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東京都千代田区にある台地 ウィキペディアから
駿河台(するがだい)とは、日本の南関東にある台地の一つ。現在行政区画上では東京都千代田区北部にある[1]地形で地域。標高約17メートル[1]。
秋葉原の南西、千代田区神田駿河台一丁目と二丁目に位置する[注 1]。
元来は、北に位置する本郷台地(cf. 本郷)の南端に当たる「神田山(かんだやま)」という高台(丘)であった[2]。江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の命を受けた仙台藩祖・伊達政宗が1620年(元和6年)に仙台堀(神田川)を開削したことにより、湯島台と駿河台とに分離され、孤立した高台となった[3][4][5][6][7]。神田川を挟んで北側に位置する湯島台とは、聖橋とお茶の水橋により台地上端の標高で結ばれている。削って下町を埋めたために、今は台地ではないところもある。
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「神田四学」[要出典]という私立の法律学校4校(明治・日本・中央・専修)が明治時代に創立され[注 2][8][9]、以来、日本大学(理工学部、歯学部)や明治大学本部を初めとする私立大学や駿台予備学校などの予備校・専門学校が多く集まっているほか、神田川の対岸は東京医科歯科大学、順天堂大学、近隣には専修大学等が存在し、国内有数の学生街となっている。かつては中央大学や東京高等商工学校(埼玉工業大学)[注 3]なども駿河台に本部を置き、明治時代には法政大学の校舎もあった[注 4][注 5]。なお、明治大学、日本大学[注 6][10]、中央大学[注 7][12]はいずれも法律学校から始まっている[8][9]。
キリスト教・正教会の一員たる日本ハリストス正教会の本拠ニコライ堂(東京復活大聖堂)が当地にある。
駿河台日本大学病院、杏雲堂病院など、病院が多く存在するほか、学生向けから発展したスポーツ用品店、楽器店なども多い。隣接する神田神保町は日本最大級の古書店街である。
1960年代後半の全共闘運動では、多くの大学が存在したことから、「神田カルチェラタン」「日本のカルチエ・ラタン」とよばれ、警察との対決の主戦場となり、一時は「神田解放区」を現出させた。「神田カルチェ・ラタン闘争」も参照のこと。
江戸時代初期に、駿府(駿河府中、現・静岡市葵区付近)から江戸(東京都区部)に移住した徳川家康の家臣が居を構えたことに由来する。
東京都の「駿河台」の由来になった駿河国は現在の静岡県の中部にあたり、静岡市駿河区の登呂遺跡付近に、「駿河台」という住宅街がある。
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