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埼玉県久喜市の地名 ウィキペディアから
青毛(あおげ・おおげ)は、埼玉県久喜市の地名。現行行政地名は青毛一丁目から青毛四丁目および大字青毛。郵便番号は346-0011[2]。
葛西用水路(旧:古利根川)沿いに自然堤防や河畔砂丘(青毛砂丘)などの微高地がみられ、平沼などはその後背湿地の低地となっているが、概しておおむね平坦である。中島と川原に挟まれた低地(流作)は自然堤防と対を成す形で形成されており、古利根川(現:葛西用水路)の旧流路を示している。
このうち昭和40年代に行われた平沼土地区画整理事業により平沼の大部分・大境・上青毛の一部・中村の一部(中村は栗原土地区画整理事業による)は青葉となり、栗原土地区画整理事業により本郷の大部分・中村の一部・川原の一部・流作の一部は住居表示地区の栗原となっている。また、今日の青毛においても久喜市立青毛小学校より東側の地区では青毛特定土地区画整理事業が中村・本郷の一部・川原・流作・中島で行われ、青毛一丁目 - 青毛四丁目の住居表示地区となっている。なお、今日部分的に現存している小字は上青毛・平沼・中村・流作・中島・本郷(飛地)である。[5]これら各土地区画整理事業が行われる以前では隣接する栗原との飛地が多数存在し、特に本郷付近では複雑に入り組んでいた。本郷という地名は栗原二丁目の「本郷児童公園」などに確認できる。地名において過去の時代の資料では「靑毛」と表記されている場合もある。
昭和後期に行われた調査では、青毛の古い集落周辺では久喜市街地に比べ常に低い気温が観測されている。主な要因としては、葛西用水路による冷たい空気の通り道であるためと考えられている。
名木・巨木としては以下が挙げられる。
この他、青毛北部にかつて所在していた砂採掘跡の水辺[6]においてタヌキモの生育が確認されている。同地の水深は80 cmから100 cmに達しており、タヌキモが最も優占していた。同地ではタヌキモに次いでコバノヒルムシロが優占していた。これに続きサデクサ・ニオイタデとなっている。1984年(昭和59年)7月15日の調査では比較的アルカリ性の強いpH 7.2〜7.9を示した。同地においては水生昆虫・貝類・同翅類・水生植物などにおいて注目される種が発見されたことから、久喜市内において自然の残された貴重な場として調査員の関心を集めた。しかしその後、ゴミ焼却場の残灰の処分場となったことにより環境は数か月の投棄で目に見えて悪化し、今日においては埋め立てられ水辺は姿を消している[7]。なお、同地は私有地であるため立ち入りは制限されている。タヌキモの生育地周辺の草本群落としては以下の種が確認されている。
青毛の読み方は今日において行政・郵便などでは「アオゲ」[8][9]が用いられているが、旧来からの住民の間では「オーゲ」という発音が定着している。旧久喜市時代の小学校社会科副読本には青毛に対し「あおげ(おおげ)」と二つのルビが付されており[10]、『久喜市史 民俗編』の「方言・俗語一覧」の項に「オーゲ - 青毛」の表記が確認できる。[11]また『騎西町史 民俗編』では上青毛堀に「かみおおげぼり」、下青毛堀に「しもおおげぼり」のルビがみられ[12]、『鷲宮町史 ふるさとガイド』でも下青毛堀に「しもおおげぼり」のルビがみられる。[13]この他、『幸手市史 自然環境編Ⅰ』では青毛に「おうげ」のルビがあり[14]、『幸手のことば』では「オーゲシバヤ」[15]の語彙がみられ、語彙説明の文中において青毛に「オーゲ」のルビが付されている。[16]これらのことから「オーゲ」という発音は当地においてのみならず、周辺地域も含め広域的に用いられていた。久喜市立青毛小学校が開校した頃、「あおげしょうがっこう」と称し始めたのが「アオゲ」読みの広がりの始まり[17]とされており、近年では「オーゲ」読みに戻すよう久喜市に陳情書が出されている。[18][19]陳情を受け朝日バス「青葉団地循環」などのバス路線において、一時期車内放送にて「青毛」バス停に対し「次はおおげ」というアナウンスが流されていたが、今日においては「次はあおげ」と元の形に戻されている。中世の時期の村名に「大毛」の文字が当てられていたこともある。[20]
葛西用水路が湾曲している地に位置し、低地に挟まれ小高い島のようになっていることからこの名がついたと推察される。葛西用水路の氾濫時もこの地だけは島のように残ったとの伝承がある。
葛西用水路の氾濫時に水害に遭いやすい土地柄であったため、流作と称されたとみられている。
子供歌
まじない
正月3か日の食事
2022年(令和4年)10月1日時点の世帯数と人口は以下のとおりである[1]。
年代 | 戸数(世帯数) | 男 | 女 | 総人口 |
---|---|---|---|---|
文政期 | 84戸[4] | (不明) | (不明) | (不明) |
1879年(明治12年)8月 | 87戸 | (不明) | (不明) | (不明) |
明治初期(郡村誌より) | 91戸 | 227人 | 248人 | 475人 |
1968年(昭和43年) | 129世帯 | (不明) | (不明) | 689人 |
1969年(昭和44年) | 138世帯 | (不明) | (不明) | 727人 |
1970年(昭和45年) | 141世帯 | (不明) | (不明) | 732人 |
1971年(昭和46年) | 150世帯 | (不明) | (不明) | 751人 |
1972年(昭和47年) | 155世帯 | (不明) | (不明) | 765人 |
1973年(昭和48年) | 160世帯 | (不明) | (不明) | 759人 |
1974年(昭和49年) | 168世帯 | (不明) | (不明) | 772人 |
1975年(昭和50年) | 153世帯 | (不明) | (不明) | 722人 |
1976年(昭和51年) | 166世帯 | (不明) | (不明) | 757人 |
1977年(昭和52年) | 200世帯 | (不明) | (不明) | 856人 |
1978年(昭和53年) | 229世帯 | (不明) | (不明) | 968人 |
1979年(昭和54年) | 155世帯 | (不明) | (不明) | 661人 |
1980年(昭和55年) | 151世帯 | (不明) | (不明) | 651人 |
1981年(昭和56年) | 184世帯 | (不明) | (不明) | 776人 |
1982年(昭和57年) | 196世帯 | (不明) | (不明) | 808人 |
1983年(昭和58年) | 201世帯 | (不明) | (不明) | 823人 |
1984年(昭和59年) | 215世帯 | (不明) | (不明) | 871人 |
1985年(昭和60年) | 217世帯 | (不明) | (不明) | 900人 |
1986年(昭和61年) | 221世帯 | (不明) | (不明) | 916人 |
1987年(昭和62年) | 223世帯 | (不明) | (不明) | 903人 |
2010年(平成22年)4月1日 | 1,026世帯 | 1,478人 | 1,449人 | 2,927人 |
2011年(平成23年)4月1日 | 1,029世帯 | 1,476人 | 1,452人 | 2,928人 |
2012年(平成24年)4月1日 | 1,045世帯 | 1,475人 | 1,464人 | 2,939人 |
2013年(平成25年)4月1日 | 1,077世帯 | 1,495人 | 1,468人 | 2,963人 |
2014年(平成26年)4月1日 | 1,086世帯 | 1,492人 | 1,465人 | 2,957人 |
2015年(平成27年)4月1日 | 1,088世帯 | 1,470人 | 1,432人 | 2,902人 |
2016年(平成28年)4月1日 | 1,133世帯 | 1,516人 | 1,486人 | 3,002人 |
2017年(平成29年)4月1日 | 1,156世帯 | 1,512人 | 1,494人 | 3,006人 |
2018年(平成30年)4月1日 | 1,176世帯 | 1,527人 | 1,504人 | 3,031人 |
2019年(平成31年)4月1日 | 1,176世帯 | 1,500人 | 1,487人 | 2,987人 |
2020年(令和2年)4月1日 | 1,203世帯 | 1,502人 | 1,495人 | 2,997人 |
2021年(令和3年)4月1日 | 1,220世帯 | 1,499人 | 1,499人 | 2,998人 |
2022年(令和4年)4月1日 | 1,201世帯 | 1,476人 | 1,467人 | 2,943人 |
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[23]。
町丁・丁目 | 区域・番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
青毛 | 青毛堀川西側 | 久喜市立太田小学校 | 久喜市立太東中学校 |
青毛堀川東側 | 久喜市立青毛小学校 | 久喜市立久喜東中学校 | |
青毛一丁目 | 全域 | 久喜市立青毛小学校 | 久喜市立久喜東中学校 |
青毛二丁目 | 全域 | ||
青毛三丁目 | 全域 | ||
青毛四丁目 | 全域 |
地内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は東武日光線「幸手駅」、または下記のバス利用でJR東日本宇都宮線(東北本線)「久喜駅」である。
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