した日本化薬厚狭工場に由来)も存在する[6]。
市内に窓口があるもの
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