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『悪い奴ほどよく眠る』(わるいやつほどよくねむる)は、1960年に公開された日本映画である。監督は黒澤明で、黒澤プロダクションの第1作である。公団の汚職で死に追いやられた父の復讐を果たそうとする男の姿を描く。物語はデュマの小説『モンテ・クリスト伯』を参考にしており、シェイクスピアの戯曲『ハムレット』の影響も指摘されている[2][3][4]。
土地開発公団の副総裁、岩淵の娘・佳子と、岩淵の秘書・西の結婚披露宴が盛大に始まらんとしたそのとき、披露宴司会役の公団の課長補佐、和田が汚職関与の疑惑で逮捕される。急遽、和田の上司白井が代役となるが、今度は運ばれてきた公団のビルをかたどったケーキの7階に赤いバラの花が刺さっているのに場がざわめく。それは5年前、公団の課長補佐・古谷が飛び降り自殺した窓だったからだ。
和田は、刑事の尋問に黙秘を通したのち、自殺しようと火山の火口に向かうが、それを阻止したのは西であった。西は車から、和田自身の葬式を見せながら、テープレコーダーで隠し取った、和田の上司の守山と白井の会話を聞かせる。守山と白井は和田の自殺に安堵し嘲笑っている。西は彼らに復讐を企んでいることを語り、和田を仲間に引き入れる。
ある日、白井が汚職による利益の現金を預けている貸し金庫をあけてみると、現金の代わりに公団のビルの写真がはいっており、ケーキと同様に7階の窓に×印が付けられていた。白井は公団に戻り、古谷の死に恨みを持つ者の仕業であると岩淵と守山に説明するが、逆に着服したのだろうと疑われてしまう。そして深夜に憔悴しての帰宅途中、白井は暗がりに和田の姿を見る。驚愕した白井は守山の自宅に駆け込み、和田が生きていると訴えるが、守山は一蹴する。追い詰められた白井が入札汚職の共謀相手である大竜建設の幹部にまで和田の件を喋り始めたため、遅まきながら岩淵と守山は白井を懐柔しようとするが、白井は疑心暗鬼に陥っており、古谷の件も含めて何もかもぶちまけてやると言い出したため、殺し屋に狙われる羽目になる。
その殺し屋から白井を救ったのは西であったが、西は白井を深夜の公団ビルの7階に連れて行き、5年前にここから飛び降りて自殺した古谷が自分の父親だと明かし、白井を殺そうとする。恐怖のため白井は発狂する。
さらに西は仲間の板倉と戦禍の廃墟に守山を拉致する。しかしその頃、西の正体が岩淵に露呈していた。西は、父を自殺に追い込んだ岩淵の懐に飛び込むため、板倉と戸籍の交換をし、その娘、佳子と結婚したのだ。しかし、西は心を完全に鬼にすることはできず、のみならず佳子を愛してしまっていた。同情する和田により、廃墟に連れて来られた佳子は、西から父親の犯罪を知らされる。佳子の体には触れていなかった西だが、その日初めて佳子を抱擁する。
しかし佳子が兄の辰夫と廃墟へ再び来て見ると、板倉がひとり嗚咽している。西が車の事故に見せかけて殺されたのだった。岩淵に西の所在を尋ねられた佳子はこの場所を岩淵に教えてしまったのだ。辰夫は、ショックで廃人のようになった佳子を抱きかかえて岩淵の下へ行き、「親子の縁を切る」と告げて家を去る。しかし謎の人物から電話で、「一時外遊でもして、ほとぼりが冷めるのを待て」と指示された岩淵は安堵し、疲れから夜でもないのに「お休みなさいませ」と返事をしてしまう。
黒澤明は、前作『隠し砦の三悪人』の製作日数と予算が大幅超過し、頭を悩ませた東宝側の要請に応じる形で、1959年に東宝との折半出資で「黒澤プロダクション」を設立した[6][7]。黒澤は独立して最初から儲けばかりを狙う作品では観客に失礼だから、なにか社会的意義のある題材を取り上げようと考えた[8]。そこで汚職を題材とする本作を作ることになるが、そのアイデアを提供したのは黒澤の甥の井上芳男である[9]。井上は自分の書いた脚本を黒澤に見せていたが、ある日黒澤に「いつも政治や官僚の汚職のことばかり書いているけど、そういう汚職に関わる連中を成敗する話を、書いたらどうかな」と言われたことで、『悪い奴の栄華』という題名の作品を書き、これを原案に本作の脚本が練られた[9]。
脚本には黒澤、小國英雄、久板栄二郎、橋本忍、菊島隆三の5人が参加し、黒澤作品の共同脚本では最多人数となるが、最初から最後まで参加したのは黒澤と久板だけで、小國、橋本、菊島は体が空いているときにしか参加しなかった[10][6]。橋本は2週間限定で脚本料なしのボランティアのようにかかわった[11]。菊島も別の企画に追われていたため限られた期間しか参加せず、菊島が合流した時には最初の40ページほどが完成していた[12]。小津安二郎はそのことをズバリ指摘し、菊島に「あれは久板と黒澤がカッカして書いて、君と橋本君は寝てたんだろう」と話したという[12]。
脚本執筆には時間を要し、20日間の合宿を4回も行い、通算80日ぐらいかかった[13]。脚本はまず具体的な進め方を話し合い、それからシーンごとに分担を決めて書き、それを最後に黒澤が整理するという流れで進められたが、途中で思わぬ方向に話が進んでしまって書き直しすることが多かった[6]。また、汚職の構造にまでせまると会社が企画を認めないため、実際の事件や人物に類似しないように配慮しなければならず、汚職の実態をリアルに描くことにも難航した[10][6]。
1960年1月26日に製作発表を行い、3月22日に撮影開始した[14]。主なロケーションは、守山を監禁する廃墟が愛知県豊橋市の海軍工廠跡、和田が自殺未遂する火山が阿蘇山、古谷が自殺したビルが丸の内ビルディング、拘置所門前が横浜刑務所である[15][16]。7月27日にダビング作業を開始し、8月22日に検定試写が行われた[15]。製作直接費は8254万円となっている[1]。
第34回キネマ旬報ベスト・テンでは3位に選ばれ[17]、橋本忍が脚本賞を受賞した[18]。第15回毎日映画コンクールでは森雅之が男優助演賞、佐藤勝が音楽賞を受賞した[19]。公開当時の国内の批評は、好意的批評が黒澤の演出力と話術を評価し、否定的批評が逆に黒澤演出の力みの強さを欠点とした[20]。主人公は倫理的に正しいが、その思考と行動が庶民感覚から程遠く、その点を批判する批評もあった[20]。また、汚職というシビアな題材にサスペンスドラマの娯楽性を盛り込んでいるが、興行的には失敗した[2][10]。
アメリカでの批評は賛否両論だった。タイム誌は「『悪い奴ほどよく眠る』はこれまでに黒澤が作った訴求力の強い映画と比べると劣るのかもしれないが、一流ジャーナリズムに匹敵する通俗のエネルギーがあり、鋭く、現代的で、非常に道徳的な真面目さがある」と評した[21]。ニューヨーク・タイムズ紙のボズレー・クラウザーは「黒澤が作り出した力強く興味深い映画―やや冗長で、終わり近くは変に感傷的だが、主題を掴んでいる観客をずっと飽きさせない面白さを持っている」と評した[20]。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには20件のレビューがあり、批評家支持率は100%で、平均点は7.70/10となっている[22]。
フランシス・フォード・コッポラは本作を高く評価しており、冒頭の結婚式のシーンについて「本音とたて前がまるっきり違うところなどは、シェイクスピアなんかよりずっとおもしろい[23]」「このシーンほど完璧なものを、他の映画で観たことがない。現代的なストーリーの要素が、分かりやすく、秩序立てて構成され、謎めいた悲劇が詩的に解明されていく[21]」と語っている。コッポラが監督した『ゴッドファーザー』(1972年)の冒頭の結婚式のシーンは、本作の冒頭の結婚披露宴のシーンから着想を得ている[21][24]。2012年にBFIの映画雑誌サイト・アンド・サウンドが発表した「史上最高の映画ベストテン」の監督投票でも、コッポラは本作をベスト映画の1本に投票した[25][26]。
2010年3月5日、フジテレビジョン系列「金曜プレステージ」に、黒澤明生誕100年企画として同作が村上弘明主演、黒沢直輔監督でリメイクされた。
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