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賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日 - 1991年〈平成3年〉2月20日)は、日本の女優、演出家。本名は塚原 初子。
文学座に入座して多くの舞台に立ち、地味な老け役で活躍した。喜びの琴事件で文学座を脱退後は劇団NLTを結成してその主宰となり、フランス喜劇の上演に意欲を燃やした。舞台のほか映画、テレビドラマへの出演も多い。メイクアップ技術の研究家としても有名で、入門書を出版している[1]。主な出演舞台に『二十六番館』『島』、映画に『流れる』『女の歴史』など。演出家として『ロマノフとジュリエット』なども発表している。
1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市牛込区余丁町(現在の東京都新宿区余丁町)に生まれる[2]。父は元東京農業大学常務理事の塚原周吾、祖父は東洋汽船創設者の塚原周造である[3]。
東洋英和女学校小学部を経て、1938年(昭和13年)に東洋英和女学校を卒業。同級生に三枝佐枝子がおり、ともに新築地劇団の「土」(長塚節原作)を観て感銘を受け、二人で主演の山本安英を訪ねて教えをこい、学芸会で演じた[4]。同年、創立間もない文学座の研究所に第1期生として入る[2]。同期生に青野平義、荒木道子、小山源喜らがいる。1939年(昭和14年)に『父と子』の女中役で初舞台を踏み、翌年に座員に昇格、田中澄江作『はるあき』では19歳で48歳の先生役を演じた[2][3]。1943年(昭和18年)、文学座同期の岩本昇三と内輪の祝言をあげる[1]。1945年(昭和20年)、東京大空襲の最中に初演を迎えた森本薫作『女の一生』で、杉村春子演じる布引けいの姑役をわずか24歳で演じる[2]。戦後も『二十六番館』『マリウス』『島』などほとんどの作品で老け役を演じ、人のいいおばさん、ずる賢い老女、意地悪い姑といった役を得意とした[2]。
1963年(昭和38年)12月、喜びの琴事件をきっかけに文学座を脱退、翌1964年(昭和39年)1月に岩田豊雄、三島由紀夫を顧問にして矢代静一、青野平義、中村伸郎らとグループNLTを創立。『サド侯爵夫人』を上演して成功を収めるが、劇団の分裂で1968年(昭和43年)に新生劇団NLTの主宰となり、フランス・プールヴァール劇の上演に意欲を燃やした[3]。その後は森繁久彌主演の『屋根の上のバイオリン弾き』でイエンテを演じ、演出家として『ロマノフとジュリエット』『ササフラスの枝にそよぐ風』などを発表した。
映画には、1946年(昭和21年)の木下惠介監督『大曾根家の朝』で初出演し、その後は東宝を中心に各社の作品に脇役出演した[2]。特に『流れる』『女の歴史』など成瀬巳喜男監督作品の常連だった。テレビドラマにも『これが青春だ』などの青春学園シリーズ、チャコちゃんシリーズなど多数に出演した。
1991年(平成3年)2月20日、卵巣癌のため東京都港区の済生会中央病院で死去[5]。70歳没。入院して亡くなる直前まで主演舞台に立ち続けていた。遺灰は海に散骨された[3]。多磨霊園に墓碑がある。1993年(平成5年)、賀原が癌発症後に養子縁組を結んだ塚原純江によって『海に還る 女優・賀原夏子』が出版された[3]。
太字の題名はキネマ旬報ベスト・テンにランクインした作品
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