散弾銃 (さんだんじゅう、英 : Shotgun )は、多数の小さい弾丸 を散開発射する大口径の銃 。
クレー射撃 や狩猟 、有害鳥獣捕獲、さらに軍隊 や法執行機関 で使用される。
レミントンM870P を装備したアメリカ沿岸警備隊 の隊員
暴徒鎮圧訓練。横隊を組んで散弾銃を構えるアメリカ海兵隊 員 散弾銃はゴム弾 や催涙弾 などを装填すれば非致死性兵器 として運用することが可能である
ショットガンから発射された散弾を撮影した画像、散弾を保持していたワッズが開いた後に後落している
散弾銃は、近距離で使用される大型携行銃で、弾丸 の種類によっても特性が変わるが、散弾は概ね50m以内で最大の威力を発揮する。スラッグ弾 を使用した場合でもライフル に比べ、弾は遠距離までは飛ばず、貫通力も低い。
散弾銃用の一般的な装弾 (ショットシェル)はプラスチック製のケースと金属製のリムで構成され、ケースの中にはあらかじめ多数の小さな弾丸(散弾)が封入されており、銃口より種々の角度をもって放射状に発射され、一定範囲に均等に散らばり着弾する。これ以外に一発の大きな弾体を発射するスラッグ弾という弾種も発射できる。
散弾は動く対象に当てやすく、面に対しては大きな破壊をもたらすが、細かな狙撃 は構造上不可能で、用途的にも考慮されない。スラッグ弾では有効射程が延長され、ある程度の狙撃も可能である。
散弾はシェルの中にあるワッズと呼ばれるプラスチック製の部品とともに燃焼ガスによって射出されるが、ワッズは空気抵抗により発射後すぐに分離し落下する。散弾は直径に応じた号数があり用途によって使い分けられる。
競技としては、クレー射撃 などに使用される。これはかつては鳩 を放ってそれを撃ち落としていたものだが、動物愛護・コスト・競技としてのコンディションの同一性の確保、などさまざまな理由から変更された。現在では装置によって射出された素焼きの円盤(クレー・ピジョン=粘土製の鳩)を撃ち落とす競技になっている。
猟銃としてよく使用される。動きの速い鳥類の狩猟には小粒の散弾が使用され、対象が大型の動物の場合には大粒の散弾、あるいは単体のスラッグ弾が使用される。日本国内での狩猟用ライフル銃の所持には10年以上の装薬銃所持実績が必要であるため、ライフル銃所持条件に満たない場合には、大型動物の狩猟用にスラッグ弾と散弾銃の組み合わせで代用することになる。
クレー射撃競技や狩猟用途では、散弾の飛散パターン[ 要説明 ] と速射性から中折れ(元折れ)式上下二連や水平二連銃が好んで使用されるが、銃身を2本備えることから重く、また薬室に込められた2発の弾薬を撃ち尽くすたびに装填作業が必要になる。多数の弾を連射するために弾倉 を設け、ガスの圧力や反動を使って自動的に装填する半自動式(セミオート)や、手動でレバーやスライドを前後させるだけで装填できる連発式(レピータ)の散弾銃もあり、中にはこれらを必要に応じて切り替える機能がついたものもある。手動の連発式は自動式に比べて速射性に劣るものの、機構が簡単で送弾不良も少ないため、警察や軍で近接戦闘 用武器として多く採用されている。
日本国内においては、銃身の1/2にライフリング を刻むことが許されており、銃身手前側に刻んであれば単体弾(スラッグ弾)発射時においても比較的良好な弾道が得られる。このような散弾銃のことを、ハーフライフルドショットガンと呼称し、スラッグ弾専用に販売されている。
もしスラッグ弾でなく散弾に使った場合、散弾が飛び散る円錐の角度が大きくなって威力が落ちたり、着弾のパターンがドーナッツ状になり中心部が薄くなるため無意味である上に、散弾によってライフリング自体も損傷する。
拳銃用ショットシェルの一例
「スネークショット」という、拳銃 で撃てる口径のショットシェルもある。文字通り毒蛇退治に用いるもので、散弾が威力を保つのはごく近距離にとどまる。また、通常の散弾銃と同じ口径のショットシェルを扱える拳銃も存在する。
ショットガン以前
近世フランス で、鷹狩り に替わってマスケット銃 による鳥撃ち (英語版 ) が行われるようになると、命中率を上げるために散弾が使われるようになった。やがて、鳥撃ちで散弾を撃つことに特化した、軽くて長銃身の鳥撃ち銃 (fowling piece)が開発された。
やがて鳥撃ち銃はさまざまな用途用に発展し、船上での暴徒鎮圧 用の喇叭(ラッパ)銃 (BLUNDERBUSS 、前装式 )なども現れた。
これらはスカッターガン (scatter gun、スキャッターとも。scatter―散乱)とも呼ばれていた。
散弾は当初鉛線を刻んで丸めるなど手間のかかる方法で生産されていたが、18世紀後期にイングランド のWilliam Wattsにより、高所から熔融した鉛をこぼし落下中に表面張力 によって球状になった状態で固化させて下の液体を満たした容器で変形しないように受ける方法が発明された。
戦場
→詳細は「
戦闘用散弾銃 (英語版 ) 」、「
戦闘用散弾銃の一覧 (英語版 ) 」、および「
軍用12番実包 (英語版 ) 」を参照
ショットガンを装備した第二次大戦時のアメリカ海兵隊 員
アメリカ独立戦争 では、ジョージ・ワシントン のアイデアで、ブラウン・ベス マスケット銃 に通常の単体弾と散弾を同時に詰めて使用した(バック・アンド・ボール弾 (英語版 ) )。
アメリカ南北戦争 では、将兵の私物のショットガンが広く使用された。特に南軍 の騎兵隊 がショットガンを愛用した。その後の西部開拓時代 にはコーチガン (英語版 ) と呼ばれる銃身が短い二連散弾銃 (英語版 ) が、元軍人であることが多かった開拓者たちに愛用された。同時期、インドやパキスタンなど英国植民地領では、駐屯地への侵入者(多くは困窮した現地人であった)を射撃する目的で、制式装備のリー・エンフィールド とは別に、旧式化したスナイダー・エンフィールド をバックショット実包と共に配備していた。
第一次世界大戦 は塹壕 戦となり、塹壕内での近接戦闘 が発生した。その中で切り詰めた散弾銃を米軍 が多用したことで知られる。一例としては、ウィンチェスターM1897 散弾銃が既に開戦前から制式採用となっていたが、銃剣 ラグと銃身カバーとを加える改造を受けて、塹壕戦向けに配備された。同銃は構造上、引き金を引いたままポンプ操作を行うと連射(スラムファイア (英語版 ) )ができたため、自動銃並みの速射が可能であった。こうした散弾銃の使用に対してドイツ側は、人道上の理由や鉛弾の使用について、外交ルートを通じて正式に抗議している。この抗議は最終的には却下された。
第二次世界大戦 においては塹壕内が主戦場ではなくなったこともあり、ヨーロッパで使用されることは少なくなったが、太平洋戦線 では多数が使用され、ジャングル戦 で威力を発揮した。戦争末期のドイツ軍 や日本軍 では部隊を編成するための小銃 が不足し、一部で徴用した狩猟用散弾銃で代用していた。
第二次世界大戦後もジャングル戦となったベトナム戦争 などでも使用されたが、散弾銃は兵士の私物であることがほとんどであった。兵士にとって狩猟などで使い慣れ、構造の信頼性がある散弾銃を戦闘に使用するという発想は自然なものであった。
日本における散弾銃の歴史
→詳細は「
日本の銃器 (英語版 ) 」および「
日本の火砲 (英語版 ) 」を参照
日本国産初のガス圧自動式散弾銃であるフジ・スーパーオート・モデル2000
戦国時代 の天文 12年(1543年 )の種子島への鉄砲伝来 以降、明治維新 に至るまで、日本の狩猟は主に弓矢や火縄銃 が用いられており、散弾はほとんど使用されなかった[1] 。
明治 時代に入り、外国から元込式ライフル銃や元折水平二連銃が輸入されるようになる中、明治13年(1880年 )に村田経芳 の手により、日本初の元込式ライフル銃である村田銃 が発明される。
この村田銃を猟銃に転用すべく、松屋兼次郎が村田経芳の指導の元、明治14年(1881年 )に火縄銃の銃身を流用して開発し村田式散弾銃が日本初の元込式散弾銃となった。後に村田経芳が民間に広く村田銃のパテントを販売したことが契機となり、刀鍛冶や鉄砲鍛冶が村田式散弾銃の銃身や機関部を作り、指物師が銃台を作る状況が生まれ、日本の散弾銃産業の端緒となっていった。
有坂成章 の手により明治30年(1897年 )に三十年式歩兵銃 、次いで明治38年(1905年 )に三八式歩兵銃 が開発されると、それまで制式であった軍用村田銃や洋式ライフル銃はライフリングを削り取られ、散弾銃として民間に払い下げられるようになった。
明治・大正期には英国製水平二連銃やブローニング・オート5などが輸入されていたが、この頃、原蔦三郎の手により明治32年(1899年 )に日本初の水平二連銃が製造され、次いで大正3年(1914年 )には岡本銃砲店の太田政弘によって日本初の上下二連銃が製造された。この時代に川口屋林銃砲店の石川幸次郎、岡本銃砲店の名和仁三郎、浜田銃砲店の浜田文次らが各種二連銃の名工として名を馳せた。
しかしこれらの輸入銃・国産ハンドメイド二連銃は専ら上流階級のハンター達が購入するに留まり、庶民の猟銃の主流は昭和20年(1945年 )の敗戦まではほとんどが軍用銃の改造品、若しくは民間銃器メーカーにてライセンス製造された村田式散弾銃であった。昭和12年(1937年 )に日中戦争 が勃発し、日本国内が戦時体制 に移行。翌昭和13年(1938年 )には散弾銃をはじめとする狩猟銃は「不要不急の贅沢品」として輸入及び製造の一切が禁止される。この日本政府による禁止令は、第二次世界大戦 敗戦後の昭和25年(1950年 )まで継続されたが、約13年に渡り市井に新銃が全く供給されなかったことにより、戦後の狩猟銃生産解禁時に市場が一気に活性化する一因ともなった[2] 。なお、第二次世界大戦末期には、連合艦隊 の壊滅で組織的な海上行動がほぼ不可能となった大日本帝國海軍 によって、市井に残る散弾銃5万挺余りが供出させられ、サイパンの戦い などで海軍陸戦隊 守備兵に供出された散弾銃が配備されたという[2] 。
ミロクM3700上下二連銃
敗戦後の昭和28年(1953年 )、GHQ により狩猟銃の生産が解禁されると、それまでの銃砲店に所属する銃職人によるハンドメイド体制に代わり、軍用銃・機関銃 ・村田式散弾銃などの製造に携わっていたミロク製作所 、SKB工業 [注釈 1] 、晃電社 [注釈 2] などが元折単身銃、上下二連銃、水平二連銃の本格的な量産に乗り出し始めた。
昭和38年(1963年 )に日本猟銃精機 (後のフジ精機[注釈 3] )にて国産初の反動利用式セミオートのフジ・ダイナミックオートが開発される。昭和40年(1965年 )にはSKBや川口屋林銃砲店(KFCブランド。製造はシンガー日鋼 )も反動利用式オートに参入、村田式散弾銃が主流であった日本の狩猟界に大きな反響を巻き起こすが、1963年に米国レミントン 社からガスオートのレミントンM1100 が発売されると、セミオートの主流は反動利用式からガスオートに移り変わっていき、昭和40年代中期にはフジ精機、SKB、KFCの3社ともガスオートに生産の主力を移していく。
1960年代末ごろより欧米圏、とりわけ北米市場への輸出の道が開かれたことも日本の散弾銃メーカーにとって成長の追い風となった。1960年代まで米国の銃器メーカーはOEM供給元として主に欧州の銃器メーカーを選定していたが、1970年代に入り欧州各国でインフレーション が進行したことにより収益を出すことが難しくなり、より為替差損が少なく丁寧な工作精度を持つことで知られていた日本の銃器メーカーがこの頃より欧米メーカーのOEM供給元として採用される事例が増加した。日本メーカーによるOEM供給体制はトルコ など新興国の銃器メーカーが台頭する2000年代中盤ごろまで盛んに行われていたが、欧米の銃器業界関係者からの評価も非常に高く、全米ライフル協会 のライターであるフィル・バージャイリーは、1984年から2004年に掛けてウェザビー (英語版 ) のOEMを担当した新SKB工業 を評して「信頼性が高く、本当に素晴らしい完成度であった」と記していた[3] 。
一方、国内では1970年 前後に猟銃の暴発、誤射による事故が相次いだ。宮澤喜一 通商産業相は「国内の銃砲刀剣類の売り上げが年間50億円に達している。狭い国土でハンターの撃つに任せて良いのだろうか」「通商産業省としては散弾銃の製造を禁止しても良いと思っている」といった批判の声を挙げ、猟銃所持の許可や猟場、ハンターの資格など狩猟全体のあり方が厳格化される契機となった[4] 。
さらにその後、1970年代後半から80年代後期に入ると日本の狩猟界全体が高齢化と新規参入者不足で内需が減少する構造不況に陥っていき、各メーカーとも生産した銃の大半を為替相場の変動で収益が安定しにくい輸出に回さざるを得ない状況となり、安定したOEM供給先が確保できなかった国内メーカーの多くが倒産・撤退していった。2000年代以降イタリア 、スペイン 、トルコなどの新興国 の銃器メーカーが日系メーカーの価格競争力を上回る実力を付けていき、日系メーカーのOEM供給先を徐々に侵食していったことも逆風となった。
2000年代まで日本の散弾銃量産メーカーはミロク製作所と新SKB工業の二社体制となっていたが、2009年9月11日に新SKB工業が世界金融危機 及び円高の影響を受けて輸出が伸び悩んだ結果、資金繰りに行き詰まり廃業に至ったこと[注釈 4] [5] で、国産散弾銃メーカーは事実上ミロク製作所のみとなった。
なお、戦前のオーダーメイドスタイルでの散弾銃製作を現在でも行っている工房として、三進小銃器製造所が存在する。
鉛の散弾から鉄の散弾へ移行
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散弾の材質としては、比重が重く球形散弾への加工が容易な鉛 が一般的であった。これらは「レッド(リードは発声間違い)ショット(lead shot)」と呼ばれる。
鉛は、水に容易に溶け重度の重金属 汚染を引き起こし、また、強い金属毒があり重篤な中毒(鉛中毒 )を引き起こす物質でもあった。狩猟時に使用された散弾を鳥が砂や小石にまじってついばみ、砂嚢 内で微粒子化して消化器から吸収されることで、水鳥は鉛中毒に陥る[注釈 5] 。また、鉛中毒で死んだが獲物とされずに放置された個体・弱った個体が他の鳥獣に食べられることによって生物濃縮 され、生態系上位者に向けて連鎖的に鉛中毒が拡大した[注釈 6] 。そのため、鉛の散弾から軟鉄製の散弾へ切り替える無鉛化 が行われるようになった。鉄の散弾は「スチールショット」と呼ばれる。
デンマークでは、1985年に、ラムサール条約 登録湿地での鉛散弾の使用が禁じられた。アメリカ合衆国では、1991年-1992年猟期から、水鳥とオオバン の狩猟について、全面的に鉛散弾の使用が禁止された。カナダでは、鉛被害が重い場所を指定し、1990年から鉛散弾の使用が禁止されている。日本国内でも鉛散弾による狩猟が禁じられている地区がある。
また、クレー射撃場でも、雨水などに溶出した鉛が検出されるなどして、問題化した。環境団体などの指摘により、公営及び私営ともにクレー射撃場が一時閉鎖ないしは今もなお閉鎖され続けている事例がある。北欧では既にクレー射撃公式競技でも軟鉄装弾が使用されているが、米国では薬剤散布による鉛毒の中和や特殊ネットによる鉛散弾の全回収を併用するなど、各国の動きにはそれぞれ差違が見られる。
軟鉄散弾は、鉛散弾と比べて「素材の比重が軽いため威力が落ちる」「硬いため銃身に与える衝撃が大きい(特にチョークの部分)」「高価」といった欠点があった。威力低下については使用散弾をやや大きくし、かつサイズが大きな実包を用いて弾数が減少しないようにすることで、対策とすることができる。銃身については、軟鉄散弾対応銃身を使用することで悪影響を避けることができる。しかしながら、旧来の鉛散弾用散弾銃では軟鉄散弾に切り替えた場合、鉛散弾を用いた場合と同様の威力は維持できない。そのため、狩猟用散弾銃には「鉛散弾時代のもの」と「軟鉄散弾が登場したあとのもの」との間で、多少の世代差が認められる。最近ではこうした鉛散弾時代のものにも鉛散弾と同じ感覚で使用できる非鉛性の散弾(タングステン やビスマス が用いられる)も登場してきた。
軟鉄散弾が広まることで、鉛散弾とは異なる新たな問題が起きることを指摘する意見もある。軟鉄散弾は通常、保存時の腐食を防ぐためにメッキが施されている物が多いが、猟場に放出され長期間放置されることで錆が発生し、流れのない溜め池などでは大量の軟鉄散弾による錆が浮くなどの問題が起きる可能性が指摘されている。
→詳細は「
自動連発散弾銃 (英語版 ) 」、「
SCMITR (英語版 ) 」、および「
ライアット・ショットガン (英語版 ) 」を参照
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訓練において、ドアの蝶番をショットガンで破壊しようとするアメリカ海兵隊員
タイの首都バンコクでデモの規制に当たる治安部隊。手にはライアットガン(ショットガン)を持っている。
散弾銃は、古くから軍や警察が近接戦闘 用武器として採用している。散弾銃は機構が簡単であることから安価で機械的な信頼性が高いため、塹壕 戦やジャングル戦 、あるいは室内戦と行った極至近距離の戦闘に用いられる。特に出合い頭の戦闘に強く、隊の先頭を務めるポイントマン が使用することが多い。室内戦闘においては扉の蝶番を破壊する (英語版 ) 際にも使用されるためマスターキーとも呼ばれており(戸板そのものに穴を開けるのは能力的に不可能)、各国の軍隊でドア破り用途専用の散弾実包 (英語版 ) の開発を行っていたが、1980年代にはナイツアーマメント 社がレミントンM870 をベースにM16シリーズ向けのアンダーバレル・ウェポンとしてナイツアーマメント マスターキー (英語版 ) を開発している。
アメリカ では軍において第一次世界大戦時の塹壕戦用に使われたことからウィンチェスターM1897 の短銃身モデルが「トレンチガン」(trench-gun )、警察では暴徒 鎮圧用に使われることが多いために「ライアットガン」(riot-gun )とも呼ばれる。“散弾を浴びたら命はない”という威力がよく知られ、装備していれば独りで道路封鎖が可能なため、パトロールカー には必ず搭載されている。これらの銃は戦場や群衆の中での取り回しを考慮し狩猟用散弾銃より銃身が短く、装填できる弾数も多くなっている。また、銃床 が折り畳み式になっているものもある(英語版では「ライアットガン」と「ライアットショットガン」は別の銃である。下記の各種非致死性武器全般が「ライアットガン」、散弾銃だけが「ライアット・ショットガン」)。
市販実包の種類も多いために号数やスラッグを状況に応じて選択でき汎用性があるのも、散弾銃の利点である。実包サイズが大きいために用途に応じた軍・警察用の特殊弾も開発され、主なものに防弾ベストなどに対する貫通力を高めた多針弾頭弾(フレシェット弾 )、暴徒鎮圧用弾丸として催涙弾 (CN弾)やゴム弾 (スタン弾)、ビーンバッグ弾 、RIP弾 (英語版 ) などがある。さらに近年では、実包状の電撃弾 なども実用化されている。また、ランチャー (発射筒)を銃口に付けて、手投げでは届かないような高層階の部屋へ催涙ガス弾・煙幕 弾を撃ち込む擲弾発射器 の代用としても使われる。
銃種としてはU.S. AS12 のように機関銃 のような全自動にも設定できる(セレクティブ・ファイア)のもの、SPAS-15 のように箱型弾倉 (ボックスマガジン)で多弾数と短時間での弾薬交換を可能にしたもの、ベネリM3 のように状況や故障時に半自動式(セミオート)とポンプ式の切替可能なもの、さらにはAA-12 のようなフルオート式のものもある。また、M26 MASS の様に、M4A1 やM16 シリーズを中心としたアサルトライフル のハンドガード 下に装着し使用する物もある。いわばアドオン型擲弾発射器のショットガン版であり、これが「どんな扉も開ける鍵」“マスターキー”と呼ばれる。
軍用・警察用は狩猟用に較べて殺傷力が高いわけではないが、装弾数が多いなどの理由により治安上の観点からほとんどの国では一般人の所持が制限されている。日本でも12番を超える口径は、トド猟などの許可がある場合以外は制限されている。銃所持に寛容なアメリカでも銃身や銃床を切って全長18インチ(45センチ)以下としたもの―いわゆるソードオフ・ショットガン (イタリアではルパラ (英語版 ) とも呼ばれる)を一般人が許可証なしで持つことはアルコール・タバコ・火器及び爆発物取締局 (BATFE)が厳しく制限している(全長の短縮により隠匿しての携行が容易で、狭い空間でも扱いやすく、銃口付近のチョーク(絞り)が除去されることで、発射された散弾がすぐに拡散、至近距離の殺傷能力が増大するために、銀行強盗など屋内での犯罪に利用されやすいことから。持っているだけで強盗予備罪に問われる)また、軍用銃と指定され所持が制限されている散弾銃も少なくない。
日本国内では一般の警察官は散弾銃を所持していない。しかし、特殊急襲部隊 (SAT)にはモスバーグM500 が配備され、室内戦闘において扉の蝶番や強化ガラスを破壊する際に使用している[10] 。また、海上保安庁 では、レミントンM870 、モスバーグM500が配備され、逃走船追跡の際に使用されている。自衛隊 では陸上自衛隊 が機種不明の散弾銃を採用しており、海上自衛隊 も護衛艦 の搭載火器としてベネリM3T [11] を採用している。
ドイツの散弾銃でのチョークの一例。 A:平筒 B:改良平筒 C,D:スキート E,F:全絞り G:二段 H:ライフルド
口径寸法は12ゲージの.730インチを基準とする。メーカーによって同じチョークでも口径に若干の差違が見られることもある[12] 。
フル(全絞り)
口径寸法は.700インチ(17.78mm)市販の銃では最も口径の狭いチョークで、狩猟に於いては鴨 の沖撃ちなどの遠矢を掛けるゲームに対して用いられる他、上下二連トラップ競技銃の二の矢にも使用される。
インプ・モデ(3/4絞り)
口径寸法は.705インチ(17.90mm)フルに次いで口径の狭いチョークで、狩猟に於いては陸上での鴨撃ちや雉 ・ヤマドリ 猟などに用いられる他、上下二連トラップ競技銃の初矢にも使用される。
モデ(半絞り・1/2絞り)
口径寸法は.710インチ(18.03mm)比較的汎用性の高いチョークで、散弾の他にも一般的なライフルドスラッグの発射にも支障のない絞りとされている。狩猟に於いては鳩 やコジュケイ などの小鳥撃ちの他、バックショットでの鹿 ・猪 猟にも用いられる。水平二連銃は鳥撃ちでの追い矢と向かい矢の両方のゲームに対応するため、フルとモデの組み合わせの銃が多い。
インプ・シリンダー(改良平筒・1/4絞り)
口径寸法は.720インチ(18.29mm)ライフルドスラッグ登場後に開発された物。シリンダーに比べて若干口径を絞っており、セミオート銃のスラッグ専用替え銃身などに採用事例が多い。
シリンダー(完全平筒)
口径寸法は.730インチ(18.54mm)全く絞りのない銃身。現在でも特に強力な装弾を発射することを前提としたスラッグ専用銃に用いられることが多い。
スキート
スキート競技専用銃に用いられるチョーク。寸法はメーカーの解釈によって様々で、シリンダーよりも広いラッパ型になっている物や、シリンダーと改良平筒の中間程度の絞りを用いた物などが存在する。
エキストラ・フル
口径寸法は.690インチ以下(17.52mm以下)交換型のチョークにて設定されている物で、海外ではターキー(七面鳥 )チョークとも呼ばれている。七面鳥撃ちが行われない日本では、一部の鴨撃ち向け銃身を除いて採用例は少ない。
リセス
二段チョークとも呼ばれる、銃身内にチョークが二重に設けられたもの。散弾実包内のワッズ(コロス) (英語版 ) に羊毛製のものが使われていた時代、散弾の広がりを均一にする目的で使用されていたが、工場装弾で樹脂製のワッズが用いられるようになると意義が失われ、現在では用いられなくなった[13] 。
パラドックス散弾銃のライフルドチョーク銃口と専用スラッグ弾頭
ライフルド
ライフリング が設けられたチョーク。元々は英国のホーランド・アンド・ホーランド のパラドックス水平二連散弾銃 (英語版 ) にて、ミニエー銃 のミニエー弾 (英語版 ) に似た椎の実弾 型の専用スラッグ弾頭の飛翔を安定させる目的で、銃口先端のみにライフリングを設けていたものが先駆であり、これが転じてパラドックス・チョークとも呼ばれた。ハーフライフル銃身が一般化する以前、日本において「施条散弾銃」といえば、ホーランドのパラドックスのことを指すものであった[14] 。交換チョークが普及した今日では、パラドックス・チョークに相当するライフルド・チョークは社外品として安価に入手できるようになった。
交換・可変式
左より固定チョーク銃身、内装式交換チョーク銃身、交換チョークを外した内装式交換チョーク銃身。
内装式
銃身先端に内ネジを切り、チョークを交換できるようにしてある物。原型は1922年頃には考案されていたが[15] 、実際に広く商品化が行われたのは1981年に米国・ヒューストン のガンスミス、ジェス・ブライリー の特許[16] を下敷きに[17] 、ウィンチェスターが発売したウィンチョーク システムと、ブライリーより僅かに遅れてベレッタが特許取得し[18] 商品化を行ったオプティマチョーク システムの登場後である。
そのままでは交換チョークの分銃身が薄くなるため、交換チョークが標準装備されている銃身の場合はチョーク部分の銃身を少し膨らませて銃身厚を確保している。シリンダーからエキストラ・フルまでの口径が任意に選択可能であるが、ブリネッキスラッグなどの腔圧が特に強い装弾は使用しないように但し書きが書かれていること がほとんどである。近年ではメーカー純正品以外に社外の互換チョークも登場しており、銃身延長式のチョークによってマズルブレーキ 機能やライフリング 機能、軟鉄散弾への対応が可能になった物も登場している。また、海外では「既存の固定チョーク銃身に内ネジを切り、薄壁を意味するThinwall Chokeと呼ばれる専用の薄型チョークを内蔵することで、交換チョーク式に改造するサービス」なども行われている[注釈 10] 。
外装式
銃身先端に外ネジを切り、チョークを交換できるようにしてある物。原型の登場は内装式よりも古く、1905年には特許取得がされているが[19] 、欧米では後述のカッツコンや可変式が広く普及したため余り広まらなかった。
内装式交換チョークと異なり、チョークを外すことでシリンダー口径としての取り扱いができることが特徴である。しかし、銃身とチョークの連結面には段差や歪み、隙間が生じないための高度な加工精度が必要となり、内装式交換チョーク程の精密なショットパターンを実現することは難しくなる傾向がある。日本においてこのような交換チョークを採用した最初の例は、川口屋林銃砲火薬店 (KFC)が1965年(昭和40年)よりシンガー日鋼 からのOEM供給で販売していた半自動散弾銃で、交換チョークその物の採用事例としても世界的にも極めて早いものであった[20] 。KFCの外装式交換チョークは、1953年(昭和28年)にイタリアのブレダ が発売した反動利用式オートのブレダ アルテア で採用されたクイックチョーク システム[21] と類似したものであるが、ブレダ アルテアは当時の半自動散弾銃では最も高価な部類に入るものであったため、KFCほど数多くは普及しなかった。今日ではこのような構造をもつ交換チョーク銃身はほとんど存在せず、後述のカッツコンや可変式チョークを装着する際に銃口先端の外側に加工を施すことが概念として残る程度である。
交換チョーク付マズルブレーキ(カッツコン)の採用例、J.C.ヒギンズ M20
カッツ・コンペンセイター(カッツコン)
散弾銃の銃口に外ネジを切ることで後付け可能な大型のマズルブレーキ。原型は1930年にアメリカ海兵隊 のリチャード・マルコム・カッツ 大佐 (のち准将 [22] )により特許取得され[23] 、先端に内装式の銃身延長型交換チョークを装着可能であったため、第二次世界大戦 後に爆発的に普及し[24] 、日本でもコンペンセイターの代名詞として「カッツコン」の略称が定着する程の知名度を誇った[25] 。
このような形式の交換チョーク付マズルブレーキは銃器メーカーで純正採用される例も見られ、シアーズ・ローバック 傘下の銃器ブランドであるJ.C.ヒギンズ (英語版 ) はパワー・パック の名称で類似したものを採用[26] した。カッツコンはライマン・プロダクツ により販売されていた[27] が、構造上単身銃以外(二連銃など)への装着が難しいため、内装式交換チョークが普及した今日では見かけることも少なくなっている。
可変式
カッツコンと類似した形態のマズルブレーキ型チョーク。銃口先端が十字状に切り込まれて4等分されており、外ネジで銃口に被せられている外筒を締め込むことで銃口先端が窄まって可変式のチョークとして機能する仕組みで、原型はカッツコンの翌年の1931年に特許取得されているが[28] 、商品として大規模な成功を収めたのは1955年に特許取得されたポリチョーク [29] である。ポリチョークは当初はカッツコンのようにマズルブレーキの先端に可変チョーク機構が取り付けられていたが、その後小型化の改良が重ねられ、1960年代以降は可変チョーク機構の先端にマズルブレーキが取り付けられる現在の形態が確立[30] 、カッツコンと共に1950年代 から1960年代 に掛けて米国で爆発的に普及した[24] が、こちらも構造上単身銃以外(二連銃など)への装着が難しいことが弱点である。ポリチョーク以外では、モスバーグが1950年にモデル185K (英語版 ) にて初採用[31] したC-Lect チョークシステムが著名である[32] 。
ポリチョークは今日の製品では銃口加工無しに内装式交換チョーク銃身に取り付け可能なものがラインナップされており、カッツコンに比べれば利用しやすい商品形態が採られているが、内装式交換チョークや固定式チョークの銃身と比較して散弾の散開パターンが安定しないという弱点も抱えており[33] 、かつてほどの普及は見られなくなっている。
日本においては、散弾実包は「装弾」と呼称される。
左は8号散弾の実包 右はスラッグ実包 いずれも12ゲージ、樹脂製薬莢。
紙製薬莢
バックショット実包、左が00(ダブルオー)、右が000(トリプルオー)。実際には00が9粒 、000が6粒 入っており、日本では粒数で言い表すことが多い。
散弾銃の実包。真ん中にあるのが銃用雷管 であり、これを叩くことによって小さな爆発が起き、その爆発が火薬を発火させる。急速な燃焼ガスの膨張が鉛玉を外へと押し出す
ゴム弾
金属製薬莢の一例、M6航空兵護身銃 (英語版 ) 用410ゲージ弾。.22ロングライフル弾 との比較。
散弾実包の寸法比較。左より12番、16番、20番、28番、410番。
10番散弾実包と25セント硬貨 の比較。
2番散弾薬莢と.45-70ガバメント弾 (英語版 ) の比較。
さらに見る ペレットの種類, 毒性 ...
弾の材質
ペレットの種類 毒性 生産状況 硬さ(鉛との比較) 比重 (鉛との比較)
鉛
鉛散弾 有毒 国産・輸入 約1倍 約1倍
鉄系
鉄散弾(スチール散弾) 無毒 輸入 約5 - 8倍 約0.7倍
軟鉄 散弾(ソフトスチール散弾)無毒 国産 約3 - 5倍 約0.7倍
非鉄系
ビスマス 散弾無毒 輸入 約1 - 2倍 約0.9倍
タングステン 散弾無毒 輸入 約2倍 約0.9倍
錫 散弾無毒 輸入 約0.5倍 約0.7倍
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薬莢材質による種類
真鍮薬莢(黄銅薬莢、真鍮ケース)
無煙火薬 登場以前によく使用された形式。小銃 や拳銃 と同じく、薬莢 全体が真鍮 でできており、黒色火薬 、羊毛やフェルト・厚紙製のワッズ(「送り」とも呼ばれた)、散弾をハンドロードして使用する。材質の特性上、口巻き(クリンプ)は行わず、散弾は紙ふたと蝋 止めにて押さえることが多い。
日本においては村田式散弾銃の専用薬莢として、11mm村田小銃弾をベースにした30番薬莢が製造され、その後12番や20番などの散弾銃用規格も順次製造されていった。旧JIS規格においては、後述の紙薬莢とは各部の寸法が異なり、同じ番径でも両者に互換性はない[注釈 11] 。
発射圧の高いライフル薬莢や材質の弱い紙薬莢と異なり、丁寧に扱えば半永久的に使用し続けることも可能であったが、近年では黒色火薬銃の老朽化と需要の減少により、日本・欧米共に使用の機会は激減している。現在では国内メーカーでこの薬莢を製造しているメーカーは皆無であるが、海外では12番や20番などのごく一般的なものについてはプレス製薬莢が、ブラジル のコンパニア・ブラジレイラ・デ・カルトゥショス (英語版 ) (CBC)社が展開するMagtech ブランドで市場供給が継続されているため、経済産業省 の個人輸入申請を行うことで現在でも入手することが可能である。
紙薬莢(紙ケース)
無煙火薬登場後に使用が始まった形式。ロンデルと呼ばれる雷管とリム周辺の部分のみが金属(真鍮、若しくは軟鉄の真鍮めっき)で、散弾が収められる部分は厚紙でできている。黒色火薬または無煙火薬、羊毛やフェルト製のワッズ、散弾をハンドロードして使用する。柔らかい材質のため、口巻きはロールクリンプと紙ふたを併用することがほとんどで、発射圧により変形しやすいため、多くとも数回程度の再使用が限界であった。
日本においては1886年(明治19年)に輸入銃専用薬莢の「エレー規格紙薬莢(当初は装填紙薬筒と呼ばれた)」として紹介され、1916年(大正5年)に豊島洲吉や飯島魁 らの要請により帝国陸軍造兵廠により初の国内製造が行われるが、この時に製作された陸軍造兵廠 の紙薬莢製造機材は1919年(大正8年)に民間払い下げの形で放出され、この製造機材を元にして帝国薬莢株式会社(TYK)が設立された[34] 。1923年(大正12年)になると、日本化薬 ・中外火工・帝国薬莢の三社が合同で紙薬莢を用いた既製装弾の製造に踏み切り、この国産初の装弾を「桜装弾」として販売したが、当時の狩猟家のほとんどは真鍮薬莢に黒色火薬を用いており[34] 、日中戦争の勃発後は猟銃の新規製造が禁止されたこともあり、あまり広くは普及しなかった。
戦後、日本国内では終戦直後より日邦工業がハンドロード用紙薬莢の販売を開始、1960年(昭和35年)には旭精機が紙薬莢を用いた工場生産装弾の量産を開始したことが契機となり一挙に普及した[35] 。旧JIS規格においては、真鍮薬莢と共に「紙薬莢」として規格化が成されている[注釈 12] 。
後年になって工場装弾ではスタークリンプのものも登場したが、現在ではプラスチックケースの普及によって、工場装弾でも紙薬莢を用いる装弾メーカーはごく少数となっている。
プラスチックケース
工場生産装弾登場後に使用が始まった形式。基本構造は紙薬莢とほぼ同一であるが、散弾が収められる部分がプラスチック製なのが特徴。無煙火薬、プラスチック一体成型のカップワッズ、散弾をロードして使用する。口巻きは従来のロールクリンプの他にスタークリンプが使用できるようになったのが特徴で、工場における生産性が一挙に向上したことから、現在の装弾の主流となっている。日本においては1968年(昭和43年)前後より旭精機、日邦工業、旭SKBなどの国内装弾メーカーが海外企業とも提携し、相次いでプラスチックケースを用いた工場生産装弾の生産を開始したことで紙薬莢からの転換が進んだ[35] 。
規格上は紙薬莢と同じサイズのため両者には互換性があるが、戦前の紙薬莢規格の古い銃(ダマスカス銃身の銃など)で使用する場合には黒色火薬への詰め直しを行う必要がある。
口径による種類
ゲージ番号は1ポンド の鉛球の(1/ゲージ)直径に対する一定の割合の実包を使用できる口径を持つ物をさす。
2番 (英語版 ) (2ゲージ・2GA)、4番 (英語版 ) (4ゲージ・4GA)、6番 (英語版 ) (6ゲージ・6GA)、8番 (英語版 ) (8ゲージ・8GA)
口径が1/2、1/4、1/6、1/8 ポンドの鉛球に相当する直径の実包を使用するもの。無煙火薬 ではなく黒色火薬 の時代に使用された。ケースは真鍮ケースを用いる。現在これらの口径を持つ散弾銃の製造はほとんどされておらず、僅かにKS-23 というロシア連邦 の23mm口径ライアットガンのバリエーションの一つに4番の設定が見られる程度である。この4つ以外にも数多くの番径が存在したが、これらの口径の薬莢は多くの場合、パントガン と呼ばれる平底船 積みの巨大な鳥撃ち砲のために用いられた。
10番(10ゲージ・10GA)
口径が1/10ポンドの鉛球に相当する直径19.6ミリ(約0.775インチ)の実包を使用するもの。充填可能な火薬量及び散弾質量が大きくなるため強力な破壊力を持つ。日本国内では10番以上の口径を持つ散弾銃は過度の多獲狩猟につながるとしてトド 、熊などの大型獣の捕獲を目的とした場合以外は所持と使用を制限されている。
12番(12ゲージ・12GA)
口径が1/12ポンドの鉛球に相当する直径18.4ミリ(約0.729インチ)の実包を使用するもの。世界的に最も多く用いられている口径。日本国内では一般に許可される実質的に最大口径である(銃刀法上の最大口径は8番)また、クレー射撃公式競技は基本的に12番が使用される。
16番(16ゲージ・16GA)
口径が1/16ポンドの鉛球に相当する直径16.8ミリ(約0.663インチ)の実包を使用するもの。海外ではレミントンM1100 などのモデルで使用できるが、日本では12番や20番ほどメジャーな番径ではない。
20番 (英語版 ) (20ゲージ・20GA)
口径が1/20ポンドの鉛球に相当する直径15.6ミリ(約0.615インチ)の実包を使用するもの。口径が小さく12番に比べ破壊力が弱いため主に鳥や小動物猟に使用されるが、反動も軽いため日本・海外共に女性や射撃入門用の散弾銃としての需要も多く、12番に次いで世界的に広く用いられている口径である。また、12番に比較して良好な弾道特性を生かしてライフルドスラッグ・サボスラッグに特化した銃にも用いられることが多い。
24番(24ゲージ・24GA)
口径が1/24ポンドの鉛球に相当する直径14.7ミリ(約0.579インチ)の実包を使用するもの。19世紀に軍用銃として用いられたマスケット銃とほぼ同じ口径(58口径)であり、かつては20番・28番と並び小動物猟や入門者向け口径として利用されていたが、現在では海外でも既製実包は稀少で、真鍮薬莢を用いる旧式銃を除いてはほとんど使われていない口径となっている。
28番(28ゲージ・28GA)
口径が1/28ポンドの鉛球に相当する直径14ミリ(約0.55インチ)の実包を使用するもの。威力も反動も24番より更に弱い。海外では現在もユース・モデルと呼ばれる若年入門者向け狩猟銃の口径としてそこそこの需要があるが、日本では16番と同じくあまりメジャーでない番径のため、日本で販売されている銃の中でこれに該当するものはあまり多くはない。かつては軍用銃を改造した旧式の村田銃 でも後述の30番と並びよく用いられた番径でもあるが、日本の旧JIS規格上は口径が13.5ミリとなっている。
30番(30ゲージ・30GA)
口径が1/30ポンドの鉛球に相当する直径12.3ミリの実包を使用するもの。明治中期に村田銃の民間払い下げに際し11mm村田ライフル薬莢をベースに砲兵工廠で製造された日本独自の番径で、真鍮ケース専用の規格。軍用銃を改造した旧式の村田銃 専用と呼んでもよい口径で、現在ではほとんど使用されていない。
32番(32ゲージ・32GA)
口径が1/32ポンドの鉛球に相当する直径13.3mm(約0.526インチ)の実包を使用するもの。黒色火薬の時代に使用された海外の真鍮ケースの規格で、現在ではほとんど使用されていない。
36番(36ゲージ・36GA)
口径が1/36ポンドの鉛球に相当する直径12.8ミリ(約0.506インチ)の実包を使用するもの。黒色火薬の時代に使用された真鍮ケースの規格で、現在ではほとんど使用されていない。実際に英国以外の欧州諸国で製造された36ゲージ薬莢は、その多くが「口径12mm、インチでは.410インチとして表されるが、後発の410番とは互換性がない」という状況が常態化しており、後世の分類上の混乱を引き起こしていた[36] 。旧式の村田銃でも用いられた番径であるが、日本の旧JIS規格上は口径が11.3ミリとなっており、英国規格とも欧州で流通した36ゲージ薬莢とも異なっている。
40番(40ゲージ・40GA)
口径が1/40ポンドの鉛球に相当する直径12.4ミリ(約0.488インチ)の実包を使用するもの。黒色火薬の時代に使用された真鍮ケースの規格で、現在ではほとんど使用されていない。旧式の村田銃でも用いられた番径であるが、日本の旧JIS規格上は口径が10.3ミリとなっている[37] 。
410番 (英語版 ) (.410口径・410ゲージ・410GA)
口径が0.410インチ(10.4ミリ)の実包を使用するもの。410ゲージとも呼ばれることがあるが、0.410インチは厳密には1/67.62ポンドの鉛球に相当するため、ゲージで表すと67.62ゲージとなる。元々は英国のエレー・ブラザーズ (英語版 ) が19世紀中頃に発表した規格で、下位には.360口径と呼ばれるものも存在していた[38] 。
20番より更に破壊力も弱いため主に近距離の鳥や小動物猟、罠猟での止め矢[注釈 13] に使用される[39] 。20番同様海外では女性や若年者、射撃入門用の散弾銃として専用モデルも少なくない。口径がライフル弾に近く、強装薬のマグナム実包なども用意されているため、旧式ライフル銃やフリントロック銃に改変を加えたバリエーションとして商品化されている銃もある(ウィンチェスターM9410など)日本ではライフル所持に較べ散弾銃が比較的容易に所持できることから、三八式歩兵銃 等の旧式のライフル銃を410番用に改造しスラッグ射撃用散弾銃として所持できるようにした商品もある。
9.1mm(9.1GA)
直径9.1mmの実包を使用するもの。黒色火薬の時代に使用された海外の真鍮ケースの規格で、現在ではほとんど使用されていない。
7.6mm(76番)
直径7.3mmの実包を使用するもの。黒色火薬の時代に使用された日本の真鍮ケース専用の規格で、旧式の村田銃を除いてほとんど使用されていない。
用途による種類
バードショットの一例、12ゲージ8号弾。
バードショット(1-10号〈7号からは間に7・1/2号、8・1/2号、9・1/2号が入る〉)[注釈 14]
鳥や小動物猟用の弾。小粒の弾を多数(数十-数百個)発射する。7・1/2号はトラップ射撃、9号はスキート射撃に使用される。
さらに見る 号数, 直径 ...
バードショットの寸法表
号数
直径
鉛弾10g当たりの個数
軟鉄弾10g当たりの個数
TT 5.84mm 8 12
T 5.59mm 10 14
FF 5.33mm 11 16
F 5.08mm 13 19
BBB 4.83mm 15 22
BB 4.57mm 18 25
B 4.32mm 21 30
1 4.06mm 25 36
2 3.81mm 30 44
3 3.56mm 37 54
4 3.30mm 47 68
5 3.05mm 59 86
6 2.79mm 78 112
7 2.54mm 120 174
7 1/2 2.41mm -- --
8 2.25mm 140 202
8 1/2 2.16mm -- --
9 2.03mm 201 290
10 1.75mm -- --
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ラットショット
バードショットよりもさらに小さいラットショット またはスネークショットとも呼ばれるネズミや蛇などの小動物を撃つことを目的としたごく小さい散弾がある。
直径1.3mm(0.05)程度の大きさの散弾で主に拳銃弾として売られている。
バックショットの一例、12ゲージ9粒弾。
バックショット(000B、00B、0B-4B、MB、6粒 9粒弾)
鹿などの中型動物猟用の弾(buck―牡鹿)12番で6-9発の弾丸を発射する。また、軍用でも使われる。
000Bはトリプルオーバック、00Bはダブルオーバックと読む
12G散弾の場合000Bは6粒00Bは9粒の装弾である。
さらに見る 号数, 直径 ...
バックショットの寸法表
号数
直径
鉛弾10g当たりの個数
000B 9.1mm 2.2
00B 8.4mm 2.9
0B/SG 8.1mm 3.1
SSG 7.9mm 3.4
1B 7.6mm 3.8
2B 6.9mm 5.2
3B 6.4mm 6.6
4B 6.1mm 7.4
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スラッグショット(一粒弾)
→詳細は「
ワッズ (英語版 ) 」、「
スラッグ (散弾銃) (英語版 ) 」、および「
サボット (英語版 ) 」を参照
熊、猪など大型動物猟用の弾。散弾ではなく単発弾(slug:スラッグ、スラグ)であるため、発射直後の弾丸の運動エネルギーは大口径ライフル並みであるが、装薬の性質と重い弾頭重量により初速が遅く、大きい弾体形状により空気抵抗が大きく速度低下が大きいため遠距離では威力が落ちる。近接戦闘 では屋内突入時にドア破壊(錠前や蝶番。ドア自体を破ることは能力的に不可能で、クロウバーや破城鎚を使う)にも使われるため「ドアブリーチャー (英語版 ) 」や「マスターキー」とも呼ばれる。
スラッグショットは大きく5つの種類に分類される。
丸弾 (英語版 ) :文字通り球状のものだが現在では火縄銃・村田銃などの旧式銃でハンドロードを行う場合以外ではあまり使われていない。日本の既製装弾では日本装弾製の「ジャガーG」装弾のみがこの形状の弾頭を採用していたが、2017年現在は製造されていない。丸弾は米国ではパンプキン・ボールとも呼ばれているが、スムースボア銃身で発射した場合弾頭に回転力が掛からないためにマスケット銃 と同じく、有効射程が極端に短いことが弱点となる[40] 。スムーズボア銃身で発射された丸弾は、野球のナックルボール のように落下する弾道を取ることとなり、ライフリング銃身で発射された丸弾はジャイロボール のように放物線 の弾道を取る。丸弾で理想的な直進性を実現するには、マグヌス効果 を最大限得るためにエアソフトガン のホップアップシステム のようにバックスピンを掛けることが望ましいが、ライフルドスラッグなど精度がより高い弾頭を容易に選択できる散弾銃では、敢えてその様な構造を実現することが現実的な選択肢とは言いがたい。
ロシア製の鼓弾、メイヤースラッグ。
鼓弾 :エアライフル のペレット弾 (英語版 ) に似た鼓形状の弾頭。戦前にドイツにて「アイデアル」弾として発表された物が著名である。1902年にドイツ人銃工のフリードリヒ・シュテンドバッハにより特許取得された[41] アイデアル弾は、弾頭中央にテーパー状の風切り穴が空いていて、内側に3枚のプロペラ状の風切り羽が付けられており、これにより空気抵抗でジャイロ効果を発揮するとされていた。しかし、鋳造に手間が掛かる上に、実包に挿入される際には弾頭の後方に密着する形でワッズが配置されるため、実際の発射時には風切り穴がワッズに塞がれる形になってしまい、風切り穴が機能せず横転弾[注釈 15] となることが多く、後発の初期型フォスタースラッグと比べて直進安定性に劣る結果を招いたことから、戦後は新型ライフルドスラッグの普及と共に、アイデアル弾の形式は完全に廃れてしまった。現在ではテーパー穴の空いていない形状の弾頭がサボスラッグの弾体として使用されることが多いが、ロシア連邦 ではアイデアル弾に極めて類似しており、弾頭外側にも風切り羽を設けたメイヤースラッグ (ロシア語版 ) と呼ばれるものが広く用いられているという[42] 。
フォスタースラッグの一例、ロシア製のポレフスラッグ。
ブリネッキスラッグ弾
フォスタースラッグ :カール・M・フォスターにより1931年にアメリカで発表され、1947年に特許取得された弾[43] 。「坊主頭」の意で、釣鐘状の形状で内部は中空とすることで全体の重心を前方に移し、バドミントン のシャトルコック の原理で直進性を確保することを目指した弾。後にチョーク保護用に側面に溝がついたライフルドスラッグに発展した。現在でもライフルドスラッグで弾頭部分が半球型になっているものをフォスタータイプと呼ぶことがある。ロシア連邦では後述のプラムバタスラッグに似たプラスチックワッズを装着したものが、ポレフスラッグ (ロシア語版 ) の名称で普及しているという。
近年になって登場してきたプラムバタスラッグ やワッズスラッグ (IDS)の一例。左よりグワランディ社製「パラ・ガルボ」(IDS)、グワランディ社製「ボーラ」(プラムバタ、12GA)、リー・プレシジョン社製「ドライブキー」(ワッズ)、バリスティック・プロダクツ(BPI) 社製「LBC」(IDS)、グワランディ社製「ボーラ」(20GA)。
旧ソビエト連邦 諸国で広く用いられているスラッグ弾頭の一つ、ルビーキンスラッグ (ウクライナ語版 ) 。ダンベル に似た形状で、真鍮や銅などから削り出して作られることが特徴である。写真は2014年ウクライナ騒乱 にてウクライナ警察特殊部隊 によりユーロマイダン の抗議者に向け射撃されたとされるもの。
ルビーキンスラッグの元となったフランスのスラッグ弾頭、ブランドースラッグ (ウクライナ語版 )
[44] 。真鍮や鉄から削り出して作られ、銃身との密着性の向上のために、鉛製のピストンリング が装着されていることが特徴である。
ライフルドスラッグ :弾体側面にらせん状の溝があるスラッグ弾。基本構造はフォスタースラッグと同一で、フォスタースラッグの産みの親であるカール・フォスターが1943年に特許取得を行った際に螺旋溝の要素が追加された[43] 。溝については当初風を切り弾体に回転を与える目的でつけられたが、後に効果がないことが分かった。ただし銃身との摩擦を減らすとともにチョークをスムーズに抜ける役割があるため、現在も溝は残されている[45] 。ライフルドスラッグはシリンダー若しくはインプ・シリンダーチョークでの発射が推奨されており、フルチョークなどの銃身で発射するとチョークの摩耗を促進するばかりでなく、集弾性も低下してしまう[40] 。
ブリネッキスラッグ (ロシア語版 ) :ライフルドスラッグの中でも、ドイツのブレネケ (英語版 ) 社製の弾頭は特にこの名称で呼ばれる。原型はヴィルヘルム・ブレネケ (英語版 ) により1898年に発明され、現在まで様々な改良が加えられている[46] 。ブリネッキスラッグは砲弾型の弾頭の後部に羊毛ワッズをネジ止めすることで、ワッズが凧 の尾の役割を果たしシャトルコック 効果をより強力に発揮することで、高い直進安定性を実現した[47] 。今日でも羊毛に代わり、フェルトワッズを用いたものが広く用いられている。
プラムバタ (英語版 ) スラッグ : ブリネッキスラッグを更に発展させ、弾頭後部に長いプラスチックワッズを差し込むことで、更に直進安定性を向上させたもの。原型はブレネケ社により2002年に特許取得[48] され、その後他国の弾頭メーカーでも類似した構造のスラッグ弾が作られるようになり、今日ではブレネケ社のブリネッキスラッグも含め、弾頭後部に長いプラスチックワッズが差し込まれたスラッグ弾頭全般をこの名称で分類するようになった。ブレネケ社以外では、イタリアのグワランディ 社のボーラスラッグがブリネッキスラッグと類似した構造を採用しており、2017年以降日本装弾のレッドバード装弾に用いられていることで、日本でも知名度が上がってきている[49] 。
サボスラッグ :弾体をプラスチック製のサボ(サボット (英語版 ) 、ジャケット)で包み、ライフリングを施した銃身(ライフルドバレル)によって旋回させ撃ち出すもの。銃腔内の腔圧を向上させる目的で弾頭にサボを被せる発想そのものは前装砲 の時代から存在しており、1864年には米国特許が取得されているが[50] 、散弾銃向けのものが米国特許上に初めて現れるのは1966年[51] 、今日のサボスラッグと同様の弾頭が特許取得されるのは1970年のことである[52] 。100m付近までの精度はライフルに迫りライフルドスラッグに比べ遠射性に優れているが、日本では銃刀法により銃身のライフリングは全長の1/2に制限されている。サボスラッグは遠射性以外にも、銃身内部を鉛残渣で汚しにくいという利点も存在しているが[40] 、スムースボアの銃身での発射は横転弾が発生しやすいこともあり、ライフルドチョークを装着した場合を除いては推奨されていない[53] 。
ワッズスラッグ : 通常のサボスラッグの性能が発揮できないスムースボア銃身において、サボスラッグの利点の一つである「銃身内部を鉛残渣で汚しにくい」特性を獲得する目的で考案されたもの。米国ではリー・プレシジョン 社が鋳造鋳型という形で市場に提供している、フォスタースラッグの中空部分に補強用の仕切りを設けたキー・スラッグ(またはドライブキー・スラッグ)と呼ばれるものが著名であり、通常のフォスタースラッグより外径がやや小さい弾頭を、通常のバードショット実包でも用いられているカップワッズをそのまま転用する形で装着してショットシェル内に装填する。ブリネッキスラッグを含むプラムバタスラッグでも、棒状のプラスチックワッズの代わりにカップワッズを用いたものが提供されており、発射後にワッズが弾頭から脱落することから「インパクト・ディスカーディング・サボット(IDS)」[注釈 16] と分類されている[54] 。ワッズスラッグはライフルドスラッグやブリネッキスラッグなどと比較して銃腔を汚しにくい反面、腔圧が高くなりがちな欠点も存在している[55] 。
その他 : これらの他にも世界各国にはそれぞれの国の銃工が独自に考案し、伝統的に使用されてきた様々な形状のスラッグ弾頭や鋳造鋳型が存在しており、TAOFLEDERMAUS などのYouTuber がハイスピードカメラ を用いたレビューを行っているが、日本でも既製実包として普及しているライフルドスラッグやブリネッキスラッグなどに類した形状以外のものは、総じて横転弾になってしまうことが多いことが報告されている。横転弾の発生は集弾性 (英語版 ) には大きな悪影響を与え、静的射撃に於いて銃器の改造 (英語版 ) により正確性 (英語版 ) を向上させていく上では絶対的に排除されるべき要素であるが、大型獣を獲物とする狩猟に於いては、そもそもバックショットの有効射程(約25-45m)以下の近距離でしか射撃しない場合、横転弾の発生をリスクとしてそれ程深刻に考慮する必要性が低いとも言われている[53] 。
カットシェル : バードショットなどの散弾実包を用いて即興で製作されるスラッグ弾頭。紙製または樹脂製散弾実包のシェル部分をカップワッズの根本付近で全周に渡り切断することで、カップワッズから前方の散弾実包全体を直接標的にぶつける 即席のスラッグ弾頭として利用できるようになる。元々は世界恐慌 期の欧米にて、鳥猟の最中にクマやイノシシなどの危険な大型動物に遭遇した場合に、これを追い払い獣害の危険を回避する目的でハンティングナイフ を用いてその場で製作され使用されたものであるが、当然ながら上記のスラッグ弾頭程の威力や正確性は期待できず、横転弾の発生でワッズと散弾がバラバラに飛散してしまったり[56] 、射撃の際に実包先端のクリンプが開いて散弾とカップワッズのみが発射されてしまい、銃身内にシェルの一部が残存することで、次弾発射時に銃身を破損する危険性も存在している[57] [58] 。
ワックススラッグ : 世界恐慌期にカットシェルの技法が使えない真鍮薬莢にて編み出された技法で、バードショットとしてハンドロードした実包に、溶かした蝋 を流し込んで散弾を完全に固めてしまうことでスラッグ弾頭の代わりに用いることができるというものである[54] 。サイドアーム としての拳銃 の所持が難しい場合に於いて、緊急避難 の手段として限定的に用いられていたカットシェルと異なり、ワックススラッグは鳥猟を装って鹿を密猟 する用途で用いられたとされている[注釈 17] 。ワックススラッグの技法そのものは、今日の紙製または樹脂製散弾実包でも口巻の部分を切り落として蝋を注ぎ込むことで再現することが可能であり、カップワッズも含めて散弾全体をくまなく固化することができた場合には、発射の衝撃でもワッズと散弾が分解することなく標的に着弾すること[59] や、低品質のワッドカッター (英語版 ) 程度の弾道特性[60] 、通常のスラッグ弾頭に比肩しうる破壊力が得られることが確認されている[61] 。
全長による種類
実包は規格により全長が定められている。この場合の全長とは散弾やスラッグをクリンプする前のケース長であり、適合した長さの薬室で発射する必要がある。12番の場合は標準が2・3/4インチであるが、ケース長を伸ばした3インチのものもある。3インチの実包は、より大きな破壊力と遠射性を得るために薬量や弾重量を増やしたもので、3インチマグナムとも呼ばれる。鉛散弾においては純粋に射程と散弾量のさらなる増大のために3インチケースが用いられるが、軟鉄散弾では2・3/4インチクラスの鉛散弾と同様の威力を確保できるように薬量を増強する意味で用いられる。3インチ薬室の散弾銃では2・3/4インチ弾の使用が可能であるが、2・3/4インチ薬室で3インチ弾を用いるとケース先端が銃身内に入り込んで異常腔圧による銃の損傷を招く恐れがあるため、購入の際には自分の銃の薬室長を事前に把握しておく必要がある。
散弾重量による種類
散弾の実包はケースに収める散弾の重量による種類があり、12番の2・3/4インチ(75mm)では24グラムから32グラムまでの商品が通常弾として販売されている。クレー射撃公式競技では現在では24グラムのみが用いられるが、自動散弾銃でのクレー射撃向けに28グラムや32グラムの射撃装弾も販売されている。狩猟用では28グラム以上の物が主流であるが、クロスボルトのない一般的な水平二連銃では30グラムまでの装弾を用いることが推奨されている。
強装弾では2・3/4インチ(33グラム、36グラム、43グラム)、3インチマグナム(56グラム)がある。
散弾銃は銃刀法 により基本的に所持が禁止されているが、一般人でも地元の公安委員会 に申請し試験を受ければ、合法で所持することができる。しかし、歴史的には散弾銃を用いた重大犯罪が度々起きており、その度に銃規制が強化されてきた経緯がある。著名なものでは1938年の津山事件 、1970年の瀬戸内シージャック事件 、1972年のあさま山荘事件 、1979年の三菱銀行人質事件 、1987年の赤報隊事件 、2002年の宇都宮主婦散弾銃射殺事件 などがある。
近年では、散弾銃を使った犯罪や事故が相次ぎ問題になっていた中、2007年 (平成 19年)12月14日 に長崎県 の佐世保市 にあるスポーツクラブ ・ルネサンス 佐世保店で散弾銃乱射事件 が発生して大きな社会問題となり、各マスメディア を含め散弾銃所持の厳格化の声が高まった。そして日本の警察 は散弾銃所持者の訪問を開始した。民主党 が、全銃器の共同管理と狩猟時間を朝6時からの短時間に限定する事実上世界初の所持完全禁止に近い法案を3月に提出したが、国会で否決された。
実際には、狩猟 人口の減少による有害鳥獣の農作物被害などに悩まされている地方公共団体 も多く、現状では警察組織に、個人が所有する銃を管理するための権限・用地もない[注釈 27] といった実情のため、大胆な規制強化はできなかった。
かつては銃砲店での対面販売や、地元猟友会・射撃協会への相談を経ての所持(その際に自然に入会となり、地元組織が所持者の情報を把握できた。)が多かったものが、近年ではインターネットの普及やECサイト での販売解禁により、こうした既存組織に全く所属しておらず、警察以外に所在の実態が把握できない所持者が増えている[注釈 28] ことも課題の一つとなっている。
注釈
1855年、水戸藩 の銃工により創始された阪場銃砲製造所を前身とする。SKBはS aK aB aの略字である。1980年に一度倒産、翌年、銃器製造部門が笠間市 の地元企業の合同出資の元で新SKBとして再編された。
"ニッコー"ブランドを展開。後に販売部門がニッコーアームズ、製造部門が米国ウインチェスター 社と合弁でオリン晃電社となり、ウインチェスター散弾銃のOEMなどを行っていたが、1980年に破綻。ニッコーブランドでの展開は1981年までで終了し、オリン晃電社は1985年にオーケー工業 への商号変更を経て1991年までウインチェスターのOEMを継続した。
昭和40年代中期に豊和工業 の傘下に入り、1990年代中期に豊和の散弾銃事業撤退によりブランド消滅
アメリカ合衆国では、潜水採食性カモ類の17%以上が鉛中毒被害に陥っているとする統計がある。また、日本では、1985年2月にコハクチョウ の死体が発見されたのが最初の発見例とされている。1990年には、美唄市宮島沼 で、ハクチョウ類18羽・マガン 69羽などの大量死が発生している
アメリカ合衆国に生息するハクトウワシ は、中毒死した水鳥や弱った水鳥を経由して鉛を摂取し、1960年以降だけでも少なくとも144羽が鉛中毒で死亡したとされている
明治天皇が愛用した散弾銃は、ドライゼ銃 で知られるヨハン・ニコラウス・フォン・ドライゼ と、その息子フランツ・フォン・ドライゼにより創業されたドライゼ武器工場 (Waffenfabrik von Dreyse、1901年にラインメタルに吸収合併)製の12番有鶏頭サイドロック水平二連で、後の陸軍元帥 である大山巌 により欧州留学の際に発注され、帰国の折に献上されたものであった。なおドライゼ武器工場では銃身が水平方向に開閉する独特な元折散弾銃も手掛けていたが、明治天皇の散弾銃は一般的な上下開閉型の元折式である。
当時の日本は食肉 産業や畜産 業の未成熟から、マタギなどの職業狩人や庶民にとって狩猟は趣味ではなく、生活の糧の一つという位置付けであった。
森繁、三船、三橋は映画人ガンクラブ以来のメンバーでもあった。
銃用雷管 も日本独自の「村田1号規格雷管」を使用する。現在では昭和金属工業 がはやぶさ雷管 としてこの規格の雷管の市場供給を続けている。
なお雷管は真鍮薬莢とは異なり「エレー規格中型雷管」を使用した。これは現在の209規格雷管とほぼ同じものである。
日本固有の事情として、平成12年以降わな猟での「止め矢」が公式に解禁されてからは、射殺の際の肉の破損を最小限に留めるために止め矢専用銃としてこの口径が用いられることが多い。
バードショット・バックショット散弾は世界各国で寸法や号数表記がまちまちであるが、ここでは日本での流通量が多いアメリカ規格を中心に記述する。
着弾の弾痕からキーホール (英語版 ) とも呼ばれることもある。
ディスカーディング・サボットの概念自体は、APDS やAPFSDS とも共通しており、その英語名称にも単語として含まれている。
真鍮薬莢では散弾を装填した後に、オーバーショットカードと呼ばれる紙蓋を莢口に被せるか、散弾表面に蝋を垂らして莢口付近のみを固めることで散弾の脱落を防止する処置が行われるため、後者の脱落防止策を選択した場合には仮に散弾全体を蝋で固めてしまっても外見で判別することは困難である。
但しルール上1つのクレーに1発しか撃てないアメリカントラップでは元折単身型の競技銃、3つのクレーを同時に射撃するトリプルトラップでは狩猟用の自動散弾銃やポンプアクション散弾銃が用いられる。
海外では自然環境の中にクレー放出機を置き、文字通り「フィールドを歩きながらクレーを撃つ」スタイルが楽しめる射撃場が存在するが、日本では単に通常のトラップ・スキート射撃場で公式競技とは異なる距離の射台からクレーを撃つスタイルが大半である。
ただし、日本の銃関連法規上は競技銃も狩猟用銃も全て一律に「狩猟銃」として規定されている。
親指で撃鉄を押さえながら引金を引くだけでよく、撃針摩耗を予防する為の空撃ちケースを必要としない。万一の不発 時の雷管再打撃も無鶏頭のように薬室を解放することなく安全に行える。
先台から撃鉄へ繋がる自動コッキング機構の他、イジェクターも不要とした場合、先台の固定機構もアンソン止めやデイリー止めのような複雑で強固な固定金具が必要なく、ユーザーにデコッキング操作を完全に習熟させる前提ならば安全装置すらも省略できる。信頼性が高い反面、無鶏頭のように先台を外しても撃発機構を機能不全に出来ない事から、防犯上は難があるとも言える。
日本でも戦前の1938年(昭和13年)の津山事件にて、9連発に改造されたブローニング・オート5が凶器として用いられるなど、猟銃の改造手段として一定程度の認知はされていた。
当初は弾倉のみ3発まで、つまり薬室を含めると4連発までは許容されうると解釈されていたが、後に薬室を含めた最大装填数が3発までと解釈が変更され、2018年現在は弾倉2発・薬室1発の3連発銃までが米国内で合法的に使用可能な狩猟用散弾銃とされている。
この規定は、明治時代に軍用の村田銃 を民間へ放出した際に施した銃身への加工が根拠となっている。
銃刀法の技能講習において、クレー射撃ではなくライフル銃と同じく静的射撃を行う。
現状、夜明け前に他県の猟場などに向かうといった事例の場合、「共同管理場所」を事実上24時間営業にしなければ対応が不可能である。共同管理化により日常の分解整備や挙銃練習などが困難となり、現時点でも自分の所持する銃の分解整備法や操作法の理解が薄く、銃検査の際の事故が後を絶たない実情がさらに悪化する懸念もある。なお、各県毎に個々人の平均所持挺数がまちまちの個人零細の銃砲店に地域全ての狩猟銃を管理させるのは用地的な無理が非常に大きい。先台のみの共同管理案も、特に上下・水平二連銃などで全く同じ銃種でも互換性がない作りの先台が多い現状では、管理の際の紛失や引き渡しの際の取り違えによるトラブルの多発などかなりの困難が予想される。
個人情報の保護に関する法律 施行以降は、銃砲店や猟友会が警察に名簿照会を依頼することも事実上不可能となり、年に一度所轄署で行われる「銃検査」の会場に帯同して来訪した所持者に入会を勧める程度の対応しかできないのが現状である。
出典
暴発狩猟 閣議も怒る 資格など急いで再検討『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月6日夕刊 3版 11面
一般社団法人全日本狩猟倶楽部『日本狩猟百科』1973年、中表紙。
一般社団法人 全日本狩猟倶楽部『日本狩猟百科』1973年、74頁
『フィールド&ストリーム (英語版 ) 』、1985年7月号、122頁。
『フィールド&ストリーム』、1985年7月号、122頁。
一般社団法人全日本狩猟倶楽部『日本狩猟百科』1973年、94-95頁
一般社団法人全日本狩猟倶楽部『日本狩猟百科』1973年、163-164頁
映像 - YouTube - RAM JET Shotgun Slug Design - Stendebach II (Germany)
EP 1688700 - Intermediate part for a shotgun slug or ball.
アメリカ合衆国特許第 43,017号 - Improvement in attaching sabots to spherical projectiles for ordnance
映像 - YouTube - Cut Shells -new perforation mod- Slo-Mo Test
George C. Nonte. Firearms encyclopedia . Harper & Row. p. 76. ISBN 978-0-06-013213-2 . "A shotshell which has been cut partially through forward of the head in hope of reducing shot dispersion."
Julian Sommerville Hatcher (1935). Textbook of firearms investigation, identification and evidence: together with the Textbook of pistols and revolvers, Volume 3 . Small-arms technical publishing company. p. 61
映像 - YouTube - Wax Slugs- Stuff you NEED to know before you shoot them
映像 - YouTube - Shotgun "Wax Slug" SURPRISING Over-Penetration Test
W.W.グリーナー『The Gun and its Development』第9版 460頁 1910年
一般社団法人全日本狩猟倶楽部『日本狩猟百科』1973年、88-89頁
一般社団法人全日本狩猟倶楽部『日本狩猟百科』1973年、71-72頁
慣用句 できちゃった結婚 - 妊娠した娘の父親が、相手に散弾銃を突きつけて結婚を迫ったという故事から、英語で「Shotgun wedding(またはmarriage)」という。
ショットガンハウス - 全ての部屋の入り口が同じ位置にあり、“玄関から散弾銃を撃てば弾丸は壁に遮られずに飛び、一番奥の部屋の窓から出る”という意味でこの名がある。
ショットガン・メッセンジャー
ライディング・ショットガン (英語版 ) - 駅馬車 の護衛。近年では、ゲームで運転手役と護衛役を役割分担する際に使用される。