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SE.3130 アルエット II(Alouette II)は、フランスの元々はシュド・アビアシオン社で、後にアエロスパシアル社で製造された軽ヘリコプターである。アルエット IIは、従来の重いレシプロエンジンの替わりにガスタービンエンジンを搭載した最初の量産ヘリコプターであった。 なお、愛称に関してはアルーエト IIという表記も見られる。
SE.3130 アルエットII
大部分のアルエット IIは、軍隊で観測、写真撮影、空中/洋上での救難救助、連絡と訓練任務に使用されたが、対戦車ミサイルやホーミング魚雷も搭載された。民間用ヘリコプターとしては負傷者の救助(外部に2基の担架用荷籠)、農薬散布やフライングクレーン(500kgの外部吊り下げ能力)用途に使用された。
シュド・エスト社(SNCASE)が設計した前作のSE.3120 アルエットは、1953年6月にヘリコプターの速度と航続距離の記録を樹立したが、この機は市場で成功作となるには複雑過ぎる航空機であった。記録樹立に伴ってフランス政府は興味を示し始めたが、財政状況の悪化と共に2年以内に生産に入れるヘリコプター以外の回転翼機に関する全ての活動を停止するように最終通告が出された。SNCASE(Sud-Est)は、X.310AからX.310Gまでの7種類のガスタービンエンジン搭載のヘリコプターを提案した。チュルボメカ社の創立者Joseph Szydlowskiは、オレドン(Orédon)タービンから派生した260hpを発生するアルトウステ 1軸ターボシャフトエンジンの開発を成功に導いた。X.310G案が採用され、アルトウステ エンジンと共にSE.3130 アルエット IIとしての生産に向け開発が進められた。
SE.3130は1955年3月12日に初飛行を行い、3ヶ月以内の6月6日にジャン・ボレー(Jean Boulet)操縦の前量産型アルエット IIが8,209mのヘリコプターによる高度記録を樹立し、7月13日に記録を10,984mに更新した。
1956年7月3日にアルエット IIは、標高4,000m以上から心臓停止した登山者を救助して山岳救助を行った最初のヘリコプターとなり、1957年1月3日に再びアルエット IIがモンブランで行方不明になった登山家のジャン・ヴィンセンドン(Jean Vincendon)とフランソワ・アンリ(François Henry)を捜索中に墜落したシコルスキー S-58の搭乗員を救助するために呼ばれた。
アルエット IIは、1957年5月2日に国内の耐空証明を取得した。
アルエット IIの生産は当初はフランス軍と民間からの注文に応じて始まった。軍事面ではアルエット IIは対戦車ミサイル(ノール SS.11)を搭載した世界初のヘリコプターとなり[1]、1975年に生産終了となるまでに総計1,500機以上のアルエット IIが製造され、47の軍事組織を含む80ヶ国以上で使用された。アルエット IIはブラジル、スウェーデン、インド、アメリカでもライセンス生産された。
(アルエット II)
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