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『サタデー・ナイト・ライブ』(英語: Saturday Night Live, SNL)は、アメリカNBCで、1975年10月11日より毎週土曜日の23時30分から25時00分(ET、JST:日曜13時30分 - 15時00分、夏時間は1時間繰り上げ)に生放送されている、深夜90分の公開コメディバラエティ番組である。
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サタデー・ナイト・ライブ Saturday Night Live | |
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ジャンル | スケッチ・コメディーバラエティ番組 |
企画 | ローン・マイケルズ |
脚本 | サタデーナイトライブの放送作家(en)参照 |
監督 |
デイヴ・ウィルソン (1975年-1986年, 1989年-1995年) ポール・ミラー (1986年-1989年) ベス・マッカーシー=ミラー (1995年-2006年) ドン・ロイ・キング (2006年-現在) |
出演者 | サタデーナイトライブの出演者(en)参照 |
製作 | |
製作総指揮 |
ローン・マイケルズ(1975年-1980年, 1985年-現在) ジーン・ドーメニアン (1980年-1981年) ディック・エバーソル (1981年-1985年) |
プロデューサー |
スティーヴ・ヒギンス マーシ・クライン |
制作 | NBC |
放送 | |
音声形式 | 英語 |
放送国・地域 | アメリカ合衆国 |
放送期間 | 1975年10月11日 - 放送中(シーズン48) |
放送時間 | 毎週土曜日23:30 - 25:00 |
放送分 | 90分 |
回数 | 900 |
Saturday Night Live |
アメリカ合衆国のバラエティ番組でも最長寿番組のひとつであり、番組はレギュラーに、ホスト(メインゲスト)1名と音楽ゲスト1組というのが基本構成であるが稀にホストが音楽ゲストを兼ねる場合や、音楽ゲストがコントに参加する場合もある。
アメリカの主要なコメディアンにとってはスターへの登龍門的存在であり、ジョン・ベルーシ、ダン・エイクロイド、チェビー・チェイス、スティーヴ・マーティン、エディ・マーフィ、マイク・マイヤーズ、アダム・サンドラー、クリス・ロック、ウィル・フェレル、といった日本でも著名なコメディアンを輩出している。また、ピーボディ賞や全米脚本家組合賞などのテレビ賞を多く受賞しており、プライムタイム・エミー賞の常連ノミネートおよび受賞番組でもある。
また、この番組フォーマットは世界にも販売されており、これまでにイタリア・スペイン・日本・韓国で、各国のオリジナルバージョンが番組制作されている。
番組は通常以下のパターンで構成される。
唐突にタイトルもなく政治や時事ネタの寸劇が始まり、オチに誰かが「Live from New York, it's Saturday Night!(ニューヨークから生中継!SNLの始まりだ!)」と叫ぶお馴染みのオープニング(Cold Open)から始まる。
そして、テーマソングが演奏され、自由の女神のショットとニューヨーク周辺の様々な場所でカットしたキャストメンバーのモンタージュで始まるオープニングクレジットが流れる。番組のテーマソングはサタデーナイトライブバンドにより生演奏され、40年以上もの間に何度も編曲し直されているが、基本的に同じコード・パターンである。
オープニングクレジットの後、ホストによるオープニング・モノローグが行われ、その後はしばしばテレビコマーシャルパロディが続く。
番組は、一連のコントなど(人気キャラクター、ギャグ、有名人の物真似、映画やテレビ番組のパロディ、時事ネタ)が有るが、番組の一番の見せ場は『アメリカ合衆国大統領や政治家のパロディや揶揄・政治風刺』である。その後、音楽ゲストによる演奏が披露される。番組の折り返しに、時事ニュースのパロディである「Weekend Update」が入る。
後半は、さらに多くのコントの後、音楽ゲストの再登場となる。それから、レギュラーメンバーのVTRコント等が流れ、メインゲストによるエンディングか、まれにエンディング代わりの音楽ゲストによる3曲目が演奏されて、番組が終了する。
1974年にNBCの深夜番組の編成局長であったディック・エバーソルがローン・マイケルズに土曜深夜のバラエティー番組の製作を依頼。ローン・マイケルズがシカゴを拠点とする即興コメディ劇団「セカンド・シティ」から出演者、脚本家を集めて製作を開始。
当初から「サタデーナイトライブ」という番組名にしたかったが、ABCの「Saturday Night Live with Howard Cosell」の影響で1975年10月11日に「NBCサタデーナイト」として放送開始。番組名は「サタデーナイト」だが、「ライブ」という言葉をどこかに入れたかったため、「Live from New York, it's Saturday Night!」という台詞が生まれた。[1]1976年にABCの番組が終了。これに伴いNBCがABCから番組名の権利を買い取り、1977年3月26日の放送から現在の番組名になった。
1980年に製作方針と権利関係でNBCと対立したことが原因となり、シーズン5を以ってローン・マイケルズとオリジナルキャスト、ほとんどのスタッフと放送作家は番組を離れた。シーズン6は、番組に残った数少ないスタッフの一人であるジーン・ドーメニアンによって製作されたが、ローン・マイケルズにロイヤリティを払わなくて済む様に番組構成をそれまでと完全に変え、出演者、スタッフ、放送作家を一新。しかしこれが裏目に出て視聴率が低迷。さらに新しい出演者の一人が(意図した物では無かったが)番組史上初めて放送禁止用語を口にしたり、ジーンがNBCを激怒させた(NBCの上層部が性接待を強要しているという内容のコント)ため、NBCはジーンとその出演者を解雇した。
このため、シーズン7 - 10はエバーソル自らがエグゼクティブプロデューサーとして指揮を執ることになった。エディ・マーフィ、ジュリア・ルイス=ドレイファス、ジェームズ・ベルーシ等の活躍もあったが視聴率は低迷し続け、NBCは1985年に一旦番組の終了を決定する。
そこで、エバーソルはシーズン11以降ローン・マイケルズを呼び戻し、番組存続を求めてNBC上層部を説得。以降ローン・マイケルズは現在に至るまで、エグゼクティブプロデューサーの地位にある。
出演者は不定期に入れ替わる。新人は準レギュラーから始めて、キャストの降板に伴いレギュラーに昇格する。上述の経緯からセカンド・シティの出身者が多い。
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(太字はWeekendUpdateのアンカー)
サタデーナイトライブの出演者一覧(en)参照
ほか多数
5回以上ホストを務めたゲスト(Five-Timers Club)は以下の通り。 音楽ゲストの出演回数はカウントしないが、ポール・サイモンは4回でもFive-Timers Clubとしてスケッチに出演している。
ホストや音楽ゲストの他にも多数の著名人(政治家、俳優、ミュージシャン)が不定期にカメオ出演する。(名前はクレジットされない)
ほか多数
オープニングのナレーションはNBCのベテラン・アナウンサー、ドン・パルドが担当していた。シーズン7を除く全てのエピソードのナレーションを担当し、2004年にNBCを退社後も2010年まではナレーションの収録のために毎週アリゾナ州の自宅からニューヨークへ通っていたが、90歳を超えた頃からアリゾナ州の自宅で収録していた。2014年にドン・パルドが亡くなり、シーズン40からは元キャストメンバーのダレル・ハモンドが正式にナレーションを引き継いだ。(以前からドン・パルドのスケジュールが合わない時にものまねでピンチヒッターをしていた)[2]
第1回放送の最初のコントは「英語のレッスン」で、マイケル・オードナヒュー演じる英語の先生がジョン・ベルーシ演じる移民の生徒に一対一の英語レッスンをするという内容であった。突然英語の先生が発作で倒れてしまうが、先生が「Repeat after me」と言っていたので、生徒も無理やり発作で倒れるというオチ。その後、ADに扮したチェビー・チェイスが乱入して「Live from New York, It's Saturday night」とタイトルコールしてオープニングがスタートした。
以後、毎回最初のコントは "Cold Open(コールドオープン)" と呼ばれ、唐突にコントが始まり、オチに誰かが「Live from New York, It's Saturday night」とタイトルコールしてオープニングという番組フォーマットが毎回踏襲されることになった。
1975年10月11日の第1回放送から毎回続く、唯一のコーナー。ニュース番組の形式で、アンカーが時事ニュースを次々と皮肉る。ニュースの内容によって当事者(レギュラーメンバーによる物まね)を数人ゲストに迎えて進行するが、時折本人が登場することもある。 歴代のアンカーは数人の例外を除いて、基本的にヘッドライターが務める。初代アンカーはチェビー・チェイスで、2014年(シーズン40)以降は一貫してコリン・ジョストとマイケル・チェの2人が担当している。
なお、1981年から1985年は一時的にコーナー名が変わっていたものの、内容は基本的に同じであった。
映画やドラマ、クイズ番組やトークショーなどの人気バラエティ番組のパロディ。コントにはレギュラーメンバーだけでなく、時折本人が参加することもある。
なお、他局の作品であってもタイトルや役名はもちろん、テレビ局名(映画会社名)やロゴなどの意匠も含めてすべて本物と同じ物(実名)が使われる。
時事CMのパロディは、コントの合間(特にオープニングモノローグの後)に挟まれる。映画・ドラマのパロディとは異なり、(番組やNBCと直接関係は無くとも)全てのスポンサーへの配慮から、実在の製品や企業名を使うことは少ない。
番組の要となるコーナーで、政治に関連したコントが本番組における1番の特徴であり、主にCold Openで演じられる。国内外を問わず、その時々の政治家の活躍・スキャンダル・独特なキャラクターが、政治風刺のネタにされる。
特に「大統領からの国民への放送」(実際アメリカでは、ホワイトハウスの大統領執務室から、テレビ放送が時折行われる)という形で、大統領がアメリカ国民に向けて、荒唐無稽な語りかけをするコントが毎年何度も放送されている。
またアメリカ合衆国大統領選挙の年には、大統領候補者による討論会がネタにされる。2007年-2009年には当時大統領(副大統領)候補であったサラ・ペイリン(ティナ・フェイ)とヒラリー・クリントン(エイミー・ポーラー)のネタが何度も放送され、本人が本番組に登場するなど話題になった。
ほか多数。実在の人物や番組、作品を題材としたものがシリーズ化されると「セレブリティ・ジェパディ!」ではトレベックが回答者として、「マクグルーバー」では「冒険野郎マクガイバー」でマクガイバーを演じたリチャード・ディーン・アンダーソンがマクガイバー役として出演するなど、元ネタの出演者がスケッチに(あくまで脇役として)出演することが度々ある。
シーズン31以降に行われている。基本的にホストまたは音楽ゲスト(あるいは両方とも)が出演する、音楽を主体としたショートコント。後述のコンシューマ用デジタル一眼レフカメラで撮影され、コンピュータ上で編集されている[7]。
収録はニューヨークのコムキャスト・ビルディング(30ロックフェラープラザ、30 Rock)にあるNBCスタジオのスタジオ8H(8階と9階)で収録されている。このスタジオはもともと、アルトゥーロ・トスカニーニおよびNBC交響楽団向けにラジオ収録用のステージが設けられていた。このため構造上、一部の観客はコントを見る際に死角が生じてしまっている。その一方でNBCによれば、音響面においては完璧な構造であるという。観覧希望者は NBCのホームページ から応募し、抽選で招待される。
シーズンが中断していた2005年夏には、スタジオ8Hの改修を実施。 第31シーズン開始の2005年10月から、ハイビジョン放送での制作・放送を開始した(同時にアナログ放送での画面はレターボックス化された)。
1976年 - 1977年のシーズンでは最初の数回を、ブルックリンの旧NBCスタジオから放送した。これはスタジオ8Hが当時、アメリカ大統領選挙報道のためNBCニュースが使用していたことに伴う措置であった。
番組のコマーシャルと本編の間には、出演者の静止画である「コマーシャル・バンパー」が映される。ここで映されるホストの写真は、音楽ゲストがリハーサルを行っている最中に、専門のカメラマンがスタジオ内で撮影したポートレートを使用している。
なお、ライターやプロデューサー、その他のスタッフのオフィスは17階に所在している。
番組中で使用される音楽は、生放送で演奏される楽曲のほか、VTRでの音楽や効果音、事前に収録されたナレーションなどを、ミキシングスタッフの代表者が構成している。これらすべての音楽・音声はデジタル保存され、番組内で活用されることとなる。
事前に、コマーシャルのパロディやコントなどを収録するシステムは、1998年にアナログからデジタルへおおよそ移行された。収録されるデータは、音響や5台のカメラによって映される映像で構成されるが、その容量は1.5テラバイトにものぼる。これら収録されたデータは、制作会社であるブロードウェイ・ビデオの施設に保管される。
スタジオ8Hにある制作機材は、NBCプロダクション・サービスによって管理されている。ビデオカメラは、ソニー製CCDビデオカメラ「BVP-700」を4台、同じくソニー製ハンドヘルドカメラ「BVP-750」を2台使用しており、どちらもヴィンテンのカメラスタンドを使用している。デジタルおよびアナログ・ビデオ・レコーダーとしては、グラスバレー製デジタル・コンポーネント・プロダクション・スイッチャー「GVG 4000-3」と、デジタル・コンポーネント・ルーティング・スイッチャー「GVG 7000」を使用しており、副調整室へ映像を送出している。コンピュータ・グラフィックについては、カイロン製「Infinity Character Generator」とクウォンテル製のピクチャーボックスを使用している。音響機材としては、カルレック製のデジタル制御アナログ・ミキシング・コンソールであるTシリーズや、テープ再生のサポートなどにはヤマハ製デジタル・ミキシング・コンソールを使用している。
なお、2009年の第35シーズンから使われているオープニング映像では、デジタル一眼レフカメラで撮影されたカットを使用しており、それらはキヤノン製「EOS 5D Mark II」や、同じくキヤノン製「EOS 7D」が用いられた。
以下の製作過程は、SNLの前ヘッドライター(主任放送作家)でキャストでもあったティナ・フェイの2000年と2004年のインタビューに基づく。[8][9]
収録の進捗状況は常に掲示板上で調整される。コントや番組進行はインデックスカードにされ、進行順に掲示板上に配置される。進行順の決定に際しては、内容、カメラ配置、出演者のスケジュール等の制作上の制約事項が考慮されている。カットされてしまったコントはボードの隅に取って置かれる。放送が近づくにつれて、作家やプロデューサーは自分の担当パートどうなっているのかを掲示板を見る事でチェックする。
2004年10月にCBSの『60 Minutes』にて製作現場が取材された。この中では、本番までの一週間で、沢山の長時間に渡る白熱したミーティングを経て台本が作り上げられていく様子が放映された。また、ホストは自身が出演するコントについて、深く関与していることも紹介された。
番組は東部標準時の23時29分30秒から、中部標準時の地域では22時29分30秒から生放送される。山岳部標準時の地域と太平洋標準時の地域では、通常未編集のまま23時29分30秒から録画放送される。なお山岳部標準時の地域であっても、カンザス州のKSNG局とKSNK局では例外として、山岳部標準時の21時29分30秒から生放送される。
番組は1年を通じて毎週放送されるが、生放送されるのは9月から5月のシーズン中のみであり、シーズンが終わる6月から8月の間は視聴率の良かった回を中心に再放送される。シーズン中も月に1回程度、同枠で再放送が行われる。
再放送される場合には検閲により、一部がカットされたり差し替えられることがある。また、ケーブルテレビのコメディ・セントラルやE!では60分バージョンとして再放送されている。
1992年11月21日、ウェインズ・ワールドのコントで、チェルシー・クリントン(ビル・クリントン大統領の娘で、当時12歳)を性的な内容でからかうシーンがあった。このシーンは再放送からはカットされている[10]。
1998年3月に放送されたRobert Smigelのアニメも再放送でカットされている(ローン・マイケルズが「愉快な物ではない」としてカットを要求した)。この時の内容は「メディアが営利企業の傘下に入り支配される問題」を痛烈に批判した物であり、NBCがGE / ウェスティングハウス社の傘下にある事が影響している[11]。
2010年5月8日の放送ではベティ・ホワイトがホストを務め、88歳6ヶ月で最年長ホスト記録を樹立した。これはFacebook上で起こった「ベティ・ホワイトをSNLホストにしよう」キャンペーンの結果である(2010年のスーパーボウルで流れたスニッカーズの特別CMに、ベティ・ホワイトが出演したことがきっかけ)。
オープニングモノローグでは、「ここに立っているのは色々な人のお陰ですが、特にFacebookにお礼を言いたい。実はFacebookがどんな物か知らなかったのですが、今は分かります。物凄く時間を無駄にする行為のことですね」とジョークを飛ばしていた。
2004年10月23日にアシュリー・シンプソンが音楽ゲストで出演したが、2曲目の前奏中にマイクを離しているにも関わらず"1曲目の"歌声が流れてしまい、口パクが発覚した。彼女はすかさず踊って誤魔化そうとしたが、曲の途中でステージから離れた[12]。エンディングでホストのジュード・ロウと共に現れ、「バンドが間違った曲を演奏したのでどうしたら良いか分からなくなって、踊った」と謝罪した[13][14]。
2010年3月13日にジュード・ロウが再びホストを務めたが、オープニングモノローグで「前回出演した時の音楽ゲストはアシュリー・シンプソンだったけど、彼女は凄く良かったよ。」と述べた。しかし、この時「彼女は凄く良かったよ」の部分は口パクでスピーカーから流れていた。
1992年10月3日にシネイド・オコナーが音楽ゲストとして出演した際、彼女はボブ・マーリーの"War"をアカペラで披露したが、意図的に"racism(人種差別)"という歌詞を"child abuse(小児虐待)"に変えて歌った。これは、カトリック教会の性的虐待事件に対する抗議であった[15]。そして、歌詞の "evil (悪人)"という箇所を歌う時に法王ヨハネパウロ2世の写真をカメラに向けて破り、"Fight the real enemy(真の敵と戦え)"と言いながらカメラに投げつけた[16][17]。SNL側はこの行為を事前に知らされていなかった。
2010年現在もNBCは、再放送時にこの箇所をリハーサル時の映像に差し替えて放送している。このリハーサル修正版の映像は再放送(60分バージョン)で見ることができるが、オリジナルバージョンは "SNL DVD special Saturday Night Live- 25 Years of Music" にてローン・マイケルズの解説付きで見ることが可能である。
1996年4月13日にレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(以後RATM)が音楽ゲストで出演し、2曲を披露する予定だった。この時のホストは前共和党大統領候補で資産家のスティーブ・フォーブスであったが、RATMは彼の言動に抗議するために2本の星条旗をギターアンプから逆さまに吊るして演奏することにした。ギタリストのトム・モレロによると、「資産家がジョークを言いながら持論の一律課税をアピールしている事に対して抗議したかった」という[18]。
ところが1曲目を演奏する直前に、SNLとNBCはスタッフをステージに入れ、逆さまの星条旗を下ろさせた[19]。そして、演奏中であるのにも関わらず警備員がRATMにスタジオから去る様に命じた。
報道によれば、ベーシストのティム・コマーフォードはその後フォーブスの控え室に突入し、切り裂いた星条旗を投げつけた。モレロによると、(名前こそ伏せたものの)「SNLのメンバーやスタッフは我々の行動に共感し、SNLがRATMのパフォーマンスを検閲した事を恥じていた」という[18]。
『ブルース・ブラザース』(1980年)を最大の成功作として、初期の頃から番組のコーナーなどをベースとした映画が数多く制作された。しかしながら、『ブルース・ブラザース』以降は、ローン・マイケルズの制作会社であるブロードウェイ・ビデオが制作した『ウェインズ・ワールド』(1992年)まで、興行的に成功するものがなかなか出なかった。『ウェインズ・ワールド』の成功以降、1970年代の人気キャラクターである『コーン・ヘッズ』(1993年)の映画化など積極的な展開を見せているが、必ずしも順調な成績を上げているものではない。
日本においては、キャラクターになじみがないため、『ブルース・ブラザース』を除いては、ほとんど話題にならず、例外的に一般公開された『ウェインズ・ワールド』も興行的に成功しなかった。その他の作品は、字幕入りビデオやDVDの発売も一部にとどまっている現状である。
ポニーキャニオンより以下のDVDが発売されている。
アメリカ版は米国外でも放送されており、2010年の時点で世界130カ国にて放映されている。以下のように現地の国において、ローカライズ版が制作された事例もある[20]。
日本でアメリカ版や日本ローカライズ版が放送(配信)される前から本番組の熱狂的なファンが存在し、その一人である元フジテレビプロデューサーの横澤彪は1980年代に同局にて放送された『オレたちひょうきん族』は本番組を参考に制作したことを明らかにしている[20]。
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