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第一早稲田高等学院を中退した後、高松プロ吾妻撮影所の研究生となる。
1926年(大正15年)、タカマツ・アズマプロ製作の『男児一諾』でデビューする[3]。翌1927年、松竹蒲田撮影所時代劇部に移り、吾妻三郎名義で、小津安二郎監督のデビュー作『懺悔の刃』などに主演する[出典 1]。その後、河合映画、東亜キネマ、帝国キネマ長瀬撮影所、新興キネマを経て、東宝の専属俳優となる。
東宝専属時代は、クレジットされないエキストラとしての出演が大多数を占めている。1970年(昭和45年)に専属俳優の一斉解雇が行われるまで東宝に在籍。それ以降もテレビCMに出演するなど1980年代頃まで俳優業を続けた。
デビュー当時は阪東妻三郎の人気が上がってきたころで、映画各社が阪妻そっくりのチャンバラスタアをつくろうとしていた。「吾妻三郎」は「阪東妻三郎のそっくりさん」ということで売り出され[3]、これに似せて着けられた芸名で、誰も「あづま」とは読まず、「われ妻三郎」と読んでいた。場末の三本立ての館などでは、阪妻に顔も似ていて「妻三郎」でもあるのでだまされて入った客も相当いたという[7]。
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