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日本の俳優 (1968-) ウィキペディアから
内野 聖陽(うちの せいよう[2]、1968年〈昭和43年〉9月16日[3] - )は、日本の俳優[3]。神奈川県横浜市出身[4]。血液型はAB型[3]。本名読みは「うちの まさあき」で、2013年7月までは芸名としても使われていた[2]。
うちの せいよう 内野 聖陽 | |||||||||||
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本名 | 内野 聖陽(うちの まさあき) | ||||||||||
別名義 | 本名が旧芸名 | ||||||||||
生年月日 | 1968年9月16日(56歳) | ||||||||||
出身地 | 神奈川県横浜市 | ||||||||||
身長 | 177cm | ||||||||||
血液型 | AB型 | ||||||||||
職業 | 俳優 | ||||||||||
ジャンル | 演劇・テレビドラマ・映画 | ||||||||||
活動期間 | 1995年 - | ||||||||||
配偶者 | 一路真輝(2006年 - 2011年) | ||||||||||
事務所 | スターダストプロモーション | ||||||||||
公式サイト | 内野聖陽 オフィシャルサイト | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『ふたりっ子』 『ミセスシンデレラ』 『ラブジェネレーション』 『蝉しぐれ』 『不機嫌なジーン』 『風林火山』 『ゴンゾウ 伝説の刑事』 『臨場』シリーズ 『JIN-仁-』シリーズ 『とんび』 『真田丸』 『ブラックペアン』シリーズ 『きのう何食べた?』シリーズ 『おかえりモネ』 映画 『(ハル)』 『黒い家』 『海難1890』 舞台 『エリザベート』 『化粧二題』 『レ・ミゼラブル』 | |||||||||||
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実家は横浜市の曹洞宗寺院。世田谷学園高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業[4]。大学在学中での初めての演劇は英語劇でプレイボーイな役を演じたが[5]、これで一時期演じることが嫌になり裏方にまわっていた[5]。1992年、在学中に文学座研究所に入所[4]。同期に寺島しのぶがいる[4]。翌年に研修科1年となり、研修中はドラマの端役などで修行を積む[5]。実家の寺を継がないことで家族の反対にあったが俳優になる道を歩んだ[6]。
1996年にはNHKの連続テレビ小説『ふたりっ子』、1997年では『ミセスシンデレラ』に出演し、文学座の座員にもなる[4]。
演劇では文学座だけでなく、他が主宰する演劇にも出演[4]。ストレートプレイだけでなく、2000年に『エリザベート』で初めてミュージカル出演[4]。2003年、『蝉しぐれ』で牧文四郎を演じ、放送文化基金出演者賞とモンテカルロ・テレビ祭の主演男優賞を受賞[4]。2004年、『エースをねらえ!』に宗方仁役で出演。2007年、『風林火山』では主役の山本勘助を演じる[7]。
私生活では『エリザベート』で知り合い交際を続けていた一路真輝と2006年5月に婚約を発表。7月末に結婚し、10月末に女児が誕生。結婚した時点で『風林火山』の撮影に入っており、披露宴は『風林火山』の撮影が終了した2007年10月25日に行う。2011年8月18日に、別居後、離婚届を提出したと連名のFAXにて発表した[8]。娘の親権は一路が持つ。[要出典]
2011年末、デビュー以来約20年間在籍していた文学座を退団し個人事務所設立及びスターダストプロモーションとの業務提携を発表、翌2012年1月31日に退団[9]。
2013年7月、生誕45周年を機に芸名の読み方を使用する漢字はそのままでデビューから長年続いた本名の「うちの まさあき」から「うちの せいよう」に変更することを発表した[2]。理由は「『まさあき』と読めない人が多かったから」だという[10]。
2019年6月、舞台『化粧二題』(鵜山仁 演出)で、主役・市川辰三を演じた。同舞台は、内野にとって、俳優人生初となる一人芝居で、「自分の人生や魂に問いかけながら、辰三の心の揺らぎを、内野聖陽の内なるものから嘘なく表せたら」と述べ[11]、令和元年度(第70回)芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。2年後、同じキャストで再演する[12]。
役者という職業について、母校である早稲田大学のインタビューで、「何もないところに素敵な物をこしらえて、『どうだ』って見せて、楽しませるっていうところがあります。そこに快感を覚えているのかもしれません」と語る[14][15]。また、演じるという行為に自身が惹かれる要因として、「幕が開くと、それまでのいろいろな苦労がお客さんには見えない」ことを挙げており、「人の見えないところでやればやるほど結果が自分にはね返って来るし、それが一瞬にして燃え尽きる」ところに喜びを感じるのだという[15]。そして「昔から、一瞬にして燃え尽きる花火のようなものが好きだったんですね。花火師になりたいと思ったこともあります。みんなが空を見上げて『綺麗だな』って言ってる間に、下を向いて花火を筒に詰めている。夜空に美しい結果だけを見せて、下では誰にも知られずニンマリしている。なんて素敵だなぁと思いました[15]」と答えている。
台詞覚えで大声を出して練習するため、自宅に防音室を作ったことがある[5]。
『エースをねらえ』では、「宗方仁」の役作りを完璧に仕上げて(まるで漫画から飛び出てきたみたいな状態で)顔合わせに登場した[5]。20代半ばで高校生役「藤堂貴之」の配役された吉沢悠は、役と自分の年齢差に不満があり、実年齢に近い「宗方仁」を演じたいと思っていたが、内野を見て、「宗方仁を演じたいと思う気持ちを口に出せなかった」と証言している[5]。
『風林火山』では楽屋には誰よりも早く入り、準備していたという。また、この作品で印象に残った共演者として千葉真一・市川亀治郎・GACKT・貫地谷しほりを挙げている[16]。なかでも千葉については内野が殺陣好きでよく稽古していたことから、「世界的にも有名でアクションも凄い千葉さんと殺陣をすることが、うれしくてしょうがなかった。視聴者の方にはお教えできない殺陣の極意・テクニックをいろいろ教わり、楽しかった」と語り、本作の一番の思い出も「千葉さんとの殺陣(第4回「復讐の鬼」)」と語っている[16][17]( ⇒ 詳細は風林火山のエピソード節を参照)。
『JIN-仁-』で坂本龍馬を演じるにあたり、撮影前に何度も高知県へ通い現地の人々と酒を酌み交わすことで土佐弁を身に着けた。流暢な土佐弁を話す内野の演技は好評を博し、龍馬の故郷である高知での視聴率は30%を超えるほどであったという。本人は日刊スポーツ・ドラマグランプリ助演男優賞を受賞した際、高知での反応について「僕の龍馬を気に入ってくれたんですかね。『土佐弁をここまできちんとしゃべってくれたのは内野さんが初めて』とまで言ってくれました」と語っている[18]。
『きのう何食べた?』で同性愛者を演じたが、演じるにあたって注意したこととして「一番繊細に考えなければいけないのが"オネエ度"ですね。ケンジはサロン(美容院)に来たマダムに口説かれそうになるシーンがある。ということは、普段からあまりオネエ度を出していない方がいいのかな、普通にノンケ(異性愛者)の人に間違えられる感じにした方がいいのかなと。その匙加減の微妙さが、一番神経を使うところ」と述べた[19]。共演者の山本耕史から「でも、内野さんに限っては普段からオネエ言葉。違う作品でも、割とそう(オネエ言葉で)接してくださるので唯一、そのまま素」と評され、内野は「誤解を与えることになるよ」と苦笑いしていた[20]。
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