釜山広域市
韓国の広域市 ウィキペディアから
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釜山広域市(プサンこういきし、ふざん[2] こういきし、韓: 부산광역시 英: Busan Metropolitan City)は、大韓民国南東部に位置する広域市。
略称: プサン | |
旗 | |
ロゴマーク | |
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位置 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 부산광역시 |
漢字: | 釜山廣域市 |
日本語読み仮名: | ふざんこういきし |
片仮名転写: | プサン=クヮンヨクシ |
ローマ字転写 (RR): | Busan Gwangyeoksi |
ローマ字転写 (MR): | Pusan Kwangyŏksi |
統計(2023年) | |
面積: | 766.12 km2 |
総人口: | 3,293,362[1] 人 |
男子人口: | 1,605,431 人 |
女子人口: | 1,687,931 人 |
人口密度: | 4,298.8 人/km2 |
行政 | |
国: | 大韓民国 |
下位行政区画: | 15区1郡 |
ISO 3166-2: | KR-26 |
行政区域分類コード: | 21 |
釜山広域市の木: | ツバキ |
釜山広域市の花: | ツバキ |
釜山広域市の鳥: | カモメ |
市長: | 朴亨埈 |
自治体公式サイト: | 釜山広域市 |
ソウルに次ぐ韓国第2の都市であり、古来より日本と朝鮮半島を結ぶ交通の要衝として知られる。コンテナ取扱量で世界7位の釜山港を有する大規模港湾都市でもある[3][4]。
朝鮮半島南東端に位置し、韓国の主要都市中で最も日本の近くに位置する。大韓海峡(朝鮮海峡、韓国では釜山海峡)を挟んで対馬を望む事ができ(海雲台区の冬柏などから肉眼で見える日が年間約60日あり)、下関市・福岡市までは200kmほどの距離である。このため、日本との関係も密接であり、とくに下関市・福岡市などの九州北部や山口県との関係が深い。
現在は広域市に位置づけられ、道には属さないが、1962年までは慶尚南道に属していた。道から独立後も1983年6月まで慶尚南道庁の所在地であった。朝鮮の地方区分でいう慶尚道地方(東南地方、嶺南地方)の中心都市である。
読み、各種表記は大韓民国の地方行政区画を参照。
朝鮮半島の南端に位置するため、比較的温暖な気候である。最高気温極値は37.3℃(2016年8月14日)、最低気温極値は −14.0℃(1915年1月13日)、過去最深積雪は37.2 cm(2005年3月6日)である。2005年3月の大雪はそれまでの最深積雪記録(1945年2月25日)の22.5cmを60年ぶりに大幅に塗り替える記録的な大雪となった[5][6]。過去に20cm以上の積雪は前述の2度しかなく、例年は積雪はほとんどない。2011年1月16日には、午前の最低気温が −12.8℃を記録し、1915年以来96年ぶりの大寒波に見舞われた。 地理学でのケッペンの気候区分では、かつては温暖湿潤気候の代表的な都市とされていた。近年の夏季の降水量の増大で、最多雨月は7月で316.9mm、最少雨月は12月で22.8mmである為、温帯夏雨気候に変化した。
釜山広域市(釜山気象観測所)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 18.4 (65.1) |
20.3 (68.5) |
22.9 (73.2) |
28.1 (82.6) |
34.0 (93.2) |
33.4 (92.1) |
35.8 (96.4) |
37.3 (99.1) |
35.2 (95.4) |
30.8 (87.4) |
25.6 (78.1) |
20.9 (69.6) |
37.3 (99.1) |
平均最高気温 °C (°F) | 8.2 (46.8) |
10.2 (50.4) |
13.8 (56.8) |
18.2 (64.8) |
22.0 (71.6) |
24.6 (76.3) |
27.5 (81.5) |
29.5 (85.1) |
26.4 (79.5) |
22.5 (72.5) |
16.6 (61.9) |
10.4 (50.7) |
19.2 (66.6) |
日平均気温 °C (°F) | 3.6 (38.5) |
5.4 (41.7) |
9.1 (48.4) |
13.8 (56.8) |
17.9 (64.2) |
21.0 (69.8) |
24.4 (75.9) |
26.1 (79) |
22.6 (72.7) |
17.9 (64.2) |
11.9 (53.4) |
5.8 (42.4) |
15.0 (59) |
平均最低気温 °C (°F) | −0.1 (31.8) |
1.5 (34.7) |
5.3 (41.5) |
10.1 (50.2) |
14.6 (58.3) |
18.3 (64.9) |
22.1 (71.8) |
23.7 (74.7) |
19.8 (67.6) |
14.5 (58.1) |
8.3 (46.9) |
2.0 (35.6) |
11.7 (53.1) |
最低気温記録 °C (°F) | −14.0 (6.8) |
−12.6 (9.3) |
−9.7 (14.5) |
−1.5 (29.3) |
5.4 (41.7) |
9.3 (48.7) |
13.8 (56.8) |
15.4 (59.7) |
9.6 (49.3) |
1.8 (35.2) |
−6.5 (20.3) |
−12.0 (10.4) |
−14.0 (6.8) |
降水量 mm (inch) | 34.5 (1.358) |
49.6 (1.953) |
89.7 (3.531) |
140.9 (5.547) |
155.9 (6.138) |
188.4 (7.417) |
326.8 (12.866) |
266.5 (10.492) |
160.6 (6.323) |
79.6 (3.134) |
50.4 (1.984) |
33.8 (1.331) |
1,576.7 (62.075) |
平均降水日数 (≥0.1 mm) | 5.4 | 5.9 | 8.3 | 9.2 | 9.1 | 10.4 | 13.6 | 11.9 | 9.2 | 5.3 | 6.0 | 4.7 | 99.0 |
平均降雪日数 | 1.4 | 1.2 | 0.5 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.0 | 0.1 | 0.9 | 4.1 |
% 湿度 | 46.8 | 49.4 | 56.0 | 61.1 | 68.3 | 76.8 | 83.4 | 78.5 | 72.6 | 62.7 | 56.3 | 48.1 | 63.3 |
平均月間日照時間 | 203.1 | 189.4 | 202.0 | 212.6 | 228.5 | 180.3 | 172.3 | 199.2 | 173.8 | 212.1 | 195.5 | 205.6 | 2,374.4 |
出典:韓国気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1904年-現在)[7][8] |
後に狗邪韓国(金官国)そして任那となる地域は、弥生時代中期(前4、3世紀)に入り従来の土器とは様式の全く異なる弥生土器が急増し始めるが、これは後の任那に繋がる地域へ倭人が進出した結果と見られる[9]。朝鮮半島における倭国の北端である『三国志』魏書東夷伝倭人条の項目における狗邪韓国(くやかんこく)の後継にあたる金官国を中心とする地域に含まれる。
古代は任那(伽耶)に含まれる地域である。新羅に合併された時に居漆山郡になり、統一新羅時代の757年に良州(現在の梁山市)所属の東萊郡を設置、現在の市街地地域に東平県、機張郡に機張県が東莱郡の下に設けられているが、地域の中心は金海にあった。
任那について倭が新羅や百済を臣民とした等と書かれている、広開土王碑日本軍改竄説が否定され、またいくつもの日本固有の前方後円墳が朝鮮半島南部で発見され始めたことなどから、近年ヤマト朝廷そのもの或いは深い関連を持つ集団によるこの地域の統治権、軍事統括権および徴税権の存在について認める様々な見解が発表されている。
李氏朝鮮(朝鮮王朝)時代、釜山地域にははじめ東莱県、のちに東萊府(東莱都護府)が置かれた。対日防衛の要衝であることから慶尚左道都万戸が置かれた。また、対日交易の拠点としても重要な位置を占め、15世紀始めには富山浦に日本人居留地である倭館が設置された(浦所倭館)。以後、釜山地域は三浦の乱や文禄・慶長の役など中世日朝関係の曲折の舞台となった。
朝鮮王朝と江戸幕府の交渉が復活すると、龍頭山一帯に対馬藩の草梁倭館が設置された。江戸時代、「鎖国」(海禁)時代の日本では、蝦夷地および琉球とともに、日本人が海外に居住できる限られた場所となった。
1877年の日朝修好条規によって朝鮮が開国した際、3ヶ所の開港地(他の2港は仁川・元山)の一つとなり、倭館はひきつづき日本人居留地となった。以後、釜山港の貿易港としての整備とともに、港湾都市釜山は発展することになる。1905年には鉄道(京釜線)が開通し、釜山駅が開業した。
この間、行政面では1895年に慶尚道が廃止されて東萊府(二十三府制)になったが、翌年に慶尚南道になり、道庁が釜山に置かれた。
日本統治時代の1914年には行政区画の整理が行われた。このとき、旧釜山府の日本人居留地一帯(釜山港周辺)を新
以後、日本統治下では1936・42年の二度にわたって釜山府は府域拡張を行っている。1936年には西面など(現・釜山鎮区などの一帯)が、1942年には東莱邑など(現・東萊区などの一帯)が東莱郡から府域に編入された。
1949年に釜山府は釜山市に改称した。1950年に朝鮮戦争が勃発し、ソウルが陥落すると、釜山は1953年まで大韓民国の臨時首都となった。釜山には戦争を避けた難民が多く移り住み、人口が増加した。
1957年には出張所を改めて区が設置され、1963年には釜山直轄市に昇格した。朝鮮戦争後は、金海郡の一部(現・江西区一帯)を編入するなど数次の市域拡大を行っている。1995年に釜山広域市に名称を改めるとともに、梁山郡内の旧東莱郡域(現・機張郡)を市域に編入した。
2000年には文化観光部2000年式の告示に伴い、公式の英語表記がそれまでの Pusan から Busan に改められた(ただし釜山大学校など、現在も Pusan の表記が使われる場合もある)。
長らく市庁は港に近い旧市街地の古い建物を使っていたが、1999年に蓮堤区に市庁の庁舎を建設して移転、裁判所なども蓮堤区に所在している。 市庁跡地には超高層ビルの釜山ロッテタウンタワーが建設中で、2026年に完成する予定である。
市の人口は近年まで増加の一途をたどり、一時400万人前後に達したが、2000年以降徐々にドーナツ化現象によって減少傾向にあると言われる。
2021年、2030年の国際博覧会の誘致に向け活動を本格化。釜山港の北側周辺を万博会場とする計画を立て各国に働きかけを行い[11] 日本などの支持を得て[12]2023年11月28日、開催地を決定する投票に臨んだがサウジアラビアのリヤドに大差で敗れた[13]。
2019年9月6日 - 釜山市議会第280回第2次本会議の中で、日本戦犯企業の製品の公共購買制限および表示に関する条例を可決。日本の菅官房長官から非難を受けている[15]。
読みは大韓民国の地方行政区画を参照。
韓国では2003年まで、姉妹都市関係は「1国1都市に限る」という規則があった。このため、釜山市は下関市と姉妹都市関係を結んでおり、福岡市とは当初は「行政交流都市」の関係を結んでいた。その後、この規制が撤廃されたことを受け、2007年2月2日、福岡市との関係の格を引き上げ、「姉妹都市」関係の締結を行った。
2013年イギリスの週刊新聞エコノミストが発表した「世界の経済大国のうち最も空気が汚染されている都市」でワースト5に入った[18][19]。
釜山で行われた著名な国際大会としては1997年の『東アジア競技大会』や、2019年12月21日に開催したUFCの『UFC Fight Night: Edgar vs. The Korean Zombie』などがある。この大会では、メインイベントにフランク・エドガーとジョン・チャンソンによるフェザー級戦が組まれた。また、大韓サッカー協会会長やFIFA理事などを務めた鄭夢奎が、2000年より釜山をホームタウンとするサッカークラブの『釜山アイパーク』のオーナーに就任している。
国立
私立
釜山港は大韓民国のハブ港湾であり、2021年の釜山港の海上コンテナ取扱量は世界7位である[4]。貨物の増大に伴い、市の西部に釜山新港が整備され、機能分散を図っている。
ここでは主要な駅を掲載。
バス運送事業組合及びマウルバス運送事業組合の傘下事業者により、多数のバス路線が設定・運行されている。運賃・機能体系は一般バス・座席バス・マウルバス・深夜バスに分かれる。運賃支払いにはハナロカードも利用でき、カード利用割引、地下鉄乗継割引などの制度が適用される。
一部路線は蔚山広域市や梁山市へも乗り入れているほか、蔚山広域市・梁山市の市内バスにも釜山市内への乗り入れ路線がある。
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