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かつて北海道新得町と上士幌町を結んでいた鉄道路線およびその運営事業者 ウィキペディアから
北海道拓殖鉄道(ほっかいどうたくしょくてつどう)は、かつて北海道上川郡新得町の国鉄根室本線新得駅から分岐して、河東郡上士幌町の国鉄士幌線上士幌駅までを結んでいた鉄道路線およびその運営鉄道事業者である。通称は「拓鉄」[1]。
北海道拓殖鉄道 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現況 | 廃止 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
起終点 |
起点:新得駅 終点:上士幌駅 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
駅数 | 15駅 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1928年12月15日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
廃止 | 1968年10月1日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所有者 | 北海道拓殖鉄道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
使用車両 | 車両の節を参照 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
路線諸元 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
路線総延長 | 54.3 km (33.7 mi) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
電化 | 全線非電化 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最急勾配 | 25 ‰ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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鉄道は1968年に廃線となったが、企業としての拓鉄は新得町に本社を置く物流会社として存続しており、系列会社の北海道拓殖バス(音更町)が十勝地方で路線バスを運行している[1]。
北海道の民営鉄道は、炭鉱からの石炭輸送、または古くから賑わいを見せていた漁港と最寄りの国鉄駅を結ぶ目的で建設された事例が多いが、拓鉄はそれらと性格を異にし、鉄道の開通によって沿線に入植者が集まるだろうという目算の元、道内の商工業者が出資して発足した。社名もその計画を反映したものである。
1924年(大正13年)に新得側から工事を始め、1928年(昭和3年)に新得駅 - 鹿追駅間が開業した。足寄郡足寄町の池北線(当時は網走本線)足寄駅までの延伸を見込んでいた。だが石北本線の開通で短絡の意義が薄くなったことや凶作続きで入植者が増えなかったことに加え、昭和恐慌で資金が不足したため、途中の上士幌駅まで開業して工事は中断した。
木材輸送で賑わったこともあったが、トラック輸送に切り替えられたことや沿線の人口が伸びなかったため、経営は苦境続きであった。そのため、中古のディーゼル機関車や気動車を導入して運行費用の削減を図ったり、利用の少ない末端区間を廃止したりしている。しかし、設備の老朽化に対して資金を回すことができず、特に屈足駅 - 瓜幕駅間にあった熊牛トンネルは変状が進んで危険な状態となった。会社は改修に必要な資金を捻出できず、ついには札幌陸運局より異例の行政指導(老朽施設の改善要求)を受けたことから1968年(昭和43年)2月に熊牛トンネルを放棄し、新得駅 - 屈足駅間で通学列車を1往復運行するだけとなった。この通学列車の運行も同年7月初旬には停止され、同年10月に全線が廃線となった。7月末にはさよなら列車の運転があったが、この列車は新得駅 - 鹿追駅間を運転しており、なぜか放棄したはずの熊牛トンネルを通過している。
会社自身は廃線後も運送業者として存続している。また、バス部門は廃止前の1961年1月に子会社の北海道拓殖バス(1960年12月設立)に譲渡されて存続している。
1934年12月1日時点
1934年12月1日改正当時
接続路線の事業者名は廃止時点のもの。全駅北海道に所在。
年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) | 道庁補助金(円) |
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1928 | 11,372 | 8,655 | 9,439 | 25,598 | ▲ 16,159 | 雑損2,979 土地業4,957 | 18,459 | |||
1929 | 42,462 | 15,171 | 48,975 | 91,310 | ▲ 42,335 | 土地業3,436 | 171,580 | 112,381 | 89,905 | |
1930 | 45,965 | 12,627 | 55,289 | 88,735 | ▲ 33,446 | 206,689 | 154,588 | 91,383 | ||
1931 | 35,848 | 25,709 | 49,218 | 93,831 | ▲ 44,613 | 雑損471 | 171,064 | 131,187 | 92,342 | |
1932 | 36,055 | 21,650 | 42,085 | 94,841 | ▲ 52,756 | 雑損6,898 | 210,806 | 145,457 | 92,469 | |
1933 | 43,542 | 26,725 | 60,324 | 92,851 | ▲ 32,527 | 雑損24,244 | 173,933 | 92,476 | 159,011 | |
1934 | 45,816 | 33,560 | 67,711 | 113,255 | ▲ 45,544 | 債務免除金 102,828 | 雑損13,311 | 146,661 | 178,580 | 69,242 |
1935 | 46,100 | 36,106 | 74,432 | 115,285 | ▲ 40,853 | 雑損82,485 | 90,308 | 178,836 | 91,053 | |
1936 | 51,240 | 41,409 | 84,851 | 122,101 | ▲ 37,250 | 雑損119,030 | 76,722 | 179,315 | 101,417 | |
1937 | 56,319 | 43,051 | 113,322 | 149,880 | ▲ 36,558 | 雑損102,502 | 71,978 | 144,652 | 97,497 | |
1939 | 101,312 | 51,999 | ||||||||
1941 | 136,685 | 72,238 | ||||||||
1945 | 255,147 | 92,198 | ||||||||
1952 | 228,893 | 117,604 | ||||||||
1958 | 206千 | 63,937 | ||||||||
1963 | 258千 | 94,230 | ||||||||
1966 | 249千 | 92,489 | ||||||||
開業時は蒸気機関車2両、四輪ボギー二三等合造客車2両、四輪有蓋緩急車2両、四輪有蓋貨車2両、四輪無蓋貨車5両。全て汽車製造製[16]。未開拓地域の新線という経営状況の厳しさにもかかわらず、開業時に全て新製車両を充当したのは異例[17]で、路線延長の割に車両数が少ないことも閑散ぶりをうかがわせる。以降の車両も数は多くないが特異なものが多い。
拓鉄が音更町で鉄道営業所として使われていた建物の倉庫を2019年に調べたところ、ダイヤグラムなどの書類に加えて車両図面が多数見つかった。同町内で私設鉄道博物館を運営する穂積規による分析・整理を経て、図面集が2021年に刊行された[1]。
なお、国鉄でも改正鉄道敷設法別表142-3に「新得ヨリ上士幌ヲ経テ足寄ニ至ル鉄道」として北十勝線が計画され、147-2の「釧路国白糠ヨリ十勝国足寄ニ至ル鉄道(白糠−北進間が白糠線として開通)」と接続させて道東横断鉄道を形成する予定があった。
1957年(昭和32年)9月13日、新得町、鹿追町、上士幌町、足寄町による「新得−足寄間鉄道新設促進期成会」が結成。同年末には士幌町も加盟し、路線の一部が士幌町内を通るよう設定された[22]。
1961年(昭和36年)6月16日に予定線、1962年(昭和37年)3月28日に調査線、1964年(昭和39年)6月25日に建設線となった[22]。その間、期成会の名称は「北十勝線建設促進期成会」に変わった[22]。1966年(昭和41年)から測量が始まり[22]、1968年(昭和43年)7月、線路規格を丙線、最小曲線半径500m、最急勾配14‰、橋梁負担力KS-16として線路選定した[23]。
1974年(昭和49年)5月31日、北十勝線の新得−足寄間(69.2km)の工事実施計画が認可され[22][24]、総工費は153億円、当時は1981年度(昭和56年度)の完成予定とされた[24]。
1974年10月初め、ルート原案が決まり[25]、途中駅と信号場は新得、佐幌信号場、屈足、鹿追、上牧、大牧信号場、士幌、北平和、上士幌、居辺、芽登、活込信号場、足寄とし、士幌−上士幌間は既設の士幌線を利用する計画だった[25]。鹿追町から要望されていた拓鉄ルートの瓜幕経由は入れられず、鹿追市街から士幌まで直線で結んでいた[25]。総延長は71.674km[26]。1974年10月27日に新得町内で起工式が行われた[22][27]。なお、新得−屈足間は拓鉄の路盤跡を転用する計画になっていた[28]。
しかし、建設ルートが農地を横切ることから、音更町、鹿追町からルート変更の要望が出され、工事は容易に進まなかった[22]。音更町の沿線住民が「畑を分断するルートを変更しない限り建設を認めない」と建設反対運動を始め、国鉄北十勝線反対同盟を結成するとともに、音更町議会に「北十勝線ルート変更を求める請願書」を提出した[29]。音更町議会は1974年10月28日に請願書を採択した[30]。1975年(昭和50年)2月20日には沿線町村代表が日本鉄道建設公団札幌支社を訪れ、ルート変更を求める要請を行い「国鉄北十勝線の建設で農地が分断され、営農計画がめちゃめちゃになる」と訴えた[30]。
ルートは当初、拓殖鉄道の路線跡を利用する計画だったが、その後変更され、新得−士幌間をほぼ直線で結ぶことになったため[30]、音更町西中音更、大牧地区では畑を一直線に遮断するようなルートとなった[29]。両地区は畑作酪農地帯で大規模経営農家が多く、大型農業機械の導入も進んでいた。畑は四角形で機械化の効果が大きいようになっており、鉄道で分断されると機械化の効果が半減してしまうことを建設反対の理由に挙げていた[29]。
音更町西中音更、大牧地区など音更町と鹿追町の住民から「農地を分断されて営農に差し支える」とルート変更の声が強まり、音更町議会ではルート変更の陳情を採択していた[30]。期成会では音更町側との協議を重ね、鹿追・瓜幕回りへの変更ルートを決めていた[22]。1976年(昭和51年)11月26日から現ルートと変更ルートで並行して測量が開始された[22]。芽登−足寄間には月見台トンネル(5165m)など全区間でトンネル4カ所も計画されていた[26]。
1978年(昭和53年)から廃線跡を買収する予定になっていたが、予算化が先送りされた上、農耕の妨げになることを懸念した一部農家が建設反対に転じたこともあり、一部区間の測量が行われただけで中止され[28]、未成線となった。
新得駅 - 佐幌信号場 - 屈足駅 - 鹿追駅 - 上牧駅 - 大牧信号場 - 士幌駅 - 北平和駅 - 上士幌駅 - 居辺駅 - 芽登駅 - 活込信号場 - 足寄駅
士幌駅 − 上士幌駅間は士幌線と重複。
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