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兵庫県神戸市の人工島 ウィキペディアから
ポートアイランド(英語: Port Island)は、神戸市中央区の神戸港内に作られた人工島である。略称は「ポーアイ」「PI」。
神戸大橋及び港島トンネルによって神戸市中心部と結ばれ都市機能を一通り備えた、日本で最先発のウォーターフロント都市とされる。完成当時は世界最大の人工島であった。
キャッチコピー「山、海へ行く」のもとに、六甲山地の土砂で瀬戸内海の一部を埋め立てるという方法で、2期に分けて造成された。第1期工事が竣工した1981年には街びらきに合わせ、神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)が開催された。
「蓋然性と緑あふれる国際色ゆたかなまち」をテーマに1966年より着工、1981年に「21世紀の海上都市」と銘打って街びらきが行われた。神戸市中心部三宮の南、神戸空港の北に位置し、「神戸海上新都心地区」として、港湾機能だけでなく住宅や商業等の総合的機能を持たせた海上文化都市として開発が進められた。計画・設計は建築家・都市計画家の水谷頴介が担当。今後の都市開発に先駆的な役割を果たしたとして、1980年度に日本都市計画学会石川賞[1]および土木学会技術賞[2]、2005年度と2008年度に全日本建設技術協会全建賞[3][4]などを受賞した。
埋立工法やその後の街区開発などでは先進的な技術が用いられ、世界初の試みのものも少なくない。当地区の整備は、あらかじめ決められた基本的方針によって計画的に行われており、メインストリートである「ポートピア大通り」は「新・日本街路樹100景」に、ポートアイランド内3か所が「神戸らしい眺望景観50選」に、ポートアイランド西公園(ポーアイしおさい公園)が「神戸らしい眺望景観10選」に選ばれた。
1987年には南側の第2期地区の建設が開始され、東沖の六甲アイランドを超え再び日本最大の人工島となった。1998年には第2期地区が「神戸医療産業都市 (KBIC)」に指定、国内最大級の医療クラスターとしての一面も持つ。次世代スーパーコンピュータ「京」および富岳の誘致に成功するなど、研究ゾーンとしての注目も浴びている。港湾機能では「スーパー中枢港湾/ハイパー中枢港湾」の「次世代高規格コンテナターミナル」に指定され、阪神・淡路大震災により一時は取扱量が減少していたものの、震災前の水準を超えて年々取扱量が増加している。
商業面での発展だけでなく、教育面でも先進的な取り組みが行われており、2002年には三宮地域と神戸空港を結ぶ重要な都市軸上に位置する西側の区域が「神戸ポートアイランド西地域」として政令による都市再生緊急整備地域に指定され[5]、ポーアイ4大学のキャンパスの開園[6]へと再開発が行われたことをきっかけに大学および高等学校が増加、神戸市内有数のキャンパスゾーンを形成している。2016年にはこれまでの小中一貫教育の取り組みが制度面で認められ、日本初となる義務教育学校が設立された。
1995年に発生した阪神・淡路大震災では液状化現象などにより甚大な被害を受けたが、迅速な復旧により震災を乗り越え、街びらきから40年が経ち、新たな街づくりが始められている。
戦後の高度経済成長期に、神戸港の港湾貨物の取扱量は予想以上の伸びを示し、これにより入港船の滞船が慢性化していた。神戸市は新港第7突堤・第8突堤や兵庫突堤、摩耶埠頭などの建設により、港湾施設の増強に努めるものの滞船は減少するきざしがなく、それをさらに上回る勢いで貨物量は増加する一方であった。また、当時は明治時代に建設された新港突堤を中心に運用されていたが、いずれも施設が古く、特に世界海運界のコンテナ化が進むなかで、従来の狭い埠頭ではコンテナヤードとしての利用は困難であった。そのため、新たに建設する埠頭は、バース数の多く大規模なものを早急に建設する必要が生じた。加えて、背後の市街地では開発がしつくされ[* 1]、港湾に付随する貿易関連などの諸施設用地などの取得はきわめて困難で、新たにこれらの用地も確保、造成する必要があった。一方、都市施設に対する市民の要求も多様化し、政治、経済、商業、文化等の都市機能を受け入れることのできる新しい都市空間の創造が必要となった。これらのことから、1963年11月に最初のポートアイランド構想が浮上した。
計画にあたっては、
の5つの目標が掲げられた。
このような方針にもとづいて、新港突堤の南に扇状にひろがる第2防波堤、第3防波堤に囲まれた水面にE字型の人工島として計画されたのがポートアイランドである。1966年2月28日の「ポートアイランド埋立基本計画」によりポートアイランド誕生への第一歩が踏み出された。同年4月14日には、早くも護岸工事が着工され、翌年1967年4月7日には高倉山を中心に、横尾、名谷および西神総合運動公園地区の広範囲の土砂や、建設残土を合わせた約8千万m3の土砂によって埋立が開始された。掘削された跡地は須磨ニュータウンの中核をなす住宅地へと開発され、「山、海へ行く」を合言葉としてこれら一体の開発が進められた。埋立工事は神戸市が、防波護岸、物揚場、危険品バースは運輸省第三港湾建設局が、コンテナバース、ライナーバースは阪神外貿埠頭公団が、それぞれ設計施工を担当。底開式バージのほか、新たに開発されたバケットホイール式アンローダー・シフタブルコンベヤシステム等により揚土埋立、サンドドレーン工法やプレロード工法、振動締固め工法等の地盤沈下対策を行いながら、着工より15年の歳月をかけて建設が進められた。
1981年2月4日、ポートアイランド合同完工式が行われ、埋立面積436ha、全体事業費5,300億円(港湾施設設備1,477億円、埋立地造成742億円、公園緑地整備99億円、交通関連施設整備637億円、都市機能上物整備2,345億円)、埋立土量8,000万m3、計画人口約2万人、計画戸数約6,500戸の、竣工当時世界最大の人工島として、埋立が完了した。まちびらきに合わせ、ポートピア'81(神戸ポートアイランド博覧会)が開催された。当初の予想を大幅に上回る入場者が訪れ、地方博内で最多の入場者数を記録し(現在でも記録は破られていない)大成功を収めた。その後の地方博ブームのさきがけとなったほか、まちびらきにあたって博覧会を開催するという手法は横浜博覧会(横浜市・みなとみらい21地区)など各地で用いられるようになった。
ポートアイランドの基本的施設として、ポートスクエア・インターナショナルスクエア・総合業務センター・コミュニティスクエア・マリンパークの5つの基本ゾーンが設定された。ポートスクエアは埠頭港湾機能、インターナショナルスクエアは多目的広場・インターナショナルトレードセンター・エキゾチックタウン、総合業務センターはポートアイランドの総合管理運営機能、コミュニティスクエアは住宅生活機能、マリンパークは海や港に接する公園としてそれぞれ整備が行われ、これらは都市緑地軸でつながれている。
当時の神戸港は、ニューヨーク、ロッテルダムに続き世界3位のコンテナ取扱量を誇るアジアを代表する貿易港であった。ポートアイランド東沖では六甲アイランドを並行して建設していたものの、貨物量は増加する一方であり、さらなるコンテナバースの建設が急がれた。すでに完工しているポートアイランドの南側海岸堤防に隣接する形で建設されたものがポートアイランド第2期である。これによりすでに完工している部分を、第2期と区別する場合に第1期と呼ばれるようになった。国際化や情報化などの、さらに新たなニーズに対応した港湾設備および都市機能を整備し、第1期埋め立て地区と一体となった都市空間の形成を図ることを目的として、1987年3月より埋立が開始された。
埋立面積390 haと第1期地区と比べると一回り小さいものの、より神戸港の沖合に位置していたことから、埋立土量は9,200万m3[8]と第1期よりも多い土量で埋立された。埋立用土砂は、現在の神戸複合産業団地を中心に、神戸流通業務団地、神戸研究学園都市地区から掘削し、水深-2 mまでは底開式バージ、-2 mより浅い部分は揚土船等による揚土、運搬、埋立の一貫システムで造成された。住宅機能用地は確保せず、主に埠頭用地や製造工場用地、業務施設用地で構成され、面積の2割である78 haを緑地・スポーツレクリエーション緑地に充てるなど、人・物・情報が交流する緑豊かな環境にやさしい新しいまちづくりを念頭に建設が行われた。
第2期建設による大型貨物自動車等の交通需要の増加と、第2のアクセス確保を目的として、1992年に神戸港港島トンネルの着工にこぎつけ、防災面の強化が図られた。
第2期埋立途中の1995年1月17日に、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)が発生、ポートアイランドにも大きな影響を与えた。
第1期埋め立て部分全域で大規模な液状化現象が発生し[* 2]、島内すべてのコンテナバース等が破壊され、ガントリークレーンも大きく傾き使用不可能となった。また、神戸大橋の橋脚にズレが生じ三宮側が破壊され自動車の通行が不可能に、ポートライナーも橋脚の落下や駅舎の損壊が生じ運行休止となった。当時はまだ神戸港港島トンネルが開通しておらず、島が孤立する事態となった。神戸大橋には水道管2本が設置されていたが、通水していた1本(もう1本は将来需要を満たすために作られたもので通水されていない)が陥落して人工島の防災上の弱さを露呈した。孤立した島内の負傷者は、島内の神戸市立中央市民病院に集中した。
市内の需要をカバーするため、第1期・第2期に約3,100戸の第1~第7仮設住宅が建設され、被災者を受け入れた。他地域よりも広大な敷地を使用できたために大規模な仮設住宅の建設ができたもののそれでも用地は不足するほどであった。1999年末までの約5年間にわたり使用された。
唯一の交通手段であった神戸大橋は早急に復旧が強いられ、車線を大幅に減少した状態で一部復旧したものの終日渋滞が慢性化しており、ポートライナーの代替バスが橋を渡るだけで1時間近くかかることもあったほど混雑していた。同年8月1日より渋滞緩和の目的で、新港第三突堤より340mの仮設橋(KD橋)が架けられた。翌年1996年6月27日まで供用され、7月4日には全面復旧した。なお、ポートライナーでも急ピッチで復旧工事がすすめられ、震災発生年の5月22日と6月5日に部分開業、7月31日に195日ぶりに全線が復旧開通した。
震災発生年の6月30日、神戸市は「神戸市復興計画」を発表、神戸港の復興を目的として、ポートアイランド第2期に国内初の水深15m以上の高規格コンテナターミナルの整備、およびシンボルプロジェクトとして「神戸起業ゾーン整備構想」を選定[9]、インキュベーションの拠点となる中核施設を整備し、優遇税制、規制緩和、総合保税地域制度などを特長とする「エンタープライズゾーン」を設置することとした[10]。これがのちの神戸医療産業ゾーンへとつながる。
コンテナバースの復旧は暫定供用開始した後、「打手替え」方式によって本格復旧工事が行われ、1997年3月31日に港湾施設が全面復旧。5月19日に、神戸市は「神戸港復興宣言」を発表。同年に市民広場駅より世界最長である全10本のムービングウォークを設置し第1期部分と第2期部分と間のアクセスを向上、防災機能の強化とともに島全体が一体となっての再興を図った。
震災の影響で商業施設等の多くの施設が島から撤退、震災年の1995年で16,965人だった島内人口は減少に転じ、2003年には14,000人台にまで減少した[11]。第2期地区では土地の売却が進まずに問題となり、2006年3月31日には博覧会の終了後も営業が続けられていた神戸ポートピアランドが阪急グループの経営再建に伴い閉園するなど、景気低迷と相まって低迷期が続いた。
そのような中で転機が訪れたのは、2006年2月16日の神戸空港の開港である。開港に先立ち2月2日にポートライナーが複線化・延伸し、第2期埋め立て部分へのさらなるアクセス向上が図られた。2002年に「神戸ポートアイランド西地域[* 3]」として政令による都市再生緊急整備地域に指定された[12]ことを受けて、2007年春に神戸学院大学、神戸夙川学院大学、兵庫医療大学の3大学がキャンパスを新しく開設。空室が目立っていた団地内では大学関係者や学生により満室状態に、低迷していたポートライナーの乗客数も急増し現在ではAGT内で最多の輸送力と輸送人員を誇り、ラッシュ時には東京の山手線や大阪の地下鉄御堂筋線をも上回る列車頻度で運行している。
第2期地区でも、1998年にスタートした「神戸医療産業都市(KBIC)」で神戸空港開港の後押しにより企業数が急増、2007年3月28日に次世代スーパーコンピュータ「京」の誘致に成功し、2012年9月28日に供用が開始された。2013年9月12日に世界初となるiPS細胞を用いた網膜シート移植手術を実施したと発表。2014年5月1日に国家戦略特別区域に指定され、2016年4月末現在では、理化学研究所などの研究関連施設や医療関連企業が予測を上回る316社が進出し[13]、国内最大級の医療クラスターとなっている。さらに重機販売会社や中古車販売会社が集積して輸出を行う中古車市場も設けられ、港湾機能では「スーパー中枢港湾/ハイパー中枢港湾」の「次世代高規格コンテナターミナル」に指定、2016年には神戸港のガントリークレーン数が国内最多となり[14]、そのうち8基をポートアイランド第2期地区で担う。
近年では、神戸市立医療センター中央市民病院や兵庫県立こども病院が移転開院し、富岳の設置が第2期埋め立て地区に決定。理化学研究所では関西拠点を発足[15]させ省庁や独立行政法人の研究機関を移転開設。全国初のiPS細胞による目の病気の研究・治療・就労支援を一体的に行う「神戸アイセンター」の建設[16]などの医療・研究ゾーンとしての成長のほか、川崎重工業により水素と天然ガスを燃料とした1メガワット級のガスタービン発電設備の建設が発表され[17]、1800年超の歴史上初となる生田神社の分社が第1期埋め立て地区に完成[18]、愛知より世界最大級の職業訓練施設「港湾技能研修センター」の移転[19][20]など多様な面で成長を見せている。
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医療センター駅・計算科学センター駅の周辺は神戸医療産業都市に指定されており、数多くの医療関連施設や研究施設が進出している。
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大学・短期大学職業能力開発短期大学校
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高等学校・小中学校
幼稚園・保育園
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警察・消防
病院
福祉施設
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その他
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根幹となる公共交通機関として1977年11月の港湾審議会第80回計画部会で、新しい都市のイメージを高めるために従来の鉄道ではなく新しい専用軌道方式(新交通システム)による輸送機関を採用することが計画された。1981年より世界初の無人運転システムとして神戸新交通が新規鉄道(軌道)路線で乗り入れている。軌道内に人が立ち入ることのできないよう全線で高架構造になっているほか、全駅に日本で初めてのフルスクリーンタイプのホームドアが設置されている。また、2006年には、南側沖合に完成した神戸空港やポートアイランド第2期のアクセスとして延伸・複線化された。
神戸市では新たな交通手段 (LRT・BRT) の導入を2014年頃より検討しており、ポートアイランド方面でもポートライナーの混雑緩和や神戸空港の交通利便性向上などを図るため検討されている。2017年7月には、社会実験の一環として三宮 - 神戸空港間で連節バス運行を実施[41]し、BRT 導入の検討を行う。今回の社会実験ではポートアイランド内に停留所は設けないが、本格的な営業運行を行う際には停留所設置を検討しアクセス向上を図る。将来的には新神戸 - 神戸空港間でも BRT の活用を検討している[38]。
神戸中心部へは神戸大橋や神戸港港島トンネルで、南沖の神戸空港へは神戸空港島連絡橋(神戸スカイブリッジ)でアクセスできる。いずれも通行料金は発生せず、神戸大橋と神戸スカイブリッジには歩道橋が併設されており歩いて渡ることができる。
また、「大阪湾岸道路西伸部」として阪神高速5号湾岸線の延伸が計画されており、2009年に湾岸線9期区間(六甲アイランド北~駒ヶ林南)都市計画決定、2016年に国の直轄事業として新規事業化(六甲アイランド北~駒栄)。2026年度に開通予定。全6車線の高架道路および長大橋が建設され、ポートアイランド内には東西の2か所に出入口(ランプ)が設けられる予定。
全国屈指の帰化植物のメッカとなっている。初めて記録された帰化植物や、新たな知見が得られるなど、学術的にも珍しい発見がされている。記録された帰化植物は239種。原産地別ではヨーロッパ産122種、北アメリカ産66種、地中海沿海産23種、南アメリカ産10種、その他12地域18種。分類別では、イネ科51種、キク科36種、アブラナ科20種、マメ科19種、ナデシコ科10種、ナス科9種、その他94種[42]。
港で荷降ろしされるコンテナに付着していたもの
空き地の表土流出防止の目的で外国産の牧草種子が使用され、その中に混入していたもの
中央分離帯や花壇で栽培されていたものが繁殖したもの
土壌改良のため輸入された、ヤシ殻堆肥や家畜の糞や、持ち込まれた植物に混入していたと考えられるもの
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