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1964年公開の日本映画 ウィキペディアから
『モスラ対ゴジラ』(モスラたいゴジラ)は、1964年(昭和39年)4月29日に公開された日本映画[20][23]。ゴジラシリーズの第4作であり[出典 6]、映画『モスラ』の続編でもある[36][31]。製作・配給は東宝。カラー、東宝スコープ[出典 7]。併映は『蟻地獄作戦』[出典 8]。略称は『モスゴジ』[42][43]。
怪獣映画10周年を記念して東宝が制作し[50][51]、タイトルにもあるようにモスラとゴジラの闘いを初めて描き、その集大成を狙った作品[52][26]。明確に善・悪に分けた怪獣対決の図式を初めて導入した作品でもあり[出典 12]、本作品でのゴジラはモスラに対する悪役として描かれている[出典 13]。また、ゴジラとしては初めて飛翔型の操演怪獣との対決となった[出典 14]。第1作『ゴジラ』および『モスラ』を踏襲した描写が多く取り入れられている[53][60]。
一見単純な娯楽作品の体裁をとりつつも、「観光開発ブーム」「背後の興行師による暗躍」「新聞の第三権力化」など、当時の世相への批判がさり気なく盛り込まれている[61][50][注釈 5]。また、主人公が新聞記者という設定には、当時の社会派推理小説ブームが反映されている[36][注釈 6]。
超大型台風8号が西日本を通過した翌朝[注釈 7]、毎朝新聞[注釈 8]の記者である酒井とカメラマンの純子は、取材で訪れた高潮による浸水被害で壊滅した新産業計画の倉田浜干拓地の海に浮かぶ瓦礫の中で虹色に光る、多量の放射能を帯びたウロコのような物体を見つける[51]。一方、静之浦の沖合には巨大な卵が漂着する[21][51]。ハッピー興行社の興行師の熊山は漁民から引き上げた卵を買い取り、静之浦の海岸に孵化施設を兼ねたレジャーランド「静之浦ハッピーセンター」の建設を始める[21][51]。
三浦博士と酒井らは巨大な卵を調査するが、そこへ双子の小美人が現れる。小美人たちによると、巨大な卵はインファント島に唯一残っていたモスラの卵であり、それを失った島の人々は悲しんでいるという。酒井たちは卵を返還するよう抗議活動を始めるが、熊山はそれに応じないどころか、小美人たちまで売るように言い放つ[21][51]。実は大興行師の虎畑次郎が熊山の後ろ盾となっており、抗議活動は頓挫する。人間社会に落胆した小美人たちは、乗ってきたモスラの成虫とともにインファント島へ帰ってしまう[51]。
そんな折、酒井と純子は三浦に呼び出され、放射能洗浄を受ける。それは、倉田浜で見つけた物体から、放射能が検出されたためであった。酒井たちは調査のために排水作業中の倉田浜干拓地へ赴くが、そこへゴジラが出現し、四日市市のコンビナート地帯と名古屋市を蹂躙する[21][51]。酒井たちはインファント島へ飛び、原住民たちにモスラの力を借りたいと懇願するが[21][51]、「悪魔の火」と呼ぶ核実験によって島を荒らされ、モスラの卵の返還をも拒まれた原住民たちと小美人たちは、激しい人間不信を抱いていた。しかし、純子の必死の訴えを聞き入れたモスラは、寿命が近づく身を押して日本へ飛び立つ。
ゴジラは、金銭トラブルから熊山を射殺してしまった虎畑が滞在する浜風ホテルを破壊し、彼もその際に逃げ遅れて死亡する。ゴジラがモスラの卵の孵化器が設置されている静之浦の西浜に迫ったところへモスラが飛来し、寿命と引き換えの武器である毒鱗粉をも用いた戦いを繰り広げるが、ゴジラへの決定的なダメージとはならず、逆にゴジラに放射能火炎で羽を焼かれてしまったモスラは最後の力で卵をかばうように着地し、死亡してしまう[21][51]。
モスラに勝利したゴジラに対し、自衛隊は3,000万ボルトに達する人工雷作戦で挑む。ゴジラは超高電圧による大電流にもがき苦しむが、装置は限界を超えた放電を強行したために故障してしまったうえ、ゴジラの反撃によって特車隊も壊滅させられる。無敵となったゴジラが分教場の教師と生徒たちが残された岩島に迫り[21]、小美人たちが祈りの歌を歌う中、モスラの卵が孵化し始める。孵化した双子の幼虫モスラは岩島に向かうと、ゴジラに繭糸を吹きつけて動きを封じていく[21][51]。酒井たちはその隙に教師と生徒たちを救出に成功し、やがて、歩行すらままならなくなったゴジラは、岸壁から海へ転落する[21][51]。幼虫モスラの活躍でゴジラの脅威が去り、酒井たちはインファント島へ帰っていく幼虫モスラと小美人を見送りながら、人間不信のない社会を作ることを決意するのだった。
前作『キングコング対ゴジラ』のヒットを受け、ゴジラシリーズが本格的に世界市場を目指すこととなり、対戦相手のモスラも登場作品の『モスラ』が1961年に世界配給され、海外でも知名度を得ていたことから選ばれた[9][46]。この間には、前作の続編となる『続キングコング対ゴジラ』や、海外で評価された『ガス人間第一号』の続編となる『フランケンシュタイン対ガス人間』などの企画が進行していたが、いずれもアメリカ側との折り合いがつかなかったため実現せず、モスラが選ばれたのは契約上の問題が起きない東宝怪獣同士という事情もあったとされる[37]。
企画に際し、『ゴジラ』の原作者である香山滋は、本作品制作の挨拶に訪れた東宝のスタッフの義理堅さに感激したという[5][37]。
円谷英二率いる特撮班は、1963年には『青島要塞爆撃命令』『マタンゴ』『海底軍艦』『士魂魔道 大龍巻』などの制作に取り掛かっていたが、急遽制作の決まった『大盗賊』がこれに加わったため『海底軍艦』の撮影が遅れ、本作品の準備は同年内にはほとんど進まなかったとされる[37]。決定稿が2月10日に完成し[183]、同月11日に特殊技術斑、14日に本編班がクランクインし、急ピッチで撮影が進められた[37][46]。そして、3月15日に特殊技術斑、16日に本編班がクランクアップした[37][46]。
併映作品には、当初『君も出世ができる』が予定されていたが制作が間に合わず、『蟻地獄作戦』へ変更となった[37]。
小美人役のザ・ピーナッツは『モスラ』から引き続き登場した[184]。同一役での連続出演は『ゴジラ』と『ゴジラの逆襲』に山根博士役で出演した志村喬以来であり、メインキャラクターとしての連投は珍しいものである[184]。梶田によれば、ザ・ピーナッツのスケジュールは多忙であったが、『モスラ』がヒットしていたため、渡辺プロダクションは出演を快諾したという[185]。
一方、同じく『モスラ』から続投である小泉博は、別役での出演であった[184]。『ゴジラ』の主演であった宝田明も、別役だが同作品以来のゴジラシリーズへの出演となった[185]。宝田は、新人であった『ゴジラ』から10年を経て、本多とも演技について議論ができるようになるなど、自信を持って演じることができたと述懐している[186]。
本作がゴジラシリーズ初出演となる星由里子は、ゴジラが主役のため芝居の仕様がなく正直苦手で、重いカメラを持たされたりしてやっているときは大変でつらかったと述べている[187]。
脚本の準備稿では、悪役である虎畑次郎は登場せず[出典 85]、虎畑役の佐原健二は準主役として動物学者の原健也という役でキャスティングされていた[出典 86]。完成作品では、原の立ち位置は三浦博士に置き換えられており[出典 85][注釈 33]、この変更の結果、東宝特撮作品では珍しく佐原が悪役を演じることとなった[77]。本多が佐原に、前年の『マタンゴ』(1963年)の悪役が良かったので「またやってみるか」と薦めたという[185]。佐原は、それまで出演した東宝特撮作品では青年科学者のような役が多かったため、悪役に挑戦したと述べており[189]、後年のインタビューでも「虎畑が一番おもしろい役であった」[190]、あるいは「特にやりがいのあるものであった」[87]と回顧している。
海岸のロケは、静岡県下田市の弓ヶ浜でおこなわれた[185][注釈 34]。同地の選定は監督の本多猪四郎からの提案によるもので、助監督を務めた梶田興治によれば砂浜や漁船を撮影できることを理由に挙げていたという[185]。同地では、モスラの卵の一部を実物大セットで組んでおり、設営には現地で手伝いを募ったという[185]。冒頭の取材シーンは、当時干拓事業が行われていた茨城県潮来町の延方干拓地で撮影された[119]。漁村内は、沼津市静浦地区で撮影された[119]。
当時の東宝作品で日本人俳優が南方の原住民を演じる際はドーランで黒塗りにすることが多かったが、本作品でのインファント島民は砥の粉に赤い塗料を混ぜたものを塗っており、赤みがかった色となっている[152]。インファント島民役の一人である加藤茂雄によれば、何人もこの塗料でかぶれていたという[152]。
ハッピー興行の事務所セットは、東宝撮影所第2ステージに組まれ、2月18日から19日にかけて撮影が行われた[191]。
浜風ホテルのセットは第1ステージに組まれ、2月21日から24日にかけて撮影が行われた[192]。
毎朝新聞のセットは第6ステージに、三浦の研究室は第2ステージにそれぞれ組まれた[193]。前者は、撮影を取材していた新聞記者から「雰囲気がよく出ている」と好評であった[37]。三浦の研究室の外観は、日立製作所中央研究所の小平記念館を用いている[119]。
インファント島の上陸シーンは、下田市近辺の海上で撮影された[113]。島内の洞窟は、第9ステージにセットを組んでいる[194]。本多は、洞窟のシーンでは原水爆の後遺症の酷さを描写する予定であったが、予算の都合などから実現しなかったと述べている[61]。踊りのシーンでは、日劇ダンシングチームを中心に500人近いエキストラが参加した[37]。
自衛隊の車両や兵器のシーンは、『地球防衛軍』(1957年)などから流用している[68]。『怪獣大戦争』でも自衛隊の描写は流用映像を用いており、当時は自衛隊の協力を得られなかったものとみられる[68]。
『マタンゴ』で導入された光学合成機や、前年にオックスベリー社の3ヘッド式オプチカル・プリンター1900が導入されたこともあり、小美人と俳優の共演場面やゴジラの都市破壊シーンなど、本作品では従来以上に映像に自然に馴染む合成を多用している[出典 87]。
一方、モスラとゴジラとの戦いには合成をほとんど用いず、操演を活用している[出典 88]。パノラマ画面を活かし、空陸の戦いをシチュエーションに合わせた様々なアングルで描写している[29]。円谷の演出意図としては、前作のようなコミカルさや擬人的描写を避け、リアルさのある迫力を重視している[37]。撮影の有川貞昌は、立っているゴジラと横になっているモスラでは画面に空きが出てバランスが取りづらく、距離感をつかむのが大変であったと述懐している[196]。
劇中では、成虫モスラとゴジラの戦いは一度きりであり、有川はモスラをゴジラと戦わせるためではなく美しいゴジラ映画を作りたくて出したと述べている[196]。
冒頭の台風のシーンでは、12 - 13トンの水が用いられた[197]。助監督の中野昭慶によれば、モスラの卵の造形物がどこに流れるかわからず、カメラマンが苦労したという[197]。台風上陸時の倉田浜干拓地もミニチュアセットで撮影された[63]。
モスラの卵に近づく船舶や倉田浜干拓地の排水ポンプなど、実物さながらの精巧なミニチュアが用いられている[出典 89][注釈 35]。
ゴジラによる名古屋襲撃シーンは、大規模なミニチュアが制作されたのは名古屋城周辺のみで、そのほかはオプチカル・プリンターを活用し合成により処理された[54][200]。合成を前提としているため、避難する人々の撮影も特撮班が初めて行った[200]。名古屋城前のロケでは、200人のエキストラが動員された[37]。名古屋テレビ塔での避難シーンは、現地ロケとオープンセットでの撮影を併用している[201]。四日市コンビナートのロケでは、特撮班カメラマンである富岡素敬の兄が昭和石油で労務課長を務めていたことから撮影の協力が得られ、作業着を借り受けたほか、消防車の撮影も実現した[37]。
ゴジラが名古屋城を破壊するシーンは、東宝撮影所第11ステージで撮影された[202]。有川によると、撮影中に中島が足を滑らして城のお堀に滑り込んでしまったが、撮影終了5日前の4月13日に撮影されたうえに公開16日前で予算とスケジュールの両面から再撮影は不可能だったため、「NGは特撮にない」という持論を常々持っていた円谷英二はこのカットの使用を決定し、足元を捉えたフィルムを使って編集で処理したという[196][203][注釈 36]。なお、東宝のビデオ『特撮未使用フィルム大全集』[注釈 37]には、ゴジラが名古屋城を壊そうとするものの模型が頑丈すぎて壊れなかった映像が収録されている[56]。名古屋テレビ塔もミニチュアセットが制作され、オープンセットと第11ステージで撮影された[201]。テレビ塔のミニチュア制作は、戸井田工業が手掛けた[207]。1964年7月に竣工した名古屋パナソニックビルは、建設中の状態でミニチュアが制作された[119]。
卵を覆う温室のミニチュアセットは、東宝撮影所第11ステージに組まれた[208]。ゴジラが地中から出現するシーンは、同第8ステージで撮影された[132]。
人工雷作戦のシーンも第11ステージで撮影された[209]。鉄塔のミニチュアは、サイズを変えることで遠近感を表現している[209]。自衛隊の作戦準備に用いられた重機のミニチュアは、『妖星ゴラス』や『キングコング対ゴジラ』のものを流用しているとみられる[210]。特殊帯電ネットは、上部に組まれた木枠から投下する仕組みとなっていた[211]。
音楽は、『キングコング対ゴジラ』に引き続き伊福部昭が担当した[212]。小美人が歌う「モスラの歌」のみ『モスラ』での古関裕而による楽曲を用いている[212]。プレスコは1964年2月29日に、本編音楽は4月21日にそれぞれ収録された[212]。
本作品では、小美人の歌として「モスラの歌」のほかに「聖なる泉」と「マハラ・モスラ」が制作された[212]。両曲とも歌とオケを個別の2トラックでシネテープに収録していたが、「聖なる泉」は歌のみのトラックが現存せず、オケとミックスした状態の音源しか残っていない[212]。
ゴジラのテーマは、前作に引き続き「ゴジラの猛威(ゴジラの恐怖)」が用いられているが、前作でのDパートの代わりにAパートの変奏が挿入され、曲全体もスローテンポとなり以前よりも長くなっている[212]。自衛隊との戦闘シーンでもこの曲が用いられており、自衛隊を象徴するマーチ曲は制作されていない[212]。
モスラのテーマは新たに制作され、ゴジラとの対決シーンではゴジラのテーマのリズムに乗せてモスラのテーマを演奏している[212]。
本作品は、親子連れの動員に成功し、前年の東宝のゴールデンウィーク興行よりも好調な記録となった[37]。子供が多かったことから動員数に対して興行収入は低めとなったが、東宝の役員会では総合的には大成功と結論づけられた[37]。
本作品の好調のほか、前年に公開されたSF路線の『海底軍艦』および『マタンゴ』が低調に終わったこともあり、東宝特撮映画は怪獣路線が主軸となった[37]。本作品の公開された1964年には『宇宙大怪獣ドゴラ』『三大怪獣 地球最大の決戦』と怪獣映画が3本公開されており、後の第一次怪獣ブームの土台を築いたとされる[出典 90][注釈 38]。本作品以降、ゴジラ映画は毎年製作されるようになった[出典 91]。
1964年5月、ヘンリー・G・サパースタインが本作品のアメリカ合衆国における配給権を取得し[214]、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズが全米配給を担当した[出典 92]。
当初の海外版ではタイトルが『GODZILLA VS. THE THING』 となっていた[出典 93][注釈 39]。「THE THING」は直訳すると「謎の物体」であり、モスラの卵のことを指している[182]。予告編ではモスラの存在が秘匿されていた[182]。その後、ビデオソフト化の際に『GODZILLA VS. MOTHRA』へ改められたが、商品によって新旧名称が混在した状態となっている[4]。
セリフはすべて英語に吹き替えられており、田崎潤と藤木悠の「卵も逃げたのか?」「いえ、卵には足がありませんから」というやり取りは、図らずも「エッグ(卵)」と「レッグ(脚)」をかけた洒落になっている。モスラの卵の売却価格は「94万38円」と改変されている[182]。
4月18日の国内版の検定オールラッシュ以降に海外版の撮影がおこなわれ、1日で国連軍の会議と艦橋のシーンを撮影している[102]。
倉田浜に現れたゴジラが名古屋へ向かうカットの後、国連派遣の新鋭艦隊[注釈 40]が出動し、天竜川の鉄橋を破壊して進撃するゴジラにミサイルで攻撃するシーンが挿入されている[出典 94]。海外版の完成フィルムでは、このミサイルが国連大使のセリフで「高性能誘導弾フロンティアミサイル」と説明されている。また、ミサイル艦隊の後尾で風にはためくアメリカの星条旗がアップになるカットがある[1]。このシーンのロケは、静岡県の中田島砂丘にて、擬似夜景処理を施してオープン撮影で4日間おこなわれた[出典 95][注釈 41]。完成作品ではこの流れはカットされているが[102]、国内版予告にはこの浜辺を歩くゴジラの映像が存在する。このシーンは、もともと決定稿に四日市と名古屋への襲撃シーンがない代わりに存在しており、ロリシカ国が開発した新兵器「誘導弾フロンティア」と紹介されている[103][102]。スケジュールの都合により撮影予定から一旦外されていたが、サパースタインの要望により追加された[37][1]。
1990年代半ばにはこの海外版と日本版をセットにしたLDが発売され、2008年1月には5枚組DVD-BOX「ゴジラDVDコレクション I」の特典ディスクとしてDVD化された[220]。フィルムは現存しているが、日本国内のソフトではスタンダードサイズのみとなっている[221]。
本作でテレビ塔を破壊された名古屋市栄の「中部電力 MIRAI TOWER」(旧・名古屋テレビ塔)[注釈 44]では、2024年に開業70周年を迎えるのに合わせて、同じく誕生してから70年となるゴジラとのタイアップイベントが、6月20日から9月23日まで行われる[231][232]。
「Hisaya-odori Park」のミズベヒロバに巨大なゴジラのオブジェを展示する[231][232]。また、ゴジラの大きさを体験できるようテレビ塔の屋外階段に作品ごとに異なるゴジラの目線の高さに印をつけるほか、展望台にARの技術を使って70年間の名古屋のまちとゴジラの軌跡を振り返るコーナーを設ける[231][232]。
後年、ゴジラシリーズで監督を務めた大森一樹や手塚昌明らは幼少期に本作品を鑑賞して感銘を受けたといい、自作品にも影響を受けているという[233][234]。
『ゴジラvsモスラ』(1992年)でのバトラの名古屋襲撃シーンは、本作品でのゴジラの名古屋襲撃シーンをオマージュしている[235][236]。また、冒頭の台風のシーンでは、本作品の映像も一部流用している[236]。
『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)では、ゴジラの四日市上陸シーンで本作品をオマージュしている[出典 99]。特技監督の川北紘一は、本作品でも名古屋のロケハンに参加していたが、『vsメカゴジラ』のロケハン時は本作品当時の撮影場所は整備されるなど変貌しており、同じ場所でも印象がまったく異なっていたという[237][238]。
『ウルトラマンサーガ』(2012年公開)でゴメス (S) が地中から現れるシーンは、本作品でゴジラが倉田浜干拓地から出現するシーンへのオマージュであり、これは元々ゴメスがゴジラの着ぐるみの改造であることを意識した演出である[239]。
映画監督の周防正行は、『終の信託』(2012年公開)の完成後に「初めてハマったポップカルチャー」として本作品を挙げている[240]。
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