名阪近鉄バス
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名阪近鉄バス株式会社(めいはんきんてつバス、英: Meihankintetsu Bus Co.,Ltd.[2])は、愛知県名古屋市に本社を置く、近鉄グループホールディングスの持分法適用会社・三重交通グループホールディングス傘下のバス会社である[1]。岐阜県大垣市を中心に路線バス、高速バス「名神ハイウェイバス」、愛知県・岐阜県・三重県の東海3県で貸切バスを運行する。
本社が入る名古屋三交ビル | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
略称 | 名阪近鉄 |
本社所在地 |
日本 〒450-0002 愛知県名古屋市中村区名駅三丁目21番7号[1](名古屋三交ビル6階) 北緯35度10分20.6秒 東経136度53分20.0秒 |
設立 | 1930年5月24日(大垣自動車)[1] |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7180001033082 |
事業内容 |
一般乗合旅客自動車運送事業事業[1] 一般貸切旅客自動車運送事業[1] |
代表者 |
代表取締役会長 竹谷賢一 代表取締役社長 谷口弘幸 |
資本金 | 9,000万円[1] |
売上高 | 23億7802万円(2021年3月期実績) |
従業員数 | 383名(2023年3月31日現在)[1] |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 三重交通グループホールディングス 100%[1] |
主要子会社 | 名阪近鉄旅行[1]、ミドリサービス[1] |
関係する人物 | 佐伯勇、上山善紀(ともに旧・日本高速自動車社長) |
外部リンク | https://www.mkb.co.jp/ |
1930年(昭和5年)5月24日、岐阜県大垣市で大垣自動車として創立[1]。その後、同じ地域の鉄道事業者の養老電鉄(現:養老鉄道)の傘下を経て、近畿日本鉄道の100%子会社となった[3]。
その後、近鉄グループのバス事業再編に伴い、営業エリアが一部重複する三重交通を傘下に持つ三交ホールディングス(現:三重交通グループホールディングス)が株式交換を行い、2007年(平成19年)10月1日付でその完全子会社となった[4]。
主な子会社として旅行業を営む名阪近鉄旅行がある[1]。なお、大阪府東大阪市に本社を置く近鉄バスとは別会社である(こちらは近鉄バスホールディングスの完全子会社)。
1930年(昭和5年)5月24日[1]、猪飼自動車商会から事業全部を譲り受けて大垣自動車として岐阜県大垣市で創立[3][5]。1937年(昭和12年)11月[3]、すでに大阪電気軌道・参宮急行電鉄(現:近畿日本鉄道)の子会社となっていた養老電鉄(現:養老鉄道養老線)の傘下に入る。1941年(昭和16年)3月以降、谷汲鉄道、関西急行鉄道(現:近畿日本鉄道)等から事業を譲受[3][5]。同年11月20日に全部改正された陸運統制令(昭和16年勅令第970号)による戦時統合で、大垣市を中心とする西濃地域は大垣自動車以外の4事業者が統合される事となり、1943年(昭和18年)3月に多良自動車株式会社、揖斐川自動車合資会社、市場自動車商会等から路線を譲り受け[5]、岐阜県南西部に路線を拡張した。1945年(昭和20年)にタクシー事業を西濃タクシー(現:岐阜近鉄タクシー)に譲渡[6]。1946年(昭和21年)7月に大軌証券(現:近畿日本鉄道)が全ての発行株式を取得し[3]、完全に近鉄グループ傘下となる。
近鉄傘下となって以降は、1950年(昭和25年)11月に貸切バス事業を開始[3]。1956年(昭和31年)8月1日に名古屋市で貸切バス事業を行っていた同系列の中京観光自動車を吸収合併し、新中京バスに社名変更[3][5]。名古屋に進出すると同時に本社を名古屋市に移し、東海3県での貸切バス事業を開始した。1958年(昭和33年)9月には名古屋近鉄バスに再度社名を変更[3]、1960年(昭和35年)に全線開通した伊吹山ドライブウェイ(建設当時の名称は伊吹山観光自動車道)の建設にも関与した。1966年(昭和41年)4月には子会社として株式会社名古屋近鉄バス観光社を設立[3](現:名阪近鉄旅行)、同年8月には伊吹山観光自動車道株式会社を合併している[3]。
1964年(昭和39年)に名神高速道路が開通し、この道路を走る高速バス路線を国鉄バス(現:JR東海バス・西日本JRバス)および数多くの民間会社が計画したため混乱した。
この混乱を収拾するため、運輸省(現:国土交通省)による調整の上、名鉄系の日本急行バス(名鉄・京阪・阪急・近江鉄道などが出資)と、近鉄系の日本高速自動車(近鉄・阪神・南海の3社が出資)の2社に集約の上、名神ハイウェイバスの運行を行うことにした。
しかしその後、東海道新幹線の開通やマイカーの普及などで乗客が低迷し、日本高速自動車は近鉄の単独出資の会社となり、1983年(昭和58年)12月に名古屋近鉄バスが日本高速自動車を合併して名阪近鉄高速バスとなった[3]。同様に日本急行バスも名鉄の単独出資となり、名古屋観光日急から名鉄観光バスを経て、2009年(平成21年)2月に名鉄バスへ高速バス事業が移管された。
1980年代以降の沿革は年表にまとめた。
2023年(令和5年)3月13日より、PiTaPaを含む交通系ICカード全国相互利用サービスを開始。PiTaPaは後払い方式(ポストペイ)対応のため、事前チャージ(入金)は不要。また、PiTaPaを使って当社路線バスを60分以内に乗り継ぐ場合、2乗車目の運賃が割引(大人80円、小児40円)される(一部対象外路線あり)[13]。
大垣駅(大垣駅前と大垣駅北口)と待合室がある市民病院前の各バス停留所では、乗降の有無を問わず全便停車し、乗車扉を開けて客扱いを行う。
長らく全車が日野自動車・日野車体製で統一されていた。在籍車両数は路線車が70両あまり、貸切車は190両を越える。
路線車は大型10.5m車と中型車を中心に導入され、一部は他社からの移籍車である。最近では路線バスの出口付近に、名阪近鉄バスが三重交通グループホールディングスの傘下に入ったことを示すための「SANCO」ステッカーが貼られている。2009年(平成21年)にいすゞ自動車のエルガを2台購入。さらに2014年(平成26年)6月には初のハイブリッド車としてエルガハイブリッドを1台購入、若森営業所に配置された。
貸切車はハイデッカーを中心に導入され、全車が日野自動車製の車両で統一されている。豪華観光バスも在籍し「浪漫II」「煌」の愛称で運行する。また、Jリーグの名古屋グランパス選手専用とFC岐阜選手専用の特別車両も所有する。
高速車は貸切車からの転用車が多かったが、2002年(平成14年)以来9年ぶりに2011年(平成23年)に3台が新車導入された[21]。2016年(平成28年)10月時点では高速車は順次新車が導入され、全9台中8台がコンセント(AC100V電源)とトイレ(化粧室)付きの車両となっている。また同年に名古屋営業所へ導入された貸切車の一部にもコンセント装備の車両がある。
車両の塗装は、一般路線用の現行塗装は白と赤・オレンジを基調としたもので1993年(平成5年)に登場した。過去の塗装は近畿日本鉄道(現:近鉄バス)が1980年代まで使用していた2世代前の塗装と同じデザインで(色合いは若干異なる)、2014年(平成26年)には若森営業所所属の日野・ブルーリボンシティ1台がこの復刻カラーを纏い、さらに前面には日野の旧マークであるウィングエンブレムも付けられ、後輪には当時の車両のようにカバーが装着された。
貸切車はいくつかのカラーリングがあり統一されていないが、ベージュに赤・オレンジ・茶のラインが施されている車両が多い。この塗装は三重交通貸切車の旧塗装と色違いと思われがちだが、実際は1985年(昭和60年)登場の名阪近鉄高速バスのサロンカー「スーパーグレイス46」(日野グランデッカー)に施されたオリジナル塗装。これを同年12月に三重交通が自社貸切バスの新カラーの塗り分けとして採用したものであるが、三重交通は近年パッチワーク調の新デザインに変更した。他のカラーリングは白を基調に大きくKの文字を入れたものと、黄色地に踊るように丸ゴシックでKINTETSUと入った「ピクニック」塗装がある。
高速車は、日本高速自動車時代に採用された白と赤・オレンジの塗装が長らく使われていたが、貸切車からの転用車は貸切時代の塗装をそのまま使用しており、2011年(平成23年)導入の新車もベージュ地の貸切塗装になった[21]。
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