白石 奈緒美(、1935年〈昭和10年〉1月24日[3][注釈 1] - 2019年〈令和元年〉8月3日[4])は、日本の女優、料理研究家、日本俳優連合元理事、『高齢社会ジャーナル』元編集長。本名は中島 奈緒美()。
概要 しらいし なおみ 白石 奈緒美, 本名 ...
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カナダ・バンクーバー出身[1]。武蔵野女子学院短期大学卒業[3]。
父は貿易商[1]。姉は白石かずこ。夫は中島力(元テレビ朝日プロデューサー)。
1955年、ラジオ東京放送劇団に4期生として入る[1](同期に泉大助、大平透ら[3])。当初は演出家志望だったが、当劇団に女性の演出家はいないと言われたことから役者に転向[5]。
1956年、東宝からスカウトを受け、劇団に所属したまま東宝と契約し、映画『若人の凱歌』でデビュー[1][5]。放送劇団員が劇団に在籍したまま映画に出演したのは白石が初であるとされる[5]。
1957年、東宝に入社。1959年に東宝を退社し[1]、フリーになる。その後、結婚により引退したが、1970年代には活動を再開[1]。
1969年から早稲田大学大学院で日本美術史を研究する。
1978年に商品科学研究所[注釈 2]の設立5周年記念の論文公募に応募した「薬罐 - その歴史的変遷と現在の製品についての問題点」が1位に入賞し、この論文に基づいた使い易いやかんが商品化された。
また、お菓子コンクールでグランプリを受賞するなど料理研究家としても活躍し、1980年代には料理関係の本も多く出版している。
2019年8月3日、虚血性心不全のため東京都調布市の自宅で死去[4]。84歳没。
映画
- 天上大風(1956年) - 曾和沙恵子
- 若人の凱歌(1956年) - 娘・奈津子
- 大安吉日(1957年) - 女給暁子
- 花嫁は待っている(1957年) - 松村(デパート店員営業部)
- 花嫁三重奏(1958年) - モデル
- 続・社長三代記(1958年) - 女探偵
- 重役の椅子(1958年) - 今西千恵子(極東商事社員)
- 東京の休日(1958年) - ファッションショウのモデルC
- 大人には分らない・青春白書(1958年) - 立野圭子
- 結婚のすべて(1958年) - 志摩京子(ファッションモデル)
- 美女と液体人間(1958年) - 峯子[1][2]
- 若い獣(1958年) - 新吾の恋人
- ㊙トルコ風呂(1968年) - 竹田
- 徳川女刑罰史(1968年) - 燐徳
- まり子自叙伝 花咲く星座(1959年) - 住ノ江照江
- 鏡の中の野心(1972年) - 谷本香子
- 女医の愛欲日記(1973年) - 各務美穂
- 夜の演歌 しのび恋(1974年) - 近松いね子
- あさき夢みし(1974年) - 庵主
- バージンブルース(1974年) - ちあきの母
- 愛のコリーダ(1976年) - 芸者・八重次
- 天保水滸伝 大原幽学(1976年) - サイ
- 雪華葬刺し(1982年) - 春菜
- 徳川の女帝 大奥(1988年) - 滝本
- 1981年 『折々に女は美しい : 奈緒美の家事歳時記』(講談社)
- 1981年 『恋女房志願 : 料理で愛をつかむ法』(主婦と生活社 21世紀ブックス)
- 1981年 『メルヘン館のお料理絵本』(立風書房)
- 1981年 『料理上手で愛される』(ベストセラーズ ワニの本 ISBN 4-584-00443-9)
- 1983年 『すてきなキッチンの仲間たち : 私が選んだいい道具・ほしい道具 カラー図鑑』(編著 PHP研究所 ISBN 4-569-21154-2)
- 1984年 『わたしの料理手帖:これならできる奈緒美の健康レシピ』(ダイワアート)
- 1986年 『食いしんぼうの簡単料理』(ダイワアート)
- 1989年 『料理のきめ手は愛ひとつまみ』(ベストセラーズ ワニ文庫)
- 1995年 『高齢福祉のリーダー21の発言:安心して老いる所がここにある』(編著 704プロジェクト ISBN 4-88720-157-5])
- 2000年 『高齢社会ジャーナル』(編著 高齢社会情報センター)
- 2005年 『驚異の野菜カルシウム』(松田行芳共著 長崎出版)
注釈
書籍『東宝特撮映画全史』では、「昭和8年1月24日」と記述している[1]。
1973年設立の民間の研究所。セゾングループが資金援助し、生活者の立場からの商品テスト・研究・商品開発、サービスや流通に関する行政、メーカーなどに提言を行っていた。機関紙は『Twoway』。1998年5月、同じくセゾングールプが資金援助をしていた他の2機関、流通産業研究所とフードシステム総合研究所と統合されセゾン総合研究所となった[6]。
出典
河北新報 1982年11月3日 20面「登場」コーナー