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『ぼんち』は、1959年に発表された山崎豊子による小説。『週刊新潮』に連載された。単行本は新潮社から上下2巻が1959年と1960年に刊行された。
老舗足袋問屋の一人息子・喜久治の人生修業を中心に、彼を巡る5人の女、船場商家の厳しい家族制度や特殊な風習を丁寧に描いた長編小説[1]。「ぼんち」とは船場商家の跡取りに対する呼び名のひとつで、単なる「ぼんぼん」とは異なり、放蕩を重ねてもぴしりと帳尻の合った遊び方で、地に足がついたスケールの大きな者に与えられる愛称[2]。昭和初期の経済変動を背景に、商魂に徹して生きた大阪商人の理想的典型を描き、大阪の文芸興隆に寄与したとして大阪府芸術賞を受けた[3]。
1960年には大映にて映画化され、また、1962年と1972年には同名で、1966年には『横堀川』(『暖簾』『花のれん』と合同)として3度テレビドラマ化された。2008年には「音楽劇“ぼんち”」として舞台化されている。
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製作・配給は大映。1960年4月13日公開。併映は『扉を叩く子』、4月17日より『痴人の愛』。1965年3月6日に再上映、併映は『暴れ犬』。
大映側からの企画ではなく、主演した市川雷蔵が自ら監督の市川崑に持ち込んだもので、市川が日本映画界で巨匠と評される一端となった映画『炎上』に出演した事への「御礼返し」の意味合いがあった。原作を読んだ市川は、自分の肌に合わないと感じつつも、雷蔵の「先生、御礼返しをしとくれやすや」の洒落っ気な言葉に動かされて映画化を引き受けた。脚本は妻の和田夏十に一任して、原作にはない戦後の場面を加えるなど、大胆な脚色を行った上で撮影を開始した。主演の市川雷蔵は自ら企画した事もあり、上機嫌に奔放な演技をするなど、撮影は快調だったが、1週間程たった頃、大映の宣伝部がPR用に、原作者の山崎を撮影所に呼んでくるという出来事があった。山崎は当初、主演の雷蔵や出演者たちと記念写真に応じていたが、終了後に市川の所へやってくると「原作と脚本が全然違う、映画にするのをやめて下さい」と口頭で撮影中止を申し入れてきた[6]。常軌を逸脱していると感じた市川は「あなたには既に脚本が提示されていて、原作料が渡って、こうして撮影が行われている訳だから、常識的に言えば了承されている事になる。しかし、どうあっても嫌だと仰るなら、僕じゃなく会社のほうに言ってくれ。会社が了承すれば中止になるだろうけど、かなりの製作費が消費されているから、それをあなたが弁償する事になるでしょう。それでも良ければどうぞ」と突き放し、山崎も「ええ、そのお金を払ってもいいからやめてほしい」と意に介さなかった。幾ら雷蔵への御礼返しでも原作のダイジェストを作る位なら監督を辞退するつもりでいた市川だったが、結局、製作は中止されることなく、映画は完成した。
完成した際、試写を観た山崎は、「シナリオのときから注文したのに。私の書いた『ぼんち』は、あんな『ぼんち』じゃありません。えいが『ぼんち』は、あくまで市川崑の『ぼんち』です。あれでは、原作じゃなくて、まるで身売りです」と、しみったれた主人公に描かれていることに不満を漏らした[7]。後年、市川はあの時の山崎の態度を「ああいうことを言いたかっただけの不思議な人」と評している[8]。その証拠に、大映は本作以降、山崎より『女の勲章』・『女系家族』・『白い巨塔』の映画化の許可を得、製作に至っている。
船場の足袋問屋河内屋の一人息子喜久治は、祖母と母の勧めで弘子を嫁にしたが、養子旦那だった二人の嫁いびりで、長男を生んだ後に離縁する。 その後の喜久治は、父が死んで河内屋の主人におさまるや、彼の商売上手で店は繁盛し、それにつれて女性関係もますます盛んになっていく。二号となった芸者ぽん太には男の子を生ませ、娘仲居の幾子が芸者に出たのを機に三号で囲って、その他カフェの女給の比佐子、仲居頭のお福と妾同様の女がいる。 やがて日中戦争が始まって不景気になり、太平洋戦争に突入して、河内屋も空襲で蔵一つを残して焼失した。喜久治は、ぽん太、比佐子、お福に金を渡して河内長野の菩提寺に行くよう仕向け、祖母と母も田舎に返そうとしたが、船場の悲惨な状況に落胆した祖母は半ば自殺のように死んでしまう。 戦争が終わり、菩提寺を訪れた喜久治は、三人の女のあけすけな姿をのぞき見して、これで放蕩も終わりと見切りをつけ、女に会わずに帰った。 昭和35年になり、57歳の喜久治は彼なりに商売に対する夢を抱いているが、今は二人の息子の世話になっている身になり、ぽん太の子・太郎からは今更足袋屋でもないと諭されてしまう。
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NET(現:テレビ朝日)で1962年1月4日から同年6月28日に毎週木曜21:15 - 21:45に放送。
ほか
NET系 木曜21:15 - 21:45枠 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
ハーバー・コマンド
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ぼんち
(1962年版) |
お笑い夏場所
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フジテレビの「土曜劇場」枠で1972年1月1日〜同年3月25日に放送。「土曜劇場」が元日に放送されるのは本作が唯一。
余談だが、同日には直後の22:30枠で『木枯し紋次郎』が放送開始した。
ほか
1962年6月3日から20日まで産経ホールで、菊田一夫脚色・演出、観世栄夫プロデュースで上演された。テレビ版で喜久治を好演した中村扇雀が主演。
1976年11月、新橋演舞場、新派公演。
2008年4月3日から4月21日まで紀伊國屋サザンシアターで行われた沢田研二主演の舞台、音楽劇。同年4月25日から4月28日まで新神戸オリエンタル劇場、さらに、同年5月10日、11日には中日劇場で行われた。
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