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岐阜県羽島郡の町 ウィキペディアから
岐阜県南部の濃尾平野に位置し、町の3分の1を流れる木曽川に沿う位置にある(対岸は愛知県)。かつては頻繁に水害に悩まされ、松枝輪中という輪中が発達していた。水害に関する多くの史跡が残り、古くから木曽川を通じて岐阜と名古屋を結ぶ重要な地であった。
古くは尾張国であったが、1586年(天正14年)の木曽川の氾濫により木曽川の位置が変わり、美濃国に移り、尾張国葉栗郡から美濃国羽栗郡となった。
港町でもあり、岐阜から名古屋へ岐阜街道が中心部を通っていた。
かつての地名は「傘町」。1662年(寛文2年)、正式に美濃郡代の陣屋を傘町に移転したさいに、「傘町」を「笠松」に改名したという(1669年の説もある)。
江戸時代は幕府直轄地として笠松陣屋が置かれ、江戸時代の終わりには笠松県の県庁、明治時代の初期には岐阜県庁が置かれており、県庁が岐阜市に移るまでは、岐阜県の中心となっていた。
笠松町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 笠松町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 笠松町
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
笠松町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
岐阜市広域合併協議では岐阜市、羽島市、笠松町、岐南町、柳津町、北方町が参加し、50万都市を目指したが、岐阜市椿洞での産廃不法投棄問題に端を発した岐阜市行政の怠慢、莫大な処理費用などが予想され、また合併後の市議会議席の調整も失敗していた。
そんな中、4月に羽島市が住民投票の結果により、岐阜広域合併協議会からの脱退が決まり、2004年6月6日 笠松町でも合併についての意思を問う住民投票が実施された。その結果、反対票が65.32%と賛成票を上回り、同月21日に町議会で岐阜広域合併協議会からの脱退が議決された[3]。
2005年3月末までは少子化対策の為、入院および外来の医療費を15歳(義務教育終了)まで町が負担する無料乳幼児医療費助成が行われていた。出生率が上がるなどの一定の成果はあったが、財政圧迫を理由に外来の医療費を4月から10歳(小学校4年生)までに引き下げとなった。入院の医療費補助は義務教育終了まで続いている。
毎年増大しているごみ処理費用削減のため、全国的にも例の無い、町内会単位による資源ごみ分別回収が行われている。1つの町内会で数ヶ所あるごみ収集場所を原則1ヶ所にして費用を削減するものである。
オグリキャップ及び元騎手の安藤勝己(笠松→JRA所属であった。)で有名な笠松競馬場がある。しかし、赤字続きで資金も底をつき、運営を続けるなら地方公共団体の支援が必要になったが、岐阜県や笠松町は支援はしないことを決め、2005年度から笠松競馬場の収支が赤字の場合は、廃止すると予告している(2005年度は黒字)。
岐阜と名古屋を結ぶ重要な地であり、木曽川水運の中継地点笠松湊があったことから、古くは商業で賑わった。現在も下本町と上本町を中心とする笠松町本町通りには古くからの小規模の店舗がある。
上水道は同町が設けた4か所の水源地(井戸)から給水されている。下水道は1989年より設置工事が始まり、1992年より一部での供用開始。2006年度末時点の下水道普及率は約78%。
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